モコモコグラフィティ Pigg 本店
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モコモコグラフィティ 2026年3月21日 ニール・セダカ追悼 デビューするまで

今日のリクエスト 鬼こっこさんが挑戦的なおハガキをくれました

「映画ロミオとジュリエットのサウンドトラック盤からかけてください まーしーさん持ってるかな?」

ところが私 持ってるんですよ なぜならオリビア・ハッセーは私が小さい頃から一番好きな映画女優さんですから

Xでオリビア・ハッセーを「世界で一番好きな顔」だとツィートしたらなんとご本人が「いいね❤️」してくれました

私の宝物です

というわけで1曲目はこのサントラLPから 吟遊詩人が歌う主題歌をお送りしました

1 ロミオとジュリエット 「主題歌」

 

さてさて 今日の特集は先日お亡くなりになったニール・セダカの追悼企画その1

小学生だった私がオールディズのことを好きになるきっかけを与えてくれた重要人物 歌手として作曲家として大好きな方です

今日は最初のヒット曲を出すまでの物語です

 

ニール・セダカ 1939年ニューヨークのブルックリンで生まれました

両親とも東欧ユダヤ系移民の末裔です 

世代的にはエルヴィスの4歳下、ジョンレノンの1歳上、ポールアンカの2歳上、キャロルキングの3歳上ということになります

6歳からピアノ教室に通って、音楽的才能を磨いておりました

13歳の頃 ここからは私の想像ですが、お母さんが近所の主婦の集まりで息子の自慢したんですね

「うちの子はピアノを習っていて、作曲とかもしちゃうのよ〜」という感じで

そうしたら同じアパートの5階に住んでいる(セダカ家は2階)グリーンフィールドさんという方が対抗してきたんですね

「うちの息子は詩を描いてるのよ〜 あらそうだ うちの子が詩を書いてお宅の息子さんが曲をつけたら良い曲できるんじゃないかしら」

というふうに話がまとまって

ある日セダカ家にハワード・グリーンフィールドくんがやってきたんです

お母さんの言いつけでお邪魔しました ニールくんと曲を作れって」

この時ハワード君は16歳 ニールの3歳年上 日本で言えば中学2年生のところに高校2年生がやってきたのに当てはまります

その年代では相当年上な感じですよね 最初はニール君は嫌だったそうなんですが母親の命令なので渋々一緒に曲作りに励みました

そのうち仲良くなり、このコンビがその後数多くの名曲を作る作曲家チームとなるのです

さて その後ニール君は高校進学、ハワード君は高校卒業 ハワード君は自分たちで書いた曲を持って色々売り込みに行きます

1956年 ニール17歳の時やっとアトランティックレコードが興味を持ってくれました

1枚はクローバーズという黒人コーラスグループに、もう1曲はクッキーズという黒人女性グループに どちらもシングルのB面曲だったのですが、これがセダカ&グリーンフィールドの曲がレコードのなった最も初期の例となりました

 

2 クッキーズ「Passing Time」 

 

しかしB面だったこともあり 全くチャートには入りませんでした

 

その頃 高校生活を満喫していたニール君 学校が終わるとピアノ教室に通い、ハワード君と曲作りもして、さらに同級生を誘って自分でコーラスグループを結成します リンク・トーンズと名乗っていろんなイベントで歌っていました

その頃リンク・トーンズの追っかけをしていたのがおませな中学生のキャロル・クラインちゃん(のちにキャロル・キングの芸名で歌手デビューします)でした

1957年ニール君18歳の時 リンク・トーンズは「トーケンズ」と名前を変えてメルバレコードというマイナーレーベルからプロデビューします その時のメンバーは ニール、ハンク・メドレス(メガネ)、ジェイ・シーゲル、シンシアの4人組です

A面はハンク君がリードボーカル 曲はもちろんセダカ&グリーンフィールド作

3 トーケンズ「I Love My Baby」

B面はニールがリードボーカル これがレコードになった最初のニールの歌声です

4 トーケンズ「While I Dream」

 

