CompTALK ver.6 -20ページ目

夢の残骸、そして歌。

まず、今日は音楽の話でもなく、

キャンプの話でもなく、写真の話でもなく、

長年続けている霞ヶ浦のゴミ拾いについて。

 

僕のブログやFB、ツイッターなどで

たまに出てくるキーワード

「53pick up」や「防塵挺身隊」や

「水辺基盤協会」などがあるのを

知っている人もいると思いますが、

簡単に言えば釣り人が始めた

水辺の清掃活動です。

 

僕も、もうかれこれ20年ほど

続けてきていますが、

僕個人の感覚では

「ボランティア」という精神も

「いいことしてるぞ!」という

気持ちもまったくありません。

 

むしろ、自分の心と

向き合ってる感じです。

 

他人の捨てたゴミを拾って

自分と向き合うって〜のも

なんだかおかしな話だとは思いますが

 

そこに自分も含め人間の愚かさを

感じずにはいられないのです。

 

ゴミはかつて、

僕らを豊かにしてくれた

いわば「夢の残骸」です。

 

ならば、何故にちゃんと

葬ってあげられないのか?

 

そんな気持ちの方が

僕には多いです。

 

一番いいのは

関東の大事な水源でもある

霞ヶ浦がゴミや汚染物質で

汚されないことです。

 

きっと、そういうことが

全部自分たちに返ってきます。

 

そう、飲み過ぎた翌朝のように。

翌朝ならすぐに反省するでしょう(笑)

そしてすぐに忘れてまた飲んでしまいますが。

 

しかしながらこのような環境問題は

じわじわと蝕んで

取り戻すには膨大な時間と労力が

必要になるわけです。

 

太るのは簡単なのに

痩せる方がお金も時間も労力もかかるのと

よく似てますね(笑)

 

悲しいかな、僕らのゴミ拾いが

周知されるほど

「拾ってくれる人がいるから捨ててもいいでしょ?」

と、思う人がいるのも事実です。

 

ちゃんと捨てるつもりでいても

風に飛ばされて回収てきなかったり

台風で飛ばされてきた家庭ゴミなど

致し方なく水辺のゴミと化したものも

確かにあるでしょう。

 

実際、膨大なゴミのなかから

それらを見分けることはできません。

(不燃可燃の分別はやってますよ)

 

なので、ひとえに善悪では

括れないのですが

それでも明らかに不法投棄されたと

分かるものの方が多いのも実情です。

 

そんな水辺清掃のエキスパート集団

「防塵挺身隊」の活動を少しでも

ご理解いただきたいと思い

2018年からその活動記録として

現場でゴミを拾いながら撮影し

動画を作成してまりました。

 

単なるゴミ拾いではないことは、

ご覧いただければわかっていただけると思います。

釣り人だからできるゴミ拾いなのです。

 

自ら動ける方は力を貸してください。

動けない人は寄付をしてください。

寄付ができなければ活動を理解し周知してください。

そして、一番はゴミをポイ捨てしないでください。

 

それは水辺だけではありません。

国道の中央分離帯とかでも同じです。

 

と、今日はすこし真面目に

ゴミ拾いについてかかせてもらいました。

 

さて、

歌を歌って、キャンプや写真や釣り

そしてゴミ拾い。

まあ、それが僕の人生のほぼ全てを埋め尽くしていますが

 

昨年は声がうまくコントロールできなくて

歌うこと自体ストレスになり

もうやめてしまおうかとおもっていましたが

本当に復活することができました。

 

そして、声が出て歌えるということの

喜びを改めて感じることができました。

 

なので、細々ではありますが

一人でも誰かの記憶や心に残せるものがあるならと

思い、僕はこれからも歌い続けます。

 

もう、大きな場所で歌ことはほとんどないかもしれませんが

それならば生声の力を最大限に生かしたいとおもっています。

 

まず3月21日(木・春分の日)は

また歌舞伎町のCIRCLEで

一人弾き語りをやります。

テーマは二つ。

「生声」そして「新曲」

それこそ、お客さんの真ん中で生声を

聞いていただきたいと思っています。

多分歌いまくるでしょう(笑)

 

そして4月14日(日)

これはまたメンバーに参加してもらって

いつものように歌います。

 

ということで、

春の53upの時は美浦の倉庫だから

またこれでもかーってくらい

声高らかに歌ってみようと思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌い続ける

声が出るということが

本当に嬉しい夜だった。
 
6年前、いや、2019年になったので
7年前の2/14にこのメンツで始めた
横浜KAMOMEでのライブ
「Beautiful Melodies」
 
最終的にドラム、ベース、
パーカッションも加わり
七人編成にまで成長してつづけて来たが
昨年KAMOMEの閉店で
場所的にも継続が難しくなり
途方にくれていた日々。
 
さらに声の不調という負の連鎖で
「これはもう辞めるべきなのか?」
と、さえ思っていた2019年の幕開け。
 
人間だから不調もある。
年齢的な劣化?
喉の故障?
 
