まずはバンク比較
REのDr.Sのナースから貰ったコーネル大学病院提携(?)精子バンクの一覧表には以下のバンクが名を連ねていた。 ちなみにCryoとはギリシャ語で ”氷のように冷たい“ という意味だそうだ。 何せ、商品はと~っても低い温度で凍らされていますから…
CryoCalifornia
- Cryogenic Laboratories
Fairfax
New England Cryogenic Center
- Pacific Reproductive Service
Park Avenue Fertility
- Repro Lab
- Scandinavian
- Spermbank of
California
- Sperm Bank of NJ
- Xytex
- Zygen
私の場合、とりあえず全部のウエブサイトに行きいろいろな提供商品の価格やドナーの情報を全て比較した。
本当にたくさんある精子バンクの中からリストアップされたたった12のバンクだが、それぞれを比較するのはスゴク骨の折れる作業だ。
各バンクによって、ドナーの容姿や性格を想像しやすいように工夫をした情報が用意されている。 人種や宗教、髪の色や瞳の色、項目別の基本的医学検査、身長・体重、学歴(学校名はないが高卒・大卒・大学院卒・博士課程などの教育レベル)・職業、生まれた年などの極めて基本的な情報は無料で誰でも見れるが、詳しい情報は有料となる。 最近California Cryo バンクは、ドナーが有名人では誰に似ているか、なんていう情報も無料で入れ始めた。 有名人リストの中に、金城武 もあって、それで検索すると金城武に似たドナーも見つけられるわけだ。果たして白人や黒人には東洋人は皆同じ顔に見えるらしいので、この情報はちょっと信じていいものかと疑う。
ドナーの横顔を黒い影で提供しているバンクもある。 頭の形とワシ鼻・カギ鼻を見分けるには有効だ!
SMCグループには、全てをプリントアウトした、なんていう人もたまにいるが、私はエコ派なのでそれぞれのバンク内で気になるドナーを挙げて、それらの主だった特徴と提供されている有料資料とお値段をガンガンとメモっていった。 出会い系サイトとはちがって写真がないので覚えづらく、どれがどれだったかすぐ混乱してしまう。
バンクによってはBuy Back プログラムというのがあり、これは精子を購入した後でも出荷しない限りは、不要になった場合半額などで買い取るというもの。 Vial(小瓶)単位で売られるが1vialが$250~$700(普通$500前後)するので、不要時に半額でも戻ってくればありがたい。 あと、精子を購入したら、それをその購入元のバンクまたは搬送先の病院に置いておくだけで保管料が1年で$600くらいかかる。 これは特別な冷凍施設で保管しなければならないから。 更に、搬送も液体窒素が詰まった特殊なタンクで凍ったまま超特急便での輸送なので、1回 $200以上かかる。 とにかくSMCになるにはお金がかかる。 こういう話をすると、バーかどこかで知り合って一晩協力してもらえば? という人もいるけれど、やはり病気は怖いし相手が誰だか判っていると逆にトラブルもある可能性がある。 少なくともバンクから購入すれば、メジャーな疾患や病気は検査されていし、相手から親権を要求されるような可能性はない。 アメリカでは、血がつながっていれば結婚していなくても父親にも自動的に親権が発生する。 それをタテに無理な要求や嫌がらせなどされるケースもあるようだ。 そのようなエピソードを読むと、匿名ドナーの方がいいのかなと思う。
