ほんとすいません。土日になかなか時間なくてブログほったらかしでした。
さてさて、1月10日に(3週間以上も前ですわ)西一風の「ピントフ」観てきました。
いやはや、しっかり私のツボでした。

観る前から「ピントフ」ってなんやねんって思っていたのですが、観たらすぐわかりました。
で、それがこのお芝居のツボでした。

言ってしまえば「霧吹き作業」。
単純なこの作業に「ピントフ」という名前を付け、大層な感じで作業している工場に、一人新人がやってくるというお話。

全編、淡々とお芝居をしているが、すべてが滑稽で面白い。
考えようによっては、社会に対しての強烈な皮肉とも取れます。

最後、その新人が、皆の作業を軽減するために、噴霧器を作って持ってくる。
そこで、工場は大爆発(笑)
つまりは、予定調和を壊してしまったということでしょう。

終わり方はもうちょっとやりようがあったかもしれませんね。

でも、これを書いたのは1回生!
次々と書く人が現れてきて、新しい世界を作ってゆく。
これが西一風イズムですね。
しかも、違う系統のお芝居なのにどこかひとつつながっていて、なんというか西一風くささがしっかりある。

誰が作ったわけでなく、おそらくは30年の歴史の中で芽生えてきたものなんだと思います。

今や名実ともに京都ナンバー1の学生劇団。
今後は学生劇団の枠をどんどん飛び越えて活動してほしいなと思います。

写真は目に入れたらやっぱり痛いけどかわいい後輩達です。


ピントフ2


ピントフ1

あけましておめでとうございます。
今年もボチボチ更新しますので、皆様、何卒よろしくお願いいたします。

さて、2014年に観たお芝居の記事、実は一つだけまだ未掲載でした。
12月13日に観劇したオセロット企画の「平日の君へ」。
3年前に都合で観れなかったオセロット企画、ようやく観れました。

正直、今回のお芝居はかなりはまりました。
「面白かった」というより「激しく共感」しました。

共感したがゆえにどう感想を書いてよいかわからなくなってしまい、今日まで書けませんでした。

共感したのはお芝居でだけではなく、パンフレットの水上さんの文章にも。
働く意味を問いかけていました。

会社組織は利益を追求しなければなりませんが、ただ利益を追求だけでは人間は働き続けられないもの。
そこには「やりがい」という言葉だけではない、意義がなければ継続が難しい。
ただ、組織にはミッションが必要なのでしょう。
ミッションなきストラテジーやビジョンは空回りしますものね。

オセロット企画は働きながらお芝居をする水上さんと川北さんの二人の劇団。
正直、演劇だけで飯を食えている人など一握りしかいないはずだから、学生さんを除けば多くの演劇人は働きながら演劇にしているわけで、当たり前と言えば当たり前。

ただ、年数を経てゆけば「働く」ということがどんどん重くなり、演劇に割ける時間は減ってゆく。
ましてや結婚したり、家族が増えたりしてゆけばなおのことです。
おそらくは今回のお芝居はそれでも演劇を続けてゆくんだという二人の強い意志表明なのだと思うのです。

最後のシーンで森田君演じる男1の「劇団やりませんか。」という台詞は、単にお芝居やりましょうって言う言葉ではなく、そこは目的を共にした同志になりましょうという意味も超えた言葉なのだと感じました。

だからこそ、観ている私にはずっしりとこたえました。

なんだか感想になっているんだかいないんだか・・・
お芝居の内容もさることながらいろいろと考えてしまって纏まりませんね。

オセロット企画、頑張ってほしいし、ずっと応援したいと思います。
といいつつ、私もVOGAがんばります!

山脈

写真は同人戯曲集「山脈」です。

先週は、お芝居を観る予定を2つも飛ばしてしまいました。
あ~なんだかバタバタの日々、ブログもなんと2週間以上前に観たお芝居の話。

さて、日本海。
柳川の浦島さんらが立ち上げたユニット。
おー、これは観に行かねばとずっと思っておりまして、しかも元サワガレの木下恵子さんや、VOGA「Vector」に出ていた松浦さんも出るのでなおさらでした。

お芝居はいろいろな家族の話。
10人の役者の役柄は決まっておらず、シーンごと、そのお話ごとに、組み合わせが変わって演じられる手法をとっていました。
下手にやってしまうと、お芝居全体が平坦な感じになってしまうし、ひとつひとつの話が頭に入ってこない感じになってしまう手法ですが、そこは役者の個々の力がある人たちの集まりのせいか、しっかり描かれていましたし、観る側の集中力も切れずにおれました。

