バタバタと過ごしてしまうとあっという間に時間が過ぎてしまいます。
ブログもまる2週間更新していませんでした。
くろじん↑さんのライブへ行ったのは7月14日、祇園祭宵々々山の日でした。

はじめてくろじん↑さんのライブを観たのは、2010年やはり文博のオータムコンサート。
澤田さんのライブを観に行って、その確か2つ前がくろじん↑さんでした。

不思議なもので、それからありがたいことに仲良くさせて頂き、FMトリコとしていっしょに活動されているまきはらさんや、都志見さん、フジタスミトさん、で、まきはらさんのご主人(に後程なられた)ゲルゲさんが所属するBooing Booさんと広がってゆきました。
ま、おかげで、私も大坂城ジャグバンドに参加させて頂くことになり、ほんとうに数奇な運命を感じております。

さて、くろじん↑さん。
今はまきはらさんを加えたFMトリコとしての活動が主なので、くろじん↑さんとしてのライブを観れるのは、この文博か03スローカフェでのライブくらいになってしまいました。

でも、くろじん↑さんでしかやらない楽曲、と言いますかくろじん↑さんの楽曲にもいい曲がたくさんあって、実はそれを楽しみにしておりました。
FMトリコさんの曲ももちろんよいのですが、また、くろじん↑さんとなるとちょっと違った視点での楽曲があっていいですね。
「独り言」、「積み木」、「ピエロ」、「ナナイロ」どれもいい曲です。
独特の憂い感っていうのかな、それがいいんです。

カバーで「ケサラケサラ」(タイトル間違ってたらすいません。)も歌ってくれました。これ好きなんですよね。
FMトリコの曲「ジプシーズハイ」をくろじん↑風にアレンジしたのもよかったですね。

心にすっと入ってくるやさしくなれるライブでした。

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-くろじん↑ライブ

「西一風の公演は必ず行くんだ?」と嫁に聞かれました。
ま、唯一の自分の出身劇団ですしね。行ける限りは行きたいと思います。
そんなこと言いつつも1988年の秋から2009年の春までは全く観てないんですけどね。
96年ごろだったか、練習場を訪ねたことはありましたが。12月の公演直前で、かえって邪魔しちゃった記憶があります。

さて、「モモ」。
ミヒャエル・エンデの名作にチャレンジ。
かなりうまくアレンジ出来ていたと思いますね。
そこは高く評価したいと思います。
西一風なりの解釈も加えていたし、特に舞台を使われなくなった「劇場」にしているのは秀逸でした。
時間貯蓄銀行は、劇場の改修を請け負う「市橋組」という建築会社にアレンジしたのもなかなか良かったです。

ですが。
お芝居全体としては、盛り上がりに欠ける「平べったいイメージ」の仕上がりになっていました。

以下、敢えてちょっと厳しめに書きます。(一応先輩なんで)

平べったいイメージにしている原因は2つ。
ひとつは、脚本。登場人物が時間を回復するところの描き方が唐突であること。
もうひとつは、演技。
正直、1回生が多いということもありますが、全体に抑揚と強弱がない、緊張と脱力の差もない。
かといって、元気いっぱいでもない。

ちょっとひどい言い方をすれば、世間が「学生劇団」に期待しているレベルはもっと上です。
細かい演技ができなれば、有り余るパワーで押し切るという手もありますし、それで舞台の雰囲気が壊れるというのであれば、きっちり演技すべきです。

特に、全体的に客席の意識の仕方が中途半端。
歌舞伎や新劇のようにおもいっきり意識するか、全く意識しないかのどちらかにすべきです。

解決策としては、
まず、それぞれの役柄のキャラクターをちゃんと作ること。
そこが曖昧になっている役者が多いような気がしました。いや、むしろ、できているのは私道さんくらいだったかな。
あとは台詞のしゃべり方の強弱をちゃんとつける。だって、普段の生活の中でも、もっと言葉に表情ありますよね。

