アイデス忘年会
昨日はアイデスの忘年会でした。
毎年、ビンゴ大会で盛り上がるアイデス忘年会。
昨日も社長賞の液晶テレビBRAVIAを営業のK君がゲットしました。
一年で一番社員の笑顔が澄んでいるイベントで、毎年このイベントが行えることに感謝してます。
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興味と経験は嫌いなものを受け入れる特効薬??
先日、弊社のビジネスパートナーの I 氏が「王様のブランチ」紹介されていた書籍「脳に悪い7つの習慣」勧めてくれました。早速その日のうちに購入し、読み進めてます。
冒頭の小見出しに『「脳トレ」のゲームやドリルで脳を鍛えることはできない』と書かれていたので、「おいおい、チョット待てよぉ」と思ったのですが、本文中では特に全否定しているわけでもなく、より良い方法の提の前振りとして書かれていただけなのでホッとしました。
私もいつも思っていることは、PCやゲームは手段であって目的ではないということです。
PCやゲームはそのもの自体が何かを生み出すということはなく、何かを生み出すための便利なツールの一つなのです。
決断力DSもそのものが目的ではなく、「考える習慣を身につけるのに将棋が非常に優れている」という観点から、DSという誰もが親しみやすいツールを用い、将棋のルールを学べたり、「逃げ将棋」という発想の転換ゲームを入れたりし、「考える習慣を身に付ける」ことを目的とすることは言うまでもありませんが、ルールを覚えた後の人対人の対局(対戦)で学ぶことができる礼儀作法や感情のコントロールを身に付けていただければなぁということを目指して開発しました。
書籍の中で、脳には「統一・一貫性」というクセがあり、自分の価値観や考え方と異なるものに接すると、その対象物に対して「嫌い」というレッテルを貼るそうです。ということは、「統一・一貫性」が認められたときは、「好き」のレッテルを貼るということだと思います。
「あばたもえくぼ」といいますが、「良いところ」が先に情報として入ってくると悪いことはあまり気にならず、かえって魅力として受け入れられたり、逆に「悪いところ」が先に情報として入ってくると良いところを持っていたとしてもなかなかそれを正しく評価できないってことありますよね。
でもそれを克服するのが「興味」と「経験」だと思います。
以前、「ワイン嫌いのワイン会」というのを開催しました。
そこに参加した殆どの人が赤ワインに対して「ワインって、苦いから嫌い」とか「白ワインは飲めるけど、赤ワインはちょっと・・・」という印象を持っており、殆ど赤ワインを飲まないということでした。
ワインに興味はあるものの自分が飲んだワインの印象から、ステレオタイプ的に「赤ワイン=苦くて・酸っぱい」となっていたのです。
致し方ないと思います。
私も昔はそうでした。しかし良い経験がこの「味覚」と「考え方」を変えるのです。というよりも、良い経験をすることで「苦さ」や「酸っぱさ」が魅力の一つになるのです。(「経験したい」というモチベーションは、興味から生まれます。興味がなければ「経験したい」とは思わないですよね。)
新しいワインは比較的、苦かったり・酸っぱかったりするものです。
しかしワインの中には、年を経るごとに、その苦味がまろやかになり、酸っぱさが唾液を出すのに丁度良い状態に和らぎ、さらに年を経るごとに副産物「うまみ成分」が発生するものがあります。
その副産物を蓄えた「まろやか」な液体と最高のうまみ調味料である唾液がマリアージュ(結婚)したものを口の中で経験した「ワイン嫌い」の彼らは口を揃えて言ってました。
「これがワインなんだぁ・・・」「今まで飲んだワインはなんだったんだ???」と。
でもそのワインの中には苦味のエッセンス・酸っぱさのエッセンスは残っているのです。それ以外のエッセンスも非常に多く含まれているのです。
このような経験を重ねると、経験値が上がり、味覚に対する包容力が上がります。そして今まで「美味しくない」と感じたワインの中に、「美味しい」と感じたワインが持っているエッセンスとの共通項を自ら発見し、「美味しくなかったワインが美味しい」と感じるようになるのです。
このように経験を重ねると包容力が広がり、どのようなものに対してもポジティブに「可能性」があることを信じるようになります。つまり、一度の経験や印象を持ってステレオタイプに「嫌い」という結論付けはしなくなるのです。
