実は私も、そうなのですが、意図してそうなるわけではなく、自然とそうなっていきます。
意図はしていないけど、人には決して言えなくて。

私はHSPで、ぱっと見、そんなに強い感じの人でもなく、お人よしなので多くのいじめのターゲットになってきました。

いじめの首謀者は、皆さん、突然死(心臓)や、がん死、家族の死、或いは精神病院にずうっと入院するなどしています。

最初に聞いた時にはびっくりしましたし、そのうちにちょっと気持ち悪いものがありました。

これから、どう対処しておけばいいのかしら?
というか、全部偶然だと思っていていいですよね?

 

因みに、私のうちは、叔母が霊感が強く、母も強い方です。
でも特に拝み屋はあまり信用していない家系です。

 

 

いただいたのは、以下の記事に関するコメントです。

 

霊能者の家系の彼女は、私の親や私に危害を加えた人は、みんな死んだという話を始めました。

 

 

こういう現象が起こる場合の原因を整理したいと思います。

 

まず、全くの偶然で現象が起こったという可能性。

 

これを考えるには、偶然とは何か、ということを突き詰めなければなりません。

 

私たちは、偶然という言葉をよく使いますが、それが偶然で起こっていると科学的に立証することは、実は非常に難しいのです。

 

現象というのは、様々な連鎖によって引き起こされますから、それらの連鎖について、そこに関連性や因果関係がないということを一つ一つ実証しなければなりません。

 

本来、科学というのは、偶然ではないということを証明しようとして発展してきました。

 

ですから、偶然であると考えることは、ある意味で科学的な方向性とは逆なのですが、私たちは、わからないことに対して、偶然という言葉を使いがちです。

 

それはきっと、安易に物事を関連づけることへのリスクから生じているのかもしれませんが、だからといって全てが偶然であると決めつけることもまた、ある種の思考停止になってしまう危険性があります。

 

ということで、今回のケースでは、偶然という可能性もゼロではないですが、それは因果関係が見えていないだけかもしれませんから、この可能性は保留ということにしたいと思います。

 

 

次に考えられる可能性は、因果応報ということです。

 

因果応報というのは、インドではカルマの法則とも呼ばれ、人にしたことが自分に戻ってくるという法則です。

 

物理学では、作用反作用という法則性がありますが、自分が与えたエネルギーの量が、同じだけ自分に戻ってくるというものです。

 

この法則性の是非に関しては、人によって意見が分かれると思いますし、科学的に検証できるようなことではないので、事実かどうかはわかりません。

 

ただ、因果応報という言葉が長年使われてきたということは、多くの人が経験として実感してきたということではないでしょうか。

 

日本語には他にも、自業自得という言葉や、近年では、ブーメランの法則という言葉も生まれています。

 

イジメの首謀者たちが、急死をしたり、難病になったり、精神病になったりするというのは、通常は、この因果応報の可能性が高いと私は思います。

 

ただ、因果応報の場合は、与えるエネルギーの量と戻ってくるエネルギーの量が同じでなければ成立しないので、イジメをしただけで命まで失うのはバランスが取れないように思います。

 

その場合、その人たちが、それ以前やそれ以降に同じようなイジメを繰り返していたのかどうかを慎重に見てみないといけません。

 

カルマというのは、借金のようなもので、負債が貯まっていくようです。

 

そして、それを一気に返すことになった時、命を失うケースもあるのかもしれません。

 

この因果応報に関しては、病気などのネガティブな現象が全て因果応報によって起こっていると単純に考えることはできず、全く別の要因によって引き起こされる場合も多いので、慎重に判断する必要があります。

 

また、因果応報の概念は、差別や支配の手段として悪用されてきた歴史もありますから、この思想を乱用することにも危険性があります。

 

 

因果応報に関連して、以下の記事で書いた天罰という現象もあります。

 

ある弁護士が体験した天罰

 

祈りの力の怖い話

 

天罰に関しては、因果応報とは違い、明らかに、戻ってくる反動の方が大きいです。

 

