菓子、酒、煙草、動画、ショッピング、セックス、、

などの快楽系の麻薬

に溺れてる人は病気とか意思が弱いとかではない。

 

やりたいことを飽きるまでできてない、

心が満たされてないだけだ。

 

心の空腹みたいなものだ。

 

やってみればわかるが

そんな精神的な不満足からくる偽りの欲求は、

満たされたらマジで一瞬で消える。

見向きもしなくなる。

欲しくなくなる。

 

あれだけ取っ替え引っ替えだった人でも

本当に好きな人ができたら

一瞬で一途になる。

 

菓子を見ても、いらね、となる。

ライオンが鹿を見ても、

ふーん、と見向きもしない。

そんな感じだ。

 

精神的な空腹が満たされないから

求め狂う。

 

心の空腹の代用品として

手に取ってしまう。

頼ってすがってしまう。

 

でもそれでは満たされない

だから無限ループから出られなくなる。

 

それが悪いとは言わない。

他にないのだから仕方なく手に取ってる。

他にいないから仕方なく見てる

他にないから仕方なく食べてる

他にいないから仕方なく相手してる。

 

それは必要といえば必要

だけど、本当に必要としてるのはそれではない。

だから無限ループだ。

 

自分の真の欲求だけが特効薬だ。

だから、症状は同じでも

人によって解決法が変わるんだ。

 

 

 

菓子に溺れて暴食してる状態を

認め正当化してしまえば

それはそれでいい。どうなっても知らん。

 

でも罪悪感を感じてるなら

それはその異常状態から

元に戻りたいと願ってるってことだ。

病気だと、今は普通じゃないぞと

このままではいけないなと

自分でわかってる。

 

なら真の原因、やりたいことをやるべきだ。

やりたくないことはやめるべきだ。

 

それはわがままではない。

自分の心にかかってる

無理な負担を取り除こうってことだ。

心の病気の状態なんだから。

 

心の骨折状態みたいな

心の炎症状態みたいな症状。

暴食は症状の一つだ。

症状は解決しても意味ない。

解決すべきは症状ではなく原因だ。

 

快楽を求め無限ループする系の

原因はどれも同じだ。

 

原因は心の空腹なんだ。

 

自分が本当に求めてること、

それを見つけるのが

また難しいんだけどね。

 

 

やりたいことはそこにあるのに

長年封印してたり

一般社会ではなかなかいい出せないこと

社会的に偏見なものは

言い難いし、言っちゃいけないことだし、と

そういう社会が当たり前で

自分でも見えなくなってるものだからね。

 

とにかく、

原因はそこじゃないぞ

症状を治そうとしてもムダ、

また繰り返すもんだぞ

その欲求は幻想だぞ、

治すのは別のとこだぞ。

 

ってことが言いたかった。

タイトルはその一例です。

 

人によっては会社辞めろ、かもしれないし

人にやっては起業しろ、かもしれないし

人によっては離婚しろ、かもしれない

人によっては親と縁を切れ、かもしれない。

 

それではまた。

体目的で遊ばれてる女

そう言う言い方をよく聞く。

 

それはモテない女性に多く

男で言うと、女に食い逃げされる男

 

でも、それは非モテ側が正当化した見方であって

相手側、モテる側の視点から言うと正しくない。

 

遊ぶこと自体は悪でもなんでもない。

 

あなたに興味をもたれた、

あなたと遊んでコミュニケーションをとってみたいと

思ってもらえたんだから。

 

言い換えると

あなたと言う商品を手に取って、

試食、視聴、試着してもらえたわけだから。

試してみたいなと価値を感じてもらえたわけだから。

 

そして試してみた結果

いらないなこれ、と

価値がないと判断されただけだ。

 

非モテ諸君だって

試食してまずかったらお金を払って買わないだろう。

服でも試着して履けないなら買わないはずだ。

(そもそも非モテは試着せずに買う傾向があるが)

視聴してつまんない曲なら絶対に買わないはずだ。

 

人間も同じで、

見た目でありだこら話してみる

話してみてありだからやってみたくなる

やってみてありだから今後も付き合いたいと思う

 

でもやってみて、色々めんどくさいな、

と感じたらお付き合いはしたくない

でも体はいいんだよな

と言う場合はある程度妥協してリピートはする

でもお付き合いはごめんだ

 

その状態を、都合のいい女

と非モテたちは言う。

自分のことしか見えてないからそう言い方をするわけだ。

 

