あれはたしか1987年西一風結成3年目の春、新歓の際に、何か西一風のモットーを作ろうと、3代目の座長になった目黒君達と考えたのが「パワー・スピード・オリジナル」でした。
それが26年の時を経て「内的爆発」、「身体的速度」、「独創性」という言葉に変わりながら、今に引き継がれています。

今回の「ぶっ挿したい」は、その「内的爆発」、「身体的速度」、「独創性」そのものであり、まさに西一風の真骨頂と言える作品でした。

いやぁ、むちゃくちゃ面白かったです!!

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-西一風「ぶっ挿したい」3

正直、ストーリーはかなりむちゃくちゃな部分がありましたが、それはそれでとても雰囲気に合っていて、芝居全体のドライブ感がかなり心地よく、あっという間に乗せられて観れてしまう作品でした。

あらすじは・・・いや、どう書いてもお面白さを伝えられそうにないので、書きません。
ま、端的に行ってしまうと「ぶっ挿したい男性型ロボット」と「ぶっ挿されたい女性型ロボット?」の話です。
わけわからんでしょ。でもそれがいいんです。

おそらくは頭突木大地くんに相当鬱屈したものがあり、その鬱屈をそのまま芝居にぶつけて、それを激しいところは激しく、抜くところはしっかり抜きつつ、コミカルでかつちょっと哀しい芝居に仕上げてくれていました。
それが芝居全体のドライブ感を引き出していたのでしょう。

特に今回は経験豊かな3回生4回生がかなりたくさん参加しており、さらに経験豊かな古野君が役者で参加していることも、この作品の完成度をあげている要因でしょう。
でもこれは1回生2回生にはかなり刺激と勉強になったと思います。
「あいつら、好き勝手やりがって、ちくしょー」と下回生が思ってくれればさらによしです。

また、ゲネプロの段階であるOBにけちょんけちょんに言われたことも今回良かったようです。
そうやって、言ってくれる身近な先輩がいるっていいですね。

すいません。僕は「口を出さない」と言って敢えて全然顔を出しませんでした。
ほんと、申し訳ないと思います。

さて、出来の良い公演をやった後、次の公演が実に大変です。なかなか前のものを超えるものを創れません。
でも、それでよいと思います。
「ちくしょー!くそ先輩らの芝居超えてやる」というのがまた次のオリジナリティーに繋がるのだと思います。

さて、写真はかわいい後輩達です。
本当は一人ずつ抱きしめてチューしたかったのですが、それは絶対に嫌がられるだろうと思って思いとどまりました。

さ、次も期待してます。後輩諸君!

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-西一風「ぶっ挿したい」1


齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-西一風「ぶっ挿したい」2

齋藤家には2つのお墓があります。
ま、それは別に不思議な話でもなんでもありませんが、下の写真のように2つあります。
向かって右が先祖代々の墓。
と言っても私の継祖母が祖父の死後新調したもので、35年前のものです。
で、向かって左が日露戦争の戦死者に時の政府が立ててくれたものだそうです。

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-齋藤家の2つの墓

私の祖母は昭和18年の没し、養子だった祖父はすぐに出征が決まっていたので、現継祖母と再婚。
その祖父は私が中一の時に他界。

この左の墓については継祖母からは「親戚の墓」としか聞かされていませんでした。

ところが、この墓の墓碑銘が「齋藤傳兵衛」という齋藤家嫡子の名前だということに気が付いたのはずいぶんたってからでした。
もう調べようにも聴ける相手はおりませんでしたが、ちょこちょこ調べているうちに少しだけわかったことがあります。

齋藤家は私の母まで4代続いて養子をとっていたそうです。
そして、左の墓の主、齋藤傳兵衛は第36連隊(金沢師団鯖江連隊)に所属し、旅順方面に出撃し、明治37年9月20日龍眼北方各面堡で死亡したこと。
(36連隊は日露戦争奉天会戦後に約5600名のうち健在者が250名ほどか残っておらず、旅順要塞攻撃時に壊滅状態だった)

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-墓の横書き

どうやら、この齋藤傳兵衛は私の曾々祖母の弟か兄にあたる人で、齋藤家の嫡子でしたが、どういうわけか嫡子がまぬがれるはずの戦争で戦死しております。
おそらくはその後、曾々祖母が養子をとり、その娘こと曾祖母が養子をとり、祖母が生まれ、その祖母に私の祖父が養子に入ったのではないかと思います。
私の母を入れるとこれで4代連続養子をとったことと合致します。

ただ、なぜこの齋藤傳兵衛は従軍したのかは謎のままです。
若しかしたら予備役だったのかもしれません。

ちなみに先祖代々の墓に入っている一番古い人は明治14年に74歳で没した齋藤傳兵衛。
おそらくは左の墓の齋藤傳兵衛の祖父にあたる人ではないかと思っております。

齋藤家は江戸時代の後期に、福井市殿下地区にどこからか流れてきた一族という言い伝えがあります。
先祖は何をしていて、どこから来た人たちなのか、今はもうわかりません。
もしかすると、この墓に入っている初代が文化4年の生まれということを考えれば、この初代齋藤傳兵衛が流れてきたときの当主なのでしょうか。
アトリエ劇研で制作のワークショップがありまして、ひょんなことで参加させて頂き、そこで劇団「劇団」の制作の関谷さんと知り合いました。
随分前からお誘いをいただいていたのですが、今回ようやく観に行くことができました。