同じドナーの商品でも、洗浄の度合いによってお値段がちがう。 ICI(Intracervical Insemination:子宮頸部への人工授精)用はIUI(Intrauterine Insemination:子宮内部への人工授精)用よりもお安い。 IUIは直接子宮の奥深く、卵管に一番近いあたりに注入するので、精液や雑菌をきれいに取り除いた洗浄処理されたものがIUI用なのだ。 でもコーネル付属病院もそうだが、たいていの大病院では解凍してIUIをする直前にもう一度洗浄するのでICI用を購入するように言われた。 洗浄するたびにたくさんの精子が死んでしまうのは容易に想像できる。 購入するドナーを決めてもICI用が売り切れていたら$100ほど高いが、IUI用があればそれを買わなくてはならない。 また病院の方針や個人の希望や解凍後の精子の質にもよるが1サイクルで2Vialsを使用する場合もあるので、最低でも 2Vialsを購入して病院に搬送しなければならない。 前にも述べたが搬送費も高いし売り切れる可能性もあるので、私の年齢の成功確率を考慮すると5~6Vials買っておくのが妥当だろう。 なんと自分の気に入ったドナーをひとり占めしたくて、在庫を買い占める人もいるらしい! また、将来同じドナーで兄弟姉妹を産みたい人も大量買いをするようだ。 私の場合はこの先、兄弟姉妹まで考えるには年齢的にも経済的にも無理と思う。
大手バンクにはたいてい Sibling Registry (兄弟姉妹登録) というのがあって、お互い望めば同じドナーを使って生まれた異母兄弟と連絡をとり合うことが可能なシステムがある。 バンクによって制限数は異なるが、ひとりのドナーから生まれた子供の数が40~100人くらいに達するとそのドナーの販売を打ち切る。 この辺は将来的に法律で定められるようになるのかもしれないが、今はバンク独自で設定している。 もし自分の子供に40人異母兄弟がいて世界中に散らばっていたら……。考えると奇妙だが、楽しそうでもある。
写真によるマッチングサービスを提供している大手もいくつかある。 これは自分や家族や夫の写真、または憧れる有名人の写真(?)を見せて、それに近い感じのドナーを選んでくれるサービスで、料金は$100前後である。
Fairfaxなど、バンクによっては博士号をもつドナーを集めて、より高い値段で売ったりもしている。ドナーの成人時の写真がある場合もあるらしいが、極めて稀だ。 自分が赤ちゃんの時の写真を提供しているドナーは沢山いる。
Repro Labは自分が住んでいるマンハッタンにあるバンクなので、搬送費を節約することができるし、ICI用は1vial $250と最安値だ。 だけど比較的小規模なので、あまりドナーの選択肢がなかった。 同じくニューヨークにある Park Avenue Fertility も安かったが、やはり気になるドナーがいなかった。
いろいろなプロフィールを見て、現実として私とのかけあわせで生まれる子供を想像しているうちに、自分の考えや好みがだんだんと変化してきた。
知り合い?それともバンク?
心理学者にも会ったし、ハイリスク専門医にも会ったし、血液検査も終えたのでREのDr.Sに電話したら、FSH検査の結果は正常値の範囲内で問題ないとのこと。 あとは精子を調達して、生理開始10日目に来るように、と言われた。
さあ、いよいよ精子のお買い物だ。 これはすごく重要なだけに、リサーチに体力と精神力を使いそうだ。ちょっとプレッシャーだけど頑張らねば!
最初は私はAnonymous(匿名)ドナーでなく、Knownドナー(知っている人にドナーになってもらう)を考えていた。 このどちらがいいかは、SMCのグループ内でもよく熱い議論になるひとつの大きなトピックなので、SMCトピックのテーマでいずれまたとりあげたい。