相手の事情や心理が見えてれば

そう言う言い方にはならない

私の悪いところあったかな

直さないとな、と

前向きに捉えて、経験値が増えていく。

 

だが、遊ばれた、ヤリモクだ、

と言う単語を使う女は

全てを人のせいにして生きている。

 

出会いがないのは、

周りのせい、運のせい

恵まれない私

白馬の王子様が私のところに、、

そんなことあるわけがない。

 

考え方が自分勝手すぎる。

 

うまく行ってモテてる女は

自分からチャンスをつくりにいく。

 

笑顔の練習して、やってみて、失敗して

注意された事は次から直して

またトライして治す

おしゃれして少しでも見つけてもらえる確率を上げ

怖いけど出会いの場に出かけて

自ら人前にでてみつけてもらおうとする

そうやって努力してるんだ。

 

何もせず全て人のせいにして生きてる非モテとは

全くみてる世界がちがう。

 

ヤリモクだー、遊ばれたー

とか言ってる非モテ女は

基本的に他力本願、人のせいにしている。

 

そういう人は言葉の節々に出ている。

使ってる言葉で、おや?と思うことがよくある。

 

誰かが病気になったら、かわいそうと言う。

かわいそう、の言葉の裏は、

運が悪かった事故みたいな言い方だ。

 

もちろん人体にはある程度不明な部分も多いから

確率論にまとめてしまうと手っ取り早い。

でも多くの病気は、普段の生活や

その中での自分の選択の蓄積で起きている。

 

人間皆同じの部分もあるが

皆それぞれ違う。

 

自分に合った生活をしなければ

無理が慢性化したら病気や怪我になる。

それだけの話だ。

 

それを不運で片付けてしまう。

まるで自然災害のように。

 

 

 

話を戻すと、

遊ばれる女は、

基本的になんでも人のせいにして

努力しない。

だから一回試してみたけど

やっぱ無理だなと見切られただけの話だ。

 

男だっていい女だったら離したくない。

いらないからポイするわけだ。

 

なんでも人のせいにする

無能だし、のろいし、不愉快だし、ストレス溜まる

 

いいところは唯一穴があるだけ。

だから一度は試してみたいとは思う

もしかしたらと期待して。

それの価値が大きいのは否めない。

 

言い換えれば、

誰でも愛される価値を元々持ってるってことだ

でもそれを不愉快で台無しにしてしまってる。

 

不愉快な人は、

時間コストも精神コストも高い。

だから価値を感じられにくい。

それをまとめて人はめんどくさいと言う。

 

めんどくさいと言われたら素直に治すべきだ。

それが幸せな第一歩。

 

ありのままの私を受け入れてほしい

というのは

非モテのまま変わりたくない

ってことだ。

 

遊ばれ、ヤリモクばかりでいいと

自分で認めてるのと同じだ。

 

非モテの自分がそうだそうだ

と言うような本は読まないほうがいい

読めば読むほど非モテを正当化してしまい

余計にモテなくなるからだ。

 

非モテ同士も付き合わない方がいい。

非モテの群れにいると

当然モテるようにはならない。

 

今のままでいいとかぬるいこと言ってるから

いつまでも試着して履けないなって思われるんだ。

 

たぶん、おかしな事は

言ってないはずだ。

 

嘘だと思うなら高額料金払って結婚相談所行ってみ。

高い金払って同じようなこと言われるだけだら。

・女は理由を聞いてはいけない場合がある、

 

言いたくない、だからはぐらかす、

それを追求するとうざい、

 

そっとしておいてあげる器量が求められている

 

一回目は聞くけど、はぐらかしたら言えない

いいたくないってことだ、

だからそっとしとく、そのうち自分から話すまで待つ、

 

そういう人に問い詰めたところで

嘘の理由を言うだけだ。

しかたないよね、どうしても理由を言えないのに

なにか理由を作れといってくるんだから。

なら何があなたが欲しがってるそれっぽい理由を

作ってあげるしかなくなる。

 

例えば「おまえが嫌だから仕事辞めます」とはいえない。

相手を不快にさせて得することはないし、

本当の理由をいったところで誰も得しない。

だから謎な理由でそれっぽいことを言い訳して

しょうがなく辞めることにするわけだ。

 

 

 

人は自分のしたいことをさせてくれる人にだけなつく。

猫も同じ。

嫌がることをしない人

好きなもの欲してるものをくれる人

になつく。それ以外にない。

 

