イスラム教が伸びる訳
世界一のイスラム人口の
インドネシアなどで伸びた理由はキリスト教の搾取と偽善が理由といわれている。
テロがでてきたのもブッシュなどがイスラム圏にたいして、
搾取と偽善と横暴を繰り返し、さらに
殺戮を繰り返してきたことにたいする復しゅうといわれている。
その結果はどうか
2009年で16億人。
これに対してキリスト教は22億人。
この比率はやがて逆転するのではないだろうか。
これはカトリックを含むのでほんとうはカトリックとプロテスタントは分けるべきだろう。キリスト教のうちカトリックが大半だからだ。プロテスタントが減少しているのは子供の少子化だという。
なんといっても信仰の強さにおいてはイスラム教には
勝てていない。
東康男さんの教えをいま再考する
按手にて水の洗礼をうけた。
アメリカの研究所からフランスの研究所にいく直前だったので
以後、ときどき彼のテープや本をよむことはあっても
ちゃんと継続的には聖書の勉強はしなかった。
日本に帰ってきても東牧師のおしえとあまりにもかけ離れていたことが
一因だ。
日本の教会はいずれも罪の教会で洗礼を受けた後でも
罪を許してくださいという祈りを継続しているのだ。
完全なる文化ショックであった。
日本の教会では
祈りのしかたがわたしのような罪深いちいさなものでも
という罪の意識から抜け出せないのだ。
それは40年たったいまでも同じだ。
東康男牧師の教えは基本的には聖霊からのおしえであるが
さらにそのおおもとは
ケネスヘーゲンのところで学んだ物だ。
わたしからするとケネスヘーゲンは典型的な南部のアメリカ人で
生理的に受け付けがたいものであった。
東康男牧師の教えはわたしの知る限りではもっとも理屈っぽいもので
よく女性信者がつくものだとおもう。
もっとも彼女らは論理がわかってついているのではなく
直感で受け入れているのだとおもう。
東康男牧師のおしえは理系のわたしにはぴったりとわかるのだが
それにしてもこんなに理屈をとおらなかれば
豊かな祝福をうけられないというのは
祝福をうけられるクリスチャンはこのよのなかに
何十人もいないことだろう。
その理屈が教会の数的な成長をはばんでいることもあるはずだ。
ただしければいいというものではない。
そもそも旧約聖書の時代ユダヤ人が律法によって
おさえられて、その律法によって普及できなかったと思われるが
それもまたわからない。
というのはきびしい律法におさえられながら
信者が増大しているのがイスラム教だからだ。
いま、あきらかにイスラム教はキリスト教をしのぐいきおいで
数の面で成長している。
キリスト教では罪が許されるのは容易であるが、
そのあと、サタンの攻撃がつづき、
現実の世界ではサタンに屈していることが多い。
これを打開するには聖霊の助けてが必要なのだが
現実にはそれが不成功におわっている。
東康男講座シリーズ 信仰とはなにか
東康男講座シリーズ 信仰とはなにか
とめいうって音声で講義がきけるようになっている。
①聖書で定義している信仰とは何か。
②どの様にすれば信仰を持つことが出来るか。
③既に持っている信仰を増すにはどの様にすればよいのか。
④りっぱな信仰、強い信仰とはどの様なものを言うのか。どの様にすれば、イエス・キリストから
賞賛される信仰を持つところまで成長出来るか。
⑤サタンが紛い物を持って来て惑わそうとする。どの様にすれば紛い物を見分け、除く事が出来る
か。
⑥サタンが信仰を試して来る。どの様に切り抜けるか。
⑦信仰の原理とは何か。
⑧どの様に信仰を使えば祈ったものが現実になるか。
⑨信仰の種子について。
クリスチャンとして成長したいと望む人にとって是非とも理解していなければいけない話題。
聖書講座(東牧師)
MP3の形でインターネットから直接聞く事ができる。
ここをクリック。
わたしが最初にテープを聴いたのははや44年前のことだ。
東牧師の経歴は:
<東 泰男 略歴> | |
1931 | 山形県山形市に生まれる |
1954 | 玉川大学農学部卒業 |
1959 | アメリカ・イリノイ大学修士号取得 |
1962 | カナダ・アルバータ大学理学博士号取得 |
| アメリカ・イリノイ大学講師 |
1965 | イラク共和国政府技術顧問 |
1968 | カナダ・サスカチュワン大学助教授 |
1971 | アメリカ・イリノイ大学客員教授 |
