日常生活や仕事の中で、時間を守らない、連絡を怠るといった基本的なことができない人と出会うことがあります。たとえその人が思いやりがあったり、他の面で優れていたとしても、こうした基本が守れないと、信頼関係を築くのは非常に難しいものです。今回は、基本ができていない人がなぜ信頼を失いやすいのか、そしてその結果どうなるかを考えてみます。

まず、時間を守らない人は、相手に不安や不信感を与えがちです。約束の時間に遅れる、連絡を見ない・返さないといった行動は、「この人は信頼できないかもしれない」という印象を相手に与えてしまいます。特に、初期の段階でこうしたミスがあると、その印象が強く残り、信頼を回復するのが難しくなります。時間にルーズな人は、相手に「またか」という固定観念を抱かせやすく、信頼を取り戻すのが事実上不可能になることさえあります。

さらに、時間を守れない人や連絡が不十分な人とは、待ち合わせや旅行など、リスクが伴う計画を立てるのが難しくなります。たとえその人が良い友人であっても、重要な予定や一緒に過ごす時間がストレスになりかねません。そのため、そういったリスクを避けるために、信頼ができない相手とは計画を立てること自体を避けるようになります。

また、基本ができていないと、どれだけ思いやりや優れた行動があっても、それが評価されにくくなります。たとえば、相手がサプライズを準備してくれても、約束の時間を守らないことで、そのサプライズの価値が薄れてしまいます。人間関係においては、信頼できる基盤があって初めてプラスアルファの要素が効果を発揮しますが、基本ができていないと、その基盤自体が崩れてしまいます。

結局のところ、基本ができていない人は、どれだけ良い面があっても、それを活かすことが難しくなります。信頼関係を築くには、まずは時間を守る、連絡をしっかり取るといった基本的な行動が欠かせません。これらができないと、どんなに他の良い行動や特長があっても、重要な予定や関係から外されることが多くなります。信頼を築くためには、まずは基本をしっかり守り、それを継続していくことが何よりも大切です。

不信感を上回るほどのメリットがある場合はメリットでカバーできますが、そのようなことは非常に例外的です。

人間関係を築く簡単な方法は、まずは時間を守る、遅れるなら連絡をする、などを基本をしっかり押さえる。幼い頃に母や先生から言われるような基本的なことは、しっかり押さえていきましょう。

 

うまくいく関係には決まった形がある。

 

人間は

「自分が選んで、自分の意志でしているとき」

に幸せを感じる。

「やらされは嫌」なのは誰でも共通するところだ。

 

「自発的、自分が選んでそうした、自分の意志で」

やっているというところがポイントなのだ。

 

 

だから二人の関係がうまくいくときは、

「お互いに」自分の意志でそうしている、ということが

とても重要なポイントである。

 

 

どちらかがやむなくやってる、

仕方なくやってる場合は

大体うまくいかない。

 

 

「お互いに」+「自分がそうしたいからしている」

の2つの条件が一致したときだけがうまくいく。

 

 

その形は一つしかない。

「強いものが負けてやる(自分の意志でそうしている)」

ということだ。

 

 

 

男女関係なら、

力の強い男がその力を行使しない。

いつでも力でひねりつぶせるけど

あえて自分の意志でそうしない。

女が怒り狂っても負けてあげる。

女はそういう器の大きい男に惹かれる。

 

男に力(金、腕力、知性、体力)がない場合は

当然男が負けてやることはできない。

その場合は女側が強いことになるので

女が負けてやるしかない。

経済力で養ってやるか、

言葉の暴力では勝てるけどあえて言わないで負けてやる

といったところだ。

(ただ、相手にその価値があればの話

 女なら無能でもかわいいから大きな価値があるが

 男にはそれがないので成立しにくい)

 

 

同様に、仕事の上下関係でも

 

うまくいく場合は、上司が負けてやる場合だけである。

権力を乱用して関係がうまくいく関係はありえない。

力でねじ伏せられてる関係では

今はやむなく従っているが

いつか必ず仕返しの機会を伺っている。

それか去る準備をしている。

その上司と関係を継続したいと思うことはまずない。

 