さまざまな理由が聞こえてきていたけど、
どれも受け入れることができなかった。
 
往生際が悪いといえばそれまで。
 
ただ、今できることを
するしかないのだろうと。
今歌える歌を歌うしかないと…。
 
しかし…
ある日、昼食後に感じた
いままでにない喉の痛みの後から
なぜか声が出るようになった。
 
それから昨夜のライブまで
自分は本当に復活したのかどうか
不安なまま、戻った声を確認するように
いつも歌っていた。
 
そして、自由に歌えることの喜びを
改めて感じる事ができた。
 
歌い始めた原点は
自分の存在証明だったはず。
 
 
 
中学の時、
特別、勉強ができたわけでも、
スポーツができたわけでもなく
自己表現がうまくできないでいた僕に
いろんな音楽を教えてくれた同級生の市川くん。
そして、なぜかギターくれたクラスの女子。
(今でも曲作りでつかってる)
 
その日から自分の存在を歌う事で
示す事ができることを知った。
 
そして中学の卒業のとき
クラスメイトたちのすべてのサイン帳に
僕は将来はミュージシャンになると書いたのだ。
 
それが始まり。
もう、30年以上も前の話。
 
しかし、
随分といい歳になってしまったもんだ(笑)
 
でも、
歌い続けることを
今、ここで改めて宣言するよ。
 
君が聴きたくなった時に
いつでも来れるように。
どんな小さな場所でも。
なぜなら、それが生きている証明だから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

復活劇を!

忙しさにかまけていたら、もう明日じゃないか!

例のお話の続きはまた今度にして、

(書いてはあるんだよ)

声が戻ってきたので、また出なくなるのが怖いから

毎日確認するように歌ってる今日この頃!

 

完全復活?!

 

といっても、そんな不調だったの?

 

って思うかもしれないね。

でも本当にそうだんだよ。

去年一年間本当につらかった。

 

なので、一応今回はオリジナル曲でいきまっせ。

カバーはやらないです。

 

だって、自分の歌を歌うのは

誰かがカバーしてくれない限り

自分だけだものね。

 

明日、復活劇を見に来てください

All My Love For Youと

もっちーのサックスが冴える

Two For The Roadも歌います。

 

2019年2月14日(木)

新宿・歌舞伎町 music BAR CIRCLE

オープン18時30分、スタート19時

ミュージックチャージ 3000円

 

メンバー

岩本義雄[sax&cho]

青木ゆき[Key&cho]

善明響一朗[g&cho]

渡辺 学[Vo]

 

今回は全て渡辺学のオリジナル曲をお届けします。

その7<ここで撮らせてください>

image

(画像はイメージです)

 

その7<ここで撮らせてください>

 

 雑誌の撮影では、いろんなところに出向いて行き、そこで編集担当者やデザイナーの要望に応えながら、自分のアイデアも織り込んで撮影した。  

 今のようにデジタルカメラではないので、雑誌媒体はポジフィルムを使用するのだが、これが実に露出がシビアでいつも出来上がるまで不安だった。それゆえに思った通りに仕上がるとたまらなく嬉しかった。

 

 音楽雑誌では「貴水博之」や「THE MODS」、「SHAKALABBITS」、「3B LAB」、「TOKU」など。特に貴水博之氏は雑誌で特集があり、そのほとんどを僕が撮影していた。

 

 ちょうど中判カメラなども使い始め、撮影がますます楽しくなったが、けしてギャラが良いとは言えなかった。フィルムなどの感材費などは別途請求できたが、大体、1カットの使用で8000円くらいがギャラだった。感材費は余分も含めて用意し、撮影後は現像代もあるので、最終的に持ち出しは無いにしても、前もって出て行く費用がかかった。しかし、それでもプロラボというプロ専門の現像所に持ち込んで自分の撮った写真があがってくるのは楽しかった。まして、それが雑誌になり全国で販売されて自分の名前も載るのだから嬉しくないわけがなかった。

 

 また、風俗情報誌の撮影も面白かった。というか怪しかった。都内某所のマンションの一室が簡易スタジオになっていて、そこに時間差で女の子がやって来てグラビアのような撮影をした。この風俗情報誌の編集担当もなぜか女性で、すこし俗世間と隔離されたような不思議な雰囲気を醸し出していた。例えるならヒッピーのような、SM女王のようなそんな感じだった。何かを話す時の物腰はとても柔和だったが、素性を聞けるような隙は全く見せなかった。