ま、1.2回生中心のメンバー構成なので、なかなか難しいところはあるかと思います。
でも、たとえば2年前の1.2回生はもっと高いレベルのことができていましたよ。

そのためにも、たくさん、お芝居を観に行って欲しいと思います。
とくに、少し上の世代の劇団のお芝居をぜひたくさん観て欲しい。
サワガレ、デ、努力クラブ、悪い芝居、月面クロワッサン、飛び道具など先輩たちがいる劇団だけでも
たくさんありますしね。
後は、脱力の練習をきっちりやることかな。
ま、それは私たちの時代から変わらないんですけどね。

演技はやっている年数ではなく、一瞬の心構えで変わります。
つかめた人は1日で変わります。
(かく言う、私も同じような経験をしてますので・・・・)

と、偉そうに書きました。
これを現役の諸君が読むかどうかはわかりません。
読まなくたってかまわないんですけどね。
いずれにしても、私としては次の公演に期待したいと思います。勝手ながら。

さて、写真はかわいいかわいい後輩達です。
がんばれー!!

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-西一風「モモ」
何度か同じ話を書いておりますが、私が学生時代に活動しており、いまもまだ活動を続けている劇団というのは関西に数えるほどしかありません。
ましてや、学生時代に私が観に行っていた劇団となると遊劇体さんしかありません。

さて、「戀女房」。
遊劇体さんによる「泉鏡花オリジナル戯曲全作品上演シリーズ」の8作目だそうです。
私は「多神教」と「戦国茶漬」に続いて3作品目。

今回はなんと3時間半!
途中休憩をはさみますが、やる方も大変ですが、観る方も大変だと思っていたのですが、なんと3時間半、全く集中力切れることなく、一気に観ることができました。
でも「やる方」は相当大変だったと思います。

泉鏡花作品の絶妙な「おかしみ」は観る度にわかるようになり、そして、惹きこまれてゆきます。

舞台は明治後期から大正初期でしょうか。
今回は大火事の後の吉原・浅草に暮らす人々、根岸の伝統ある地主、それと産業振興に乗じて成り上がった成金の話。

あらすじを書こうとしましたが、なにせ3時間半のお芝居です。
割愛いたします。すいません。

主役の大熊ねこさん演じる「お柳」、高杉さん演じる「重太郎」、条さん演じる「お柳の姑 槇子」 村尾さん演じる「鳶の棟梁」 菊谷さん演じる成金社長「鷺坂」などなど、それ以外の方も含めて全ての登場人物のキャラクターがしっかり演じられていて、そこがしっかり演じられているからこそ、ググッと芝居の中に引きずり込まれてしまいます。

明治後期、伝統的な生活の中に少しずつ文明的なものが流れ込んでくる中で、鏡花は吉原や浅草で暮らす人々の在り様を愛していたのでしょう。人々の暮らしへの愛おしみがしっかりと描かれており、また、それを遊劇体さんの役者陣はしっかりと演じてくれていました。

シーンそれぞれもとても印象的なもので、アイホールの空気感をうまく使っていました。

特にラストシーン、大熊ねこさん演じる「お柳」と高杉さん演じる「重太郎」、この二人夫婦でして、根岸の家を追い出された(飛び出してきた)お柳を、家を捨てて重太郎は吉原まで追いかけてくるのです。(あらすじ書いて無くてすいません)
その最後のシーン、まるで隅田川に舟を浮かべて、新たな暮らしに漕ぎ出だすようなシーンは中でも特にすばらしく綺麗でした。

演技、舞台、照明、音効、それらすべてが100年前の戯曲に息吹を吹き込み、具現化している様は何とも形容しがたい素敵な世界を体現してくれていました。

最後に、大熊ねこさん演じる「お柳」が嫁ぎ先である根岸の家を飛び出てくる際の「啖呵」が実に切れがよく、それまで姑や小姑のいじめで鬱々としていた観客の気持ちをすーっと晴らしてくれる凄味のあるもので、とても素敵でした。

「芝居観たぞー」って感覚をどっしり残してくれる、やっぱり遊劇体さんはすごい!!

次はなんと10月にキタモトさんの新作をやるようです。
ものすごく楽しみです!