 

 

男女関係も上下関係も同じ

 

関係がうまくいくには

強い側が負けてやって平等を演じるしかない。

 

負けてる側が強さを演じることは

うまくいくことは難しい。

 

強い側からすれば弱いものの行動など

完全に見透かしてるので寒いことになる。

劣等感からマウントする人が寒いのはそのせいである。

 

格下が格上に虚勢を張ったところで全てお見通しなのだ。

子猫がいくらまじで怒ったところで

怒っちゃってるね、で終わりだ。

だから、わかったわかった好きにしなさいと

上が下に合わせて負けてやるしかない。

そうすれば関係が構築できる。

 

 

夫婦関係がうまくいってる人は

男が女の尻に敷かれてる事が多い。

 

それは必然であって

その場合、女のレベルが低いから

男があえてそうしてバランスを取っているわけだ。

だから関係はうまくいく。

 

別にレベルが低いのが悪いことではない。

レベルが低いことは可愛さの言い換えでもあるからだ。

仮にレベルが同じ程度なら男も負けてやる必要がない。

その場合、上下というより横一列の対等な関係

パートナー的な付き合いとなる。

対等だから当然うまくいく。

 

 

 

お互いの強さのレベル感をしっかり把握できていれば

あとは強い側が弱い側に合わせてあげるだけだ。

子供のかけっこにお父さんが接戦を演じて

負けてあげるようなイメージ。

喧嘩したときは弱い方に自分の意志で

負けてあげ譲ってあげる。

 

「自分の意志で」というのがポイントだ。

やらされだと気分が悪い。

だからしょうがないな、という気持ちで

自分の意志でわざと負けてあげる。

 

負けてくれた相手はそのうち恩を感じて

お返しをしてくれるようになる。

そしたらWin-Winの関係ができあがる。

 

 

仮に強い側も負けじと張り合ってしまうと

お互いに戦争になる。

弱い方は虐げられ、本音を言えなくなる。

本音を言えないってことは自分の意志ではない。

それでは対立や萎縮してしまい

関係構築は絶対にできない。

 

 

 

いい関係を築きたいなら

相手に勝ってるなと感じる部分だけでいい。

その部分だけは負けてあげよう。

 

 

例えば

女性なら男には口喧嘩では負けてあげよう

いつも家にいるなら家事くらいやってあげよう

男なら女より稼げるんだから奢ってあげよう

力仕事は代わりにやってあげよう

ごみくらい家を出るついでに出してきてあげよう

 

そしたら相手の好感度はアップする。

(負けてやってること、してあげてることに気づかない人、

 相手がしてくれたことに対して恩を感じない人

 は論外だ。関係構築には向いてない)

 

 

 

ただ、あくまで自発的に、自分の意志で、

というのがポイントだから

だからってそれを相手に強要するのは筋違いだ。

察してほしい、と思うのは仕方ない。

だからといってそれを強要するのは明らかに間違っている。

(そういう自分本位な人は

 どうやっても良い関係の構築できない)

 

 

自分が優位なところを認識して、

あえて負けてあげる。

 

そうすることでうまくいくことは保証する。

 

美人とはただの結果である

 

それは、若く「見える」、ではなく「見せている」のだ。

つまり、美人は作れるものであって

意図的に美人でいることを選んで行動し続けている

ということだ。

 

 

美人とはどういうことかというと

顔の造形は10%程度にすぎない(てきとーです)

それ以外の90%は努力で作るものだ。

 

言い換えると

顔がブスでも美人でいることはできる

目が細くても可愛いし

歯がガタガタでもチャーミングだ

造形に良いも悪いもなく、

それは個性だから。

 

 

美人とは、

バランスを取ることができることであり

そのための行動できることであり

 =メンテができる

そのための金銭的精神的な余裕を作ることができ

そのための効率化ができることであり

 =無駄を省くことができる

そのための大事なポイントがわかってることであり

そのための頭がいい、知性があるということであり

そのためのスキルの学習、努力、練習ができることであり

 =やると決める事ができる

そのための環境を自分で選ぶことができることであり

 =友人や付き合う人を選ぶことができる

 =そうしようと行動努力できる

そのための自立していることであり

そのための金銭的精神的余裕があるということでもある

(循環してるイメージ)