10人の役者さんの個性をきっちり引き出しているからこそ、成立しているのでしょうね。
パンフレットに「10人の役者で作った作品です。」という演出の方の言葉がありましたが、よくわかりました。

さて、このお芝居、浦島さんが出ていません。
ちょうど浦島さんのところに初めてのお子さんが生まれたからなのですが、家族のためにお芝居に出ていないというのも「カゾクノカタマリ」らしい話だなと思います。

ゆえに共感を得られる話になっているのでしょうね。

写真は何の関係もありませんが、日本海の写真です・・・



日本海


なかなかブログ更新できなくてほんとすいません。
もう観てから3週間も経ってしまいました。
西一風後輩の稲葉君と菅君が出るというので行ってきました。

さて、今回のお芝居、特定のテキストを異なるシチュエーションで展開する、いわゆるコンテンポラリー系のお芝居。(観劇後、演出家の村川拓也さんに『コンテンポラリー系って言い方あってますか?』ってお聞きしたところ、『まあ、そんなんでいいんじゃないですか?』って感じでしたので、今後使ってゆきます。)

お芝居全体は、静かな展開で、映像もよくとてもきれいな舞台でした。
ただ、ちょっと綺麗すぎましたし、僕はテキストと映像の微妙な違和感が気になりました。

もしかしたら狙いだったのかも知れませんが、それだとしたら、微妙すぎて笑えませんでした。

テキストもちょっと少なすぎたと思います。
少ないテキストで展開するなら、もっと変化が欲しかったと思います。

結論、残念ながらとても退屈でした。
狙いが良くわかるだけに残念です。

どうしても比較してしまうのですが、たとえば「デ」の市川タロ君なら、もっと工夫しただろうになぁ・・なんて思いながら観ておりました。

それと、「古い考え」と皆さんおっしゃるかもしれませんが、やはり私は「ドラマ」が大事だと思いますし、それが好きです。

おもしろかったと思っていらっしゃる人や、演じていた皆さんにはちょっと申し訳ないのですが、やっぱり退屈なのはいやですもんね。

ちょっと手厳しい感想ですいません。
でも率直な感想です。

もう2週間が経ってしまいました。
遅くなってほんとすいません。
田中次郎君と飯坂さんの枠縁の2作目を観てきました。

田中次郎君独特の、「庭売り」という奇妙なタイトルからも想像できるような、普通そうなのに何かが微妙にずれている不気味な感じの展開は、私の大好きなモチーフです。

庭はやたらきれいなのに、家はやたら汚い物件に、ある新人小説家夫妻が越してくることからお話は始まります。
家の掃除を頼まれているはずなのに、庭をまるで自分のもののように掃除する隣の奥さん。その奥さんに掃除を依頼し、やたらを庭を進める不動産屋。そして、やたらと職を変える小説家の兄。
そして、その家に住み始めたと同時に小説を書けなくなった新人小説家と、家の中を片づけない妻。

そのどれもが少し異常である。

じかんの進み方の描き方や、枠を使って舞台の視点を変える手法はとても秀逸だったと思います。
また、5人の役者も性格がはっきりしていてわかりやすかったし、キャラクターもしっかり立っていたと思います。

時間を経てゆくとともに、登場人物それぞれの異常さが増してゆく感じは、とても面白く、特に、妻役の飯坂さんの「異常さ」と「普通な」感じの転換はきれいに決まっており、お芝居自体のドライブ感を引き立てていました。

どんどんと庭の異常さが増してゆく様は本当に面白かったです。

惜しむらくは、行方不明になる小説家が、庭に呑まれているというところで、「穴に入っている」という描写が、そこまでに異常さに比べると「普通な」感じがして、ちょっと拍子抜け感じがしました。
例えば「庭と同化する」とかの方がより面白かったのではないかと思います。

また、これは田中次郎君の味なのだが、後半のシリアスな場面にも巧みな言葉遊びがあり、これは面白いのだが、ちょっとタイミングが狂うと白けてしまう。
むしろなくても良かったかと思いました。

とはいえ、前作タウンより数段面白かったと思いますし、枠縁の可能性をとても感じた舞台でした。
ここは性格なので難しいかもしれないのですが、田中次郎君にはもっともっと自信を持ってもらって堂々と作品を送り出して欲しいなと思います。

これからもがんばって欲しいと思います。そして、後輩だからというだけでなく、もっと枠縁を応援してゆきたいと思います。



人間座