割礼
ユダヤ人には割礼をする風習がある。
ユダヤ人でなくてもあるアフリカの国家のプロテスタントでも
割礼をする風習がある。この国ではなにか油のようなものを聖油としてすくなからず
使っていて奇妙な印象をもったのだが、カトリックの習慣が混じっているのかもしれない。
そのような国の熱心なクリスチャンといっても割礼など奇妙な行動におもう。
ところで新約聖書ではロマ書で割礼については明確な言明がある。
ユダヤ人は割礼を受けていても戒律をまもらなけらば
物理的な割礼を受けていないクリスチャンに及ばないとある。
ロマ書2章の後半の部分:
ただし、ロマ書の著者はパウロなのでその点については後々議論をする。
ユダヤ人でなくてもあるアフリカの国家のプロテスタントでも
割礼をする風習がある。この国ではなにか油のようなものを聖油としてすくなからず
使っていて奇妙な印象をもったのだが、カトリックの習慣が混じっているのかもしれない。
そのような国の熱心なクリスチャンといっても割礼など奇妙な行動におもう。
ところで新約聖書ではロマ書で割礼については明確な言明がある。
ユダヤ人は割礼を受けていても戒律をまもらなけらば
物理的な割礼を受けていないクリスチャンに及ばないとある。
ロマ書2章の後半の部分:
2:27
かつ、生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのである。
2:28
というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。
2:29
かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。
ただし、ロマ書の著者はパウロなのでその点については後々議論をする。
またまた イエス聖誕の日の新解釈 (訂正)
イエスの生誕日はベツレヘムの星から算出すると6月14日だったが
洗礼者ヨハネの誕生日(過越の祭)から計算すると9月29日となりこちらのほうももっともらしい。
このばあい、WHOがだしている懐妊期間を280日としたばあいに
クリスマスに懐妊したとすると279日となる。1日は妊娠のばあい、ふらつきの範囲だから12月25日は主イエスの懐妊の日と解釈でき、12月25日は再度、重要な意味をもつことになる。
訂正)9月29日から逆算するときのカレンダーに2016年のうるいどしのものを使ってしまった。
閏年でなく平年の場合はちょうど280日になり、ぴったり一致する。
洗礼者ヨハネの誕生日(過越の祭)から計算すると9月29日となりこちらのほうももっともらしい。
このばあい、WHOがだしている懐妊期間を280日としたばあいに
クリスマスに懐妊したとすると279日となる。1日は妊娠のばあい、ふらつきの範囲だから12月25日は主イエスの懐妊の日と解釈でき、12月25日は再度、重要な意味をもつことになる。
訂正)9月29日から逆算するときのカレンダーに2016年のうるいどしのものを使ってしまった。
閏年でなく平年の場合はちょうど280日になり、ぴったり一致する。
またまた イエス聖誕の日の新解釈
イエスの生誕日はベツレヘムの星から算出すると6月14日だったが
洗礼者ヨハネの誕生日(過越の祭)から計算すると9月29日となりこちらのほうももっともらしい。
このばあい、WHOがだしている懐妊期間を280日としたばあいに
クリスマスに懐妊したとすると279日となる。1日は妊娠のばあい、ふらつきの範囲だから12月25日は主イエスの懐妊の日と解釈でき、12月25日は再度、重要な意味をもつことになる。
洗礼者ヨハネの誕生日(過越の祭)から計算すると9月29日となりこちらのほうももっともらしい。
このばあい、WHOがだしている懐妊期間を280日としたばあいに
クリスマスに懐妊したとすると279日となる。1日は妊娠のばあい、ふらつきの範囲だから12月25日は主イエスの懐妊の日と解釈でき、12月25日は再度、重要な意味をもつことになる。
イエスの誕生日再訪
12月25日が曲者コンスタンチヌス帝によって彼の信仰するミトラ神の誕生日で
かつ悪魔の仕業か悪のニムラドの誕生日とも重なっていたことはしるひとは知るが
それでは主イエスの本当の誕生日はいつだったか?
結論からいうとBC.2年9月29日前後
がもっともらしい:
(一部転載)
第7の月の17日は、ちょうど後に三大祭礼の1つとして祝われることになる仮庵祭に当たっています。それだけではありません。ルカ福音書の記載から算出されるイエス様の誕生日が、ちょうど第7の月の中旬なのです。
洗礼者ヨハネの父ザカリヤは、アビヤ組の祭司でした。祭司の組は24組が春分から始まる24週ごとの安息日を交替でシフトします。アビヤ組は第8組でした。AD.70年8月5日にエルサレム神殿がローマ軍に破壊された際、第1組の祭司が神殿奉仕の務めを終えたところだったことが、ヨセフスの証言とユダヤ教のタルムードから分かっています。そこからユダヤ暦(太陰暦)で逆算すると、ルカ1章でザカリヤが第3月の3週目の神殿奉仕を終えたのは、BC.3年7月13日と算出されます。ザカリヤの妻エリサベツの懐妊はその後のことですから、妊娠期間280日を加算すると、洗礼者ヨハネの誕生がBC.2年4月19~20日前後となり、ちょうど過越祭に当たっています。
エリサベツの妊娠6ケ月目に、イエスの母マリアが懐妊しました。BC.3年12月の4週目です。そこから280日後がイエス様の誕生日で、西暦(太陽暦)のBC.2年9月29日前後となります。ちょうどユダヤ暦の第7の月の中旬、17日前後です。そして仮庵祭とも一致するのです。
かつ悪魔の仕業か悪のニムラドの誕生日とも重なっていたことはしるひとは知るが
それでは主イエスの本当の誕生日はいつだったか?
