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格言とその意味

廣池千九郎先生の格言とその意味をUPしていきます。


 他に率先してある罪悪を発見する不徳の人は多々あれど、他人の善を発見してこれを顕揚《けんよう》する人は極めて少ないのであります。
しこうして他人に率 先して善をなすということは真の勇気ある人でなければ出来ぬことであります。
今日まで学者でも、政治家でも、実業家でも、その他でも、すべて偉大な事業を 成し遂げた人は、みな最初にその人を発見した先輩があるのです。
しこうしてその先輩はこの人以上もしくはこの人と同じ偉大な人物であるのです。
すなわち当 該《とうがい》先輩の人格は、その道徳心と勇気とにおいて、その時代第一流の人であるのです。
かかる偉人にしてはじめてかかる発見者となり得るのでありま す。
最高道徳の実行者は常にかくのごとき人物となることを必要とするのであります〈第一巻第十四章第五項第九節第三目、勇気の条参照〉。

               広池千九郎WEBSITE格言の間より


 
 最高道徳では、他の過失もしくは不正に対して、公然これを批難もしくは攻撃することはせぬのであります。
万一、他人の過失もしくは不正を見聞したならば自 己に反省し、しこうして自己の正しき最高道徳の精神をその人の精神に移植して、漸次に社会の改善を図るのであります。
かくのごとくすれば、自己の精神平和 にして、その運命も安全であり、且つ他人を傷つけずにこれを開発するということが自分の徳の貯蓄になるのであります。
他人を傷つけて自己もまた傷を受くる ということは、従来最も普通に行われてきておることでありますが、これはただ自他の損害のみならず、社会をも騒がせて、結局は自己の不運もしくは滅亡を招 くのであります〈ただし人心開発のために事実を語るはやむを得ぬことがあります〉。

               広池千九郎WEBSITE格言の間より



 従来多くの人が、何事を企つるにも、ただその事業上の知識のみを尊重して、少しも道徳的精神を造ってその後に事を企てんとする人はないのであります。
故に その事業は成功することもあれど、失敗することが多いのであります。
しかるにいま最高道徳は、まず十分に最高道徳の精神を造り、何人《なんぴと》が聴いて もその精神にて事業をなせば、必ず成功するというように感ぜらるるようになって、それよりはじめてその志すところの事業につきて実地に着手するのでありま すから、失敗ということはありませぬ〈第一巻第十五章第十五項をも参照すべし〉。
故に最高道徳の実行は、利益の獲得法として迂遠《うえん》なるがごとき も、かえって捷径《しょうけい・はやみち》であります。今日まで私の指導を受けたものにて事業の失敗をせしもの一人もなく、みな成功しております。

               広池千九郎WEBSITE格言の間より


 
 最高道徳を実行する目的は何であるかといえば、結局、第一は、自己の完全なる人格を造ることであり、第二は、自己の肉体を保存することに帰するのであります。
けだし、通常、人間と称するものは、この人格と肉体との二つを具有するものであります。
 いま、最高道徳を実行する目的は、人格の実質たる品性を高め、且つ肉体を健全ならしむるにあるのです。

 およそ人間が学問・知識・財産・権力及び幸福を獲得するということは、人間努力の結果であるので、その努力はすなわちこの人格と肉体との 上に存するのであります。
故に、今日われわれが万一、たといいかなる天災もしくは人禍に罹《かか》りて全財産を失うことあるも、もしくは既得の社会的地位 を失うことあるも、その肉体が健康にして、且つ平素高き品性を有しておったならば、その人は必ず再び社会に出《い》ずることが出来るのであります。
しこう して人間の高き品性を造り、且つその肉体を維持する原動力は、最高道徳を体得して確実なる真の安心立命を得るということにあるのでござります。故に最高道 徳の実行は人間生活の真の基礎を成すものであります。

 従来、世人は、自己の従事する事業もしくは職務に熱中して健康を害したということは自分の名誉のごとくに誤解しておったれど、いま、最高 道徳より見れば、その健康を害したということは、我慢と我欲との心強くして、自然の法則に反することをなした結果であるということになるのです。
故にかく のごときことはその人の品性の低いことを示す一つの証拠になるので、かえって恥ずべきことであるのです。もし人間が真に最高道徳の心になって、高き品性を 形造り得て、自然の法則と人為の法則とを守るに至らば、おのずから自己の健康・長命及び好運を抽《ひ》き出すことが出来るのであります。
区々たる眼前の事 業に熱狂して、その能力・体力及び資力の全部を傾注《けいちゅう》するごときは、いわゆる末に走りて本を忘るるものであります。

               広池千九郎WEBSITE格言の間より


 昔の歴史を見ても、今日の社会の有様を見ても、多くの人々はみなその人が社会の地位の低き間には道徳的であって、その地位・財産・学力もしくは権力等の 進むにしたがって、道徳の実行は薄らいでくるのであります。
これ実に多くの人々の滅亡する普通の原因であります。
故に最高道徳の原理においては、その地位 の進むに比例して道徳の分量を増加するはずになっております。
しこうしてこのことは特に上流社会の人々に重大な関係のあることであります。

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