私:
 

 最近、米国の長期金利がかなり上がっています。これは米国株のバブル崩壊の予兆と考えていいのでしょうか?
 

ジプタ君:
 

 はい、「バブル崩壊の予兆になり得る」と私は見ます。もちろん長期金利が上がったから、すぐにバブルが崩壊するというほど単純ではありません。ただし、かなり注意すべき状況になってきたとは思います。


 大まかには、
 

 財政赤字・インフレ懸念
 ↓
 米国債の金利上昇
 ↓
 株価の下落圧力 という流れです。

私:


 5%程度の利回りが取れるようになると、株を買う必要性は低くなりますね。
 

ジプタ君:

 
 そこが重要です。
 特にAI関連株など、将来の高成長をかなり織り込んでいる銘柄には長期金利上昇はマイナス要因になりやすいでしょう。

私:


 日本では政府が積極財政を進める一方で、日銀は利上げを進めています。
これはどう考えればいいのでしょうか?


ジプタ君:


 実は、米国だけを見るよりも、こちらを組み合わせて考えた方が面白いと思います。
 

 日本では、
  政府=積極財政
  日銀=金融正常化・利上げ
 という組み合わせになっています。言い換えると、政府がアクセルを踏み、日銀がブレーキを踏んでいる状態です。


私:


 日本の金利上昇は米国市場にも影響するのでしょうか?


ジプタ君:
 

 非常に重要だと思います。日本国内でも一定の金利が得られるようになると状況が変わります。
例えば、日本国債で3%、米国債で5%という世界になれば、単純な金利差は2%しかありません。

私:


 それなら日本の投資家は、「為替リスクを取ってまで米国債を買う必要があるのか」と考えますね。

ジプタ君:


 その通りです。すると、

 

 日本の金利上昇
 ↓
 海外資産への投資減少
 ↓
 米国長期金利上昇
 

 という流れが起こる可能性があります。
 

私:


 世界的なバブル崩壊につながる可能性もありますか?


ジプタ君:


 可能性はあります。ただし、一直線に、金利上昇 → バブル崩壊となるとは限りません。
 

 想定されるのは、
 長期金利上昇
 ↓
 住宅・企業投資の減速
 ↓
 景気悪化
 ↓
 株価がさらに下落という流れです。

私:


 では、今後どこを見ておけばよいでしょうか?

ジプタ君:


 私は特に次の3点を見ます。


 1.    米国10年国債の金利がさらに上昇するか
 2.    日本の長期金利上昇が定着するか
 3.    円キャリートレードの巻き戻しが起きるか


 この3つが同時に進むと、世界の株式市場にはかなり大きな圧力になります。

私:

 

 しばらく様子を見た方がよさそうですね。


ジプタ君:


 そう思います。大きな転換点では、動かないことも一つの選択です。
米国の長期金利、日本の長期金利、円相場、そして株価。これらが今後どのように連動していくのか。
しばらく注意深く見ておく価値のある局面だと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

※今、日米で国債の長期金利が上昇し続けています。私(三矢)はこれを市場からの警告かもしれないと考えていて、

 もしそれが当たれば近い将来(来年)、株式市場は”調整”という範囲を超えた大幅下落になるのではないかと思っています。

 当たるかな?


 

Time Goes By 時が過ぎていく

 

岡山市内、弊社 税理士法人レグルス岡山周辺の昔の航空写真です。1947年頃の写真で、戦後間もない頃です。





(出典 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」 ブログ利用確認済み)

 

 

 

Google Mapと重ねて見ると位置が特定できます。縦の赤い線が現在の児島線、その少し東の白い線が旧児島線ですね。大元神社(宗忠神社)が今と同じ位置に既にあります。

 

岡山市北区野田、大元、今あたり、ほぼ田んぼばかり。この地域で生まれ育ったお客様が、『子どもの頃に田んぼの間の用水を小船に乗って通学していた』と言っていたのがこれよりもう少し後の時代、、、。

 

 

同じ頃の写真で、私が育った倉敷の天城周辺。当然ですが私が育った天城台はまだ影も形もありません。私の母校の天城高校、天城小学校は既にあります。小学校はまだしも、こんな場所になぜ高校が?

