昔読んだ本だが、とても印象に残った話がある。

それは、信仰の力について書かれたエピソードだったが、私は、人間の思いの力というものを強く感じた。

かつて、殺人事件の冤罪で投獄された那須隆という人のエピソードだ。

彼の母親は、息子の冤罪が晴らされることを、ずっと祈り続けた。

毎日、十数年も、壮絶な祈りを続けた。

そして、14年後に彼は刑期を終えて出所した。

ところが、その後に真犯人が名乗り出たのだ。

母親の祈りが通じたのか、ついに彼の冤罪は、14年の時を経て証明された。


ところが、話はこれで終わりではない。

私はこの話を読んだ時、ものすごい恐怖を感じた。

それは祈りの力の恐ろしさでもあり、また、人間の思いの恐ろしさでもある。

 

昭和二十四年八月六日深夜、弘前市で一人の女性が殺された。
二週間後、二十五歳の青年・那須隆が検挙されたが、自白のないまま事件は裁判に突入し、一審で無罪が言い渡された。
ところが、二審は一転して有罪、さらに最高裁で懲役十五年が確定した。


この間、那須氏の母親は日に数時間、経を唱え、息子の冤罪が晴らされることを祈り続けた。
毎日水ごりを取り、冬の朝には、氷の張った水を体に浴びた。
「祈りは、言葉には出さなかったけれども、ときに涙が頬を伝っていました」
当時、その姿を間近に見ていたお孫さんが、訥々と語ってくれた言葉である。
彼女はしばしば祖母の祈りに同席したが、終いにはいつも、足がしびれて立てなくなったという。
 

十四年後、那須氏は刑期を終えて出所した。
一家に束の間の安らぎが戻ったかに見えたが、転機はその後、やって来た。
昭和四十六年、真犯人が名乗り出たのである。
再審が請求された。
が、かつて必死で証拠を捏造した警察や検察、嘘の証言をした人、させられた人の多くは、二度と証言台に上らなかった。
台風で沈没した青函連絡船・洞爺丸に乗り合わせるなど、何人もの人が奇妙な病気や事故で死んでいたのである。
最終的に無罪が確定したとき、那須氏はすでに五十歳を越えていた。
賠償はなかった。
しかしこのとき、祖父が祖母に震える声で漏らした言葉を、孫は聞いた。
「おまえの信仰には頭が下がる。神仏とは、本当にあるものだ……」


母親の祈りが神仏に通じたと祖父は思った。

それは、本当のことなのかもしれない。

私は、宗教団体は好きではないが、純粋な意味での神や仏というものは、存在しているのではないかと思っている。

きっと那須さんの母親は、真実が証明されることを祈ったに違いない。

その強い思いが通じて、彼を冤罪で投獄した人々の人生に強い作用を及ぼしたのかもしれない。

人の思いは、大変な力を持っている。
 
私自身も、その思いを良いことに使いたいと深く願う。
 
 
 

参考文献

青山圭秀(2003)『祈りの言葉』幻冬舎.