本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめNBAスーパースター列伝バスケ」

 

 第166回は、ビル・ウォルトン です。

 

 

 1952年カリフォルニア州サンディエゴ出身。

 父は音楽教師、母は図書館司書で敬虔なカトリック。2男2女に楽器を習わせ家族バンドを組むほどの音楽一家でした。ビルはホルンを吹いていたとか。

 

 トロンボーンを習っていた兄ブルースがやがて音楽よりフットボールに夢中になると、ビルも急に背が伸びたことでバスケットボールを薦められます。吃音もあってごく内気な性格だったので、言われるがまま始めてみると、めきめき上達しました。

 

 地元高校のバスケット部では、兄ブルースもフットボールとかけもち。兄弟でコートに立ちます。背は伸び続けているのに激しい練習のおかげで早くもヒザ軟骨、足首、脛と故障に見舞われました。

 

 身長は6ft11in(211cm)に達し、支配的なセンターとして圧倒。チームはビル在学期間中62勝2敗、後期は49連勝で高校生活を締めくくりました。

 

 ビルを熱心にリクルートしたのは名門UCLA(南カリフォルニア大LA校)のHCジョン・ウッデン。吃音がコンプレックスのビルを理解し親身に指導したので、ビルは生涯の師と感謝したほどの出会いに恵まれます。

 

 兄ブルースもUCLAに進学しフットボール部に。のちにNFLダラス・カウボーイズに入ることになります。ビルはバスケット部のエースになり、2年生3年生でNCAA連続制覇と大会MVP。

 

 内気な性格も克服したのか、ついでにベトナム戦争反戦デモに参加してロサンゼルスの路上で逮捕、留置所で一夜を過ごしています。とくに将来に影響しなかったのは時代ですねぇ。

 

 ABAからアーリーエントリーを打診されるも卒業まで在籍したビルは、1974年NBAドラフト、ポートランド・トレイルブレイザーズから1巡目1位の指名を受けプロ入り。スーパースター候補の大型ルーキー出現にNBAファンの注目は高まりました。

 

 

コートに立てれば無双のセンター

 

 

 しかしプロ生活は多難。度重なる故障に泣かされます。足首の捻挫や左手首の骨折でルーキー年は35試合出ただけ。翌年も30試合以上欠場しています。

 

 3年目の1976-1977シーズン、ビルは全82試合中65試合出場とまずまず健康を保ち、ビルを攻守の中心に据えるジャック・ラムジーHCのプランがマッチします。ABAから加入してきたモーリス ‟エンフォーサー” ルーカスという相棒とも出会いました。

 

 ビルは平均18.6得点 14.4リバウンド 3.2ブロックとインサイドを支配してブレイザーズは49勝33敗の好成績。プレーオフでいっそうケミストリーが増し、UCLAの先輩カリーム・アブドゥル=ジャバー擁するロサンゼルス・レイカーズをアップセット。

 

 NBAファイナルでは下馬評を覆して ‟ドクターJ” ジュリアス・アーヴィング擁するフィラデルフィア・76ersを4勝2敗で破り、ブレイザーズはNBA王者になりました。MVPは平均18.5得点 19.0リバウンドのビル・ウォルトン。

 

 NBAトップセンターのひとりと認められたビルは翌年に平均18.9得点 13.2リバウンド。出場は58試合でしたがシーズンMVPを受賞します。ケガに泣かされながら個人として頂点を極めたのです。

 

 しかし以後は足首など故障続き。外科手術を受けること37回。強い鎮痛剤を打ち続け、メンタルまで不調に陥ります。ブレイザーズから移籍したサンディエゴ・クリッパーズでは7年のうち3年を全休。

 

 33歳になった1985年、ボストン・セルティックスのオファーを受け入団します。メガスターのラリー・バードを擁して黄金期にあったセルティックスは、レギュラーセンターであるロバート・パリッシュのバックアップをビルに期待したのでした。

 

 短いプレータイムで全力を出せる環境で、ビルはキャリア最多の80試合に出場。セルティックスは1986年NBAファイナルを制し、ビルにとって9年ぶりのチャンピオンリングをもたらしました。

 

 1986-1987シーズン後、14年のキャリアを終えます。14×82でマックス1148試合中、出場できたのは468試合でした。

 

 引退後は吃音を克服し、CBSやNBC、ESPNと主要テレビ局で長くNBAの中継に携わります。解説者に止まらず、実況もやっていたのですからしゃべり達者にまで成長したのがわかります。解説者としては超辛口だったらしい。

 

 

息子ルーク(右)もNBAに そっくり!

 

 

 2003年、息子ルークがNBAデビュー。その名はかつての相棒モーリス・ルーカスからもらったものでした。ロサンゼルス・レイカーズなどで11年プレーし、2009・2010とNBA優勝。ビルとルークは ‟親子でチャンピオンリング2つ獲得” というNBA初の偉業を成し遂げたことになります。

 

 ルークは引退後にコーチとなり、レイカーズやキングスでヘッドコーチを歴任しています。現在はデトロイト・ピストンズのアシスタントコーチ。

 

 ビルは2024年5月、サンディエゴでガンのため71歳で亡くなりました。ケガ続きで悔い多き現役時代だったでしょうが、MVPとチャンピオンリングを採り、息子ともどもNBAの世界で大成したのですから、やはりうらやましい人生と言えましょう。