理由は必ず後付、追求しても問い詰めても

本当かどうか確かめようがない、

問い詰める人は、自分が信じた答えでないと納得しないだろう、

だから理由を聞いても意味がない、

不愉快にさせて嫌われるだけ、

相手に対する好感度が下がるだけ、

私も相手も誰も得しない、

 

だからそっとしておくのが唯一の正解。

 

言いたくないならそっとしとく、

話をそらしたならそういうことにしといてやる、

見逃してあげる。

言いたくないならそれに従ってやる。

 

そのほうがお互いにとってメリット得なのだ。

 

無意味に「知りたい」、という欲求を抑える。

そんなこと知ってもしょうがない、誰も得しない、

それ知ったところでどうすんの?ということを

無理に知ろうとする強欲さを抑制する。制御する。

 

それを「器が広い」「度量が大きい」と人はいう。

みんなできないから。

それができるだけでかなり特別な人なのだ。

 

「誰も得しない」

「私だけが無意味に得する」(なくても良い事)

そういうことをやめれば

だいたい双方にとってうまくいくよ。

 

私の事をわかってくれる、

理解してくれる、

私の味方でいてくれる、

私の気持ちを察してくれる

 

そんな人がいるとしたら

次の3つのどれかである。

 

1自分にメリットあるからしてくれる取引先、

無条件は2母、私の分身、私そのもの、と

3暇なおばあちゃん、

である。

 

 

詳しくみていくと、

 

1、取引先。私にメリットあるからむげにできない、

私のメリットのために与える、頑張る、見返りのために、

条件付きで、いつもお世話になってるから、その一部を返す関係。

 

だから、彼らからもらうには、前もって信頼の貯金しなければならない。

先にたくさん与えなければいけない。

預金を引き出すように、与えた分だけ受け取る権利可能性が得られる、

投資した分だけ配当をもらえる権利がある。

 

 

2、私から生まれたもの、私の子、私の一部、私の分身、私そのもの、

私の感情を肯定してくれる人は私そのもの、俺の行動を否定しない人。私の都合に合わせてくれる、私の意見に合わせてくれる、私の話に合わせてくれる。だから居心地がいい。

それは相手が自分の身を削って私にしてくれた、自己犠牲して私を守ってくれた、そうして信頼が生まれたから。腹を痛めて産んだ子だから大事にする。

信頼があるから、私を決して裏切らない、どこにも行かない、私を攻撃しない信頼安心感、がある。

私の一部だし分身だから、もちろんすすんで1番大事にする、

 

だが、たったの一度でも裏切り突き放し攻撃で、決裂してしまえば、この関係は失われる。戻ることは2度とない、チャンスは一人一度だけ。(繋がってるとしたら他の関係でだ)。

私を否定、裏切り、失敗、親離れ、反抗で、子は巣立つ。

 

 

3、暇つぶし相手、おばあちゃん。ホーム。

毎日やることなくて暇だからいつでも寄り添ってくれる。

老いると世間から相手してもらえなくなるから、相手してくれるとおばあちゃんも嬉しい、ふれあいで心の交換。暇つぶししかあげられるものがない、暇つぶしで心の隙間を埋めることはできるけど、他にあげられるものはない。

いつでもここにいるよ、いつでも帰っておいで、普段は自分のことしてていいけど傷付いたらいつでも戻っておいで、何もできないけどいつでも君の味方でいるよ、どこにも行かないからいつでも戻っておいで。心の糧、心の支え。

 

でも、それ以外は何も出せないよ。

体も金も出せないよ、面白いこともないよ、ただいつもそこに存在していて、私を否定しない存在、全肯定してくれる、孤独の解消のみ。心が元気になったらまた行ってきなさい。

心の休息所。

 

 

どれがいいではなく、それぞれメリットデメリットがある。

本当の意味での無条件で口を開けて待ってるだけでは

誰にも相手にされることはない。物理的、道理的にありえない。

相手に何かを与えていないかぎりあなたは無価値だ。

自分のことばかり、クレクレ行ってる限りはゴミだ。

 

そこから抜け出す、自分に価値を見出すには

人に与える気持ちが必要。

 

そのためには、まず与える価値のある人を探そう。

与えたら返せる人、ありがとう、お返し、手伝い、ができる人。進んで手伝ってくれるひと、、そのような姿勢、気持ちを持ってる人、和まそうとしてくれる人、

 

そしたら自分にも与えたい返したい、

と言う気持ちが自然に芽生えるはずだ。

 