まあ、可能性を信じながら最終的に「やっぱりブショネ※」ということはありますが・・・
※コルク臭のある傷んだワインのこと・・・でもたまにこのブショネワインを「このワイン香ばしくて美味しい♪」という人もいるので「あばたもえくぼ」か。でも僕はこのブショネだけは好きになれない・・・私の場合ブショネワインはカレーライスと化します。
ただし、経験を積み重ねると「直感」が鋭くなります。つまり情報分析能力が上がるということです。その情報分析を基に瞬間的には感じることができなかった「可能性」を検証してみるというのがいいのではないかと私は考えてます。
冒頭の小見出しに『「脳トレ」のゲームやドリルで脳を鍛えることはできない』と書かれていたので、「おいおい、チョット待てよぉ」と思ったのですが、本文中では特に全否定しているわけでもなく、より良い方法の提の前振りとして書かれていただけなのでホッとしました。
私もいつも思っていることは、PCやゲームは手段であって目的ではないということです。
PCやゲームはそのもの自体が何かを生み出すということはなく、何かを生み出すための便利なツールの一つなのです。
決断力DSもそのものが目的ではなく、「考える習慣を身につけるのに将棋が非常に優れている」という観点から、DSという誰もが親しみやすいツールを用い、将棋のルールを学べたり、「逃げ将棋」という発想の転換ゲームを入れたりし、「考える習慣を身に付ける」ことを目的とすることは言うまでもありませんが、ルールを覚えた後の人対人の対局(対戦)で学ぶことができる礼儀作法や感情のコントロールを身に付けていただければなぁということを目指して開発しました。
書籍の中で、脳には「統一・一貫性」というクセがあり、自分の価値観や考え方と異なるものに接すると、その対象物に対して「嫌い」というレッテルを貼るそうです。ということは、「統一・一貫性」が認められたときは、「好き」のレッテルを貼るということだと思います。
「あばたもえくぼ」といいますが、「良いところ」が先に情報として入ってくると悪いことはあまり気にならず、かえって魅力として受け入れられたり、逆に「悪いところ」が先に情報として入ってくると良いところを持っていたとしてもなかなかそれを正しく評価できないってことありますよね。
でもそれを克服するのが「興味」と「経験」だと思います。
以前、「ワイン嫌いのワイン会」というのを開催しました。
そこに参加した殆どの人が赤ワインに対して「ワインって、苦いから嫌い」とか「白ワインは飲めるけど、赤ワインはちょっと・・・」という印象を持っており、殆ど赤ワインを飲まないということでした。
ワインに興味はあるものの自分が飲んだワインの印象から、ステレオタイプ的に「赤ワイン=苦くて・酸っぱい」となっていたのです。
致し方ないと思います。
私も昔はそうでした。しかし良い経験がこの「味覚」と「考え方」を変えるのです。というよりも、良い経験をすることで「苦さ」や「酸っぱさ」が魅力の一つになるのです。(「経験したい」というモチベーションは、興味から生まれます。興味がなければ「経験したい」とは思わないですよね。)
新しいワインは比較的、苦かったり・酸っぱかったりするものです。
しかしワインの中には、年を経るごとに、その苦味がまろやかになり、酸っぱさが唾液を出すのに丁度良い状態に和らぎ、さらに年を経るごとに副産物「うまみ成分」が発生するものがあります。
その副産物を蓄えた「まろやか」な液体と最高のうまみ調味料である唾液がマリアージュ(結婚)したものを口の中で経験した「ワイン嫌い」の彼らは口を揃えて言ってました。
「これがワインなんだぁ・・・」「今まで飲んだワインはなんだったんだ???」と。
でもそのワインの中には苦味のエッセンス・酸っぱさのエッセンスは残っているのです。それ以外のエッセンスも非常に多く含まれているのです。
このような経験を重ねると、経験値が上がり、味覚に対する包容力が上がります。そして今まで「美味しくない」と感じたワインの中に、「美味しい」と感じたワインが持っているエッセンスとの共通項を自ら発見し、「美味しくなかったワインが美味しい」と感じるようになるのです。
このように経験を重ねると包容力が広がり、どのようなものに対してもポジティブに「可能性」があることを信じるようになります。つまり、一度の経験や印象を持ってステレオタイプに「嫌い」という結論付けはしなくなるのです。