で、いきなりキャラメルポップコーンを受付で売っていたのでびっくり!
さすがにポップでエンターテイメント性が高い演劇を売りにしているだけあります。

ちょっと迷いましたが、ちゃんとポップコーン買いました。
結構しっかりキャラメルかかっていておいしかったです。

さて、お芝居はファンタジーっぽくってエンターテイメント性の高いものでした。
いわゆる現代演劇的な雰囲気は一切なく、ストレート一本で押してくる感じです。

過去の失敗のトラウマで、何もかも運命のせいにして臆病に生きているフリーターが主人公。
その主人公がとある女性に片思い。
ところが臆病な彼は想いを伝えられない。
そこに自分の運命を召喚できる術をもつという2人組が現れて・・・
というお話。

ちょっとありがちな展開で、正直途中からは結末は見えてしまったのだけど、でも、おそらくはそんなことはお構いなしに、テンションバリバリで演じているのはとても好感が持てました。

正直、ハッピーエンドは嫌いではないのです、私。

舞台上でちょこちょこ起きてる小さなトラブルも、うまくアドリブでかわしているあたりも面白かったですし、間のつめ方も良かったですね。

ただちょっと芝居全体が長かった印象を持ちました。
言いたいことも良く伝わって良かったのですが、そこがよくわかる分、ちょっとくどい感じがしました。
おそらくはやりたいシーンがたくさんあって、削りきれなかったのではないかと思います。
でも、余分な部分をしっかり削って、でもドタバタの部分はしっかり残して100分くらいに縮めるともっとドライブ感が出て面白いものになったのではないかと思います。

こういったエンターテイメント性が高い作品は「ああ、もう少し観ていたいな」と思わせるくらいがちょうど良いのではないでしょうか。

はじめての観劇でしたが、とても楽しめました。
次回もぜひお伺いしたいと思います。

写真は受付でポップコーンを売っている様子です。↓

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-劇団「劇団」2

↓こうやって男性の方によそってもらって・・・

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-劇団「劇団」1

↓宣伝用に写真を撮らせていただきました。(笑)すいません・・・ばらしてしまった。

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-劇団「劇団

私のブログが遅れたところで困る人などこの世の一人もいませんが、すでに丸2週間くらいずつ遅れております。
ということで、先々週の土曜日、西院ミュージックフェスティバルへ行ってきました。

お目当ては、FMトリコ。

FMトリコとしてのライブは半年ぶりくらいなのかな。
くろじん↑やBUNKAHOSO'S(つづり違うか?)のライブはその間あったかもしれませんけど。

西院ミュージックフェスティバルに行くのは今年で3回目。
今年は全体的にバンドの数を絞ったのでしょうか。
ちょっとだけこじんまりした感じでした。
その影響かおじさんバンドが少なかったですね。

嵐電嵐山駅でもライブがあるというので、嵐山駅まで行ったりしましたが、こちらはもうちょっと宣伝しても良かったかもしれません。

さて、今年のFMトリコの会場は「喫茶フロント」。
トリコの面々もライブをやったことがあるお店で一安心。
去年はなんせ、落ちてくるエアコンの水を避けたり、注文を取りにゆく店員さんを避けたり・・・

それもあってかトリコの面々は終始リラックスしたムードで本領発揮。
相変わらず最高のパフォーマンスを発揮してくれました。

新曲「トワイライト」も良かったですね。
一緒に聴いてたつしみんが「今度、トリコの曲のどこが良いかという話で朝まで盛り上がろう!」と、ぜひ参加します!

でも、私、くろじん↑としてのパフォーマンスも好きなんですよね~。
FMトリコが情景描写が素敵なのに対して、くろじん↑はストレートな心理描写が素敵なんです。

語りすぎました。
次は9月21日の上賀茂神社観月祭だそうです。
時間は大体18時~19時くらいでしょうか。
ぜひ~

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-FMトリコ
ほんと勉強不足ですいません!!
今年の1月に内田淳子さんから「7月に関西でやりまーす」ってTw経由で連絡がきましたので、
「いっきまーす」ってなのりで、ちゃっちゃとチケットとって観に行ったのです。

何の下調べもせずに・・・・

いやあ、すごかった。
ひとつひとつのシーン、役者の動きや、音、照明、すべてがものすごく洗練されていて、その舞台上の雰囲気に飲み込まれていきました。

谷崎潤一郎の「春琴抄」と「陰翳礼讃」をモチーフにしたこの作品。
春琴の生涯を描くわけですが、幼い春琴は浄瑠璃人形のような人形を深津絵里さんと内田さんが操り、大きくなるにつれ、木偶を演じる役者さんに変わり、そして、深津絵里さんに変わってゆく。
人形と木偶の時も台詞はもちろん深津さんがしゃべり、それに内田さんが合わせてゆく、そのセリフ回しと動き、転換が実に絶妙で秀逸でした。

また、竹、畳、棒といったものを役者自身が使いシーンを形成してゆくのですが、この動きが実に秀逸。

それと、光の使い方、三味線とのバランスも素晴らしかった。
演劇は総合芸術なのだと言いますが、まさにこれこそ総合芸術。

「しまった!1階席で観るんだった」
と悔やんだのですが、3階席からでも素晴らしさは十分伝わりました。

できればもう一度、いやもう三回くらい観てみたいですね。

観劇後、Webでいろいろと観てみたのですが、世田谷パブリックシアターでの公演は相当高い評価をもらっていたようで、ほんと、何にも知らずに観に行って申し訳ない限りでした。

で、今回は内田さんを楽屋に訪ねて行きました。
お忙しいのに出てきてくださった内田さんに感謝感謝。

齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。-春琴