奪う人相手だとどんな努力しても無駄、マジで無駄。

快適な人がいたら意地でも自分から大事にしよう。

人が誰かと会話する理由

会話が続かないと悩む人がいる。

会話をうまくやるには様々な技術がある

それは本などでも色々紹介されている。

 

雑談のいろはとか

言い回しとか

礼儀とか

定型文とか

 

、、、確かにそれらも大事なんだけど

 

もっと大事なのは

「なぜその相手と会話するのか?」

「その相手と会話する私のメリットは?」

という部分である。

 

会話が続かない、うまくいかない

それには様々な原因がある。

 

それは

私の技術不足(慣れてない)かもしれないし

私の知識不足(言い回しや話題選択の)かもしれない

私にその人と話すメリットがないのかもしれない

相手の技術不足、知識不足かもしれないし

相手が私と話すメリットがないのかもしれない。

 

会話が続かない原因はたくさんある。

 

だがそもそも会話はしたいからするものであって

話すメリットのない相手と会話するのは不可能なのだ。

 

 

双方のメリット答えられますか?

本を読んでも多くの場合

「自分の技術が不足している(私が悪い)」前提で書かれている。

確かにその姿勢は学びの基本として大事なのだが

それでは問題を見誤ってる場合も結構ある。

 

そもそもその人と話すメリットがありますか?

逆言えば、相手は私と話すメリットがありますか?

ということには殆ど触れられてない。

(確かに最初は興味無いけど、話してるうちに興味が出てくる場合はあるが

それは興味のない相手とも話せる高度な技術、会話スキルの応用編だ。)

 

人はメリットがないことは基本的にはできない。

(自爆がメリットで不利益を被る行動を好む(自分の個性を守るために)人もいるにはいるが。それは例外として)

 

 

相手は私と会話する気ありますか?

そもそもその相手と話すメリットや

相手の会話スキル不足、相手のメリット不在

等の場合は本を参考にしても解決にならない。

 

キャッチボールで私がどんなに正しく振る舞っても、

相手が取りこぼしたり、スルーしたり、返してくれなかったり

キャッチ出来ないところに投げ返したり

そもそもやる気がない人が相手では

こちらではどうしようもない。

 

そういう人とまともにキャッチボールすることは不可能なのだ。

 

 

 

そもそも、私が嫌われてないか?

そもそも嫌いな人と積極的に会話しようと考えるほうが無意味だし

双方にメリットがない人と会話すること自体が不可能なのである。

 

もし自分が相手と話したいのに会話が続かない(相手が続けてくれない)のであれば

 

そもそも、私が嫌われてないか?、と考えよう。

相手に普段から信頼を失うようなことをしてしまってないか?

相手に普段から人に不愉快な思いをさせてないか?

奪ってばかりではないか?してもらってばかりではないか?

もらった分、お返しちゃんとしてるか?

 

もし嫌われる要素があるなら大至急改善しよう。

人は嫌いな人と会話を続けようとは思わない。

 

だから「嫌われるようなことを改善する」ことが

会話が続くようになる原因の一つなのである。

 

ただし、相手がまともな人(お返しできる人)だった場合の話だ。

 

 

 

そもそも、相手は「お返し」ができる人か?

 

世の中コミュニケーションできない人はかなりいるように感じる。

会社づとめしてるとあまり気づかないが、一歩社会を出ると

全く会話にならない人がかなりいる。

 

その根本原因は「自分がもらってばかりでお返しが出来ない人」である。

気持ちいい言葉をもらうだけで、気持ちいいお返しをできない人たち。

 

いわゆる「テイカー」という人たちである。

 

してもらってもお礼が言えない人たち。

毎回飯を奢ってもらうだけで感謝しない人たち。

自分が得するだけで相手に不愉快を撒き散らしている人。

自分の言葉や行動が周りの人に嫌な思いをさせてるのに気づかない人。

言葉がきつい人

がちゃがちゃ不快な音を立てる人

自分ことばっかり。

 

自分の利益しか見えてない。

 

そんな人は行動でもお返しができないので、当然言葉でもお返しができない

そんな人とは会話することは不可能なので

「そもそも話さない」という選択肢も持っておくほうが健全だ。

 

自分がテイカーなら大至急改善したほうがいい。

 

 

レベルが違いすぎると会話してない

会話がハイレベルな人は「そもそも会話をしてない」という事実がある。

(そういうことを著名人が言うと炎上するので誰も言わないし言うメリットもない)

 