 

何がスタートかは状況によるが

とにかく最初に、何かを始めた、行動した人、選択した人、

ということである。


 

 

その結果、美人つまりは

 

能力が高かったり、

人に配慮できる人だったり

仕事ができる人だったり

そのため美しかったり、=バランスが取れてるし

重要なポイントを細かく見れるということであり

性格いい人(実はそうでなくても対人的には)であり

そのため話しやすかったり、

そのため人気があったり、そのため運に恵まれたり、

 

するのである。

 

そして、それだけでなく、

それを「維持できる人」である。

常に気を張って、行動して、メンテして、気を配って

走り続けてる人、なのである。

 

 

学校の運動場のトラックを走り続けるようなもので

どこから、いつ、入るかは

どこからでも、いつでもいい。

とにかく走り始めることが大事だ。

(ビジネスとも似てるなー)

 

 

怠惰で何もしないやつが

 

美人はいいよなー

能力高い人はいいよなー

仕事できる人ははいいよなー

金ある人はいいよなー

モテる人はいいよなー

(すべて結果である)

 

というのはお門違いで

行動すればほとんどの人がなれるし

行動しなければどんな美人でも

いつでも転げ落ちれる。

 

ロケットのエンジンを

噴射し続けたら飛び続けられるし

止めたらいつでも落ちれるのと同じ。

 

そこは平等だ。

 

 

 

 

美人を紐解いていくと

元々は誰でも同じで欠陥の部分は当然ある。

それを、うまく隠したり、克服したり、カバーしたりして

うまくごまかしているだけなのである。

 

 

中身はみんなと同じ

 

嫌なこと言われたら傷つくし

嫌なことを人にいったら嫌われるし

辛いことがあったら精神ぶっ壊れるし

イケメンやエロには反応してしまうし

菓子も酒も好きだし

大事なこと忘れるし

仕事でミスするし

トマトの皮が歯につまるし

うんこや口も臭くなるし

肌は荒れるし、傷はあるし

マヌケな顔になったりもするし

老いて汚くなったり

バランスを欠いたりもする。

一人では何もできない。

 

 

それを「良くしようとする」か

「そのまま放置する」か、

自分の選択次第

なのである。

 

 

美人はそれを

自覚しているし

うまく見せるよう努力してるし

それを継続している

 

つまり

自分で「選んで、行動し、継続」している

のである。

 

美人とは

ただの行動し、継続している

「結果」であり「状態」なのである。

 

「状態」だから行動をやめれば

だれでもいつでも落ちれる。

 

 

 

「幸せ」と

とても性質が似てるなーと感じる。

 

 

 

 

ではまた。

スマホゲームをやってて思うことがある。

 

それはある程度やっても先に進めなくなることだ。

はじめのうちはある程度遊べるが、

途中から課金しなければいけない無理ゲーになる。

(良心的な会社が作ったものなら最後までできるが)

 

課金しててもさらなる課金をしないと

到底かなわない。

時間をひったすら投入すれば無理ではないが

現実的に不可能なことが多い。

(無名の会社が作ったものや、

 無料のゲームはその傾向にあると感じる)

 

諦めて別のゲームをやる

また途中で諦めざるを得なくなる

 

それが何度も続くと

だんだん自分に対しての自信がなくなっていく。

 

現実世界では資格取得など、

頑張ればいずれクリアできるものも多い。

だがスマホゲームの場合は

はじめから不可能なことが多いと感じる。

 

これを繰り返してると

頑張れない努力できない人間になってしまう。

頑張ったってはじめから無理だとわかってるから

すぐに諦めてしまう。

頑張れば状況が変わるかもしれない!ということがまずないから

それを学んでしまうのである。

 

やはり勝てない戦ははじめからしないほうがいい。

倒せそうな相手だけ倒して自分はやれるんだという

自信をつけないと

何事もすぐなげだしてしまうことが更に増えるだろう。

 