4年前、私がSMCも可能性を考えた頃は、子供を欲しがっている長い付き合いの友人がいて、彼の協力でもいいかなと思っていた。 かなり年上だったその友人も結局独身のまま来てしまい、子供好きな彼は真剣に乗り気だった。 いい人とわかってはいたけれど、彼は私のことが好きだったので、子供が縁で一生つきまとわれることになると想像すると気が進まなかった。 いい人だけど、近くにいると落ち着かない、そう思ってしまう相手だった。 結局、そんな彼の遺伝子に魅力を感じなくなり、やめた。
次に友人の元夫であるゲイの男性が候補にあがった。 もともと友人とその人は長年の友達で、結婚は彼女がグリーンカードを取るためのいわゆる偽装結婚だったので、離婚した今も当然いい友達関係が続いている。 彼は非常に頭もいいし、芸術的センスもあり、ドナーには申し分ない。 2年ほど前に友人と一緒に食事しながら思い切って話してみたら、驚いたことに彼もそのアイデアが気に入って同意してくれた。 熱々のゲイカップルで、彼の傍らにいるボーイフレンドの方も “別に問題ない” と承諾してくれた。 私はやった~と思い、最近またそれを実行に移すにあたって再度彼に打診したところ、やはりそこまで本気でなかったことが判明した。 な~んだ… こんな重要なことを半分冗談で受けてもらいたくない。
次に、サイコセラピストをしている別の女友達が、自分がキューピットになって結ばれた知人のゲイカップルはどうかと言ってきた。彼らはとてもナイスルッキングだしリッチなので、養育費もヘルプしてくれる、と言う。 ついでにそのカップルの片方は永住権がなく、もうすぐビザが切れてしまうので市民権のある私と偽装結婚してあげるのもいいのではないか、と半分冗談で付け足されて二人で大笑い。 まだ他州に行って同性愛結婚したとしても、永住権はもらえないそうだ。 彼らにとって、ヘテロセクシュアルとの同権を獲得する道のりはまだまだ長そうだ。 私は興味があるのでその人たちに会ってみたいと言ったところ、後日彼女から連絡があって、やはりそのカップルもそこまでまだ覚悟ができていない、とのこと。 またか。 まあ、最初から期待はしていなかったけど…。
最後に私が “だめでもともと“ だけどどうしても聞いてみたかったのが、昔付き合っていて別れた後すごく後悔した唯一の人でアイルランド人。 今でもいい友人としてつながっている。 まだ独身だ。 久しぶりに誘い出して、お寿司をご馳走した。 思い切って私のSMC計画を話したところ、”それは素晴らしい” と言ってくれたが、経済的に迷惑はかけないからドナーになってくれないか、と聞いたところ、思ったとおり ”それはできない“ と即答された。 でも聞いてみて私の気が済んだ。 これで万が一、”あの時聞いていれば…“ なんてことはありえなくなったのだから。
これで心おきなく精子バンクの使用にふみ切ることができる。
初めてのREドクターアポ
REとはReproductive Endocrinologistの略で、赤ちゃんを作ることを目的とした不妊治療専門の医者のこと。 NYの短い春である5月のある日、私はDr.Sに初回のコンサルテーションに行きました。
今回英断実行に至った理由を列挙すると、
- 41歳という年齢。 今が限界に近いし、今からトライしてもすぐ妊娠するとは限らない。
- SLEがまたぶり返し2年くらい治癒に時間がかかれば、もう私には一生子供を作る機会はない。
- 両親はまだ健在で、理解を示してくれている。(両親にはまだ一人も孫がいない。)
- この経済危機の中、幸いにも職を失っておらず、健康保険が使える。 アメリカでは州にもよるが何と不妊治療に保険が適用される! もし職を失って日本に帰っても、私には高い不妊治療費を一人で支払うことはできない。 しかも今の私の保険はネットワーク内の医療機関ならば90%もカバーしてくれるし、不妊治療用の1サイクル何十万円もする高価な薬も1万円くらいで買える。 ニューヨークの有名な病院は大抵この保険を扱っている。 やるなら保険がある今のうち!