まあ、可能性を信じながら最終的に「やっぱりブショネ※」ということはありますが・・・
※コルク臭のある傷んだワインのこと・・・でもたまにこのブショネワインを「このワイン香ばしくて美味しい♪」という人もいるので「あばたもえくぼ」か。でも僕はこのブショネだけは好きになれない・・・私の場合ブショネワインはカレーライスと化します。
ただし、経験を積み重ねると「直感」が鋭くなります。つまり情報分析能力が上がるということです。その情報分析を基に瞬間的には感じることができなかった「可能性」を検証してみるというのがいいのではないかと私は考えてます。
2009年12月7日の朝礼コメント
今回の朝礼当番はグラフィックデザイナーのおんちゃんでした。
小公女セーラの話から、「正義」についての話。「確信」はどうやって出るのかなど、非常に興味深い話がありました。
おんちゃんが言うように「正義」といっても、それは主観的なものであって、「あなたの正義は、私にとっての不義」ということがあるように立場によって「行い」に対する見方が変わります。そのような場合、僕はいつも次のように考えます。その行いは、自分だけのために行われているのか否か。つまり「利己的な行いか」、「利他的な行いか」ということです。
「利己的な行い」は慎まなければならないし、正義には成りえないと考えます。「利他的な行い」であれば、行動の動機が「人のため」なので、その行いが世間一般で言うところの悪行でなければ「正義」になる可能性を持っていると考えます。
そして、「確信」は日々の積み重ねからしか生まれないと思ってます。なぜなら、確信はつまり信念であって、価値観そのものだからです。価値観を形成する上で人は経験からしかそれを会得することはできないと私は考えます。もちろん実際の経験からだけではなく、書物などからも得ることができます。
デザイナーという職業の場合、芸術に関する職業なので、「正しい・間違ってる」とか「得か・損か」ということが物事の判断基準ではなく、「好きか・嫌いか」ということがその判断基準になります。
つまりセンスがいいか悪いかということは、人それぞれのセンスの話なので、特に主観的なものになります。
こう考えるとデザイナーは2つの方向性のどちらか1つをまず選択しなければならないのです。
「私が好きなデザインを作るのか」、「みんなに好かれるデザインを作るのか」です。
かなり価値の方向性が異なります。
「私が好きなデザインを作るのか」の場合、新しいものを生み出す可能性は多く持っているのですが、一般的に受け入れられる可能性は非常に低いです。私が好きというのはあくまでも「私」自身に価値がおかれているのでよっぽどの信念がないと作れません。売れなくとも、酷評されても、信念を曲げず耐えるだけの精神力と会社の場合社長の忍耐が必要になります。
「みんなに好かれるデザインを作るのか」の場合、既にあるトレンドにベクトルを合わせるので、全く新しいものは生まれません。でも、ある程度の価値(デザイン)の方向性が分かっているので、受け入れられる可能性は前者と比べ高いです。
ではデザイナーはどうあるべきか・・・
実はこの両方の感覚が必要なのです。
右脳(前者)と左脳(後者)、両方を切り替えながら進まなければならないのです。
私は意識した経験以外の経験も非常に重要であると考えてます。
脳は情報処理能力がスゴい筈だと勝手に思ってます。つまり無意識に情報処理を脳が勝手に頭の中でしているということです。
私は西洋に行くと時間があれば美術館に行くようにしてます。錚々たる美術作品を見ると眼球を通してさまざまな情報が入ってくると確信しているのです。特に「スゴい」といわれる作品の場合、隅から隅までじっくり見ます。その作品のスゴさが分かっているからではありません。
無意識レベルの情報を取り込んでいるのです。
このようなことの積み重ねが価値観を形成すると私は考えてます。スゴい作品に「好き・嫌い」を言うのはおこがましいのですが、無理矢理でも「好き・嫌い」もしくは「好きなところ・嫌いなところ」を決めます。
そして、なぜこの作品がいいのか悪いのか言語化するようにしてます。
(巨匠の皆様がこれを聞いたら「お前に何が分かる!」とさぞかし怒られるだろう・・・と思います。)