そういう意味でやはり悪影響だ。

 

 

さ、僕も昨日入れたアプリを消そう。

 

なかなか結果が出ない人がいる

やりたくないことやってるから上手くいかないんだ

トレードなんかやりたいわけではない

稼ぐ手段としてやってるだけ

だから身が入らない

そもそも金に困ってない

金が欲しいと切実ではない

英語もとりあえず勉強しても意味がない

使う予定もないし興味もない

資格試験はITはやりたいわけではないが、

就職すると決めたから頑張って取れた

だが就職自体がしたくなくて内定もお断りした

 

目的は、自分がしたいことであって、

そのために必要だから好きでもないことも頑張れる

 

でも、完全に意味のないことなら

必ず途中で諦める。

自分がやりたい目的と繋がってないとダメだ

一時的な思い込みでもいいから

意義があることだやりたいことにつながってる

と確信してることが重要だ

本当は無意味でもその時信じられてればよい

 

恋愛と同じだ

未来につながらなくても

本当にあなたのことが好きなら

なんとでもなる、と言う気持ち

やりたいことと好きな人は同じだ

 

まずは自分の本当の欲求は何か

何がしたいのか、何が好きなのか

どんな形が好きなのか

それを明確にする必要がある

 

逆からのアプローチとして

嫌なことはさっさと辞める

イライラする人、不愉快な人、

モヤモヤする人は切る

 

やりたいことはとりあえずやってみる

違ったら他を試していく

10個やって見たらどれかは当たるんじゃないかな

 

未経験ならスクールやレッスンで

習ってみるのがいい

1人で独学で始めると

どうしていいか分からず進まないし

進んでもうまくいかないから必ず挫折する

習えばそれなりにうまくできて

だんだん楽しくなる

先生が導いてくれる

 

自分の好きなことをやろう

なんとなく勝手に選んでやってること

その近くに答えがある

それがヒントだ

 

嫌だな、だるいな

と思うことはさっさと見切りをつけよう

つまらない女とラインするのもやめよう

気が進まない人とも絡む必要はない

嫌な仕事はやめてしまえ

仕事のグループラインも

だるいなら抜けてしまえ

それで文句言うなら辞めてしまっていい

嫌だなと思うことはやめるのが正解だ、

 

自分の行動をよく観察して

自分が好んでること探してみよう

なんか進んでないなと感じるときは
なにか変な足かせに囚われてる可能性が高い。

トレードに執着している
女に執着している
元カノに執着している

仕事に執着している

老後の安定に執着している

稼ぐことに執着している

願望に執着している
自分が知ってることに範囲内に囚われてる

何かの「なければならない」に

 

執着している
こだわってる。
それしかないと思ってる

そうでなければならないと思い込んでる。

生きていなければいけないと

「思い込んでる」だけだ。


だが本来はとても自由なはずだ
それがなくてもいいし、

それじゃなくていい
やらなくていい

他の手段でもいい

将来安定する必要もないし

それじゃなくたって死にゃしないし

人間死ぬときは死ぬ

生き物なんだから死んだっていい

どうせ死んだら意識もないんだから

本来どっちでもなんでもいいはずだ。

 

痛いから嫌だ、というのは意思表示だ

自分が「そうしたい」からそれでいいと思う。

「自分の選択」

「自分が選んだ」は正解だ。

でも

「なければならない」

「ねばならない」

は不正解だと思う。

 

「ねばならない」は

外部から与えられたもの

自分の内面から出たものではない。

自分の個体からすればどうでもいいことだ。

それにこだわるのは間違ってると思う。

 

「自分の内面から自発したものではない」希望期待願望

だから後悔することになる。

 

 


無理なことに抗おうとしてるから
ずっと無理なことに執着してる
だが無理なものは無理なんだ

ときには諦めることも大事。


だが無理なことに抗うことも大事なのも事実。

世の中は矛盾してるものだ。

だがほどほどにね
 

時間を決めて、時間内に突破できなければ

さっさと手放そう。

前に進もう。

 