ハイレベルな人は、相手が聞きたいこと気持ちいいことを言ってあげて付き合ってあげてるだけで

まともに会話してるわけではない。本当のことを言うとめんどくせーから相手に合わせてるだけだ。

ひ◯ゆきの配信なんかがいい例だ。

あかちゃんが興味を持つガラガラを与えてご機嫌を取ってるだけだ。

それは会話ではない。

テイカーとは会話にならないから、欲しい物を与えて気をそらしてるだけだ。

 

会話できない人とついついまともに会話しようとしてしまうと

ホリエモンみたいに誤解されて攻撃されたりするわけだ

 

 

コミュニケーションがうまくいかない原因が自分にあると考えすぎる人は、半分は相手に問題があると考えた方がいいし、

逆に、相手が悪い!と偏りすぎてる人は、少しは自分に原因があることを疑うほうが、バランスが取れると思う。

 

 

いろんな角度から冷静に見つめてみよう。

「私のことどう思ってるの?」

 

って聞くってことはその程度ってこと。それ以上でもそれ以下でもない。

 

人同士なんて8割が誤解しながら生きてるんだから。

仮に現状がうまくいってるならそれ以上は聞かない方がいい。

 

その質問をした瞬間、相手はそれに適切な答えを探して答えること(つまり優しい嘘)を強要されることになる。

もしくはそんなでもない、というような悲しい答えが返ってくる。

うーん、と相手が一瞬でも考えた瞬間、それ以降の答えはすべて良くないものだ。

 

どちらにしても真実かどうか確かめようがない時点で「嬉しい回答」を聞いても意味はない。

 

相手に疑いがあるならその程度ってことだ。本人の目からはそう見えてる、彼女が見てる世界は見えた通りが事実だ。

そう思ったらそれがその人が見てる現実だ。

自分が思ったことが事実となる。

 

ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」である。

 

疑えばそれが事実だし、信じるならそれが事実だ。

 

相手に「本当はどう思ってるのか」を確認(の強要)したところで、その方法はない、

疑うかどうかは本人の世界観であるし、本人の選択である。

本人が見た材料をもとに、信じるか疑うかを「選択」した結果である。

 

勝手に疑ってるのに信じさせる(相手の思考を強制する)方法なんて無い、思考を決めるのは本人だ。

思考は本人の自由、本人が選んでる、本人が見てそう思ってるから疑ってるんだ、事実は自分で決めているものだ。

本人の思考に他人が介入することはできない。

 

それができるとしたら強制や誘導でしかない。

本人の意思ではない。

そう「させた」だけだ。

 

「私のことどう思ってるの?」

と心配なのはわかる。

 
だがそれは彼女「本人が決めること」であって
相手に聞いたところで意味はない。
 
つまりそのセリフ自体が答えなのだ。
 
そのセリフが出るってことは
その程度ってことだ。
 
 
また、そのセリフを吐く人は
相手に強制強要されたい願望があるかもしれない。
自分の人生を決めてほしい、自分で決められない
そういう人かも入れない。
 
だが、自分の選択を他人に決めてもらって
幸せになることはまずありえない。
 
自分の人生は自分で決めるから幸せなのであって
他人から決められたものはすべて不幸だ。
 
自分で決めれば失敗しても悔いはない。
他人が決めたものは成功しても虚しいだけだ。
 

「私のことどう思ってるの?」

そのセリフを吐いてしまったら
その時点で不幸だってことだ。
 

「私のことどう思ってるか」は自分で決めるものだ。

それが間違っていたとしても

「自分で出した答え」が唯一の正解なのである。

突然の出会い

朝ランニングしていたときに気づいたことを書いてみる。

 

公園を走ってると野良猫が現れ、ニャーと挨拶された。

向こうから声をかけてくるなんてかわいいやつだなと思った。

 

ここでふと思った。

猫から挨拶された、、俺は猫以下のコミュ力か、、と。

 

ランニングしてるこのあたりは人気の少ない川沿いの公園で、ご老人たちがよく散歩をしている。

想像だが、この猫は散歩中の老人たちに声をかけられ、可愛がられてるのだろう。

そしてたまにご飯をもらったりしてるのだろう。

猫さんは結構栄養状態も悪くない体型だったし。

 

で、猫がなぜ挨拶してきたかと考えていた。

出した結論は「メリットがあるから」だと思う。

 

「行動分析学」によれば行動には2つの動機しかない。

 

「快の獲得」と

「苦痛の回避」だ。

 

それ以外の行動はありえない。

あるとしたら先の先にどちらかが必ず存在する。

 

