原題“UP”を見に行きました。
「カールじいさんの空飛ぶ家(原題:UP)」を3Dで見に行きました。
僕が小さい時に赤と青のメガネで見た3Dとはその品質が大きく異なり、またディズニーランドのキャプテンEOなどで見た3Dが量産化可能になったことにも驚きました。
今回3Dで一番「スゴい!」と思ったのは、本編前に流された「アバター」の予告編の3Dおまけ映像。
その完成度は半端ではありません。おまけ映像が始まった時、場内が「おーーーーっ」という驚きの声で満ちあふれ、おまけ映像が終わった時には「中途半端なところで止めるなよ!!!」的なブーイングが上がったほど。
本当にあの完成度と臨場感は半端ではありません。
さて、「カールじいさん」ですが、3Dは確かに「ふーーーん」という感じだったのですが、3Dに感動したというよりも、ディズニーやピクサー作品に特有の「じーーーん」とくる感動に癒されました。
ディズニーやピクサー作品が他の映画と異なる点は、他の映画が人間の感情的な弱いところを映像と音楽で高揚させ「泣かせる」のに対して、ディズニー・ピクサーはなぜか「自然と涙が出てしまい、温かい気持ちになれる」というものです。
「カールじいさん」も同じように気が付いたら涙が出てくる作品でした。
映画が始まって10分程度で静まり返った場内で鼻をすする音が発生し、映画の終盤で僕の眼から涙が…本当にお仕着せがましくない素晴らしい映画でした。
もう一つすごいなぁと思う点は、ピクサー映画には「ハズレ」が無いということです。
我々が作っている商品もお客さまに受け入れられるはずと思い開発するのですが、中には殆ど受け入れてもらえなかったような商品もあります。しかし他の製品が売れて何とか凌げるという感じですが、ピクサーの映画は100発100中です。しかも1つの映画の完成のために全スタッフが取り組んでいるようで、もしその作品がコケたら大変なことになります。しかし当たるのです。映画が当たらなくともそのキャラクターグッズが当たったり、本当にスゴいと思います。つまり全ての作品に「社運を賭けて」いるのです。
今後公開されるディズニー・ピクサーの映画が楽しみです。
僕が小さい時に赤と青のメガネで見た3Dとはその品質が大きく異なり、またディズニーランドのキャプテンEOなどで見た3Dが量産化可能になったことにも驚きました。
今回3Dで一番「スゴい!」と思ったのは、本編前に流された「アバター」の予告編の3Dおまけ映像。
その完成度は半端ではありません。おまけ映像が始まった時、場内が「おーーーーっ」という驚きの声で満ちあふれ、おまけ映像が終わった時には「中途半端なところで止めるなよ!!!」的なブーイングが上がったほど。
本当にあの完成度と臨場感は半端ではありません。
さて、「カールじいさん」ですが、3Dは確かに「ふーーーん」という感じだったのですが、3Dに感動したというよりも、ディズニーやピクサー作品に特有の「じーーーん」とくる感動に癒されました。
ディズニーやピクサー作品が他の映画と異なる点は、他の映画が人間の感情的な弱いところを映像と音楽で高揚させ「泣かせる」のに対して、ディズニー・ピクサーはなぜか「自然と涙が出てしまい、温かい気持ちになれる」というものです。
「カールじいさん」も同じように気が付いたら涙が出てくる作品でした。
映画が始まって10分程度で静まり返った場内で鼻をすする音が発生し、映画の終盤で僕の眼から涙が…本当にお仕着せがましくない素晴らしい映画でした。
もう一つすごいなぁと思う点は、ピクサー映画には「ハズレ」が無いということです。
我々が作っている商品もお客さまに受け入れられるはずと思い開発するのですが、中には殆ど受け入れてもらえなかったような商品もあります。しかし他の製品が売れて何とか凌げるという感じですが、ピクサーの映画は100発100中です。しかも1つの映画の完成のために全スタッフが取り組んでいるようで、もしその作品がコケたら大変なことになります。しかし当たるのです。映画が当たらなくともそのキャラクターグッズが当たったり、本当にスゴいと思います。つまり全ての作品に「社運を賭けて」いるのです。