そしたらバランスよく生きられるはずだ。

朝は別人である

ここでの「朝」の定義は、

「ぐっすり寝て起きたその時点」のことを言っている。

要は「体力や思考力が寝て回復してスッキリした状態」のことだ。

 

 

寝る前は本当に自分がサル化してると感じる。

ものを考えられないし、ちょっとしたことでイライラするし、

仕事の後ならジャンクの暴飲暴食してしまうし、

普段飲まない酒や菓子コーナーをうろついたり、してしまう。

 

怠惰になるし、やることもやれなくなる

言ってはいけないようなことも言ってしまうし

 

寝起きで頭がスッキリしてる「人間」の状態では

絶対にやらないようなことを

平気でやってしまうのだ。

 

しかも半自動的に動いているので

ブレーキが効かない。

我慢しようとしても止まらないのである。

自動人形、ロボット、傀儡(くぐつ)だ。

 

猫にやめなさいと言っても聞かない状態

まさに獣である。

 

 

 

 

獣の状態で暴飲暴食や時間をムダにしてしまうと

翌日だいたい後悔する。

疲れてるときは早く寝ればよかったと。

 

朝の寝起きはつるつるの人間だが

夜になって心も体も疲れてくるにつれて

だんだん尻尾が生え、肌が毛むくじゃらとなっていく

ドラゴンボールの大猿化のイメージだ。

(俗っぽくなるので画像はあえて載せない)

 

疲れてるときは早く寝よう。

まずは人間に戻って思考をスッキリさせる

人間としてまともに生きられているのは一日の前半だけだ。

僕はそう感じている。

 

毎日晩酌や暴食が止まらない人は

おそらく慢性的に疲れてるのではないかと思う。

仕事のストレスや人間関係、将来への不安など

だから酒や菓子に走り、更に疲れる

ジャンクを飲食してるから栄養も不足している、

という負のスパイラルにハマって抜け出せないのだろう。

 

まずはさっさと寝て人間に戻ろう。

朝活だけが人として生きられ

まともな思考ができているのだと、

僕は主張したい。

 

だからその時間をいかにつくり

以下に有効に使うか、考えていきたい。

いや、考えるだけでなく行動したい。

いや、する。

 

 

では。

菓子、酒、煙草、動画、ショッピング、セックス、、

などの快楽系の麻薬

に溺れてる人は病気とか意思が弱いとかではない。

 

やりたいことを飽きるまでできてない、

心が満たされてないだけだ。

 

心の空腹みたいなものだ。

 

やってみればわかるが

そんな精神的な不満足からくる偽りの欲求は、

満たされたらマジで一瞬で消える。

見向きもしなくなる。

欲しくなくなる。

 

あれだけ取っ替え引っ替えだった人でも

本当に好きな人ができたら

一瞬で一途になる。

 

菓子を見ても、いらね、となる。

ライオンが鹿を見ても、

ふーん、と見向きもしない。

そんな感じだ。

 

精神的な空腹が満たされないから

求め狂う。

 

心の空腹の代用品として

手に取ってしまう。

頼ってすがってしまう。

 

でもそれでは満たされない

だから無限ループから出られなくなる。

 

それが悪いとは言わない。

他にないのだから仕方なく手に取ってる。

他にいないから仕方なく見てる

他にないから仕方なく食べてる

他にいないから仕方なく相手してる。

 

それは必要といえば必要

だけど、本当に必要としてるのはそれではない。

だから無限ループだ。

 

自分の真の欲求だけが特効薬だ。

だから、症状は同じでも

人によって解決法が変わるんだ。

 

 

 

菓子に溺れて暴食してる状態を

認め正当化してしまえば

それはそれでいい。どうなっても知らん。

 

でも罪悪感を感じてるなら

それはその異常状態から

元に戻りたいと願ってるってことだ。

病気だと、今は普通じゃないぞと

このままではいけないなと

自分でわかってる。

 

なら真の原因、やりたいことをやるべきだ。

やりたくないことはやめるべきだ。

 