- 今だったら、仕事もそれほど忙しくなく、繁茂に足を運ぶ必要がある不妊治療も可能。
初回のコンサルテーションは期待したとおり極めて形式的。 私はSLE患者であるが今は小康状態で薬こそは服用しているが主治医である腎臓専門医(Nephrologist)もリュウマチ専門医(Rheumatologist)も今ならば妊娠OKと言っていること、自分は匿名ドナー精子を使う予定であること等を伝えた。 ニューヨークなので医者も別段驚かない。 Dr.Sはまず、ハイリスク妊娠専門医に会うように言い、私に同じコーネル大学病院内のDr.Sy を紹介した。 それから、ドナー選びにも相談に乗ってくれるだろうから、とサイコロジスト(心理学者)にも会うように言った。 同じ階にいる専門のサイコロジストで、私の保険が利かず、50分で$170もとるので、全く気が進まなかったが会えといわれたら仕方がない。 アポをとった。 それから次の生理3日目にFSH血液テストを受けに来るようにと言った。
FSHテストという血液検査は、ある種のホルモンレベルを計ることにより、卵子の残量を推測するものだ。 FSHレベルは普通10以下であればOKとされていて、低いほど卵の残量が多いことを示す。 当然、年齢とともに段々と高くなっていき、月ごとにも変化するものらしい。 半年ごとに検査するのが慣例。
そもそも以前にも、ちょっと試してみたいという理由で何度かサイコロジスト通いをしたことがあるが、私にとっては全くのお金の無駄だと感じた。 ニューヨークでは皆歯医者のように定期的に心理学者のところに話しをしに行くのは全く普通であるし、むしろ裕福な人は皆お抱え心理セラピストがいたりする。 それほど皆ストレスが溜まっているということかもしれない。 心理学の先生は話を聞くだけで何かコメントやアドバイスをくれるわけでもない。 だから今回のアポもお金と時間の無駄であろう、と想像した。 そして実際その通りだった。単なる気休めにすぎない。 ただ私の話をメモしているだけ。 唯一のアドバイスは、最近電話で毎晩話している彼には、折をみて話すべきということだけだった。結局ドナー選びの基準や考え方にしても彼女からのアンサーはなく、個人の好みと言われた。そんなこと当たり前である。 ドナー選びは決断の早い人もいれば、優柔不断で時間のかかる人もいるとのこと。 将来子供に父親について質問されたとき、ドナーによる妊娠をどう説明するか、いろいろと出版されている本が紹介されている書類をくれた。
華奢な若くてお人形のように可愛いナースが、あらかじめドナー利用者の為に作成された、諸々の手順や説明等を述べた書類をくれた。 それにはコーネル大学病院お勧めの精子バンクの一覧(10箇所くらい)がリストアップされていた。 ドナー探しは一筋縄ではいかないだろう…
後日アポの日にハイリスク妊娠専門医のDr.Syに会った。 これも形式的な面会た。今服用しているSLEの薬と量を報告した。 当時私はHydroxychlor(免疫抑制剤)と Cyclosporine(腎臓移植患者の拒絶反応を抑える薬)と コレステロールを下げるLipitorと、(私は元来血圧は低めなのだが念のために更に血圧を下げて腎臓を保護する為に)Lisinoprilを毎日飲んでいた。 Dr.Syは後日私の腎臓専門医(Nephrologist)とリュウマチ専門医(Rheumatologist)に連絡をとり確認して、
IUIを始める時にはLipitorを止めて、妊娠したらLisinoprilを止めるように言った。 私は元来薬は好きな方ではないので、早速両方止めてしまった。 IUIを始める時期について私が、夏が終わったくらいを考えていると言ったら、なるべく急いだ方がいいよ、と言われた。 ああ、やっぱりこの歳だと刻々と確率がさがるんだ…と、警告として妙に深く私の気持ちに響いた。
これが最後?
調度2度目のSMCミーティング参加の頃、これで最後と日系の出会い系サイトに初めてサインアップした。 もう最近は真剣にお付き合いするなら、日本人がいいと初めて思い始めていた。 やはり、自分は将来的には日本に帰る可能性があるし、やはり食べ物や感じ方など同じ文化背景で育った人がラクだという結論に至ったから。 自分ではっきりと分かるが、SLEという病気を持ってから男性の好みもかなり変わった。 本当に心の優しい人でないと、自分が痛くて辛いときかえって一緒にいるのが苦痛になると分かった。 思いやりのない相手なら、一人でいた方がずっとよろしい。 前は背の高い人が好きだったが、今は自分とあまり目線が変わらない人の方に、むしろ安堵感を覚える。 こちらで長身な人は、ホントに日本の電車に乗ったら天井に頭がつくだろうというレベルですので…
