本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめNBAスーパースター列伝バスケ」 です。

 

 第130回は、チャールズ・オークリー

 

 

 同時代のやはり強力なパワーフォワード、チャールズ・バークレーとまぎらわしい、と昔から言われてます(笑)。

 

 1963年オハイオ州クリーヴランド出身。

 地元高校で才能を見出され、進学したバージニアユニオン大はNCAAでも二部のリーグでした。それでも1985年NBAドラフト、1巡目9位という高評価でクリーヴランド・キャバリアーズが指名。直後にシカゴ・ブルズにトレードされます。

 

 当時のブルズはマイケル・ジョーダンがルーキー。1年後輩とはいえ同い年のオークリーとは親友になり、このコンビがブルズ躍進の基礎となります。

 

 6ft9in(206cm)のパワーフォワード。とにかくタフネスを誇るフィジカルが持ち味で、リバウンドとディフェンスに特化したプレースタイルのおかげでジョーダンは活き活きとシュートを決めました。1986-1987シーズンのジョーダンは平均37.1得点をマークしたので、その相性がわかりましょう。

 

 オークリー自身もその年平均14.5得点 13.1リバウンド。

 1986年3月15日のバックス戦で35得点26リバウンド、1988年4月22日のキャブス戦では26得点35リバウンドと驚異的なスタッツを挙げています。まさにチャールズ・バークレーに匹敵するリーグ有数のパワーフォワードに君臨しました。バークレーと直にマッチアップした試合では乱闘をやらかしたほど。

 

 性格は真面目で不器用、面倒見がいいのに無愛想という典型的な親分肌。プレスに追い回される若きスーパースター、ジョーダンの防波堤にもなってくれていました。フロントやコーチにも言いたいことを言う恐れ知らず。

 

 しかしチーム成績はもうひとつ皮を破れなかったので、スコッティ・ピッペンの成長に手ごたえを感じたフロントは、インサイドをホーレス・グラントに託すことにし、センター補強を画策。うるさいオークリーを放出し、ベテランのビッグセンター、ビル・カートライトをニューヨーク・ニックスから獲得することにしたのです。

 

 この決定にジョーダンは大ショック。フロントに談判して撤回を求めたほどでした。当のオークリーはこれがプロの世界、と受け入れています。結果的にこのトレードは大正解で、ブルズはNBAファイナル3連覇を達成するのですから、友情とチームケミストリーは別物。これがプロスポーツの厳しさというものでしょうか。

 

 

1980~90年代有数のリバウンド職人

 

 

 ニックスに移籍したオークリーはパトリック・ユーイングジョン・スタークスとチームメイトになり、10年間に渡ってマジソン・スクエア・ガーデンのゴール下の番人でした。1994年に一度だけNBAファイナルを経験するも、チャンピオンリングに縁がなかったのは、6度王者になったジョーダンと比べると不遇と言えましょう。

 

 1998年から3年間は若きヴィンス・カーター、トレイシー・マクグラディのサポートを務めると、現役晩年の2002年にはワシントン・ウィザーズで、2度目の現役復帰してきたジョーダンと15年ぶりにチームメイトになる奇遇がありました。40歳になった2004年、19年間もの長いキャリアに終止符。

 

 引退後はアシスタントコーチを務めたこともありますが、メインは車のメンテナンス場を経営したり、ステーキハウスチェーンに出資するなど堅実な実業家の顔です。

 

 近年の話題は、マジソン・スクエア・ガーデンのオーナー、ジェームズ・ドーランとの抗争でしょうか。彼に暴力を振るったの振るわないので騒然となりました。どうやらニックスファンから罵倒されたのにキレたドーラン氏が、警備員に命じてそのファンを暴力的につまみだしたところに居合わせたオークリーが、それはやりすぎだと憤慨したらしい。

 

 ドーラン氏はオークリーをマジソン出禁に。NBAコミッショナーのアダム・シルバー氏やマイケル・ジョーダンまでが仲裁に入る騒動となりました。誰が相手でも我を曲げないオークリーの鼻っ柱はいまだ健在のようです。