それはわがままではない。

自分の心にかかってる

無理な負担を取り除こうってことだ。

心の病気の状態なんだから。

 

心の骨折状態みたいな

心の炎症状態みたいな症状。

暴食は症状の一つだ。

症状は解決しても意味ない。

解決すべきは症状ではなく原因だ。

 

快楽を求め無限ループする系の

原因はどれも同じだ。

 

原因は心の空腹なんだ。

 

自分が本当に求めてること、

それを見つけるのが

また難しいんだけどね。

 

 

やりたいことはそこにあるのに

長年封印してたり

一般社会ではなかなかいい出せないこと

社会的に偏見なものは

言い難いし、言っちゃいけないことだし、と

そういう社会が当たり前で

自分でも見えなくなってるものだからね。

 

とにかく、

原因はそこじゃないぞ

症状を治そうとしてもムダ、

また繰り返すもんだぞ

その欲求は幻想だぞ、

治すのは別のとこだぞ。

 

ってことが言いたかった。

タイトルはその一例です。

 

人によっては会社辞めろ、かもしれないし

人にやっては起業しろ、かもしれないし

人によっては離婚しろ、かもしれない

人によっては親と縁を切れ、かもしれない。

 

それではまた。

体目的で遊ばれてる女

そう言う言い方をよく聞く。

 

それはモテない女性に多く

男で言うと、女に食い逃げされる男

 

でも、それは非モテ側が正当化した見方であって

相手側、モテる側の視点から言うと正しくない。

 

遊ぶこと自体は悪でもなんでもない。

 

あなたに興味をもたれた、

あなたと遊んでコミュニケーションをとってみたいと

思ってもらえたんだから。

 

言い換えると

あなたと言う商品を手に取って、

試食、視聴、試着してもらえたわけだから。

試してみたいなと価値を感じてもらえたわけだから。

 

そして試してみた結果

いらないなこれ、と

価値がないと判断されただけだ。

 

非モテ諸君だって

試食してまずかったらお金を払って買わないだろう。

服でも試着して履けないなら買わないはずだ。

(そもそも非モテは試着せずに買う傾向があるが)

視聴してつまんない曲なら絶対に買わないはずだ。

 

人間も同じで、

見た目でありだこら話してみる

話してみてありだからやってみたくなる

やってみてありだから今後も付き合いたいと思う

 

でもやってみて、色々めんどくさいな、

と感じたらお付き合いはしたくない

でも体はいいんだよな

と言う場合はある程度妥協してリピートはする

でもお付き合いはごめんだ

 

その状態を、都合のいい女

と非モテたちは言う。

自分のことしか見えてないからそう言い方をするわけだ。

 

相手の事情や心理が見えてれば

そう言う言い方にはならない

私の悪いところあったかな

直さないとな、と

前向きに捉えて、経験値が増えていく。

 

だが、遊ばれた、ヤリモクだ、

と言う単語を使う女は

全てを人のせいにして生きている。

 

出会いがないのは、

周りのせい、運のせい

恵まれない私

白馬の王子様が私のところに、、

そんなことあるわけがない。

 

考え方が自分勝手すぎる。

 

うまく行ってモテてる女は

自分からチャンスをつくりにいく。

 

笑顔の練習して、やってみて、失敗して

注意された事は次から直して

またトライして治す

おしゃれして少しでも見つけてもらえる確率を上げ

怖いけど出会いの場に出かけて

自ら人前にでてみつけてもらおうとする

そうやって努力してるんだ。

 

何もせず全て人のせいにして生きてる非モテとは

全くみてる世界がちがう。

 

ヤリモクだー、遊ばれたー

とか言ってる非モテ女は

基本的に他力本願、人のせいにしている。

 

そういう人は言葉の節々に出ている。

使ってる言葉で、おや?と思うことがよくある。

 

誰かが病気になったら、かわいそうと言う。

かわいそう、の言葉の裏は、

運が悪かった事故みたいな言い方だ。

 

もちろん人体にはある程度不明な部分も多いから

確率論にまとめてしまうと手っ取り早い。

でも多くの病気は、普段の生活や

その中での自分の選択の蓄積で起きている。

 

