人格と肉体と両者併せて尊ぶ | 格言とその意味

格言とその意味

廣池千九郎先生の格言とその意味をUPしていきます。

 
 最高道徳を実行する目的は何であるかといえば、結局、第一は、自己の完全なる人格を造ることであり、第二は、自己の肉体を保存することに帰するのであります。
けだし、通常、人間と称するものは、この人格と肉体との二つを具有するものであります。
 いま、最高道徳を実行する目的は、人格の実質たる品性を高め、且つ肉体を健全ならしむるにあるのです。

 およそ人間が学問・知識・財産・権力及び幸福を獲得するということは、人間努力の結果であるので、その努力はすなわちこの人格と肉体との 上に存するのであります。
故に、今日われわれが万一、たといいかなる天災もしくは人禍に罹《かか》りて全財産を失うことあるも、もしくは既得の社会的地位 を失うことあるも、その肉体が健康にして、且つ平素高き品性を有しておったならば、その人は必ず再び社会に出《い》ずることが出来るのであります。
しこう して人間の高き品性を造り、且つその肉体を維持する原動力は、最高道徳を体得して確実なる真の安心立命を得るということにあるのでござります。故に最高道 徳の実行は人間生活の真の基礎を成すものであります。

 従来、世人は、自己の従事する事業もしくは職務に熱中して健康を害したということは自分の名誉のごとくに誤解しておったれど、いま、最高 道徳より見れば、その健康を害したということは、我慢と我欲との心強くして、自然の法則に反することをなした結果であるということになるのです。
故にかく のごときことはその人の品性の低いことを示す一つの証拠になるので、かえって恥ずべきことであるのです。もし人間が真に最高道徳の心になって、高き品性を 形造り得て、自然の法則と人為の法則とを守るに至らば、おのずから自己の健康・長命及び好運を抽《ひ》き出すことが出来るのであります。
区々たる眼前の事 業に熱狂して、その能力・体力及び資力の全部を傾注《けいちゅう》するごときは、いわゆる末に走りて本を忘るるものであります。

               広池千九郎WEBSITE格言の間より