私は、因果応報と天罰は、一体何が違うのかということに興味を持ってきました。

 

天罰というのは、その言葉の通り、天という概念が介在しています。

 

これは、宗教的に言えば、神や仏といった超越的な存在が関わっているということです。

 

ということは、危害を加える対象に、神や仏といった超越的な存在が関わっていた場合、反動が大きくなるのではないかと私は考えました。

 

これは、私たちの社会でも見られる現象です。

 

たとえば、一般の人を殴る場合と、要人を殴る場合では、同じ傷害罪でも重大さが変わるはずです。

 

それは社会に対する影響力の大きさということで判断されています。

 

同様に、神や仏といった存在との繋がりが深い人に対して危害を加えた場合、重大さが変わるのではないかと思います。

 

仏教では、仏陀を傷つけたら大変な罪になると言われています。

 

宗教的な概念においても、重要人物に危害を加えると、それだけ反動が大きくなるということかもしれません。

 

以下の記事に、ヘビの神様(眷属)について少し書きました。

 

友達の目つきが変になり、石段をヘビのように物凄いスピードでくねくねと体を動かして登るのを見た。

 

普通のヘビに危害を加えても、このようことは起こらないのではないかと思います。

 

でも、神社にいるようなヘビには、何らかの特別な力を宿したヘビがいて、そういうヘビに危害を加えると天罰が下るということなのでしょう。

 

その場合、そういう特殊なヘビを害したのは運が悪かったと思うかもしれませんが、そもそもヘビに危害を加えるという行為を繰り返していなければ、そのようなことは起こらないのですから、やはり大局的に見れば因果応報なのだと思います。

 

ですから、天罰というのも、因果応報の一つと考えてもいいのかもしれません。

 

 

そこで今回のケースについて考えるならば、もしかしたら、コメントの方は何らかの守護の強い家系なのではないかと思います。

 

つまり、神や仏といった存在と繋がりが深いので、その人に危害を加えてしまうと反動が大きくなるということなのかもしれません。

 

ただ、その場合、気をつけなければならないのは、神や仏と繋がりが深い人は、自分自身が他者に危害を加えた場合も、反動が大きくなるということです。

 

それは、私たちの社会でも同様で、要人であればあるほど、高い倫理観が要求されます。

 

ちょっとした失敗でも、大きく受け止められやすいです。

 

ですから、自分自身も他者に迷惑をかけないように細心の注意を払う必要があると思います。

 

 

最後の可能性として、前回私が書いた、呪詛の可能性です。

 

意図的に呪詛や呪殺をした場合は、因果応報で自分がした行為が戻ってくるはずです。

 

では、無意識レベルで呪詛をした場合は、どうでしょうか。

 

これは、正当防衛の問題に近いかなと思います。

 

たとえば、ボクサー柔道家などの武道経験者が喧嘩に巻き込まれた時に、正当防衛をしたとしましょう。

 

一般人であれば、相手は怪我をすることはないと思いますが、武道家の場合は、正当防衛であっても、相手が怪我をすることがあります。

 

この場合、司法では、正当防衛の程度によって、客観的に判断するしかありません。

 

ただ、呪詛に関しては、人知を超えた因果関係が関わっているため、どこまでが正当防衛なのかは一概には判断できないと思います。

 

ですから、重要なのは、呪詛の能力があると自覚している場合、できるだけネガティブなことは考えないようにするということだと思います。

 

呪詛ができるということは、思考が実現しやすいということですから、ポジティブな思考を心がけるようにするしかないと思います。

 

 

ということで、いくつかの可能性を考えてみましたが、いずれにせよ、人の命や人生が深く関わる事象に関しては、単純に原因を特定することはできず、様々な要因が複合的に作用していると思います。

 

ですから、コメントに書かれているように、偶然の可能性もあるという風に捉えておいた方がいいかもしれません。

 

逆の立場としては、人をいじめたり、恨みを買うようなことは避けなければならないということだと思います。

 

できるだけポジティブな思いで心を満たしておきたいなと、私も改めて思いました。

 

貴重な体験談をありがとうございました。