それは人も動物も同じだ。

つまりこの猫は「メリットがあるから」自分から挨拶してきたのだろう。

ティッシュ配りみたいなものと同じだ。

「見返りが期待できる」「経験としてそれを知っている」だから挨拶してきたのだ。

 

 

クソ上司に挨拶をしない理由

よく仕事で「挨拶をしろ」って強制してくるクソ上司がいるけど

挨拶をしない理由は2つある。

 

1「お前の反応が薄いからやる意味を感じない」

2「メリットを知らない」、

 

のどちらかだ。メリットがあれば当然する。

 

上司のあなたが気持ちよく笑顔で反応してくれたら、挨拶をした方も気持ちがいい。だから繰り返す。

だが現実は「お前(上司)が挨拶をシカトしたり、仏頂面で反応薄だったりする(つまりデメリットがある)。

だから部下は挨拶をしなくなるわけだ。苦痛しか得られないからしなくなるのは当然だ。

 

また2の場合、家庭環境が良くなく、家庭で挨拶の文化がなく子に継承された。だから挨拶をするという発想がないわけだ。

この場合、これまで挨拶の存在すら知らない劣悪な環境で育ったわけだ。だから仕事もできない、人を不快にさせる、不快にさせても気づかない、自分の快楽ばかり優先させる、だから信頼に値しない、仲良くしたくない人、である可能性は高い。

つまり、生き方の結果なのである。

 

 

挨拶する人はギバーの可能性が高い

猫の話に戻すと、猫がニャーと挨拶してきたということは、その猫が可愛いから老人に愛された(価値を認められた=価値を提供している)。その結果、餌がもらえ、それを経験として学習し、知らない僕にもニャーと自分から挨拶するようになったわけだ。

 

猫に限らず、警備員のおじさんも挨拶する人とシカトする人がいる。

挨拶する人は、「自分から人に与えて、お返しをもらった経験」をしてきた証拠だ。

つまりちゃんとした人の可能性が高い。(詐欺師もいるけど変化球は一旦置いとく)

 

挨拶は一種の「与える、ギブ」の行動である。

人に与えると返ってくる可能性が生まれる。

 

挨拶はノーリスクだしリターンは無限大だ。

言い換えると幸せの種を撒くようなものだ。

 

積極的にやっていこう。

今話題の「SPY×FAMILY」どんなもんかと見てみた。

結論、おもしろい!、

 

結婚や家族の一つのあり方を学べるのでオススメだ。

 

 

結婚、家族とは何か

結婚とはなにか、を考えさせられた。

これまで結婚は「お互いに愛することを誓い合う??」

「好きな人同士が一緒になる?」

とメリットがそ意味不明だった。

 

だから半分以上の夫婦が

とりあえず結婚し、すれ違い、我慢を強いられる

ことなるわけだ。

 

結婚とは「契約」なのだ。

本来お互いのメリットがあるから契約するもの。

 

この作品では、

 

夫は本業「スパイ」

妻は本業「殺し屋」

子は本当「エスパー」

 

という設定で、お互いがバレてはいけない。

その上でメリットがあるから契約し、

自分の本来の目的を果たしていく。

 

またその職業も本質をついてる笑

そいうか現実そのままだ。

 

各々が各々の素性(本音)を隠してファミリー(共同体)を演じている。

それぞれがそれぞれを「必要」としており、

「離れてしまっては困る」関係。

 

現実でも、それが本当の家族というもの、のはずだ。

 

 

昔は家族とは一つの共同体で、

それなしには個人が生きられなかった。

 

だが今は殆どの生活は個人でできる。

それを他人の協力を得て更に良いものにする。

その約束事(ルール)を契約として法律で保護する。

それが「結婚」というものだ。

 

と、僕は解釈した。

 

僕はこれまでずっと結婚の意味(メリット)について謎だった。

何のためにするのか?と。

誰に聞いてもありきたりな意味不明な答えで、納得できず

納得の行く回答がえられなかった。

 

だがこの作品をみて「なるほど!!」と

やっと明確な答えが出たような気がした。

 

 

 

人間同士の関係は信頼がベース

「結婚」は「契約」であり、その前提条件として「信頼」が不可欠。

 

信頼とは、

何があっても裏切りません」

何があっても契約条件を守ります」

ということだ。

 

当然、契約条件を破ると契約破棄できる。

俗に言う結婚では、その契約条件が「愛する」ということになっている。

(実際にしたことないから詳しくはしらないが)

 

 

 

多くはギャンブル婚

実際に多くの人は契約条件を見てから、

これいいねと結婚したい、と考えるわけではない。

 

