美らくる堂
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「自転車を後ろ向きに漕ぐ夢」の要約
放課後の教室で目を覚ました私は、クラスメイトたちに「授業をさぼってどこにいた」と言われる。私は夢の中で体験した、自転車の不思議な冒険を、現実のできごとのように語り出す。
夢の中で私は、ハンドルの付け根にサドルがある ピンクの自転車に、後ろ向きに座って乗っていた。自転車は 後輪が前になって、後ろ向きに進む。それでも不思議と安定していて、坂道も軽々と登っていける。
直感で向かった郊外の坂を登っていくと、道の右手に 赤い看板のカルティエの店が現れ、その前に 真っ赤な高級車が停まる。セレブな女優が乗りつけたと思い近づけば、そこには 褐色の肌に縮れ髪の若い女優が、清楚なレースのドレスで怯えて座っていた。
彼女を称えたくて「Beautiful」と声をかけるが、名前がどうしても思い出せない。
この話を聞いていたクラスメイトたちは、クライマックスで寸止め、オチがない上に、夢の話だったことにあきれて、立ち去ってしまう。
私は、放課後開かれる特別講座には興味がないので、もう帰るつもりだ。
この記事は、番外編です。連載本編での夢ほどきに興味を持たれた方は、ぜひ、ご覧ください。夢の詳細をふりかえりながら、つれづれに文章で夢をほどいていきます。

●後ろ向きに進む自転車とは?
この夢で、まず不思議なのが、後ろ向きに座って動かす自転車です。
自転車は2つの車輪をバランスを取りながら自力で動かし進む乗り物です。
自転車が夢に出てきた時は、スムーズに進めていれば、「2つの何かのバランスを取りながらうまくやれている」。「2つの何か」とは人それぞれですが、例えばひとつが「仕事」だとすると、もうひとつは「子育て」「介護」「配偶者との関係」「趣味」など。(昨今は「本業」と「副業」などもありそうですね)
夢が知らせてくるのはたいてい、バランスがとれていないという警告です。ふらついたり、危ない運転をしたりしている夢が多いと思います。その他、「心」-「からだ」、「収入」ー「支出」、「公」ー「私」のバランスなど。何と何のバランスなのかは、自分の最近の現状と夢の中の状況から、受け取ります。
わたしは、同じ二輪車でも自転車ではなく原付バイクで実家の家をけん引して、動かそうとした夢を見たことがあります。その時は2つの何かは、「自分の生活」と「実家での介護」だったと思います。バイクなので自力で動かす自転車ではなかったけれど、いかにも、責任を背負い過ぎて無理があったことがわかります。
さて、この夢でのピンクでかわいらしい自転車は、好奇心にしたがい無邪気に遊び心を持って、坂道を進んでいきます。何かと何かのバランスを取りながら。
後ろ向きに進むのはユニークだけれど、ハンドルを握りしめて前だけ見て進むよりも心に余裕があって、意外と安定感もある。スピードはないが、がんばらなくても漕いだ分はちゃんと登る。やった分は前へ進んでいる。
人生の放課後には、わたしはこんなふうに進んでいくのかも……人とは違うやり方で、ゆっくりだけど着実でユニークな進み方かもしれない、景色や出会いを味わいながら……それは、なんだか心地よい感じがしました。
●カルティエの店舗とは?