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-遊劇体「戀女房」
努力クラブは私が京都の若手劇団で最も応援している劇団。
ま、私が応援したからと言って何がどうなるわけではないのですが、勝手に応援してるんです。

前回のコント公演はちょこっとだけ声の出演をさせて頂いたのですが、今回は完全にお客。

とにかく、どんどんダメになってゆく(と思っている)男がいて、その男の「家」が舞台。
その家の片隅に、布的なものが重ねてあるソファーのようなものがあり、どうやら、そこに誰かいるような気がして仕方がない。気になって眠れない。
仕事もずっと失敗ばかり。

その彼の部屋に次々と女性が現れて、ある人は励まし、ある人は仕事を辞めろと言い、ある人は罵り、ある人は・・・

その彼と女性たちの関係は、絶妙にリアルなのが秀逸でした。
ほぼ客席に背を向ける形の彼を演じる佐々木君。
その佐々木君と各女優陣との距離感に妙にドキドキしてしまう。

それは、佐々木君の仕事のシーンに全くリアリティがないことで逆に引き立っていました。

アフタートークでヨーロッパ企画の上田さんもおっしゃっていましたが、6人の女優さんのそれぞれの個性と魅力がしっかり出ていて、私としては、「忘れてしまっていた女性との距離感」をリアルに思い出させてくれました。

最初、これは「彼」の妄想なのだろうかと思っておりました。
観劇後1週間経って思うのは、実は「彼」のほうが複数いて、6つの「家」のシーンを重ねていたのではないかということです。

ま、そういうことで、合間合間で登場する「ポン引き」のシーンも説明がつくわけで・・・違うかな?

いやあ面白かった。
好きですね合田作品。
発想が面白いです。

また、観に行きたいです。というか、出してもらいたいななんて思ってしまいます。
迷惑でしょうけど。

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-努力クラブ「家」
観に行きたい芝居はたくさんありますが、結局行けるのはごく一部。
はしぐち君が出る芝居をずっと観たかったのですが、なかなか都合があわず、やっと念願かなって先週の日曜日観ることが出来ました。

同世代の作品のせいなのか、それとも、はせさんの作品がそういうものなのかわかりませんが、心にすーっと入ってくるようなお芝居でした。
いや、設定とか結構「そんなアホな~」って思うようなところはたくさんあったんですけどね。
なんていうのか全編「ほほえましい」感じと「ほろっ」とする感じがとてもよかったです。

主人公は引きこもりの座付き劇作家。
引きこもっていて座付き劇作家ってできるのだろうかという大きな疑問はあるのですが、それはおいてきましょう。
舞台はその引きこもりの劇作家が引きこもる部屋に隣接する大きな居間。
「どんだけでかい家やねーん」という突っ込みを心の中で何度も入れてましたが・・・

そこは、劇作家の作品を待つ劇団員、同級生、母親、神父、あやしい教祖とその部下、劇作家とスカイプ(と思われる)で交信する「ある男」の世界、それと亡霊たちが交錯してゆく。
それは月明かりの下の幻想的で黄泉の世界と現実世界が交錯する様を表現していたのかなと思います。

一見無関係のように思われる・・・(最初っから関係しているんだろうな~って思ってましたが)人たちが、
実はすべてつながっていて、わかり合って、それでも分かれて行って、人の縁とつながりに思いを巡す時間をしっかりとくれました。

途中、停電のシーンがありまして、本当に長い停電のシーンはなかなかおもしろかったです。
ろうそくのあかりで皆の顔がわかるところは千葉での計画停電の夜を思い出しながら観てました。

はしぐちくんの演技を実に26年ぶりに観ました。
26年前は彼はまだ車いすではなかったのですから、本当は長い年月のはすなのですが、彼とはFacebookで再開し、つながっているので、そんなに久しぶりな感じが全くしませんでした。
FBのおかげですね。

彼がずっと、そして今も演劇を続けていることにこころから尊敬の念を抱かずにいられません。
大学の同世代で演劇関連の第一線で活躍している人は小山さん、鈴木さん、松田さん、土田君、はしぐち君、内田さん、近藤君、清水君、奥村君、石川君などなどたくさんいます。
みんなほんとにすごいなと思うと同時に、大変な苦労をされているんだなと思います。

とにかく、できるだけ観に行こう。
本当にそう思います。

ということで・・・写真撮り忘れました・・・

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-月光カノン