驚き
先月の末、高野山にある別格本山にお伺いする「ご縁」を頂き、
お山へ車で行って参りました。
その高野山で明治初期からの5代目である
仏具とおみやげと食事を営んでおられる店主の方からのお話で、
びっくりしました。
最近の若い方や、中年層の方に弘法大師空海を
知らない人がおられることです
学校教育で教えているはずですが、学校を監督する教育委員会が
宗教に対して反対の意見らしいです
特定の宗教を見学に行くとはいけません。
合掌も宗教行為だからいけません。
宗教は怖いから近寄ってはいけません。
っという考え方のようです。
私の展示会も宗教性が強い絵の展示会ですから、
協賛はできませんと言われた事があります
それでは、法隆寺や東大寺や薬師寺や伊勢神宮や出雲大社は宗教ですから
小学生は行ってはいけないのですか
っと思います。
特定の宗教には違いありませんが、
これは日本の精神の源です。
日本人としての精神という「こころ」を失って、
日本人と言えるでしょうか。
宗教を否定する教育委員会の考え方は、
これこそ民主主義ではない狭い考え方と思います。
寺よ、変われ -僧侶のあり方について-
新潟仏教会会長の曹洞宗広大寺住職の加藤朝雄老師が、寺がつぶれると憂慮しておられます。
寺がつぶれると私の仕事である伝統文化技術も廃れていきます。
寺がつぶれないようにどうすれば良いかと思っていました。
そのとき長野県松本の臨済宗神宮寺住職の高橋卓志師が「寺よ、変われ」という本を岩波新書から出しておられるのを読みました。
いままでの疑問点がこの本の中で、真摯に書かれています。
- 寺よ、変われ (岩波新書)/高橋 卓志
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僧侶は出家して受戒をしています。しかし日本の僧侶は出家しながら家庭を持つという不条理を有しています。
家庭を持つと家を大切にする執着心が起こります。
この執着心をなくすろところから悟りの道に入り、私たち凡夫を導くのが、僧としての第一の勤めのはずです。
ところがゴルフをなさり、外車に乗って、花街にでかけている僧侶の話を聞きます。
生活の苦しい中から寺院に喜捨している壇信徒は、これらの僧侶のあり方に不信感を持っています。
さて、この不信感をどう寺はするのかが、これからのあり方になります。
エゴをなくして、エコ
コンビニエンスストア(略してコンビニ)から消費期限が切れた食品が廃棄される記事がありましたが、その他にも、もったいないことに日本では膨大な量の食べ物が捨てられています。
今、世界ではおよそ10億2千万人の飢餓に苦しんでる人たちがおられるそうです。
私もコンビニでお弁当などを買うときに、自分のエゴで一番日付の新しい物を選んでいました。
買って直ぐに食べる場合には、こらから消費期限の切れかけていいる物を買おうと思います。そうすると捨てられるお弁当は一つ減ります。
みんながエゴをなくして、できるだけ消費期限の切れかけている物を買って下さると、廃棄される食べ物が減って、資源の無駄を防げます。