初回のアプローチのみが無料ということで、検索してたった一人結果に出てきた男性にメールを書いてみた。 早速返信がきて電話での会話をしたら、期待していなかった分、とても楽しかった。やはり北米在住20年という彼とは、その後も電話で繁茂に話すようになった。 といっても彼はNY州ではなく、飛行機で3時間くらいの他州に住んでいるので簡単に会う機会はない。 そこでWebカメラをお互い購入してSkypeで顔を見ながら話すようになった。 実際に会うとなったら日帰りでは無理なので、リスクのみならず金銭的コストも覚悟せねばならない。そうこうするうち、殆ど毎晩電話やSkypeで話すようになって2ヶ月が経っていった。 彼のように日本で育ったがこちらに長いという、私と似たバックグラウンドを持つ人は色々な面で話が合うので私には理想的だ。
だが、今の私には、彼とゴールインする事を夢見て自分のSMC(Single Mother by Choice)企画を中断するようなことはありえない。 ちょっと前の私ならば“ひょっとして彼が運命の人かも…”などと思い計画を延期したかもしれないが、年齢や病気(SLE)の再発の懸念を思うともはや一刻の猶予もないのである。
SMCの準備を着々と進めながらも、彼からの電話がない日は悶々とする、矛盾(?)した毎日が続いた。
以心伝心
私が38歳の頃は、母親に、知人の男性で子供を欲しがっている人がいるので、その人にドナーになってもらって未婚の母になろうかなという考えをちょっと話してみたら、母は当然自分が協力せねばならないという前提のもと、“私の人生はどうなるのっ!?” とピシャっと拒絶され、私にはそれ以上討議する覚悟は私にはまだありませんでした。
それが、私が
3年ぶりに再度SMCミーティングへ
初めてSMCミーティングに行った3年前は、自分でも全く心の準備はしてなくて、見知らぬ世界をのぞき見るような心境だった。でも今回は違う。自分の中で90%決心が固まっていました。
この2年間で経験した病が私の背中を押したと言っても過言ではない。
初めて行ったミーティングのインパクトが大きかったせいもあり、今回はまず会員名簿から私の家から近い人を探して、Eメールで何度かコミュニケーションをしてから、当日一緒に行くことにした。 彼女は私と同じ年齢だけど、既に2歳の男の子がいる。 フリーでサイコセラピストとして働いているとのこと。 収入レベルの話になって、いろいろ聞いていると、どうも私とそんなに変わらないようだ。でも彼女は親から毎月2000ドル援助があって、それで助かっていると言っていた。 2000ドルは、NYCではナニー1ヶ月分の値段だ。 たまの一人の息抜きにヨガをやるのが楽しみという彼女は、ラッキーにも1回目のIUI(子宮内への洗浄済み精子の人工注入)で授かったとのこと。 伴侶探しはマッチドットコムなどを使っているが、なかなかうまくいかないとこぼしていた。 購入した1ベッドルームのアパートは既に子供部屋を作る為にリフォームしたそうだ。 まだ2歳のその子は割りと大きくて、彼女は“ドナーが身長6フィート4インチ(190センチ以上)ある人だからきっと大きくなるね~”と言っていた。
ミーティングは、既にママになっている人達は午後1時に集まり、子供が戯れて遊ぶ中情報交換をしている。その後で、1時半からは初めて参加する人向けのオリエンテーションも並行して始まり、そして2時からはその他の考え中の人(Thinker)、試み中の人(TTC:Try to conceive)、妊娠中の人(Pregnant) が続々と集まり、皆が大きな輪になって座り、短い自己紹介後に各グループに別れておしゃべりする。 厳しいルールは何もないので、時間も各グループ間の行き来も自由だけど、4時には終了する。
3年ぶりに行ったSMCのニューヨーク支部のミーティングではさすがに顔ぶれが一新していた。前回いた目の血走った美人はいなかったが、皆何で一人なの?と不思議な素敵な女性ばかりだ。 (正直、中には一人 “うーん、一人なのが頷ける” タイプの人もいたが。) またしても殆どが白人で、この時は黒人はいなかった。 一人アジア系の女性が最近生まれた双子の女の子を皆に披露しに来ていて、感動で涙していた。勿論、日本人は私だけだ。