これは地元だけで小ヒット、ニールはトーケンズを脱退します シンシアとジェイも抜けて 残ったハンク君はメンバーを新たに加えてトーケンズはその後も活動を続けました そして1961年「ライオンは寝ている」でチャートNo.1を記録 めでたく人気グループとなりました

 

さてニール君ですがこの頃高校を卒業して 音楽の名門ジュリアード音楽大学に入学 その方わらソロ歌手として2枚シングルを出しています

 

5 ニール・セダカ「Laula Lee」

6 ニール・セダカ「Ring A Rockin'」

2枚ともヒットはしませんでした

 

翌1958年 ニール19歳の時 作曲家チームとして「アルドン・ミュージック」という出版社と契約することとなりました

「アルドン」 できたばかりの出版会社でニールのコンビはその第1号の契約作曲家でした

アル・ネヴィンズとドン・カーシュナーの二人が作ったので 「アルドン」という名前です

この社長のドン・カーシュナーという人(のちに大物プロデューサーになります)は元々ボビー・ダーリンの作曲パートナー兼マネージャーだった人 当時ボビー・ダーリンはまだ売れる前でしたがコニー・フランシスと付き合っておりました

コニーの方もまだ駆け出しでしたが、1曲「Who's Sorry Now」がヒットして次の曲を探していたのですね

その情報をボビーから聞いたカーシュナーは唯一の契約作曲家チームをコニーの元に派遣します

スタジオでコニーとセダカとグリーンフィールドとボビーも同席していたらしいのですがセダカは自作曲を順番にコニーに聞かせました

「Who's Sorry now」がバラードだったのでバラード調の曲を聞かせたのですが反応がイマイチ、そこでロックンロールタイプの曲を聞かせたところ「これ 歌いたい 私にちょうだい」となったのが「間抜けなキューピット」見事14位のヒットになります

セダカ&グリーンフィールドの作曲した曲が100位以内

に入ったのはこの曲が最初です 

7 コニー・フランシス「間抜けなキューピット」

その後コニーはこのコンビの曲を多くヒットさせます 相性が良かったのでしょうね

 

さて初のヒット曲をものにしたセダカ&グリーンフィールドのコンビにドン・カーシュナーが持ってきた次の仕事は

リトル・アンソニー&ザ・インペリアルズの「Tears On My Pillow」に続く曲を書くことでした

ニールはそっくりなバラード曲を作曲して提供しました

8 リトル・アンソニー&ザ・インペリアルズ「Teard On My Pillow」1958年4位

9 リトル・アンソニー&ザ・インペリアルズ「The Diary」

 

ところが録音はしたものの 大人の事情でボツになってしまいます(代わりに出した他の作家の「So Much」という曲はヒットしませんでしたが)

 

そこでドン・カーシュナーが閃いたのが ニール・セダカ本人に歌わせようというもの

早速RCAという大手レコード会社に話を持って行きました

1958年10月27日ニューヨークのスタジオで「The Diary」を録音します

10 ニール・セダカ「The Diary(demo)」

サックスにキング・カーテスを起用して ムード歌謡みたいなサックスをフューチャーしたバージョンでしたが カーシュナーはダメだしをします

そこでニールは コニーの「間抜けなキューピット」の編曲をしたチャック・セーグルに再アレンジを頼みました

10月30日セーガルの新アレンジで「The Diary」を録音 これがシングルになったバージョンです

アレンジャーが変わると、曲の雰囲気がガラッと変わるという証明になりました その後初期のニールの曲はセーグルが編曲を手がけることとなります

 

11 ニール・セダカ「The Diary 恋の日記」

 

見事14位になり ニールは人気歌手の仲間入りを果たすのです その後の活躍は次回のお楽しみ

最後にニールの歌う「間抜けなキューピット」を

12 ニール・セダカ「間抜けなキューピッド」

 

ではまた来週〜〜

 

 

 

 

モコモコグラフィティ3月14日 マッスグローチさんをゲストに迎えて

さてさて今日のモコモコは特別企画

マッスグ ローチさんをゲストにお迎えしました

ジャズドラマーで漫談家

最近は歌手として活動されています

名古屋市の公認ストリートミュージシャン 同じ公認ミュージシャンには有名なサックス侍さんもいらっしゃいます

 

