音楽でも聴きながらご覧ください。

おはようございます鉄太郎です。


昨日の我が熊本は曇り後、夕刻には晴れました。少し湿気があり夕刻は暑かったです。


本当に梅雨が来るのでしょうか...?気象台の予報では6月5日からだという。


さて、本日のお話は「パスポート」です。


私の初のパスポートは新婚旅行の時に10年のパスポートを作ったのを覚えています。


日本では通行手形が発祥のようですね。私は古い人間ですから、時代劇が好きですので通行手形からご説明いたしましょう。


通行手形は近世の日本で人が旅をしようとするときに、許可を得て旅旅行していることを証明した物。


関所を通過するための通行証に相当する。往来手形や関所手形とも呼ばれた。


また、旅行中に死亡した場合の処遇で、故郷に連絡する必要がないものを捨て往来手形とも呼んだらしい。


江戸時代には各地に関所や口留番所が設置され、人の移動は厳格に規制された。


江戸時代の関所の性格については、江戸防衛のための軍事的機能があったとする説や大名家族の江戸在府の履行を監視する機能があったとする説などがある。


通行手形の発行は、原則として武士の場合は領主、庶民の場合は所在地の名主などに発行を申請するものとされていた。


但し、入鉄砲に出女と呼ばれ、女性の関所通過は厳しい規制が定められ、江戸を出発する女性は江戸幕府留守居役の証文のある手形(女手形)が必須であった。


日本最初のパスポート保持者は1866年4月のことだから明治の前、江戸時代のお話になる。


政府がないので、幕府が学術修業・商業目的での海外渡航を許可した。

当時は「パスポート」とは呼ばず「免許状」といったそうだ。

日本のパスポート(免許状)の第1号を手にしたのは「手品師」だった。

名前は隅田川浪五郎という人物。江戸に生まれて紙で作った蝶を扇であおぎ優雅に舞わせる「胡蝶の舞」と呼ばれる日本の伝統的な奇術だった。

アメリカの興行師に雇われ、欧米で興行した。

パスポート(免許状)を手にしたのは「隅田川浪五郎」だけではなく、彼は曲芸団の一員で他17名もそれぞれパスポート(免許状)を手にした。

この曲芸団だけで第1号~第18号までをを占めている。隅田川曲芸団の一行は学術修業ではなく商用の名目でパスポートを手にしたわけ。

ちなみに当時のパスポートには写真がないので…。

①現住所
②年齢
③身長
④容貌

⑤その他が記述されていたらしい。


第1号の隅田川浪五郎には...。


①年齢35歳
②身丈5尺(151㎝)
③眼中之方(目の大きさは中ぐらい)
④鼻高キ方(鼻は高いほう)
⑤口中之方(口の大きさは中ぐらい)
⑥面細長方(顔は細長いほう)

隅田川御一行はパスポートを得て12日後にイギリス船に乗りアメリカへ向かった。

アメリカでは大統領と官邸で謁見して曲芸を披露。またイギリスではヴィクトリア女王が見物したらしい。


興行ではどこでも好評だったが、フランスのパリで興行中に綱渡りの曲芸師が綱が切れ怪我をする。また、座員の1人が病死するなど不幸なこともあったらしい。


本日は金曜日、本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごしていきましょう。

私はは皆様に少しの幸せが訪れることを心よりお祈りしております。


鉄太郎。


本日もブロ友さんの写真をお借りいたしております。