皆私から見れば、仕事を持ち、自立して、話上手でチャーミング。 そして何といっても前向きだ。中にはまだ30代初めの人もいる。 博士号過程在籍中という彼女は、自分のこれからのキャリアパスを考えると海外の途上国で何年も過ごすことになるので、子供を産むタイミングを今のうちから考えているのだそうだ。 確かに、研究と海外生活であっという間に40歳という確率はかなり高い。子供が欲しければ、医療施設が豊富で便利なニューヨークにいるうちに行動を起こすのは、クールな考え方だ。 まだ30歳くらいならば、SMCになる決断よりも必死に相手を探すのが普通だろうが、最初から自分でコントロール不可能な運命を当てにしていない彼女の姿勢が凄いなあと思った。
まだ生まれて数ヶ月(?)の赤ちゃんを抱いた女性は、とにかく迷わずに行動を起こすことを、考え中の人達にひたすら薦めていた。
ある女性は、母親に薦められて自分の受精卵凍結をすでに行ったという。 これを聞いて一同、それは賢いやり方だ、と頷いていた。 だが、当の本人はIUIも既に何回がやっていて、でも今の自分の仕事がかなり忙しくて、状況を考えるとIUIはしたものの、妊娠してなければいいと願った、と不可解なことを言っていた。 結局そのサイクルは不成功に終わったので自分としてはほっとしたとか。 そういう事もあるのだろうか。
今回の私は殆ど決断に近い心境だったので、具体的な病院およびドクターの情報を収集しようと思った。地方だと宗教的な理由からかシングルの女性にはそのような施術を拒んだり、非協力的または批判的だったりする医者がいるようだが、ここニューヨークではそんな心配はない。極めてリベラルだ。私の専らの懸念は、私の加入している医療保険を扱う機関でいいドクターを探すことだ。
グループの中でもひときわエレガントな女性がいた。 ストレートの金髪でうっすらと化粧をして、服や小物の趣味も話し方も雰囲気も、どれもさりげないけど洗練されている。 どーしてこんな女性を世の中の男は放っておくのだろう??? 彼女はもうすでに3回ほどIUIを試みているが、まだ成功していないとのこと。 もちろん人生の伴侶は探し続けているが、先に子供を持って生理的制約による焦りを無くしてから相手を探す方が、いい出会いがあると周囲からも言われるし彼女自身もそう思うそうだ。 確かに、どんな男性だってまともな人であれば出会ってすぐに子供を作りたがる女からは引くだろう。
聞けば、彼女は偶然にも私と同じ健康保険だった。 早速彼女が行っているコーネル大学病院のDr.Sの電話番号をもらった。 明日電話してみよう。 ついでに彼女が使用した精子バンクも聞いてみた。 Xytexとのこと。
まだ皆が話しているいろいろな専門用語(様々な薬や検査や病気など)の意味は皆目分からなかったが、追々私も知るようになるのだろう。 とにかく、2回目のミーティング参加は、私の気持ちもかなり固まっていただけあって、楽しく有意義なものであった。
ネフローゼ症候群
38歳で初めてSMCミーティングに参加してからも、私の中でまだ誰かと巡り会ってめでたく結婚して普通に家庭を持つ期待をぬぐいきれず、また数人の人と出会いお付き合いをしては約半年でブレイクするということが続きました。このくらいの年齢になると、親の世代に病気とかの問題があることが多く、それがきっかけで時間がとれなくなって関係が終わるということが重なりました。
39歳の誕生日前に行ったハワイ旅行で、私は自分の足がむくみ気味であることに気が付きました。少し指で押すだけで、異常に痛いのです。
ニューヨークに戻ってからも、かねてからの念願だったレーザー視力矯正治療LASEKを受けることに専念して、しばらくは足の浮腫みも忘れていました。 そうして2ヶ月ほど経った頃、両足の浮腫みが突然に異常に悪化し、まるで象の足、魔法使いサリーちゃんの足のようになってきました。 主治医に行くとリンパ節も異常に腫れているとのこと。でも原因がわかりません。とりあえず、足を高くするように気をつけること、塩分を控えることを言われ、胸のレントゲンやCTスキャンやさまざまな部位の超音波検査に行くように指示されました。 その後ガン科を含む各方面の専門医をたらい回しにされ、いろいろな検査を受けた結果、腎臓の専門医に行かされました。