では、世界でも稀な年縞はどのようにして発見されたのだろうか?
三方五湖のひとつ三方湖のほとりに鳥浜貝塚遺跡がある。この遺跡は1962年に発見され、多くの遺物が水漬けだったので、良好な状態を保っていたため、『縄文のタイムカプセル』と呼ばれた。
この遺跡の調査の一環で水月湖のボーリング調査を行なったときに偶然に年縞が見つかった。1993年のことだった。
縄文時代の縄文の由来は、土器に縄の模様が付いていたことによる。(東京の大森貝塚で最初に見つけたアメリカ人のモースが命名)ところが、各地の遺跡で縄文土器は発見されたが、模様を付けたとされる縄そのものは発見されなかった。
鳥浜貝塚遺跡から、いろいろな縄の遺物が見つかった。他にも赤い漆を使った櫛も発見されている。
福井県年縞博物館は、第2回の日本博物館協会賞を受賞している。
この賞は、協会創立90周年を記念して行われた。
ちなみに、第1回は、ちひろ美術館(東京・安曇野)と北名古屋市歴史民族博物館、第3回は、大原美術館(倉敷市)、第4回は、明石市立天文科学館である。
福井県年縞博物館は大人の博物館を標榜しているので、子ども受けするようなゆるキャラがいたりせず、決して楽しい博物館ではないが、訪問すると学芸員の方がマンツーマンで懇切丁寧に説明してくれる。
北名古屋市歴史民族博物館が博物館協会賞を取っていたなんて知らなかったので、友だちを誘って行ってみよう。
7万年分の年縞の長さってどのくらいだと思いますか?
1年分の年縞の厚さが0.8mmなので、
0.8×70,000=56,000mm=56m
と計算上はなりますが、下の方(年代の古い)の年縞は上の方の年縞の重さで圧縮されてしまうので、実際は45mの長さです。
どうして、水月湖だけに7万年もの年縞があるんだろうか?
どうして、堆積物で湖が埋まってしまわないんだろうか?
いろんな疑問が湧いてきますが、『水月湖の奇跡』と言われるものがすべて解決してくれる。
①流れ込む大きな川がない
下の図は、三方五湖の地図であるが、水月湖は、三方湖と管湖に接しているだけで、水月湖に流れ込む大きな河川がない。
このため、大雨が降ると土砂等は水月湖には流れ込まず、三方湖に沈殿する。また、水月湖の水深が34mもあるので、三方湖からの水は水月湖の表面だけを攪拌する。
②水深が深いので、湖底生物がいない
水月湖の水深は34mあり、水が撹拌されることがないので、湖底には酸素がほとんどない。
このため、湖底の堆積物をかき乱す生物が住むことができない。
③断層があるため、定期的に沈み込む
JR線に沿う形で三方断層があり、定期的に山側(地図の右側)は隆起し、湖側(地図の左側)は沈降するので、堆積物で湖が埋まらない。
このように様々な奇跡が重なって、世界でも希な7万年もの年縞ができあがった。
もちろん、今でも年縞は形成され続けているのである。
7万年の年縞と『世界のものさし』とどんな関係があるんだろうか?
つい最近、佐賀県の吉野ヶ里遺跡で石棺が見つかり、『卑弥呼の墓を発見か!?』と騒がれたことがあったが、遺跡の発掘調査で出土品の年代を知るには、『放射性炭素年代測定法』が使われている。
これは、時間の経過とともに減少する放射性炭素(C14)の量を測定することによって、年代を逆算する方法である。
ところが、今までは数百年から数千年の誤差が生じていた。
水月湖の年縞は、7万年分がきちんと層をなしているので、層の数を数えることで1年単位の年代を知ることができるし、その層に含まれる放射性炭素(C14)の量を知ることで、7万年分の『ものさし』となるのである。
もちろん、そんなに簡単に『世界のものさし』となったわけではなく、世界中の学者達が数年かけて検証した結果、『世界のものさし』として認められた。
この世界のものさしのことを『IntCal(イントカル)』といい、1998年に初めて提案されてから、2004年、2009年、2013年、2020年に更新されている。
2013年に更新されたIntCalは、IntCal13と呼ばれ、水月湖のデータは、IntCal13、IntCal20の根幹を成している。
詳しい説明は、下記の動画を見てください。







