2009年12月7日の朝礼コメント | アイデスの社長日記

2009年12月7日の朝礼コメント

今回の朝礼当番はグラフィックデザイナーのおんちゃんでした。

小公女セーラの話から、「正義」についての話。「確信」はどうやって出るのかなど、非常に興味深い話がありました。

おんちゃんが言うように「正義」といっても、それは主観的なものであって、「あなたの正義は、私にとっての不義」ということがあるように立場によって「行い」に対する見方が変わります。そのような場合、僕はいつも次のように考えます。その行いは、自分だけのために行われているのか否か。つまり「利己的な行いか」、「利他的な行いか」ということです。

「利己的な行い」は慎まなければならないし、正義には成りえないと考えます。「利他的な行い」であれば、行動の動機が「人のため」なので、その行いが世間一般で言うところの悪行でなければ「正義」になる可能性を持っていると考えます。

そして、「確信」は日々の積み重ねからしか生まれないと思ってます。なぜなら、確信はつまり信念であって、価値観そのものだからです。価値観を形成する上で人は経験からしかそれを会得することはできないと私は考えます。もちろん実際の経験からだけではなく、書物などからも得ることができます。

デザイナーという職業の場合、芸術に関する職業なので、「正しい・間違ってる」とか「得か・損か」ということが物事の判断基準ではなく、「好きか・嫌いか」ということがその判断基準になります。
つまりセンスがいいか悪いかということは、人それぞれのセンスの話なので、特に主観的なものになります。

こう考えるとデザイナーは2つの方向性のどちらか1つをまず選択しなければならないのです。

「私が好きなデザインを作るのか」、「みんなに好かれるデザインを作るのか」です。

かなり価値の方向性が異なります。

「私が好きなデザインを作るのか」の場合、新しいものを生み出す可能性は多く持っているのですが、一般的に受け入れられる可能性は非常に低いです。私が好きというのはあくまでも「私」自身に価値がおかれているのでよっぽどの信念がないと作れません。売れなくとも、酷評されても、信念を曲げず耐えるだけの精神力と会社の場合社長の忍耐が必要になります。

「みんなに好かれるデザインを作るのか」の場合、既にあるトレンドにベクトルを合わせるので、全く新しいものは生まれません。でも、ある程度の価値(デザイン)の方向性が分かっているので、受け入れられる可能性は前者と比べ高いです。

ではデザイナーはどうあるべきか・・・

実はこの両方の感覚が必要なのです。

右脳(前者)と左脳(後者)、両方を切り替えながら進まなければならないのです。

私は意識した経験以外の経験も非常に重要であると考えてます。

脳は情報処理能力がスゴい筈だと勝手に思ってます。つまり無意識に情報処理を脳が勝手に頭の中でしているということです。

私は西洋に行くと時間があれば美術館に行くようにしてます。錚々たる美術作品を見ると眼球を通してさまざまな情報が入ってくると確信しているのです。特に「スゴい」といわれる作品の場合、隅から隅までじっくり見ます。その作品のスゴさが分かっているからではありません。

無意識レベルの情報を取り込んでいるのです。

このようなことの積み重ねが価値観を形成すると私は考えてます。スゴい作品に「好き・嫌い」を言うのはおこがましいのですが、無理矢理でも「好き・嫌い」もしくは「好きなところ・嫌いなところ」を決めます。

そして、なぜこの作品がいいのか悪いのか言語化するようにしてます。
(巨匠の皆様がこれを聞いたら「お前に何が分かる!」とさぞかし怒られるだろう・・・と思います。)

デザイン会議の場でも、好き嫌いで判断しなければならないのです。そしてなぜ好きなのか、嫌いなのかを説明しなければならないのです。その訓練のため言語化するのです。

つまり確信とは、有意識及び無意識経験によって蓄えられ、それを納得するために、無意識レベルから有意識レベルに持ち上げた時に生まれてくるものだと私は考えます。

そしてヒット商品は、この「好き」がお客様の感性と一致したときに生まれるものだと考えてます。