島根県の観光スポットのお話
島根県松江市にある国宝・松江城🏯に訪れました。
🔶松江城のお話🏯
松江城山公園⛲から稲荷橋を渡り公園の外に出ました。
そこから塩見縄手の方へ向かいます。
塩見縄手にあるお茶屋さん、塩見茶屋でお茶🍵をしました
🔶塩見茶屋のお話🍵
塩見茶屋の前にある交差点。
この通りが塩見縄手です。
信号機🚥が面白い形をしていますね
塩見縄手は松江城🏯北側の堀沿い、明々庵から小泉八雲旧居までの約500mの通りで、松江城🏯築城の際に城下町が造成されたときに造られた道路の一つです。
縄手とは、城下町で縄のようにひとすじに伸びた道路のことを指します。
一帯は江戸時代の侍町で、1638年に松江城🏯に移り住んだ松平直政の入府以降、城の北側に50石から1000石の中老格の侍屋敷が造られたものです。
塩見縄手の名は、直政の家臣として信州・松本から松江に移り住み、その後の子孫で、かつてこの通りの侍屋敷の中ほどに一時的に住んだ、松江藩中老で町奉行の塩見小兵衛の栄進を記念したことが由来とされます。
現在は2車線の舗装道路ですが、古くは、籠や大八車がやっと通行できる程度の細い縄手道でした。
まず最初に訪れたのが此方の建物です。
小泉八雲は、アイルランド系・ギリシャ🇬🇷生まれの新聞記者 (探訪記者) 、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、英文学者で、明治時代に「知られざる日本の面影」等の作品で日本を紹介しました。
本名をラフカディオー・ハーン といい、1896年に日本国籍を取得して小泉八雲と名乗りました。
八雲は、一時期島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名 (令制国) である出雲国にかかる枕詞の八雲立つに因むとされています。
小泉八雲記念館は1933年11月29日に開館しました。
弟子の落合桌三郎と岸清一の働きにより小泉家から寄贈された22点の原稿をコレクションの基礎とし、小泉八雲記念会から寄贈された書籍350冊を加えて、収蔵品は八雲の遺品、著書、関係図書。資料、妻セツの遺品など約1500点に及びます。
2016年4月よりハ雲の曾孫である小泉凡が館長に就任しています。
小泉八雲のことは知ってはいましたが、記念館を見学したことで、色々と知ることができました
小泉八雲が赴任した中学校の礎石です。
敷地面積1003m2の御屋敷。
八雲の書斎等が展示されています。
くわれもす 八雲旧居の 秋の蚊に
この句は、昭和7年の秋、この八雲旧居を訪れた時に詠まれた句です。
ズラリと並んだ江戸時代の雰囲気が残る塩見縄手の通り。
田部美術館
此方には入館しませんでしたが、島根県の登録企業博物館です。
衆議院議員・島根新聞社社長・島根県知事を務めた23代田部長右衛門により、1979年に財団法人田部美術館として設立されました。
設立時に田部長右衛門から寄贈された田部家伝来の茶道関連の美術品がコレクションの核となっています。
武家屋敷。
長屋門。
長屋門を抜けると庭園と侍屋敷。
面積が約70坪の母屋と中間の住居として用いられていた長屋と長屋門、ほかに裏門、庭園が現存し、建
物は松江市の文化財に指定されています。
館内には刀、槍、難刀などの武器、祐や化粧道具.お歯黒道具など武士の日用品が展示されています。
こんな人形が当時の様子を示してくれています
2月終わり頃に訪れましたから、
雛人形🎎も展示されていました
鼕展示場
出雲地方では太鼓のことを鼕 (どう) といいます。
松江の鼕行列は、打ち面を上に向けた約 1.2 ~ 1.8 mの大きな鼕を据えた山車・屋台を、鼕宮または鼕台といい、多数の老若男女が打ち鳴らしながら引き廻る祭りです。
塩見縄手の通りからは松江城🏯のお堀が見られます。
お堀を走る、堀川めぐりの船。
お堀沿いの塩見縄手公園⛲に喫煙所🚬があったので、船とお堀を見ながら一服休憩
塩見縄手公園⛲は小泉八雲旧宅の目の前にありますので、小泉八雲の銅像がありました。
そしてお堀沿いの道には、造成された当時に植えられた連なった老松の大木があるのですが、曲がりくねった変わった木かありました。
ハートのくぐり松というそうです
枝を切ったところの形がハート♥️の形をしています。
縁結びスポットとなっています
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