そんなマッスグさんは私の小学中学の先輩なので昔から親しくさせてもらっています

今日は2年と2ヶ月ぶりにスタジオにやってきてもらい ギター弾き語りで生歌を披露していただきました

選曲は私に相当気を遣っていただいたようで 優しい方です

素敵な歌とお話しありがとうございました

6月には隣の多治見市でワンマンライブされるそうです 私も是非見に行かせていただきます

 

では演奏された曲を

 

1 君の友達 〔キャロルキング〕

2桜色舞うころ〔中島美嘉〕

3オールウエイズ オン マイ マインド〔プレスリー、ウイリーネルソン〕

4木蓮の涙〔スターダストレビュー〕

5雨に微笑みを〔ニールセダカ〕

 

日本の曲は意外な選曲でしたが 最近はこのタイプの楽曲もレパートリーにしているそうです

 

心に染みる歌声 堪能しました

優しい低音のムードある歌声なんですよね

 

また是非来てください ありがとうございました

モコモコグラフィティ 2026年3月7日 ひな祭りガールシンガー特集

あっという間に3月ですね

今週中に水曜日に虫歯になって痛くなっていた親不知を抜いてきました

まあ 麻酔が効いているので痛みは無かったですが、もし麻酔が無かったらと思うと

あれ ペンチで歯を引っこ抜かれるわけですから、、拷問ですよね😆

医学の進歩に感謝です 歯科医の先生ありがとうございました

 

さて今日の1曲目は「鬼こっこ」さんからのリクエスト 木村カエラの歌う「タイムマシンにお願い」

オリジナルはサディスティック・ミカ・バンド FMららがスタートした時モコモコは2時間番組だったので、1時間は「モコモコグラフィティ」で洋楽 もう1時間は「モコモコバラエティ」として邦楽をかけておりましたがその「モコモコバラエティ」のオープニングに使っていたのが「タイムマシンにお願い」なんですよね モコモコとは縁のある曲 そして日本のロックンロールでは「ファンキーモンキーベイビー」と並んで私の大好きな曲のベストワンなんです

木村カエラのは2006年にミカバンドが再結成した時ゲストボーカルに木村カエラを迎えてアルバムとライブを行った時に、吹き込まれたものです

1 サディスティック・ミカエラ・バンド「タイムマシンにお願い」

 

さて毎年3月の1週目は「ひな祭り企画」としてガールシンガー、ガールグループを特集しておりますが

今年は 先週シール・セダカの訃報が入ってきましたので追悼企画としてニールが歌って、作曲した曲をガールシンガーが歌っているものを集めました

 

2 コニー・フランシス「間抜けなキューピット」

3 リトル・エヴァ「悲しき慕情」

4 ディー・ディー・シャープ「カレンダー・ボーイ」

5 ヘレン・シャピロ「小さい悪魔」

7 レスリー・ゴア「マジック・カラーズ」

8 ワンダ・ジャクソン「フォーリン」

9 コニー・フランシス「ボーイ・ハント」

10 パティ・ドリュー「Working On A Groovy Thing」

11 キャプテン&テニール「愛ある限り」

12 カーペンターズ「ソリテアー」

 

名曲のオンパレードですね

ニール・セダカの特集は改めてしますのでお楽しみに

 

もこモコグラフィティ 2026年2月21日 2月28日 HI レコード

2月21日、28日の2回に渡り サザンソウルの名門「HI レコード」を特集しました

オンエア曲は以下の通り

 

21日

1 Bill Black's Combo「Smokie Part2」

2 Ace Cannon 「Tuff」

3 Willie Mitchel 「20−75」

4 Don Bryant 「With Your Hand」

5 Ann Peebles 「Come To Mama」

6 Ann Peebles  「Love Vibration」

7 Otis Clay 「Trying To Live My Life Without You」

8 Syl Johnson「Back For A Taste Of Your Love」

9 O V Wright「Precious Precious 」

 

