優しさがいちばん -45ページ目

経済的祝福の原理というyoutube

経済的祝福の原理というyoutubeがここにある
この宗派は、超教派となのっているが、Spring of life church というグループらしい。

”~ いのちの泉 キリスト教会 ~
愛知県春日井市にある超教派プロテスタントの教会です。”

村田雅春牧師 プロフィール

主任牧師

top.jpg

  • 春日井スプリング オブ ライフ クライストチャーチ
  • 東京スプリング オブ ライフ クライストチャーチ
  • 大阪スプリング オブ ライフ クライストチャーチ
  • 姫路スプリング オブ ライフ クライストチャーチ
  • 岐阜いのちの泉キリスト教会
  • いのちの泉キリスト教会福岡

日本のほとんどの教会はカトリックとおなじように
人間の原罪性を強調しているが
ここでは数少ない祝福について語っている。

ビデオでケネスヘーゲン牧師の名前がでてくることをみると
同じケネスヘーゲン牧師のところいた故東保男牧師の教えと近い。

経済的祝福を説く宗派はアメリカの多くの宗派やチョーヨンギ系
あるいはアセンブリー系などでは多い。

すばらしいクリスチャンのブログがあります

わたしのこのブログはしばらく
理屈っぽい記事がつづきますが
今日発見した
理屈抜きで元気になれるすばらしいクリスチャンのぶろぐがあります。

クリスチャンの輪のブログ

そして

3匹の子羊(主は私の羊飼い)


です。



キリスト業界の内情をしるには

ふつうのひとびとは
血で血をあらったカトリックとプロテスタントの違いなどはほとんどしらない。
日本ではその信者の合計が1%以下だから、あまり関心がもたれていない。
教会でもおしえないだろうし。
かえってしょっちゅう窓口訪問のあるエホバの証人や統一学会などのほうが知られているかもしれない。

イエスキリストの教えはすばらしいが、これを悪用しようという輩が
多いこともあまりしられていない。
実は聖書そのものにその楔が打ち込まれているかもしれないのだが
それはおいおい研究して行くことにして
まず、キリスト教を食い物にしている連中についての
多少の知識をもっておくことも悪くない。

ところがそんな情報源は本屋にいっても、あまり人気のがないから
みつからない。

さすがにインターネット上にはがんばって探せばみつけることができる。
なかなか詳しいのは
ブログの現代の風景

管理人はただの暴きやではなく
職業牧師さんのようで、大川さんらのようなインチキ牧師らを告発し
なかには裁判騒動などになっていることもあるようだ。

ただ暴露情報に流されることなく、自らの問題意識をもってよみすすんでいけば
有用な知識を得られるだろう。
しばらくウオッチしていこう。




キリスト業界の内情を知るには

ふつうのひとびとは
血で血をあらったカトリックとプロテスタントの違いなどはほとんどしらない。
日本ではその信者の合計が1%以下だから、あまり関心がもたれていない。
教会でもおしえないだろうし。
かえってしょっちゅう窓口訪問のあるエホバの証人や統一学会などのほうが知られているかもしれない。

イエスキリストの教えはすばらしいが、これを悪用しようという輩が
多いこともあまりしられていない。
実は聖書そのものにその楔が打ち込まれているかもしれないのだが
それはおいおい研究して行くことにして
まず、キリスト教を食い物にしている連中についての
多少の知識をもっておくことも悪くない。

