ユニテリアン | 優しさがいちばん

ユニテリアン

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三位一体という概念はどのクリスチャンも正統派の教会から教わって概念で本当は納得理解しているわけではない。しかし、これをだれもがクリスチャンにはる必須条件として受け入れを強いられているのが実情である。聖書をよく読んでも三位一体についての議論は論議をよぶところがあり、諸派にわかれるのも無理は無いと思われる。この点については聖書には”クリスチャンはすべての権威に従わなくてはいけない”といういましめとともにこれから充分な検討を行なうことにする。


聖書的ユニタリアンは”神は唯一の位格のみをもつ父なる一体の存在であり、イエスはメシアであり神の子であるが、神その人ではない』と主張するユニテリアン派閥。神の子の解釈は宗派によって異なり、先在する存在(アリウス派)、神のロゴスとイエスという人間の交わりの賜物(セルヴェ派)、イエスが聖霊によって満たされることで神の子となった(ソチニアニスム)などと理解される。” と考えるのは自由である。其の根拠が聖書には明示的には書いてないからである。そのような場合には聖霊の力を借りるのが一番であるが、これがいうほど容易ではないのである。むしろ、聖霊または神の啓示により、さまざまな解釈や付け加えが増え、ますます混乱してきているのが歴史の示すところである。モルモン教やエホバの証人はその極端な例であろう。


ユニタリアンのなかには合理的ユニタリアンという分派もあるようで”この説を唱えた人々は、宗教に対しても極めて合理的なアプローチを行い、聖書に記される奇跡の多く(処女降誕も含めて)に関し否定的ないし懐疑的立場をとった。”という。現代でもこのような立場は少なくないだろう。問題は”イエスは神の子ではなく、他者をよりよい生を生きることができるように導いた善良で賢明な人に過ぎない』と主張する”行過ぎの主張である。現代ではこの種の立場はハイヤークリテイックスともよばれ、イエスの神性を否定していると正統派からは批判されている。(高等批評(英語:historical criticism、higher criticism)http://ja.wikipedia.org/wiki/高等批評) 。この立場は”聖書を誤りが無い神の言葉と信じる立場とは対照的に、高等批評は聖書の文書を、ある時代の人間の様々な動機によって作成された人間的な創作文書であるとし、本文批評は聖書自身の内的証拠に基づいてテキストから釈義する。” 




たしかに聖書にはこういう側面もあると私も考える。しかし、イエスの神性は否定しないというのがわたしの立場である。いや、イエスの神性を拠り所にして聖書を新解釈しようというのがわたしの立場である。




まあ、わたしの立場などは一般信者の私見であって、どうでもいいのだが、ユニタリアンとローマ教会の教えは一致しない。権威に従わないことは許されないと聖書で命令されている。ローマ教会の命令にそむけば、献金や寄付が減ってしまう。


ちなみに


”ムスリムの間では現実にユダヤ教徒やキリスト教徒が用いている聖書は改竄と捏造を繰り返されたもので、聖典としての価値を失っているとみなす教義を発達させた。



とユダヤ教やキリスト教にはもともと好意的であったのだが、時代を経るにつれ、聖典の真贋に疑問を呈しているのでカトリックからもプロテスタントからも排斥されるのは必然だろう。