 

 また、別の撮影ではデリ系の風俗嬢とホテルに行って撮影して来てくれという指令もあった。なんなら、女の子と好きにプレイして来てもいいからと、強面のお兄さんがニヤけて僕に言った。しかし、さすがの僕もそれは断った。まあ、単純に好みではなかったのだが、それ以上にヤク中なみにげっそりと痩せこけて見るからに不健康そうに見えたのだ。

 

 「ライティング一式を持って来るので、どこでも撮れますから、ここで撮影させてもらってもいいですか?」

「ここで?」

「はい、ソファーとか少し動かしますけど」

「構わんけど、まあ、じゃあ、好きにやってや」

「ありがとうございます」

「ホテルで撮影すんだら、女の子と遊んで来てもいいのに…」

「いや、まあそれはありがたいんですけど…」

 

 と、なんとかピンチを切り抜け撮影を開始することができた。しかし、ことあることに奥から「カメラマンのにいさん、好きにヤっちゃっていいからなー」と言ってくる。ほんとに勘弁して欲しかった。

 

 不思議なもので、ファインダーをのぞいて撮影していると、どんなにエロくても美人でも可愛くても、そのファインダーの中だけで終結してしまって、例えば、その女性をなんとかしてやろうなんていうのが起きなくなってくるのだ。実際、撮影中はある種のトランス状態になって、息も心拍数も荒く、その状態で構図やライティングも考え、表情を追ってるとヘトヘトになった。あるグラビアカメラマンは雄叫びあげながら撮影するというが、僕にはその気持ちがよくわかった。

 

 またこの手の撮影に関しては、スタイルの崩れた女の子たちも多く、そんな子たちをいかに良く撮るかというノウハウを学ぶことができた。

 

 僕はとにかく手当たり次第に仕事をもらって来た。今思えば怖いもの知らずで世間知らずというか、それゆえに、ものすごい行動力だったことは間違いない。そんな自分を突き動かしていたエネルギーは経験値とかではなく、ただ根拠のない自信だけだった。

 

 しかし、そんな撮影はまとまってくる時もあれば、月に数本あるかどうかの時もあって、けして生活に余裕ができるわけではなかった。また、それ以上に機材費や感材費が必要だった。

 僕は仕方なく、持っていたヴィンテージのレスポールや録音機材などを売り飛ばしてお金に変えて機材を足し、雑誌での仕事を実績にして友人のカメラマンの紹介を得て、Canonのプロサービス(プロサービスに登録するには最低限の機材数と実績が必要)にプロカメラマンとして登録した。そして、比較的安定して仕事がありそうなブライダル写真もやってみようと思った。僕はまだ30代前半だった頃だった。

 

その8につづく

 

2019年2月14日(木)

新宿・歌舞伎町 music BAR CIRCLE

オープン18時30分、スタート19時

ミュージックチャージ 3000円

 

メンバー

岩本義雄[sax&cho]

青木ゆき[Key&cho]

善明響一朗[g&cho]

渡辺 学[Vo]

 

今回は全て渡辺学のオリジナル曲をお届けします。

その6<若さゆえの無謀>

Susumu Nakagawa  / photo by Manabu Watanabe
 

その6<若さゆえの無謀>

 

 当時、世田谷の八幡山に住んでいた僕は、少し経って隣の部屋に引っ越して来たカメラマンと仲良くなり、ことあるごとに一緒に酒を飲んでいた。そして時々彼に自分が撮った写真を見せて感想やアドバイスをもらっていた。

 

「これくらい撮れたら仕事になるんじゃないですか?」

「いやいや…」

「渡辺さんならできますよ!」

「そうかな?」

「そうですよ」

「でもそんなに甘くないでしょ?」

「いや、でもできますよ渡辺さんなら」

 

 お世辞なのか、そんな褒め言葉を鵜呑みにしたわけではないが、カメラマンの友人にどうやって仕事を取るのかいくつか方法を教えてもらい、ある日、僕は自分が好きな雑誌の出版社に電話をかけて編集者とアポを取り付けるという行動に出ることにした。ダメでもともとだと思ったから怖いものは無かった。それに、じっとしているよりマシだし、たとえ、全く取り合ってもらえななくてもそれでもよいと思っていた。なにはともあれ仕事として写真を撮りたかった。

 