ところがそんな情報源は本屋にいっても、あまり人気のがないから
みつからない。

さすがにインターネット上にはがんばって探せばみつけることができる。
なかなか詳しいのは
ブログの現代の風景

管理人はただの暴きやではなく
職業牧師さんのようで、大川さんらのようなインチキ牧師らを告発し
なかには裁判騒動などになっていることもあるようだ。

ただ暴露情報に流されることなく、自らの問題意識をもってよみすすんでいけば
有用な知識を得られるだろう。
しばらくウオッチしていこう。




アセンブリー派の牧師チョーヨンギ(趙鏞基)さん

牧師も自分が偉くなったらと思うと、想いにみあった偉い名前を自分につける。韓国人のアセンブリー派の牧師チョーヨンギ(趙鏞基)さんなどは代表格だ。アブラハムなどという名前を自分につけているアセンブリー派の日本の牧師もいる。おなじ韓国系の池田大作さんほどではないがアメリカの有名大学の名誉博士号を二つもっている(カリフォルニア神学大学、オーラル・ロバーツ大学 )。アセンブリー派(アセンブリーオブゴッドまたはペンテコスト派)は現世での恵みの主張が特徴的でいわゆる異言(タング)を話す。癒しもおこない、牧師の按手で集会中にばたばたおれることも少なくない。寄付をすると祈りのなかで”100倍になって返る”などの祈りも行なう。私の印象ではお金にウルサい。というか10%の献金を繰り返しいい、教会への奉仕をかなり強引にもとめる。わたしたちの友人の教会でアセンブリー派の牧師を招いた為に教会の人間関係がめちゃくちゃになってしまって、牧師が追放されたケースもある。チョーヨンギさんの書いた著作をかって読んだときはそれなりの感銘をうけたものだが、晩年になってチョーヨンギ牧師さんは同じ韓国人のオペラ歌手との不倫がスキャンダルになりその子供の扱いで日本人の牧師も協力したなどの噂が語られている。過去の例をみると、敬虔なクリスチャンといわれる人たちの多くが同様のスキャンダルにあっている。生まれ変わって罪が許されて現世の恵みをうけたひとたちがまた罪をおかしているのだ。そんなありさまなので過去、多くのプロテスタント指導者が日本にリバイバルをといってみなかけ声だけで挫折している。ダビデを名乗るチョーヨンギさんは1000万人の日本一千万救霊運動を展開するもいっこうにすすんでいない。最期には2011年3月の日本の東北地方太平洋沖地震に関して、趙はこれを「物質主義中心で、世俗的で、偶像崇拝の社会である日本に対する神からの警告」と述べ、韓国国内で激しい批判を浴びたという。韓国はカトリックとプロテスタントあわせて3割というが愛の国である韓国は日本人を嫌悪している。言葉と行動が乖離しているのは韓国ばかりではないが、困ったことだ。ちなみに2012年9月に亡くなった文鮮明さんもキリストから招命されたと主張しているが、その教義は聖書ではなく『原理原本』を基にしているので、イエスの教えとはことなる。イスラム教モルモン教エホバの家も同様の構造なのでイエスの教えとはことなる。チョーヨンギ氏はしまいには4次元などといいだして、擬似科学の迷路にはいりこんでしまった。




トマスによる福音書2

この福音書は正統派からは異端と見られているので新約聖書にはのっておらず、ほとんどのクリスチャンはその内容をしらない。発見されたのは1950年代で一般の目に触れるようになったのはさらに20年後の1972年、私が 大学院の学生の時代だ。 イエスの直弟子のトマスが直接きいた言葉を記したものであるから、本来は最も重要な書である。なぜ、この書が正統派から異端としりぞけられれたか。読まねばわかるまい。読んでもわからないかもしれない。


幸い、インタネット, http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html ,


から読むことが出来る。全部で114節ある。頑張って通読してみよう。(訳が充分こなれていないので原文か英文を探さないといけないかもしれない。)。。。


英文の原書は The gospel of thomas hidden sayings of Jeasus, New translation with introduction  Critical edition of the coptic text. & notes by B.Meyer in New york 1992


日本語訳本は トマスによる福音書 荒井 献 講談社学術文庫


あるいは他の英語版はここ。(http://www.goodnewsinc.net/othbooks/thomas.html)




読んでみると、


訳の質は別にしてイエス独特の比喩をつかったいいまわしと、そのときの場面がわからないことで難解な部分もあるが、”基本的”には内容は新約聖書的にいってなんの問題もない。正典として認められない(外典または偽典)としたら四福音書との対応の正確度かもしれないが(http://en.wikipedia.org/wiki/Gospel_of_Thomas)、もともと四福音書のあいだでそのような問題があるのである。これを読むと、イエスの言行録だけではわかりにくく四福音書はこれにストーリーをつけて分かりやすくしたものになっている。トマスの福音書を映画風にしたものがあるがこれはイエスの役者がただしゃべっているだけなのでトマスの福音書と変わりはない(http://www.youtube.com/watch?v=YqQUHXfqR6I&feature=related) ちなみに四福音書と重複したいないイエスの言葉も42節ありこれを書かれざるものアグラファと呼ぶ。


グノーシス派ではこれらの言葉を自身の知恵で解釈するように求めているらしい。


グノーシス派でみとめているので正統派でこれを嫌ったということはありうるがどうやら嫌われた理由はグノーシス派の文書といっしょに発見されたことによるらしい。




正統派による神学者らによる排斥の理由ははっきりとしているらしい。


http://ja.wikipedia.org/wiki/トマスによる福音書)