多くの人は(しらんけど)

なんとなく「一般常識として結婚はするものだ」

→「そろそろ年齢が」→「結婚したい(しなければ)」

→物件を急いで探し

→でその後に「条件があり」

→そんなもんなんだ、わかりました(よくわからないけど時間ないしいっか)

で結婚する人がほとんどだろう。

 

だからうまく行かない(長期的に)のだと思った。

「買うと決めて」から「内容を見てる(よくわかってないけど)」のだから。

 

それでは福袋やギャンブルみたいなものだ。

 

 

 

自分にプラスになる契約

最近では「婚前契約」というものがあるらしい。

詳しい内容は知らないが、その契約内容を

「事前に」「お互いに」「メリットがあるように」調整すれば

結婚もあながち悪いものではないのかもしれない。

 

それに最近では仕事もプロジェクトベースだったり

契約社員だったり

契約をうまく使ってカスタマイズできる。

 

契約は「結婚」という形で取らずとも

複数の人と別な形の「契約」を結ぶことで、

信頼、協力をベースとした、よりよい人生を獲得することに

つながるのではないだろうか。


 

チョコザップ?なにそれ?

は調べればわかるのでわざわざ説明する必要もないか。


簡単に言うと、ちょこっとジム。

無人トレーニング機器の使用(ジム)、セルフエステ、セルフ脱毛ができます。

 

・入会はアプリDLしてクレカ番号入れてサッと入会。煩わしい契約書類や審査もない。

・入会後すぐにジム使えます。それを試したくて入ってみた。

 

・入会特典の体重計?やらウェアラブルデバイスがもらえるらしいが、当分先のもよう。

 僕はこれを目当てにしてたのですが、要はもらえません。まぁいいか。

 

・入会して10分後には入室してトレーニングして帰りました。本当でした。

 大手Gジム(月8000円)→市営体育館のトレーニング室(200円/回)→チョコザップ(3000円)に乗り換え

 

 

 

使ってみて僕なりのメリットをご紹介

・アプリ入れるとわかるが、店舗数がすごい。

 僕はさいたまだけど、首都圏を中心に全国数百はありそう。

 

・入退室はアプリのQRコードをピッとするだけ。快適!

・土足のまま入室可能。入って10秒後にすぐトレーニング開始できる。荷物は水とタオルだけでいい。終わったら1セットだけ5分で帰ってもいい。バイクで全力こぎ10分だけやって汗だくで帰ってもいい。とにかく小回りがきく。

 

・他のジムの煩わしいごあいさつやら、上履き履き替えもない、着替えも自由、入退室も自由、めんどくささ一切なし。

・不愉快、愛想の悪いスタッフによるストレスなども一切なし。特定の人が嫌で行かなくなる人は継続できそうだ。

・市営ジムの融通の効かないスタッフに、紙切れ忘れただけで追い返されることもないし

 靴の少しの汚れで入室拒否されることもない。

 スタッフに紙渡すだけなのに、いねー!とかもない。(僕はこの辺が最高、だいたいどこもスタッフがうざい)

 スタッフにずっとジロジロ見られてるってこともない。
・あれだめこれダメとうるさくない。

 

・空調快適「新型コロナウイルス感染防止のため、、」とかいう自己防衛のためだけの謎ルールもない。

・深夜早朝に使えるのが嬉しい。シフト勤務者には特にいいかも。

・平日はがらがら嬉しい。サービス業従事者には嬉しい。

・セルフ脱毛、セルフエステもある。(ネット情報しかないので効果は不明)

・いつでもやめられる。店舗に手続きに来いとかない。書類もない。思い立ったら退会できる。

・BGMがない、好きでもないヒップホップや洋楽を聞かされずにすむ。

 

 

 

デメリットは今のところそんなに思いつかない。

・女性は一人だとちょっと不安かも。深夜早朝とかも。気にしない人は問題なし。

・トイレが汚い?他で済ませてくればいいだけ。コンビニはいくらでもあるし、2時間も滞在しないし。

・ペットボトルが散乱?、どければいいじゃない。

 

・衛生面が?、使う前に自分で気が済むまで消毒すればいい。共用なんだから当たり前。

 それが嫌ならそもそも公共のジムを利用すべきじゃない。コンビニのトイレも共用だし。

・煩わしい客?、公共の場なんだから仕方ない、自分が時間ずらせばいいだけ。24時間あるんだから。

 