即、腎臓の生体検査を指示され、とうとう診断が下りやっと薬を処方してもらうことができました。ネフローゼ症候群でした。 原因は現代医学では解明されていない、日本では難病指定のSLE。SLEの診断を受けてしまったのです。日本の有名人では女優の安奈淳さんもこの病気で闘病生活をした後、今は復帰しているようです。病気のショックよりも、やっと診断が下ったことでほっとしました。もう足の浮腫みは極限に達し、皮膚がパンパンに張っているために、階段のように足を曲げなければならない動作はとても辛く、立ってじっとしているだけでもふくらはぎが引きちぎられるような感じの痛みがあるので、地下鉄で立っているときも辛くて、耐え切れなくで床に座り込んでしまったこともありました。見た目が普通なので、誰も席を譲ってくれず冷ややかな目で見られたことが、つくづくニューヨークの都会の冷たさを感じたものです。
手足の指の関節が痛み、マグカップを持つのでさえ片手では痛いので両手で持ち、エレベーターのボタンも人差し指で押せず、手のひらで押していました。
炎症を抑えるステロイドを処方され、その副作用で顔がまん丸になり、体重も増えました。6ヶ月間服用したステロイドは副作用が強かったけれど、その効き目は早くて驚きました。
子供を欲しいと思っていた矢先に襲った病気、当然のことながら腎臓医にも膠原病専門医にも今は問題外といわれてしまいました。命にかかわると。
2年間の闘病生活の間、早く治ってくれないと子供が一生産めない。。。と焦りました。
尿の蛋白レベルが正常にもどり、腎臓医に今なら妊娠してもOKだよ、と言われたのは私が41歳になる少し前でした。
初めてのSMCミーティング
SMC とは Single Mother by Choice の略です。つまり、あえて自分で選択してシングルマザーになる人たちのこと。 これらには共に子育てをするパートナーがいる人(同性愛者のパートナーも)は含みません。
アメリカには1981年に発足したSMCという非営利団体があって、地域ごどに支部があり毎月ミーティングをしたり、日々グループメールで意見交換をしたり、メンバー同士がサポートしあっています。
4年前私が38歳の頃、既に出会いは多いが真剣な相手を見つけるのは困難と言われるニューヨークに住んで11年が経っていました。何度かプロポーズのようなものを受けたこともありますが、その時は相手にそこまでの思いを抱けず結局また一人になるという状態でした。 人種・宗教のルツボであるニューヨークのユニークなデート物語は、それだけで本が書けそうなので、また別の機会にお話したく思います。
当時、$50ほどの年会費を払ってSMCにメンバーになって勇気を出してニューヨーク支部の月一度のミーティングに参加してみました。一体どんな人たちがこのような思い切ったことをするのだろう。 皆かなり経済的に余裕のある人達なのかしら? 相手を得られないほど魅力のない女性達?
$10の参加費で部屋に入ると、30人くらいが集まっていて歩き回る幼児たちもいます。まず全員が輪になるように椅子を並べて座り、一人一人が簡単に名前、年齢、住んでいるエリア、自分がどのステージにいるのかを自己紹介します。
その後で4つのステージのグループ(Thinker:まだ考え中、
当時はまだこの選択は私の頭の中で“最悪のシナリオ”として存在し始めただけで、何の覚悟も前知識もない状態で参加したので、私はちょっと圧倒されてしまいました。最近解雇された人とか、経済的にあまり余裕がなさそうに聞こえる人も積極的に赤ちゃんを作ろうとしているのには正直驚きました。もう一人記憶に残っているのは、すごい美人でまだ30代初めなのに、卵子凍結を何度もしていてすごい勢いで皆にも勧めていた女性。目が少し血走っていて私としては、ちょっとストレス溜まりすぎているのでは…とコワく感じました。私もあとで真剣に卵子凍結を考えて調べましたが、受精卵を凍結するのならいいけれど卵子の凍結はまだ解凍後に受精して妊娠する確立が非常に低いことがわかり、更に私の健康保険はカバーしないので私の中では選択肢に残りませんでした。
当時はまだ精子バンクよりも知人の男性で子供を欲しがっている人がいたので、その人でもいいかな、と思っていました。母親に、私のこの考えをちょっと話してみたら、ピシャっと拒絶され、私にはそれ以上討議する覚悟は私にはまだありませんでした。