以下のようなものである:




1)ローマ教会の権威を認めない。(教会の腐敗を考えれば当然である)


2)イエスの復活を認めない。(自然科学からいけば当然である。しかし大多数の教会からすれば認められない)




グノーシス派を正統派(正統というより主流というほうが適切だろう)がみとめない理由はもっといえば、


グノーシス派が


”使徒や、使徒伝承に基づく教会の権威によらずとも、各人の自己「認識」(グノーシス)により救済されると主張し、誰もが啓示に与ることができると説くので、各人の解釈に基づき、無限に聖文書を生み出すことができた(正統派教会によって外典に入れられたキリスト教グノーシス文書は40を超える)。”


10%献金や寄付に財政をたよる教会は各人が教会をとおさなくてもよいとなればカトリックでもプロテスタントでもこえrは受け入れられないだろう。


実はイエスは自分が十字架にかけられたあとは、聖霊をおくるから各人は聖霊に教えをうけるようにいっていて、グノーシス派に主張に近いことを教えているのだが、すべての教会はこの教えを中心的教えとすることはないだろう。実際、イエスのいうようにおこなえば、さまざまな問題も起きて来たのがキリスト教の歴史でもある。この問題はまだわたしにも未解決である。




トマスの福音書


以下はわたしの別のブログの
最先端治療
からの引用:

311以降、世の中なにも信用できなくなってしまったが、
宗教の世界でも変わりがないのかもしれない。
最も信頼できるキリスト教聖書の世界でも
キリスト教の血の歴史やアメリカのキリスト教(宗教改革後のプロテスタントが中心)
のテレビ伝道者のパットパターソンが時の権力と戦争に寄り添ってきたことを考えると
宗教改革そのものでさえ再考する必要性にかられる。
異端とされる分派でさえ政争の犠牲者とも考えられるところが少なくない。
そんななかで
異端あるいは正統の書とみとめられていない
トーマスの書を見つけることができた。
内容は新約聖書の4福音書と重複があるものの
イエスの発言を考えられる。
日本語に訳されたものもあるが訳がつなく英語版のほうが
ましである。さらにyoutube でも発見したので
ご覧いただくとよい。
神の子であるイエスがその弟子たちにどう語ったかが
分かる。イエス独特のいいまわしてとてもわかりにくいのだが
私たちは最終的にはイエスの言葉から救いが得られるので
心して聞くべきだ。

このブログ”最先端治療”ではキリスト教の信仰の問題は論じず
わたしの別の”さやしさが一番”で順次、論じていき
最終的には一冊の冊子にして世に問う予定だ。

大局観

イスラム教ユダヤ教キリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なる唯一神教で、その点ではモルモン教やエホバの教え、統一教会などと共通点がある。キリスト教もこれらの宗教も排他的であるという点で一致している。逆に仏教は”なんでもあり”で対照的だ。ヒンズー教はよくわからないが、三神でかつカースト制度という差別社会を擁している。

結局、最初に触れた教義によってその後がきまることが大半で教義を理解して入信することはすくない。但し,キリスト教のばあいのプロテスタントで成人にたっしてから入信する場合がおおく、これを生まれ変わりクリスチャンという。そのばあいでさえ、教義からはいるのではなく、精神的体験からはいることが大半だ。イスラムのばあいも成人してから入信することをときどきある。たとえばモハメッドアリやマイクタイソンとなど。アントニオ猪木も入信式をしたのをみたが、これは捕虜解法の交渉の為のもので、インチキ入信かかと思われる。

入信したあとはあとはそれぞれの宗派のドグマを叩き込まれる。ニノコノはなくただ叩き込まれる。ただし仏教はなんでもありだし、神道は規律もゆるやかだし、内容の厳密性もないという点でキリスト教徒は大きく異なる。ユダヤ教はこの点では対極をなし、ただ、理屈の世界である。

プロテスタントの中心をなす、新約聖書を厳密に検証とする際に以上の大局観はどうしても必要である。場合によっては、いつでももどってきて、検証をすすめていくことが必要と思われる。