・トレーニング機器が壊れてる?それは仕方ない、安いから、メンテナンス料払ってないんだから我慢。

 しっかりメンテしてほしいならちゃんとした大手のジムにいけばいい。

 他にも店舗あるから最悪そっちにいけばいい。今日じゃなくてもいい。

 

・マシンしょぼくて使いにくい?、なんでもいいよ、目的は鍛えること。慣れれば問題なし。

・強いて言えば立地かな、近くにあればラッキー、なければ使えない。それは大手も同じ。

・ダンベルがない、休憩ベンチがない、3頭鍛える機器がない。ガチ系の設備はほぼない、くらい。

 マイナーなトレ機器メーカー一社から大量購入でコスト削減してるのだろう。

・BGMが無いからおっさんのハアハアが不快。イヤホンでカバーできる。

 

多少機能不足は感じるものの、ストレスが大幅に無くなるので、これはマジで最高です。

サッと行ってサッと鍛えてサッと帰れる。

大手は行ったり着替えたり手続きがだるい。それがないのでサッと使える。

他のジムじゃできない。何も気にしなくていいってのが最高。

 

これは間違いなくトレーニングの頻度が上がるね。

今後期待してます。

 

そもそも配慮とは「戴き物」であり、

「与えられるもの」なのである。

 

相手に「その価値がある」から、配慮して「もらえる」のである。

相手に「その価値がない」なら、当然配慮して「もらえない」。

 

もらえないというより、そういう気が起きない

それをする価値のない相手に配慮する気が起きない、

 

配慮するしない、というと意思でなんとかしてるように感じるが

実は「そうしたい感情が起こった」結果「配慮する」のである。

つまり、そこに意思は介在せず、自動的に起こっている「反応」である。

 

暑いから汗が出る、

もよおしたから排尿する、

悲しいから泣く

それらと同じ「ただの反応」だ。

価値を頂いたから、価値をお返ししたくなる

その価値の一つが配慮である。

 

それは摂理であって物理現象である。

生理現象と言ってもおかしくない。

だから努力がどうとかいう問題ではない。

自律神経みたいなもの「自動的な反応」だ。

 

自信と同じで、努力すれば自信を持てる、というものではない。

成功体験を重ねるから、できそうだなとなんとなく感じる、それが自信だ。

 

前提が満たされるから、結果がでる、ただそれだけの話だ。

 

前提が整ってないのに、結果だけを得ようとしても物理的に無理がある。

 

相手に配慮する価値が無いのに配慮しようとしても

その気がおきない。だから物理的にできないのである。

(その気が起きないのに配慮してるふうを演じることができるのは特殊能力だ

 本来は「役者が自由自在に涙を流す」ぐらい特殊で難しいことなのだ)

 

つまり、配慮してもらえないのは、配慮される側に問題があるということだ。

配慮される側の日頃の行い次第で「その価値」が決まり、配慮されるされないが決まる。

配慮する価値があれば勝手にやりたくなるのである。

 

 

 

 

 

マッチングアプリ(リアルで出会いを育めなかった人たち)を見ていると

「配慮できない人には返しません」

みたいなことを書いてる人がいるが

そもそもそんなことを言っちゃうあなたに配慮(摂理道理として)できる人なんていない。

(誰が見ても可愛くて価値があり人気がありすぎるなら話は別だが。)

 

配慮は、まずは自分が相手に(手動自動問わず)快を与え、

そのお返しとして配慮して「もらえる」ものである。

 

「配慮できない人には返しません」

と言っちゃうような人は翻訳すると

 

「私に与えてくれない人は相手しません」

「私は何も出しません、まずあなたが私にメリットを与えてください」

ということである。

 

確かにごもっともなのだが、

かなり上から目線である。

 

与える側も何かしら頂いていないと与えることはできない。

 

リアルでなら、顔やフォルムの可愛さで自動的に与えられ、価値を感じる。

可愛くない人は、少し(というかかなり)努力が必要だ。

話した感じの心地よさ、共感、反応の良さ、利便性、コストの低さ、楽さ、将来性や可能性

があれば、価値を感じてもらえる。

 

「価値を感じた」からその「お返し」として配慮できるわけだ。

 

何も与えないで配慮されることはありえない。

自分からは何も出さず無償で与えら得るのは母の愛だけである。

それを相手に求めるのは、マザコン、ファザコン、であり、

嫌われる定番である。

 

配慮されたいなら、道理としてまず相応のものを与えよう。

 

配慮されるかどうかは、自分が相手に与えた「結果」なのである。