音楽でも聴きながらご覧ください。

おはようございます鉄太郎です。


昨日の我が熊本は曇り空でした。半袖では寒くないですか...と聞かれたがデブな私は「ぜんぜん」と答えました。


昨日は帰宅時のバスで高齢者なみに転けてしまい頭と膝を打ちました。


乗車したバスは道路混雑で遅れました。

さて、本日のお話は飛脚についてお話しましょう。

江戸時代の民間郵便は1663年(寛文3年)に大坂の商人が初めて飛脚問屋を設立したのに始まった。

その後、飛脚問屋が京都や江戸にできてやがて全国に飛脚網ができたらしい。

郵便扱いの方法は、まず大坂〜江戸間を約10日で走り、1ヶ月に三度往復するので「三度飛脚」ともいったそうだ。

当時、大名行列は江戸〜京都の間を14日、ふつうの旅人は13日で到着したらしい。

日数を短縮できなかったのは東海道でも山坂があり、増水した川止めなどに妨げられたからである。

だが、定期便で手紙の有無にかかわらず出発するより、お客の手紙を掻き集めておいて走った方が得なので、そんな便も出現した。

これを「幸便(こうびん)」といい、寄せ集める手間が掛かるので、一通銀六匁というから現代の貨幣価値では約6千円余りとなるらしい。

さらに、「支立便(したてびん)」といって、単独で出す急便もあり、江戸〜大坂間を6日で走ってくれと特に頼む「速達便」もできた。

さすがに速達便は値段も張り、二両二朱(現代の貨幣価値で約14万ほど)かかったらしい。

さらに日数を半分にし、3日で走る特急便もできたが、これは銀七百匁も取られた。もっとも、3日で走るには不眠不休で1時間に7キロは走らねばならないから無理もない。

ところで、速達便もせっかく到着したのに宛名の人は知らぬため取りに来ない。宙に浮いては時間の無駄になる。どうするのか?

後には問屋の前に筵(むしろ)を敷き、心あたりの人はときどき覗きに来るという悠長なことをやっていた。

これが改められたのは「町飛脚」というものができ、小まめに市中におけるメッセンジャーを勤めてくれるようになった。飛脚問屋に頼んでおけば配達してくれるのである。

手紙だけではなく、小包や現金書留まで配達してくれた。現金書留は途中で紛失しないか...心配になるが、紛失・盗難したら死罪もされたらしい。

実例も芝居となりその名も「冥土の飛脚」という一幕がある。

近年では携帯電話でLINEやmailがあるので瞬時ですし、顔を見ながら電話も出来ますね。
(私の青春時代は携帯などない)

また、手紙のやりとりなどは今はないだろう。(郵便料金も値上がりしましたからね)

本日は木曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。

本日も皆様に少しの幸せが訪れることを心よりお祈りいたしております。

鉄太郎。

本日もブロ友さんの写真をお借り致しております。