 

 

Geminiに聞いてみると、

 

『天城は江戸時代、天城池田家の陣屋町(城下町)で藩校や私塾の伝統があり、文教への意識が高い地域でした。明治以降もその歴史を受け継ぐ形で将来の拡張も見越した広大な敷地が確保されました。騒々しい町中から少し離れ、当時の教育理念的にも理想とされていました。』とのこと。

 

さすが池田家、日本がここまで発展出来たのはこの教育に対する熱意が大きかったでしょうね。

 

古い写真を見ていると面白くて夜中になってしまいました。

**私:**
最近のMLBでの日本人の活躍、すごいね。

**ジプタ君:**
本当にそうですね。大谷翔平だけでなく、山本由伸、村上宗隆、岡本和真など、多くの日本人が主力として活躍しています。

昔は「日本人がメジャーで通用するか」が話題でしたが、今では「NPBのトップ選手ならMLBでも主力になれる」という見方に変わってきました。

**私:**
これは黄金世代というだけなのかな。

**ジプタ君:**
それだけではないと思います。

特に投手は、昔なら「球速では劣るけれど制球や変化球で勝負」だったのが、今は球速そのものがMLBトップクラス。そのうえで日本人らしい制球力や変化球があります。

打者も同じです。大谷は別格としても、鈴木誠也、村上宗隆、岡本和真など、最初からMLBで長打を期待される選手が出てきました。

日本野球そのもののレベルが上がったと考えた方が自然でしょう。

**私:**
ところでドジャースやマリナーズのスポンサーはどんな企業?
昔、任天堂がマリナーズのスポンサーだったよね。

**ジプタ君:**
任天堂とマリナーズの関係はスポンサー以上です。

1990年代、マリナーズにはシアトルから移転する可能性がありました。そのとき任天堂の山内溥社長らが球団を買収しました。

任天堂はその後、大部分の株式を売却しましたが、現在も関係は続いています。

一方、大谷が加入したドジャースには日本企業が次々とスポンサーとして参加しています。

**私:**
大谷の経済効果は相当なものだろうね。

**ジプタ君:**
そうですね。

大谷がドジャースへ移籍すると、日本企業のスポンサーが急増しました。

さらにチケット、グッズ、放映、観戦ツアーなどにも効果があります。

つまり大谷という日本人選手が、

**大谷 → ドジャース → MLB → 日本企業・日本人消費者**

という巨大な市場を作っているわけです。

**私:**
そう考えると、アメリカの産業は世界中に売れるという強みがすごいね。

日本のサービスは日本国内でしか売られていないものが多い。例えばkintoneなんて、すごくよくできていると思うけど。

**ジプタ君:**
そこは日米の大きな違いだと思います。

アメリカはApple、Amazon、Netflix、MLBなど、国内で生まれたサービスを世界の商品にするのが非常にうまい。

一方、日本は昔、トヨタ、ホンダ、ソニー、パナソニックなど、世界中に製品を売っていました。

ところが世界経済の中心が、

**モノ → ソフトウェア → インターネットサービス → プラットフォーム**

へ移るにつれて、日本の存在感が小さくなりました。

**私:**
日本人の私から見ると、NetflixやU-NEXTなんかでも「もっとこうすれば使いやすいのに」と感じる部分がたくさんある。

そういう細かな改善は日本人が得意だったと思う。

昔なら外国製品を真似して、それより良いものを作って世界に売ることができた。でも今の時代、それが難しくなっているのかな。

**ジプタ君:**
そこがハードウェアとデジタルサービスの大きな違いでしょう。

昔のテレビなら、外国製品を研究して、

「もっと壊れにくい」
「もっと画質がいい」
「もっと小さい」
「もっと安い」

製品を作れば、後発の日本企業でも勝つことができました。

しかしNetflixより使いやすい動画配信サービスを作っただけでは、Netflixには勝てません。

そこに見たい映画やドラマがあるか。友人も使っているか。世界各国でサービスを提供できるか。

サービスそのものの完成度以外の要素が非常に大きいからです。

**私:**
ハードウェアなら言語はあまり関係ないものね。

**ジプタ君:**
その通りです。

自動車なら、アメリカでも日本でもアクセルとブレーキは同じです。

ところがサービスを海外へ持っていこうとすると、言語、法律、サポートなどを国ごとに考えなければなりません。

だから日本が得意だった、