結論からいうとBC.2年9月29日前後
がもっともらしい:
(一部転載)
第7の月の17日は、ちょうど後に三大祭礼の1つとして祝われることになる仮庵祭に当たっています。それだけではありません。ルカ福音書の記載から算出されるイエス様の誕生日が、ちょうど第7の月の中旬なのです。
洗礼者ヨハネの父ザカリヤは、アビヤ組の祭司でした。祭司の組は24組が春分から始まる24週ごとの安息日を交替でシフトします。アビヤ組は第8組でした。AD.70年8月5日にエルサレム神殿がローマ軍に破壊された際、第1組の祭司が神殿奉仕の務めを終えたところだったことが、ヨセフスの証言とユダヤ教のタルムードから分かっています。そこからユダヤ暦(太陰暦)で逆算すると、ルカ1章でザカリヤが第3月の3週目の神殿奉仕を終えたのは、BC.3年7月13日と算出されます。ザカリヤの妻エリサベツの懐妊はその後のことですから、妊娠期間280日を加算すると、洗礼者ヨハネの誕生がBC.2年4月19~20日前後となり、ちょうど過越祭に当たっています。
エリサベツの妊娠6ケ月目に、イエスの母マリアが懐妊しました。BC.3年12月の4週目です。そこから280日後がイエス様の誕生日で、西暦(太陽暦)のBC.2年9月29日前後となります。ちょうどユダヤ暦の第7の月の中旬、17日前後です。そして仮庵祭とも一致するのです。
頼みますよ 超ヨンギさん
韓国のメガチャーチ、世界最大のペンテコステ教会の創立者、が背任で起訴された
超ヨンギさんがこんなことをいっている:
教会の信徒を前に「この苦難を通じて1つ悟ったことは、一個人が何も所有してはならないこと」
趙氏は「(判決後の)2日間、50年の牧会生活の中で最も困難な苦難を経験した。試練と苦痛の中にあったが、今まで信仰してきた中で一番神様が有益な日を くれた。心を痛めたし、弁明したくもなったし、また人であるから抗議、あるいは復讐したい、そういった色々な複雑な誤った考えが胸の中に浮かんできた」と 告白。「その中で、悔い改めることができ、聖霊の変化を受けることができ、真珠貝から真珠が出るのだと思いながら、よいことも多かった」と語った。
とんだ大ボケな弁明だ。
これがクリスチャンの反面教師の証となっている。
ベニーヒンも同様の蓄財をしていて
メガチャーチの牧師はみんなこんなものかと疑われてしまう。
超ヨンギさんがこんなことをいっている:
教会の信徒を前に「この苦難を通じて1つ悟ったことは、一個人が何も所有してはならないこと」
趙氏は「(判決後の)2日間、50年の牧会生活の中で最も困難な苦難を経験した。試練と苦痛の中にあったが、今まで信仰してきた中で一番神様が有益な日を くれた。心を痛めたし、弁明したくもなったし、また人であるから抗議、あるいは復讐したい、そういった色々な複雑な誤った考えが胸の中に浮かんできた」と 告白。「その中で、悔い改めることができ、聖霊の変化を受けることができ、真珠貝から真珠が出るのだと思いながら、よいことも多かった」と語った。
とんだ大ボケな弁明だ。
これがクリスチャンの反面教師の証となっている。
ベニーヒンも同様の蓄財をしていて
メガチャーチの牧師はみんなこんなものかと疑われてしまう。
それでも聖書を詳しく調べたい時は
聖書はさまざまな言語に翻訳され一般には母国語で読むひとたちが
大半だ。
ある国の言語といってもさらにまた訳し方に大きな違いがある。
外国語についてはよくしらないが日本語の場合にはいのちのことば社のリビングバイブルを除いてこなれていない日本語の聖書が多い。こなれていないどころかそれって変でしょうという場面に頻繁にでくわす。
わたしは新約聖書でさえもあちこちに首尾一貫していない箇所がありそれはことばの違いや翻訳の違いをおおきき超える問題となっている。
それでもほんとうにことばのあやが問題になる場面もあるのかもしれない。そんなときにはもはや引越しのときに何千冊もすててしまった中にあるかもしれない
コンコーダンス(注釈書)などをさがすよりも
ネットでそのようなことができるサイトがあるので
そのURLをメモっておこう。
ここだ。
大半だ。
ある国の言語といってもさらにまた訳し方に大きな違いがある。
外国語についてはよくしらないが日本語の場合にはいのちのことば社のリビングバイブルを除いてこなれていない日本語の聖書が多い。こなれていないどころかそれって変でしょうという場面に頻繁にでくわす。
わたしは新約聖書でさえもあちこちに首尾一貫していない箇所がありそれはことばの違いや翻訳の違いをおおきき超える問題となっている。
それでもほんとうにことばのあやが問題になる場面もあるのかもしれない。そんなときにはもはや引越しのときに何千冊もすててしまった中にあるかもしれない
コンコーダンス(注釈書)などをさがすよりも
ネットでそのようなことができるサイトがあるので
そのURLをメモっておこう。
ここだ。
マタイ6章の祈り 補足
マタイ6章の祈りで思わぬことに気づいた。
クリスチャンが普通祈る時に必ず言う
主イエスのなによって祈れとはいっていないことだ。
それではなぜ主イエスの名によっていのるというのか?