28日

1 Al Green 「Tired Of Being Alone」

2 Al Green 「Let's Stay Together」

3 Al Green 「Take Me To The River」

4 Al Green 「Love and Happiness」

5 HI Rhythm Section 「On The Loose」

6 Jean Plum 「Look At The Boy」

7 Bobby McClure 「Doing It Rite On Time」

8 Bobo Mr Doul 「Hitch Hike To Heartbreak Road」

 

かっこいい曲ばかりで盛り上がりました

 

上記以外では

冬季オリンピック フィギアスケート・ペア「リクリュウ」のSPの曲

1 ローリング・ストーンズ「黒く塗れ」

鬼こっこさんのリクエスト

2コニーフランシス「ヴァケイションの日本語バージョン」

 

梅吉っさんの娘さんの高校合格を祝って

3 クリフ・リチャード「Congratulation」

4 リッキー・ネルソン「Congratulation」

をおかけしました

 

28日の生放送中にリスナーさんのメールで

ニール・セダカの訃報を知って ショックでたまりません

おお ニール 

私が一番好きな作曲家 と言ってもいい人です

もちろん歌手としても大好きです

ニール・セダカについてはまた改めて振り返りたいと思います

ご冥福を

 

モコモコグラフィティ 2026年1月23日 & 1月31日 スティーブ・クロッパー追悼

2回に渡りスティーブ・クロッパーを追悼しました

サザン・ソウルの裏方としてギタリスト、作曲家、プロデューサーとして支えた方です

若い頃はこんな細面のイケメンでしたが

晩年は貫禄が出ていましたね 

 

さてスティーブ・クロッパーは1941年ミズーリ州で生まれ、14歳の時にテネシー州メンフィスに引っ越しました

これが彼の運命を変えることになります

ギターを覚えたスティーブ少年は高校の同級生と「マーキーズ」というアマチュアバンドを結成

メンバーの中に、あのスタックス・レコードのオーナーの息子がいたことでスタックス・レコードと関わりを持つことになります

そのまま「マーキーズ」としてプロデビュー

その後マーキーズを抜けて、ブッカーT&ザ・MG’Sを結成

グループでヒット曲を連発するだけでなく、スタックス・レコードで録音する他の黒人歌手たちのバック・バンドを務め、作曲した曲を提供したり、スタックスではスカウトやエンジニアもこなしていました

70年代にはグループ解散によりスタックスを離れ、数多くの歌手のバックでギターを弾きました

そしてなんと言っても1978年のブルース・ブラザーズに参加

映画にも出演してその名を世に知らしめました

ということで2回にわたって放送した曲です

 

1月23日

1 マーキーズ「ラスト・ナイト」(マーキーズのデビュー・ヒット、しかしクロッパーは参加していないのです)

2 マーキーズ「Who's Happning」(正真正銘クロッパーが参加した曲)

3 ブッカーT&ザMG's「グリーン・オニオンズ」(この曲です あのギターは誰だ と一躍有名になった代表曲)

4 ウィルソン・ピケット「In The Midnight Hour」作曲もピケットとクロッパーの共作 なんでもホテルの部屋で作ったのだとか)

5オーティス・レディング「セキュリティ」

6サム&デイブ「ソウル・マン」(クロッパーのギターリフあればこその曲)

7エディ・フロイド「ノック・オン・ウッド」

もう有名な歌手と有名曲のオンパレードです

8オーティス・レディング「ドック・オブ・ザ・ベイ」(この名曲もオーティスとクロッパーの共作)

 

1月31日

1 ブッカーT&ザMG's「Time Is Tight」

2 スティーブ・クロッパー「Funky brordway」(数少ないソロアルバムの1作目から)

3ブルース・ブラザース「ソウル・マン」

4「ソウル・フィンガー」

5「グルーブ・ミー」

6ブルース・ブラザース2000「リスペクト」(withアレサ・フランクリン)

そして参加した大物歌手の作品

 

7レボン・ヘルム&RCOオールスターズ「Milk Cow Boogie」

8 リンゴスター「Step Lightly」

9ロイ・オービソン「The Only One」

 

最後は1994年 MG'Sが再結成したアルバムから

10ブッカーT&ザMG'S「 Mo Green」

いかがでしたか

名曲揃いでした ご冥福をお祈りいたします

 

 

 

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