1972 | ジュエル食品会社品質管理部部長 |
1977 | <妻芳子と共に召命を受ける> |
1979 | (妻と共に)レーマ聖書学校卒業(オクラホマ州) |
| 単立グレース教会副牧師(イリノイ州) |
1980 | あづまキリスト教伝道協会設立 |
|
|
| <日本にて伝道を始める> |
1984 | 国際クリスチャンセンターを設立 |
2012年 1月21日 昇天 | |
イザヤ書40章30−31節
イザヤ書は頑固でいうことをきかないユダヤ人への
励ましの言葉だ。
これが私たち現代人のキリスト者への励ましにもなっているという。
私たちを励まし、聖霊がくだることをったすけてくれる友人にイザヤ書40章30-31を読むように言われた。
これを引用する。
30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
口語薬では:
31しかし神様を待ち望む者は、新しい力がみなぎり、わしのように翼
を張って舞い上がります。 いくら走っても疲れず、どんなに歩いても息切れしません。
聖霊の洗礼については否定論がおおい
聖霊の洗礼をすすめているのはペンテコスト派という
派で、いまでは25%がペンてコスト派だとも宣伝されているが
とてもそんなにいるとは思えない。
アセンブリー派も聖霊の洗礼を重視しているが
既存の保守的な教会とは相性がわるいようだ。
それにアセンブリーの教会にはトラブルも少なくない。
そんなわけで
一般の保守的な教会ではペンテコステ教会やアセンブリー教会に警戒心が強く、聖霊の洗礼に恐怖心を感じているか
あるいは自己保全のために
すでに水の洗礼のときに聖霊の洗礼もうけているのだから
わざわざ、聖霊の洗礼をうける必要はないと主張する。
そのような主張は無理があるのだが、そういう神学論争は
牧師にまかせているのが現状である。
神学論争は別にして聖霊の洗礼の結果の神の顕現がほんとうに
あるのかということが真に大事なことである。
つまり、わたしたちの日常の生活に
神の聖霊がはっきりと明示的に声をだして
現れる事があるのだろうか。
そうすれば神とともにすくない間違いで
毎日の生活をおくれるのだが、
そこがどうか?
その聖霊の顕現をまちつつ日々を送っていこうとおもっている。
神の粒子、神の数式
神を信じないまでも、どこかに信じたいという本能的なものがあるのだろう。
神の数式という話題でNHKで二日連続で番組が放映され
ネットでも検索するとすぐにでてくる。
いままでの番組とくらべたらよくできた番組ともいえる。
しかし、欲をいえば少なくとも3回くらいの長さにして
さらにつっこんだ内容にしてほしかった。
特になぜ超ひも理論が10次元になるかについての説明がほしかったし
(大栗教授の超弦理論入門にはそのような努力がある)
せっかく出演しているのだから
ポルチンスキーのDブレーンについてのつっこんだ解説がほしかったし
可能な宇宙の数が10^500 あるという主張には
レオナルドサスキンドに説明をしてほしかった。
そのようにして説明するのが科学を説明することで、
あいにくであった。
(くわしくは、拙ブロッグの最先端治療をどうぞ)
聖霊の洗礼をうける一例
聖霊の洗礼を受けるにはどうすればよいかと調べていたら
こんな例(クリック)があった。
以下の様なものだ:
” まず、自分が過去に犯してきた罪を祈りながら、一つ一つ思い出し、悔い改めていった。次に、イエスさまに聖霊のバプテスマを与えてくださいと祈った。そして、信仰をもって語り出した。そうしたら、異言のようなものが口から出てきた。私は、それが自分が語った言葉なのか、それとも聖霊が語らせたのか、区別がつかなかった。強いて言えば、それは両方であった。
”
receive the holy spirit by David Pawson
avid Pawsonという牧師の話をきき、家に帰りさっそく、
yout
”Recieve the holy spirit ”という題名のわかりやすくすぐれた講演がみつかりました。
http://www.youtube.com/watch?
です。
ここでPawson が大事なことをいっています。
つまり最初の洗礼をうけたあとは、こころがリセットされて、
イエスもそのことは指摘しています。
パウロもそのことは指摘しています。