人間皆同じの部分もあるが

皆それぞれ違う。

 

自分に合った生活をしなければ

無理が慢性化したら病気や怪我になる。

それだけの話だ。

 

それを不運で片付けてしまう。

まるで自然災害のように。

 

 

 

話を戻すと、

遊ばれる女は、

基本的になんでも人のせいにして

努力しない。

だから一回試してみたけど

やっぱ無理だなと見切られただけの話だ。

 

男だっていい女だったら離したくない。

いらないからポイするわけだ。

 

なんでも人のせいにする

無能だし、のろいし、不愉快だし、ストレス溜まる

 

いいところは唯一穴があるだけ。

だから一度は試してみたいとは思う

もしかしたらと期待して。

それの価値が大きいのは否めない。

 

言い換えれば、

誰でも愛される価値を元々持ってるってことだ

でもそれを不愉快で台無しにしてしまってる。

 

不愉快な人は、

時間コストも精神コストも高い。

だから価値を感じられにくい。

それをまとめて人はめんどくさいと言う。

 

めんどくさいと言われたら素直に治すべきだ。

それが幸せな第一歩。

 

ありのままの私を受け入れてほしい

というのは

非モテのまま変わりたくない

ってことだ。

 

遊ばれ、ヤリモクばかりでいいと

自分で認めてるのと同じだ。

 

非モテの自分がそうだそうだ

と言うような本は読まないほうがいい

読めば読むほど非モテを正当化してしまい

余計にモテなくなるからだ。

 

非モテ同士も付き合わない方がいい。

非モテの群れにいると

当然モテるようにはならない。

 

今のままでいいとかぬるいこと言ってるから

いつまでも試着して履けないなって思われるんだ。

 

たぶん、おかしな事は

言ってないはずだ。

 

嘘だと思うなら高額料金払って結婚相談所行ってみ。

高い金払って同じようなこと言われるだけだら。

・女は理由を聞いてはいけない場合がある、

 

言いたくない、だからはぐらかす、

それを追求するとうざい、

 

そっとしておいてあげる器量が求められている

 

一回目は聞くけど、はぐらかしたら言えない

いいたくないってことだ、

だからそっとしとく、そのうち自分から話すまで待つ、

 

そういう人に問い詰めたところで

嘘の理由を言うだけだ。

しかたないよね、どうしても理由を言えないのに

なにか理由を作れといってくるんだから。

なら何があなたが欲しがってるそれっぽい理由を

作ってあげるしかなくなる。

 

例えば「おまえが嫌だから仕事辞めます」とはいえない。

相手を不快にさせて得することはないし、

本当の理由をいったところで誰も得しない。

だから謎な理由でそれっぽいことを言い訳して

しょうがなく辞めることにするわけだ。

 

 

 

人は自分のしたいことをさせてくれる人にだけなつく。

猫も同じ。

嫌がることをしない人

好きなもの欲してるものをくれる人

になつく。それ以外にない。

 

理由は必ず後付、追求しても問い詰めても

本当かどうか確かめようがない、

問い詰める人は、自分が信じた答えでないと納得しないだろう、

だから理由を聞いても意味がない、

不愉快にさせて嫌われるだけ、

相手に対する好感度が下がるだけ、

私も相手も誰も得しない、

 

だからそっとしておくのが唯一の正解。

 

言いたくないならそっとしとく、

話をそらしたならそういうことにしといてやる、

見逃してあげる。

言いたくないならそれに従ってやる。

 

そのほうがお互いにとってメリット得なのだ。

 

無意味に「知りたい」、という欲求を抑える。

そんなこと知ってもしょうがない、誰も得しない、

それ知ったところでどうすんの?ということを

無理に知ろうとする強欲さを抑制する。制御する。

 

それを「器が広い」「度量が大きい」と人はいう。

みんなできないから。

それができるだけでかなり特別な人なのだ。

 

「誰も得しない」

「私だけが無意味に得する」(なくても良い事)

そういうことをやめれば

だいたい双方にとってうまくいくよ。