今後公開されるディズニー・ピクサーの映画が楽しみです。
照準を微調整する。
いよいよクリスマスシーズン到来で当社も活気付いてます。
毎年クリスマスの時期は当社開発部メンバーがいろいろなお店に行き、売り子として店頭に立ちます。
そして、トップマネジメントは翌年からの方向性のヒントを感じ取るために、活気付いている売り場を見て回ります。
現場を見て回ると、「ちょっとしたこと」でも気がつくのです。
人間は「定義付け(先日のブログの中では「レッテルを貼ると表現しました」)」をしてしまう生き物です。一度定義付けてしまうとなかなか能動的にその定義を変えられないものです。
しかし、その定義を変える方法があります。「体感する」ことです。仕事では「現場を見て回る」ことでそれを体感できます。そしてクリスマスで売場が活気づいている今は絶好のチャンスなのです!お客様がいっぱいでモチベーションは上がるし、何が売れているのかレジに並ばれているお客様を見れば一目瞭然だし。
このことはトップマネジメントになればなるほど必要なことなのです。(だって、トップマネジメントは最終判断をするのが仕事でしょ。だからポイントをちょっと間違えれば大きな間違いにつながるし、もしポイントを間違っていたらちょっとポイントを調整すればいいし。)
これをしないで貼ってしまったレッテルが正しいと思い込み物事を進めると気がついたときには全く違う場所にいたりします。
いつもなら見落としがちなこの「ちょっとしたこと」がその後を大きく変えるのです。
そのちょっとした変化に合わせ会社も「ちょっとだけ」変えるのです。
アイデスのインダストリアルデザイナーT君の趣味は「狩猟」です。
狩猟期間は丹沢で鹿を追いかけ、それ以外は宙に舞うお皿を追いかけているとのこと。
鉄砲はちょっと照準を動かしただけで標的に正確に当たりません。
逆にちょっと照準を調整すると当たるようになります。
目の前の1°(いちど)の変化は、時間の経過に伴い非常に大きな変化に結びつくのです。
毎年クリスマスの時期は当社開発部メンバーがいろいろなお店に行き、売り子として店頭に立ちます。
そして、トップマネジメントは翌年からの方向性のヒントを感じ取るために、活気付いている売り場を見て回ります。
現場を見て回ると、「ちょっとしたこと」でも気がつくのです。
人間は「定義付け(先日のブログの中では「レッテルを貼ると表現しました」)」をしてしまう生き物です。一度定義付けてしまうとなかなか能動的にその定義を変えられないものです。
しかし、その定義を変える方法があります。「体感する」ことです。仕事では「現場を見て回る」ことでそれを体感できます。そしてクリスマスで売場が活気づいている今は絶好のチャンスなのです!お客様がいっぱいでモチベーションは上がるし、何が売れているのかレジに並ばれているお客様を見れば一目瞭然だし。
このことはトップマネジメントになればなるほど必要なことなのです。(だって、トップマネジメントは最終判断をするのが仕事でしょ。だからポイントをちょっと間違えれば大きな間違いにつながるし、もしポイントを間違っていたらちょっとポイントを調整すればいいし。)
これをしないで貼ってしまったレッテルが正しいと思い込み物事を進めると気がついたときには全く違う場所にいたりします。
いつもなら見落としがちなこの「ちょっとしたこと」がその後を大きく変えるのです。
そのちょっとした変化に合わせ会社も「ちょっとだけ」変えるのです。
アイデスのインダストリアルデザイナーT君の趣味は「狩猟」です。
狩猟期間は丹沢で鹿を追いかけ、それ以外は宙に舞うお皿を追いかけているとのこと。
鉄砲はちょっと照準を動かしただけで標的に正確に当たりません。
逆にちょっと照準を調整すると当たるようになります。
目の前の1°(いちど)の変化は、時間の経過に伴い非常に大きな変化に結びつくのです。
集中力
先日の「将棋で脳を育てる」の中で、茂木先生は次のことをおっしゃってました。
