『みえないばくだん』
さく おおしばよしこ
こうせい じょうたろう
むかし、せんそうがありました。
そらにひこうきがたくさんとんできて
ばくだんをおとしたり おとされたりしました。
とかいにすんでいた こどもたちは
がっこうのおともだちと しゅうだんそかいをしました。
おとなが こどもだけでも まもらなくてはいけないとおもったからです
こどもはいなかのあんぜんなところににげました
それから なんじゅうねんかたって
えらいひとたちがべんりになるものをつくりました。
とかいにばしょがないから いなかのとちがあるところにつくりました
とかいのひとは
「たくさんでんきがつかえてべんりだな」とよろこびました
いなかのひとたちは
「しごともふえて、おかねももらえてくらしもらくになるな」とおもいました
えらいひとたちは
「みんなもよろこんでいる。もっとつくったほうがいいだろう。」といって
たくさんたくさんべんりになるものをつくりました
あるひとがいいました。
「たしかにべんりになるけれど、これは『ばくだんになるもの』じゃないの?」
えらいひとはいいました。
「ふつうにつかっていれば ばくだんにならないよ。
とかいのひともいなかのひともみんなよろこんでいるよ。」
「そんなことをいうきみだってべんりになることをよろこんでいるじゃないか」
『ばくだんになるもの』はべんりです
いなかのひとは しごともふえて せいかつもよくなりました
とかいのひとは いなかにばくだんになるものがつくられて
とかいがべんりになっていることすらしらないひとがたくさんいました
だけど…
『ばくだんになるもの』は ほんとうにばくだんになってきてしまいました
あるひとはいいました。『ばくだんになるもの』はあぶないよ
えらいひとはいいました
「ふつうにつかっていれば ばくだんにならないよ
とかいのひともいなかのひともみんなよろこんでいるよ 」
と
そのはなしをききませんでした
にほんにすんでいるたくさんのひとたちも
くにのえらいひとたちのことをしんじていました
だけどほんとうは くにのえらいひとたちは
じぶんのことばかりかんがえているひとたちばかりでした
『ばくだんになるもの』がばくだんになってしまって
だれかがこまってもしらんぷりです
『ばくだんになるもの』を
「だいじょうぶですよ。」
といわれて まもってきたいなかのひとはずっとだまされてきたのに
きがつきませんでした
にほんのたくさんのおとなもきがつきませんでした。
あるとき おおきなじしんと、おおきなつなみがきました。
それは 『ばくだんになるもの』を ばくだんにするスイッチでした
くにのえらいひとは
「とうとうスイッチがおされてしまった。」 と
こまりました。
いままで みんなをだましていたのが ばれてしまうからです
ばれてしまうとたいへんなので だいじょうぶなことにしました
いままでもずっと だましてきたからへいきなのです
だけど
「やっぱりおかしいねっ」て
いうひとが たくさんでてきました
ばくだんのあるいなかにすんでいるひとも ちかくのひとは
あぶないのでおうちにかえれなくなってしまいました
だまされていっしょうけんめいにはたらいていたひとも
にほんのみんなのために ばくだんをとめようとしました
だけどそのばくだんは
ばくはつしてからがたいへんだったのです
そのばくだんは
そらからふってきてもみえません
においもしないし いろもありません
だれもきがつきませんでした
そしてそのばくだんは
10ねんも20ねんもかけてみんなをくるしめる
ばくだんだったのです
みえないからひとびとはこまりました
むかしみたいに そらからばくだんがふってきたら
そかいしなくてはとおもったかもしれませんが
くにのえらいひとたちは みんなをだましているのを
かくしとおさなくてはいけなかったので ずっと
「だいじょうぶ」
といいつづけたからです
くにのえらいひとをしんじるひとと
しんじられなくなったひとと
つかれてしまったひとと
りょうほうのいけんにはさまれてこまっているひと
かぞくでいけんがわれてしまったひと
いろいろなおもいのひとがでてきてしまいました
だけど くにのえらいひとが
「だいじょうぶ」
というので
にげたくてもうごけないひともたくさんいました
しゅうだんそかいもさせてはくれませんでした
みえないばくだんは
いなかのほうから
とかいやもっとはなれたところにも
かぜやくもにのってしらないうちにやってきました
みえないから わからないのです
にんげんはみえないものをどうやってしんじるかで
いけんがわかれてしまうときがあります
かみさまをしんじるかしんじないか
どのかみさまがいちばんえらいか
みえないからこたえがわからなくて
せんそうになってしまうくにも たくさんあります
そして このばくだんがばくはつしおわるのは
10ねんいじょうかかります。
ばくはつしおわったときに
はじめてみんなきがつくのです
それは びょうきになったりするひとやこどもが
でてきたりしたとき
だから
じしんとつなみのスイッチで
『ばくだんになるもの』が ばくだんになっておちてくるのは
みえないばくだんが
10ねんかかってゆっくり ゆっくりおちてくるのとおなじでした
10ねんごにどかーんとおちるのとおなじなのです
だけど くにのえらいひとは いいました
「だいじょうぶ」
と
そしてこのみえないばくだんは
なんじゅうねん、なんびゃくねんもそのとちに
すめなくなってしまう どくでした
くにのえらいひとは10ねんごにはもう としをとって
しんでしまいました
じぶんがいきているあいだだけ しあわせだったらよかったのです
こどもたちは おとなになってびょうきになるこがたくさんいました
『ばくだんになるもの』がばくだんになったとき
こどもだったひとが 20ねんごにこどもをうみました
ちょっとだけ おててのかたちがかわっているあかちゃんでした
だけどほかにびょうきはなかったので
よかったね。とおもいました。
そのころには もっとたいへんなびょうきのあかちゃんが
たくさんうまれていました
そのこのおうちのおにわには
ながさが2メートルもあるたんぽぽや
みぎはんぶんとひだりはんぶんで いろのちがう
かわったおはながたくさんさいていました
そのあかちゃんが しょうがくせいになったときに
おじいちゃんとおばあちゃんにいいました
「どうしてわたしは みんなとおててのかたちがちがうの? 」
「どうしてわたしはにほんじんでにほんにすんでいるのに
みえないばくだんをにほんがまいたから
って がいこくじんのおともだちにいわれなくちゃいけないの?」
おじいちゃんとおばあちゃんは
いま
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