 打ち合わせの帰り、事前に控えた電話番号を書いた紙を片手に僕は麹町の公衆電話ボックスに入った。当時、もちろん携帯電話を持ってはいたが、通話料金が今よりも高かったこともあり、自分から電話するときは専ら公衆電話を使っていたのだ。

 

「お忙しいところ、すみません。フリーのカメラマンをしてる渡辺と申します。編集部の担当の方おねがいしたいのですが…」

「少しお待ちください」

「はい」

「お待たせしました。どういったご用件で?」

 

 電話の声は女性の声だった。

 

「いつも<散歩の達人>を拝見しておりまして、とても写真が素敵なもので、で、もし、撮影の仕事などありましたらと思いましてご連絡させていただきました」

「そうですか」

「もし、お時間がございましたら、一度作品を見ていただけたらと…」

「今はどちらにいらっしゃいますか?」

「麹町です」

「そうしましたら、この後15時くらいに弊社にお越しいただくことは可能ですか?」

「はい、大丈夫です。」

「では、お待ちしております」

「ありがとうございます。では後ほど」

 

 不思議なことに一番最初に電話をかけた出版社は門前払いすることもなく、すぐに時間を作ってくれた。もしかしらら、ただ突然電話をかけてきた僕に興味が湧いただけなのかもしれないが、それでも嬉しかった。

 

 「散歩の達人」という雑誌は、いわゆるコアなタウン情報誌で、この雑誌に使われていた写真のテイストが僕は大好きだった。自分もこんな写真を撮りたいと思っていた。

 

 千代田区神田のオフィスビルにその出版社はあった。一階の受付で編集部の担当者とアポがあることを伝え、案内にしたがって上階のオフィスに入ると、担当者が出迎えてくれた。パーテョションで区切られた応接用のスペースに通された僕は、緊張したまま一人で待った。

 

 しばらくすると、アポを取り付けた時に対応してくれた女性がやって来た。彼女は「おまたせしました」と言いながら僕に名刺を差し出した。その名刺には『編集長』と書いてあった。僕も慌てて名刺を差し出した。それはパソコンプリンターで作った安っぽいカメラマン営業用の名刺だった。

 

「お忙しいところありがとうございます。すみません、突然電話して…」

「いえ、こちらこそ、すぐに来ていただいてありがとうございます」

「お電話でもお伝えしましたが、フリーでカメラマンをやっていまして、そちらの雑誌の仕事がしたいと思いまして、ご連絡させていただきました」

「作品、拝見させていただいてよいですか?」

「もちろんです!」

 

 編集長はデスク上に置いた作品集を手に取ってページをめくりながらしばらく見ていた。僕はそれをじっと見ていた。

 

「いろいろ撮られているんですね」

「ええ、まあ、はい」

「もし頼むことがあったら連絡しますね」

「はい、よろしくお願いします」

 

 と言って、僕の初めての飛び込み営業は終わった。のっけから好印象ではあったが、おそらく社交辞令だろうな、と僕はその時思った。

 

 その日、僕はさらに音楽雑誌社にも電話をかけた。それは、「アリーナ37°」という雑誌で、ここ担当者も翌日会ってくれることになった。

 

 とりあえず、やることはやった。ただ、実際に仕事の連絡が来るかどうかは半信半疑だった。いや、むしろ来ない方にリアリティーがあった。それでも僕には妙な充実感があった。こんな風に自分で営業したことなど今まで一度もなかったのだから。

 

 それから、三日後くらいだったろうか、僕の携帯電がなった。

 

「もしもし、散歩の達人の編集部ですが、早速ですが、撮影をお願いしたいとおもいまして…」

「あ、はい」

「来週の水曜なんですが、場所は目黒です。詳細はまた追って連絡いたしますが、スケジュールはいかがでしょうか?」

「あ、ちょっとまってください。予定見てみますね」

「はい」

 

 本当はスケジュールなんてガラ空きだった。

 

「あ、大丈夫です」

「ではお願いします」

「よろしくお願いします」

 

 そう言って電話を切った。嬉しかった。めちゃくちゃ嬉しかった。自分の力だけで、それも飛び込みで仕事が取れたことに感動した。やればできるものだとおもった。さらに後日、音楽雑誌からも仕事をもらうことができた。それはかなり有名なアーティストだった。

 

 その7につづく

 

 

2019年2月14日(木)

新宿・歌舞伎町 music BAR CIRCLE

オープン18時30分、スタート19時

ミュージックチャージ 3000円

 

メンバー

岩本義雄[sax&cho]

青木ゆき[Key&cho]

善明響一朗[g&cho]

渡辺 学[Vo]

 

今回は全て渡辺学のオリジナル曲をお届けします。