デザイン会議の場でも、好き嫌いで判断しなければならないのです。そしてなぜ好きなのか、嫌いなのかを説明しなければならないのです。その訓練のため言語化するのです。
つまり確信とは、有意識及び無意識経験によって蓄えられ、それを納得するために、無意識レベルから有意識レベルに持ち上げた時に生まれてくるものだと私は考えます。
そしてヒット商品は、この「好き」がお客様の感性と一致したときに生まれるものだと考えてます。
小公女セーラの話から、「正義」についての話。「確信」はどうやって出るのかなど、非常に興味深い話がありました。
おんちゃんが言うように「正義」といっても、それは主観的なものであって、「あなたの正義は、私にとっての不義」ということがあるように立場によって「行い」に対する見方が変わります。そのような場合、僕はいつも次のように考えます。その行いは、自分だけのために行われているのか否か。つまり「利己的な行いか」、「利他的な行いか」ということです。
「利己的な行い」は慎まなければならないし、正義には成りえないと考えます。「利他的な行い」であれば、行動の動機が「人のため」なので、その行いが世間一般で言うところの悪行でなければ「正義」になる可能性を持っていると考えます。
そして、「確信」は日々の積み重ねからしか生まれないと思ってます。なぜなら、確信はつまり信念であって、価値観そのものだからです。価値観を形成する上で人は経験からしかそれを会得することはできないと私は考えます。もちろん実際の経験からだけではなく、書物などからも得ることができます。
デザイナーという職業の場合、芸術に関する職業なので、「正しい・間違ってる」とか「得か・損か」ということが物事の判断基準ではなく、「好きか・嫌いか」ということがその判断基準になります。
つまりセンスがいいか悪いかということは、人それぞれのセンスの話なので、特に主観的なものになります。
こう考えるとデザイナーは2つの方向性のどちらか1つをまず選択しなければならないのです。
「私が好きなデザインを作るのか」、「みんなに好かれるデザインを作るのか」です。
かなり価値の方向性が異なります。
「私が好きなデザインを作るのか」の場合、新しいものを生み出す可能性は多く持っているのですが、一般的に受け入れられる可能性は非常に低いです。私が好きというのはあくまでも「私」自身に価値がおかれているのでよっぽどの信念がないと作れません。売れなくとも、酷評されても、信念を曲げず耐えるだけの精神力と会社の場合社長の忍耐が必要になります。
「みんなに好かれるデザインを作るのか」の場合、既にあるトレンドにベクトルを合わせるので、全く新しいものは生まれません。でも、ある程度の価値(デザイン)の方向性が分かっているので、受け入れられる可能性は前者と比べ高いです。
ではデザイナーはどうあるべきか・・・
実はこの両方の感覚が必要なのです。
右脳(前者)と左脳(後者)、両方を切り替えながら進まなければならないのです。
私は意識した経験以外の経験も非常に重要であると考えてます。
脳は情報処理能力がスゴい筈だと勝手に思ってます。つまり無意識に情報処理を脳が勝手に頭の中でしているということです。
私は西洋に行くと時間があれば美術館に行くようにしてます。錚々たる美術作品を見ると眼球を通してさまざまな情報が入ってくると確信しているのです。特に「スゴい」といわれる作品の場合、隅から隅までじっくり見ます。その作品のスゴさが分かっているからではありません。
無意識レベルの情報を取り込んでいるのです。
このようなことの積み重ねが価値観を形成すると私は考えてます。スゴい作品に「好き・嫌い」を言うのはおこがましいのですが、無理矢理でも「好き・嫌い」もしくは「好きなところ・嫌いなところ」を決めます。
そして、なぜこの作品がいいのか悪いのか言語化するようにしてます。
(巨匠の皆様がこれを聞いたら「お前に何が分かる!」とさぞかし怒られるだろう・・・と思います。)
デザイン会議の場でも、好き嫌いで判断しなければならないのです。そしてなぜ好きなのか、嫌いなのかを説明しなければならないのです。その訓練のため言語化するのです。
つまり確信とは、有意識及び無意識経験によって蓄えられ、それを納得するために、無意識レベルから有意識レベルに持ち上げた時に生まれてくるものだと私は考えます。
そしてヒット商品は、この「好き」がお客様の感性と一致したときに生まれるものだと考えてます。