ユニテリアン

ユニテリアン







三位一体という概念はどのクリスチャンも正統派の教会から教わって概念で本当は納得理解しているわけではない。しかし、これをだれもがクリスチャンにはる必須条件として受け入れを強いられているのが実情である。聖書をよく読んでも三位一体についての議論は論議をよぶところがあり、諸派にわかれるのも無理は無いと思われる。この点については聖書には”クリスチャンはすべての権威に従わなくてはいけない”といういましめとともにこれから充分な検討を行なうことにする。


聖書的ユニタリアンは”神は唯一の位格のみをもつ父なる一体の存在であり、イエスはメシアであり神の子であるが、神その人ではない』と主張するユニテリアン派閥。神の子の解釈は宗派によって異なり、先在する存在(アリウス派)、神のロゴスとイエスという人間の交わりの賜物(セルヴェ派)、イエスが聖霊によって満たされることで神の子となった(ソチニアニスム)などと理解される。” と考えるのは自由である。其の根拠が聖書には明示的には書いてないからである。そのような場合には聖霊の力を借りるのが一番であるが、これがいうほど容易ではないのである。むしろ、聖霊または神の啓示により、さまざまな解釈や付け加えが増え、ますます混乱してきているのが歴史の示すところである。モルモン教やエホバの証人はその極端な例であろう。


ユニタリアンのなかには合理的ユニタリアンという分派もあるようで”この説を唱えた人々は、宗教に対しても極めて合理的なアプローチを行い、聖書に記される奇跡の多く(処女降誕も含めて)に関し否定的ないし懐疑的立場をとった。”という。現代でもこのような立場は少なくないだろう。問題は”イエスは神の子ではなく、他者をよりよい生を生きることができるように導いた善良で賢明な人に過ぎない』と主張する”行過ぎの主張である。現代ではこの種の立場はハイヤークリテイックスともよばれ、イエスの神性を否定していると正統派からは批判されている。(高等批評(英語:historical criticism、higher criticism)http://ja.wikipedia.org/wiki/高等批評) 。この立場は”聖書を誤りが無い神の言葉と信じる立場とは対照的に、高等批評は聖書の文書を、ある時代の人間の様々な動機によって作成された人間的な創作文書であるとし、本文批評は聖書自身の内的証拠に基づいてテキストから釈義する。” 




たしかに聖書にはこういう側面もあると私も考える。しかし、イエスの神性は否定しないというのがわたしの立場である。いや、イエスの神性を拠り所にして聖書を新解釈しようというのがわたしの立場である。




まあ、わたしの立場などは一般信者の私見であって、どうでもいいのだが、ユニタリアンとローマ教会の教えは一致しない。権威に従わないことは許されないと聖書で命令されている。ローマ教会の命令にそむけば、献金や寄付が減ってしまう。


ちなみに


”ムスリムの間では現実にユダヤ教徒やキリスト教徒が用いている聖書は改竄と捏造を繰り返されたもので、聖典としての価値を失っているとみなす教義を発達させた。



とユダヤ教やキリスト教にはもともと好意的であったのだが、時代を経るにつれ、聖典の真贋に疑問を呈しているのでカトリックからもプロテスタントからも排斥されるのは必然だろう。






イスラム

イスラム教ユダヤ教キリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なる唯一神教で、その点ではモルモン教やエホバの教え、統一教会などと共通点がある。キリスト教もこれらの宗教も排他的であるという点で一致している。逆に仏教は”なんでもあり”で対照的だ。ヒンズー教はよくわからないが、三神でかつカースト制度という差別社会を擁している。

結局、最初に触れた教義によってその後がきまることが大半で教義を理解して入信することはすくない。但し,キリスト教のばあいのプロテスタントで成人にたっしてから入信する場合がおおく、これを生まれ変わりクリスチャンという。そのばあいでさえ、教義からはいるのではなく、精神的体験からはいることが大半だ。イスラムのばあいも成人してから入信することをときどきある。たとえばモハメッドアリやマイクタイソンとなど。アントニオ猪木も入信式をしたのをみたが、これは捕虜解法の交渉の為のもので、インチキ入信かかと思われる。

入信したあとはあとはそれぞれの宗派のドグマを叩き込まれる。ニノコノはなくただ叩き込まれる。ただし仏教はなんでもありだし、神道は規律もゆるやかだし、内容の厳密性もないという点でキリスト教徒は大きく異なる。ユダヤ教はこの点では対極をなし、ただ、理屈の世界である。

プロテスタントの中心をなす、新約聖書を厳密に検証とする際に以上の大局観はどうしても必要である。場合によっては、いつでももどってきて、検証をすすめていくことが必要と思われる。