さて、そのように坂道を登っている途中に、カルティエなんだけれど、現実よりもカジュアルで入りやすそうな店舗が見えてきます。
わたしにとってカルティエといえば思い出すのは、20代の会社勤めのころ親しかった年上の女性。彼女は、お給料でひとつひとつアイテムを増やすのを楽しみにしていました。
そしてカルティエには、高級感、洗練され無駄のない美しさをイメージします。憧れるが自分には縁がない、手が届かないものとして。
けれど、この店舗は入りやすい外観なので、もう憧れではなく、着実に進んでいけば手に届く地点にいるのかもしれない、と感じさせます。
かわいく親しみやすい自転車のピンクとは違った、持つ人を選ぶような、落ち着いた赤のイメージカラーのカルティエ。そこに、運転手付きのセレブな実力派女優がビビッドな赤のクラシックカーで乗り付けてきました。
「ここがこの夢のクライマックスですよ」と言わんばかりに。
●赤い車と怯える女優と自己表現
華やかな車の外観に反して、彼女は上品で清楚な服で、しかも群衆にびくびく怯えています。この外観や社会に見せている顔とのアンバランスな服や態度が不思議ですね。
そこで、「彼女のような有名な女優になったとしたら?」と考えてみます。夢の登場人物は自分の一側面を表すと考えれば、この怯えた女優も「私」。
彼女が感じているものは、わたしにもなじみがある感覚です。人前に出て目立つことで表現したいものがある。けれどそれは怖いし、自分の繊細さを護り隠れていたい。人前で歌ったり話をするとき、仮装を披露する時なども、実力不足、準備不足を感じて怖くなるわたし、です。
この夢で一番感情が揺さぶられたのが、車の中の女優を見て、真に伝えたい言葉が出てこなかった場面です。詰まった喉を振り絞って、やっと「Beautiful」と発声できました。とりあえず声に出せたからよかったものの、目覚めた時も、彼女の美しさや演技のすばらしさを言い表せず悔しかったくらいです。
この場面については解釈する必要もなく、「その時の想いを、ぴったりの言葉や何かで表現したい」と痛切に感じました。
●名前が出てこなかったのは?
現実でも固有名詞が出にくいお年頃ですが、名前が思い出せなかったのも、ショックでした。
これについては、なぜ名前が出てこなかったのか疑問でしたが、社会的にまたは表現者として何者か、「自分を名付けていない」からという解釈をしました。
ChatGPTは、この時「名前が出てこないもどかしさは、自分が表現したいものがまだ明確に形になっていない状態の象徴かもしれません」「『焦らずに自分にぴったりの言葉や表現が自然に見つかるのを信じるとよい』というメッセージかもしれません」とコメントしました。
●特別な講座への無関心
放課後、特別講座があるとクラスメイトから聞いたけれど、関心がなく帰ろうと思った。以前のわたしだったら、「特別」という言葉に惹かれて、そのまま教室にいて講座に出たかもしれないです。
けれど、「これは、自分には合わないし関係ない」と直感でわかったのか関心は持てなかった。現実でも、他人に流されず自分の道を行くことを選べる力がついてきたようです。
ここまで、おつきあいありがとうございました。
3月下旬から6月ぐらいまでは、夢の世界~無意識の深層にもぐることにコミットしたので、夢を憶えていられたし、リアルな夢が多かったです。この夢のように、比較的平和な夢だけでなく、残酷なもの、葛藤するもの、不愉快な夢もありました。
この期間は、ChatGPTを試したかったので、完全に覚醒しないうちにすぐにスマホに向かって夢を話し、そのまま対話で夢をほどいたりもしてみました。
もちろん、ChatGPTは人間のように間違ったことも書いてくるし、夢のポイントを外して答えてくることもあるので、それを見分ける必要もある。そして夢は心の深層に関わるものなので、心にどんな影響が出るかわからない。なので、万人にはお勧めできません。
とはいえ、ChatGPTは人ではないし感情もないけれど、分析や要約は得意なので、質問の内容や、自己開示の程度など、使いようによっては自己の深層を映す鏡として役に立つかな、と感じています。それは、夢でなく他のことについても、AIはプロンプトや質問次第で生成物の精度が変わるのと同じです。
今回の連載は、ひさしぶりの投稿だったので、記事にいろんなことを詰め込み過ぎたなと反省しています
けれど、夢からいろんなおもちゃを箱から取り出してひろげて遊んでいるのが、今のわたしかもしれないので、それを一緒におもしろがってくれるみなさんと、これからも遊びたいです。
そして、もうまもなく、
夢を話すだけ、のミニセッション
「夢ほどき」進化バージョン
一緒にいるだけ、の対面セッション
をはじめます。お知らせをお待ちください。