それはヨハネ14章14節などで主イエスがそういわれているからだ。
注意すべきは15節の戒めをまもるべきであるということばだ。
クリスチャンが普通祈る時に必ず言う
主イエスのなによって祈れとはいっていないことだ。
それではなぜ主イエスの名によっていのるというのか?
それはヨハネ14章14節などで主イエスがそういわれているからだ。
14:13[編集]
わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。
14:14[編集]
何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。
14:15[編集]
もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。
14:16[編集]
わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
注意すべきは15節の戒めをまもるべきであるということばだ。
マタイ6章主の祈り
6:9だから、あなたがたはこう祈りなさい、
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
6:10御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
6:11わたしたちの日ごとの食物を、
きょうもお与えください。
6:12わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
6:13わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
この祈りからわかること:
9節 天の父は崇められることを好む
10節 この祈りは2000年間きかれていない。
11節 あすのことを心配してはいけないはずが、日毎の食物を祈れと別のみ言葉と矛盾するかのようなことをいっている。
12節 負債とは不適当な日本語への翻訳だ。負い目・借りのほうがよりちかい。
13節 これも信仰のためなら犠牲も正当化されると別の箇所でいっている。クリスチャンは頻繁にみずからを省みて苦しい時には神がわれわれをヨブのように試みにあわせるといっている。ここではこころにみあわせないでくださいと祈れといっている。
御名があがめられますように。
6:10御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
6:11わたしたちの日ごとの食物を、
きょうもお与えください。
6:12わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
6:13わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
この祈りからわかること:
9節 天の父は崇められることを好む
10節 この祈りは2000年間きかれていない。
11節 あすのことを心配してはいけないはずが、日毎の食物を祈れと別のみ言葉と矛盾するかのようなことをいっている。
12節 負債とは不適当な日本語への翻訳だ。負い目・借りのほうがよりちかい。
13節 これも信仰のためなら犠牲も正当化されると別の箇所でいっている。クリスチャンは頻繁にみずからを省みて苦しい時には神がわれわれをヨブのように試みにあわせるといっている。ここではこころにみあわせないでくださいと祈れといっている。
12月25日 再訪
12月25日はイエスの誕生日とは無関係で復活祭の春分との対をなす
お祭りとしてカトリックによって作られたところまでわかったと以前書いたが
さらにこれを定めたのはキリスト教を政治的に利用したコンスタンチヌス帝だということがはっきりとした。その詳細はここにある。
このコンスタンチヌス帝の信ずるところはミトラ神で12月25日はミトラ神の誕生日であった。たまたま同日はバビロンの塔を設計したニコデモの誕生日であったのは
皮肉であった。
お祭りとしてカトリックによって作られたところまでわかったと以前書いたが
さらにこれを定めたのはキリスト教を政治的に利用したコンスタンチヌス帝だということがはっきりとした。その詳細はここにある。
このコンスタンチヌス帝の信ずるところはミトラ神で12月25日はミトラ神の誕生日であった。たまたま同日はバビロンの塔を設計したニコデモの誕生日であったのは
皮肉であった。
牧師によってばたばたと倒される
この動画をみてほしい。
むかしアメリカにいたとき、35年前にこのような光景をみたことがあるが
つい昨年、日本で友人の教会に招かれてタイ人の牧師(アメリカで医師もしている)
が同様のことをやっていた。牧師がおそろしい形相でファイアーとかいってつぎからつぎへと教会員を倒していく。
わたしはなにも感じないので倒れることはなかった。
本物の聖霊の降臨でたおれるとはいまでも思われない。
むかしアメリカにいたとき、35年前にこのような光景をみたことがあるが
つい昨年、日本で友人の教会に招かれてタイ人の牧師(アメリカで医師もしている)
が同様のことをやっていた。牧師がおそろしい形相でファイアーとかいってつぎからつぎへと教会員を倒していく。
わたしはなにも感じないので倒れることはなかった。
本物の聖霊の降臨でたおれるとはいまでも思われない。