「1つのことで集中力が身につくと他のことでも集中できるようになります。」
そうなんです。一回集中力をつけると他のことにも集中できるようになるのです。
集中するまでに至る過程を身につけ、集中が必要な時に同じ過程をたどるということでもいいと思います。
集中したことのない人が一気に集中することなんて不可能です。
集中することになれるということが重要だと思います。
この能力は「避難訓練」のようなものと異なります。避難訓練は複数の人間で規則正しく、順序良く行うことを目的に行われますが、集中力を鍛えるということは一人の精神力(=メンタル)を鍛えるものなのです。
今、私は集中するときに必ずコーヒーを飲むところから入ります。昔は集中しているかどうかを確認するためのツールとして音楽を聞いてました。集中すると音楽が聞こえなくなっているのを集中が途絶えたときに気がつきます。コーヒーはきっかけです。私は「コーヒーを飲むこと」=「集中すること」というレッテルを貼っています。パブロフの犬のように。
他にも似たようなことがあります。プレゼンテーションなどを多くの人の前でやることがあります。その時に私がやることは、「今日は誰にしようかなぁ」ということです。つまり話す内容は自分自身の思ったことなのですがプレゼンテーターは実は自分ではないのです。
ある時は「古畑任三郎」になったり、ある時は某社の経営者になったり・・・とにかく発表するときは誰かになりきってしまうのです。そうすると緊張もなくなり自然な発表ができるのです。そういう訓練をしているのです。
また集中する長さも鍛錬によって伸びることも経験してます。
メンタルトレーニングは、自分自身の土俵で相撲を取るための訓練だと考えてます。
どんなことが起きても曲がらない不屈の精神力。
ただし、相当大きなことが無い限りその器は大きくならないと思いますが、、、器を大きくする方法はただ一つ。場数を踏む=経験をするということだと思います。そして失敗することだと思います。
「1つのことで集中力が身につくと他のことでも集中できるようになります。」
そうなんです。一回集中力をつけると他のことにも集中できるようになるのです。
集中するまでに至る過程を身につけ、集中が必要な時に同じ過程をたどるということでもいいと思います。
集中したことのない人が一気に集中することなんて不可能です。
集中することになれるということが重要だと思います。
この能力は「避難訓練」のようなものと異なります。避難訓練は複数の人間で規則正しく、順序良く行うことを目的に行われますが、集中力を鍛えるということは一人の精神力(=メンタル)を鍛えるものなのです。
今、私は集中するときに必ずコーヒーを飲むところから入ります。昔は集中しているかどうかを確認するためのツールとして音楽を聞いてました。集中すると音楽が聞こえなくなっているのを集中が途絶えたときに気がつきます。コーヒーはきっかけです。私は「コーヒーを飲むこと」=「集中すること」というレッテルを貼っています。パブロフの犬のように。
他にも似たようなことがあります。プレゼンテーションなどを多くの人の前でやることがあります。その時に私がやることは、「今日は誰にしようかなぁ」ということです。つまり話す内容は自分自身の思ったことなのですがプレゼンテーターは実は自分ではないのです。
ある時は「古畑任三郎」になったり、ある時は某社の経営者になったり・・・とにかく発表するときは誰かになりきってしまうのです。そうすると緊張もなくなり自然な発表ができるのです。そういう訓練をしているのです。
また集中する長さも鍛錬によって伸びることも経験してます。
メンタルトレーニングは、自分自身の土俵で相撲を取るための訓練だと考えてます。
どんなことが起きても曲がらない不屈の精神力。
ただし、相当大きなことが無い限りその器は大きくならないと思いますが、、、器を大きくする方法はただ一つ。場数を踏む=経験をするということだと思います。そして失敗することだと思います。