自分の価値観とは違うことを
押し付けられることを ハラスメントという場合がある
教育ということを考えると
教える立場の人間と教わる立場の人間がいるとき
教わる方が分かっていることだけを教えれば 当然教育にならない。
今教育という言い方をしたけれど 成長といってもいい
子供のころは 教育 イコール 成長
だけど 年齢や経験を積むと
自分の常識というか固定概念が強くなる
だから 大学や会社で 若者に物を教えるとはむつかしい
教育を受け成長するということは 自分を否定することなる
と、感じることがあるらしい
偏差値の高い学生の多くは(一部は)
与えられた答えを正しいと信じ それを正確に答えることが、、
能力的にも 固定概念的にも強い
ので、新しいことを学びにくい と感じている
国立大学の T大とか K大とか H大の人にものを教える事もあったが
なかなかむつかしいことが多い
勉強は得意だけど 研究や 開発は苦手ってことが多い
彼らには 能力と自信と固定概念があるけれど
興味を持ってもらえれば 楽しいと思ってくれると
力を発揮する場合もある
でも 強い固定概念を詰め込んでいない方が好きだ
偏差が低かろうと、運動ばかりで勉強したことなかったって
関係なく 必要なものを 効率的に学べば
ものすごい力を発揮する
子供科学教室などするとほんとに楽しい みるみる成長する
これに対して
固定概念に加えて 劣等感やら 卑屈な精神をもっている人は
特に手におえない って最近思う
特に 大人、、、、、 特に目上、、、、、
特に 上司、、、、、
成長共に人の意見に耳を傾け 立場や主張は違えど
理解し、共感する能力が増していけば とてもいい
そうじゃない人もいる
成長しない 他人の意見に耳を傾けない
立場や主張が違う人には共感しない
そういう人に対して 怒りを感じることが あった
ただ、歳をとってきて考えるようになった
なぜ腹を立てる?
そうれは 相手は変わると期待してるから 腹が立つ、。。。
成長しない 他人の意見に耳を傾けない
立場や主張が違う人には共感しない
そういう人を 成長させてやる義理はない!
と思うと どうでもよくなって 腹も立たない
そんな感じになってきてw
相手は自分の固定概念や価値観を脅かられるから
その劣等感から攻撃してくることもある
当然 スキルも 論理も 上回っていて
相手を叩き潰せるとしても?
そんなことですっきりするためだけに 攻撃するなんて
そいつと同じやん
と考えるようになった、、、、
いいことなのか?悪いことなのか?