お待たせしましたにっこり

長らくお休みしていた
金曜日連載ですが、
ついにスタートします!!

今年初めての連載は…

地域の小学校に通う

高学年の難聴のお子さんの

お母さんからです。
(快諾くださりありがとうございます!!)
 


娘について

 


娘は現在、地域の小学校に通う

小学6年生です。


帝王切開で出産し、

新生児室でも一番大きな声で泣いているくらい

とても元気な赤ちゃんでした。


難聴というものに出会わなければ、

今頃忘れているであろう

新生児スクリーニング検査では

両耳ともパスでした。


生後3カ月で

そこそこ重症の川崎病を患いましたが、

その後はごく普通の

活発で歌が大好きな幼少期を過ごしていました。


そんな娘に難聴がわかり

どのように小学校を過ごしてきたのか、

母としての心境など交えながら書かせていただきたいと思います。

 

 

難聴が分かった経緯

 


娘の難聴が分かったのは、

幼稚園年長児の時に行う

就学時前検診がきっかけでした。


就学時前検診では、

聴力検査は検査項目に含まれておらず、
’気になる方は保健室で検査します’と

案内の紙に小さく書かれているだけでした。

 


私自身は何も心配していなかったのですが、

主人が

娘を何度呼んでもなかなか振り返らないので

「この子はもしかしたら耳聞こえてないんじゃないか」
話していたことをふと思い出し、

念のため受けてみるか、という軽い気持ちで
保健室へ向かいました。

 


そこからは病院での再検査、

そして療育センターまで

自分の気持ちの整理が
つかないまま

あっという間に過ぎていきました。



 

難聴が分かったときの気持ち

 

正直、保健室で

異常があるかもと言われたときは

全く深く考えておらず、

検査がうまく出来なかっただけだろう、

くらいにしか思っていませんでした。


ところが


病院での詳しい聴力検査、

脳波の検査結果を聞いた途端、

それまでの安易な考えから一転し

暗闇に突き落とされたような気持ちになりました。



それからは、

どうして今まで気づいてあげられなかったのか、

難聴になった原因はいったい何なのか、

小学校は予定した学校で大丈夫なのか、

今後どうしたら良いのか。。。

等とても平常心ではいられない状態でした。



思い返してみると、

幼稚園の保育参観での娘の様子は

常に周りをキョロキョロと見てばかりで、

皆の様子を見ながら

少し遅れて行動することが多かった事に気づきました。


それから、家の中でも

2階から1階にいる娘へ

言葉を伝えようとしても

ほぼそれが届いていなかったこと。


主人が言っていた聞こえてないかもしれない、

というあの言葉も気のせいではなかったこと。


心当たりが次々と出てきて、

その度に母として

気づいてあげることが出来なかった事の不甲斐なさを感じ、

自分を責める日が続いていきました。


 

今回から3回続きますびっくりマーク

次回は2月16日(金)お楽しみに音符

 


2月14日にもいもいやります♪




 

 

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これまでの連載は

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たくさん読めます。

もいもいに関わってくださった

お母さんがた、難聴の女子大生、社会人の

「その時の思いを書いてくださった」記録です。
 

ぜひお読みください鉛筆

 

参考までに…
 

●重複児を育てる保護者の連載
 

 


●ディナーテーブル症候群(家族との晩ごはんで聴覚障害児が疎外感を感じる、孤立するようなことを言います)

 

 


●こどもが就学するまで~

 

 


●補聴器を付けた赤ちゃんを抱っこして~

 

 

 

●ほかいろいろ…