小学1年生の
難聴の男の子の

お母さんからです。
(快諾くださりありがとうございます!!)


仕事復帰?地域の保育園で大丈夫? 

1回目は息子の難聴発覚までのことをかきました。

 

 

2回目は職場復帰~保育園探しについて

 

 

 

我が家は転勤族。

 

旦那の仕事で引っ越しを2回、

聴覚支援学校には3校お世話になりました。

 

今回は

転勤の時に悩んだこと、

保育園から地域の幼稚園に通ったことなどについて

書いていきたいと思います!

 

 

保育園での様子 

 


1歳になる前に保育園に入園。

慣らし保育の時には

先生に補聴器の付け方も説明・実践もしてもらい、

補聴器に関しては大きな問題もなく

過ごすことが出来ていました。

 

 心配であった発達や体重は

1歳を迎えてから急激に成長していきました。

 

踊ることや、ピアノを弾いたり、

体を動かすのも大好き。

 

言葉はゆっくりで

はっきり聞き取れる単語は2才頃。

その後も言葉に関しては

推測しないとわからない状態でした。 

 

2人目出産~転勤 


息子が2歳の時に2人目出産!

 毎日、寝不足・・・

息子の赤ちゃん返り、

2人連れての送迎。 

 

生活スタイルも変わり、

落ち着かない日々を過ごしていました。 

 

そんな時に旦那の転勤!!

 

夫の仕事の関係で転勤があるとはわかっていたのですが・・・ 

やはり大混乱!! 

 

一緒についていく?

住む場所は?

療育の場所は?

保育園?

幼稚園?

 

情報収集の日々でした。

知りあいから、

転勤族であった難聴の方のお話を聞いたり、

家族で話し合った結果、

旦那についていくことを決めました。 

 

療育の場所、病院を中心に家探しをし

息子が3歳、娘が4か月の頃に

福島県へ引っ越ししました。 

 

車が必須な場所であり、

ペーパードライバーの私は

必死に聴覚支援学校への早期相談、病院受診!

息子も保育園生活から自宅で過ごすこととなり、

外でいっぱい遊びたいけど、

妹がいたり遊ぶ場所がわからず家周辺で遊んだり・・・

お友達と遊ぶ機会もなくなり

ストレスもたまっていたと思います。 
 

リハビリ開始! 


病院受診するとすぐに、

言語の遅れから

言葉のリハビリが必要と

週1回のリハビリが開始されました。 

 

引っ越す前の関東では

言葉のリハビリの話しは一切でず、

言葉についてはことばの教室を探していく必要があり

いつから言葉の教室にいくべきなのか

悩んでいたので

すぐに言葉のリハビリができたことはよかったです。

 

リハビリでは発音の練習を中心に

はじめ語彙力・記憶力をつけるリハビリ。

3歳でも40分以上は椅子に座って

言語聴覚士の先生と向き合っていました。

 

発音の練習が嫌で

リハビリに行きたくない!

行ってもやる気がない・・・

などありましたが

毎週、休むことなく通うことができていました。

 

 

地域の幼稚園に通う 

 

今まで息子は保育園に通い、

私も育休であったため

下の子とゆっくりする時間もあったなか、

急に2人をワンオペでみる生活。

 

すぐに仕事を始めることもできないので、

幼稚園探しをはじめました。 

 

2歳や3歳から入園できる幼稚園は多く、

地域の幼稚園に通うことにしました。

 

短い時間でも

バタバタする時間が減ったことで

私にも余裕がでてきました。

 

家が近いという理由で入園を決めた幼稚園でしたが、

先生の対応に感謝することばかりで、

補聴器の管理から、声掛けの仕方など

リハビリで行っていることを伝えると

すぐに実践してくれました。

 

また、朝の活動(フラッシュカードなど)

の時間に机に突っ伏していることを

臨床心理の先生に担任の先生が相談してくれ

席を変更するなど

すぐに対応してくれ

楽しく通うことができていました。

 

偶然にも市から幼稚園に相談に来てくれる先生が

聴覚支援学校の先生であり、

毎月、幼稚園の様子をみてくれ、

更に私との面談であがった問題、

難聴児への関わり方も

担任の先生と連携をとってくれていました。

 

園長先生も困っていることはないかと

いつも声掛けてくれ、

保育園も幼稚園も恵まれていたなと思います。

 

しかし、幼稚園のお友達をみていると

言葉の違いがあきらかで、

さらにコミュニケーションへの不安は増すばかりでした。
 

 

まさか…吃音? 

 
2語文が出てき始めた頃、

「あああああるよ」

と吃音が出ているのに気づきました。 

 

吃音は日が増していく毎にとどんどん強くなり、

随伴症状(体を動かさないと言葉がでない)

も出ていました。

 

当時を振り返ると、

私はこの頃から特に

コミュニケーションへの心配が強くなっていました。

 

難聴・言葉もはっきりわからない、更に吃音・・・・

 

お友達とのコミュニケーションはとれるの?

試練が多い!!

と感じていました。

 

引っ越ししお互いストレスも抱え、

さらに言葉の遅れに関しての不安も強くなり

私もイライラしていたと思います。

 

怒ってばかりいたから?

 

と吃音がでたことで

息子との関わりを見直すきっかけにもなりました。

コミュニケーションについて不安が強くなっていたこの時期に、

友人の友人の繋がりでもいもいスタッフと出会いました。 

 


次回は

もいもいスタッフとの出会い、

衝撃なことば!!

病院や聴覚支援学校の方針の違い

 

について書こうと思います。

 

 

次回は4月12日(金)です。
お楽しみに音符

 

 

 

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これまでの連載は

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たくさん読めます。

もいもいに関わってくださった

お母さんがた、難聴の女子大生、社会人の

「その時の思いを書いてくださった」記録です。
 

ぜひお読みください鉛筆

 

参考までに…
 

●重複児を育てる保護者の連載
 

 


●ディナーテーブル症候群(家族との晩ごはんで聴覚障害児が疎外感を感じる、孤立するようなことを言います)

 

 


●こどもが就学するまで~

 

 


●補聴器を付けた赤ちゃんを抱っこして~

 

 

 

●ほかいろいろ…