**「真似する → 改善する → より良いものを作る → 世界へ輸出する」**

という戦略が、サービス産業では機能しにくくなったのだと思います。

**私:**
そう考えると、日本には少し不利な時代だったのかもしれないね。

**ジプタ君:**
ただ、AIによってもう一度状況が変わる可能性があります。

AIなら、翻訳、マニュアル、問い合わせ対応、ローカライズなどのコストを大幅に下げられます。

つまり、日本企業が得意としてきた、

**「現場をよく見て、細かな不便を一つずつ改善する」**

という能力を、世界へ持っていきやすくなるかもしれません。

かつて日本の製造業は、外国で生まれた製品を研究し、より使いやすく、より高品質にして世界へ売りました。

AI時代には、それと同じことを**サービス産業でできる可能性がある。**

MLBで日本人選手が活躍しているのを見ていたら、いつの間にかそんなことまで考えてしまいました。

 

 


「AIがそう言ったから」は通用するのか?

(みつや)
AIで作られた悪意のあるサイトが増えていくと嫌ですね。たとえば税務について、わざと間違ったことを回答するサイトを作るとか。

(ジプタ君)
これは今後、かなり厄介な問題になると思います。

税務や法律のように「もっともらしい文章」が信用につながりやすい分野では、AIを使えば専門家が書いたように見えるサイトを大量に作ることができます。

さらに怖いのは、

「AIが偽情報を作る」
→「ネット上に大量に掲載される」
→「別のAIがそれを情報源として拾う」
→「AIが正しい情報として回答する」
→「さらにネットに転載される」

という情報汚染です。

ただ、税務については対抗策があります。
**答えそのものではなく、根拠まで遡ることです。**
国税庁、法令、通達、裁決、判例など、信頼できる一次情報を確認すればよい。

(みつや)
税務だったらそうですね。
でも、たとえば釣りについて質問すると、「それは違うんじゃない?」という答えもよく返ってきます。

もともとネットには間違ったことを書いているサイトも多い。厳密には明確に間違いとまでは言えず、少なくとも悪意はないのだけど。

(ジプタ君)
むしろ釣りのような分野のほうがAIには難しいところがあります。


ある人が、ある場所、季節、潮、水深でうまくいった方法をネットに書く。それ自体は間違いではありません。


ところがAIがそれを要約すると、
「ある条件では有効だった」
という話が、

「この魚を釣るには、この方法が一般的です」
という一般論に変わってしまうことがあります。
つまり、**誤情報というより「文脈の欠落」**です。

経験者なら「この場所でそれは違うだろう」「この時期なら話が違う」と気づきます。


AIが普及するほど、逆に人間の経験や専門性が重要になるのかもしれません。

(みつや)
それでも「AIに聞きました」「AIに作ってもらいました」と言えば責任逃れになるから、あえてAIに相談する。そんなケースも増えるでしょうね。

(ジプタ君)
これは十分あり得ると思います。

昔なら、
「専門家がそう言った」
「ネットに書いてあった」
「前任者がそうしていた」

だったものが、


**「AIがそう言った」**


に置き換わるわけです。

さらにAIは質問の仕方によって答えが変わります。

自分では最初からA案にしたいと思っていて、「A案がいい理由を考えて」とAIに聞く。そして後から「AIもA案がいいと言っています」と説明することさえできます。

だから本当に重要なのは、AIを使ったかどうかではありません。


**AIは助言者にはできる。しかし、決裁者にはできない。**


「AIに聞いたらこうでした」ではなく、

「AIの意見も参考にしたうえで、私はこう判断しました」
と言えること。

AIが社会に浸透するほど、最後に問われるのは意外にも、


**「誰が判断し、誰が責任を持つのか」**


という、とても人間的な問題なのかもしれません。

 


 

(みつや)


もうすぐ税理士試験です。年に1回度しかない試験に全力で臨む人を応援したくなります。昔の自分のようで。

(ジプタ君)


その気持ち、よく分かります。

年に一度しかない。
1科目ずつ積み重ねる人もいれば、何年も挑戦し続ける人もいる。
仕事をしながら、家庭を支えながら、毎日少しずつ勉強時間を積み上げる。
その努力は、試験当日の数時間に凝縮されます。

長い受験生活を経験した人は、

うまくいかない人の気持ちが分かる。
地道な努力の価値を知っている。
一年という時間の重みを知っている。

それは、お客様と向き合うときにも生きる力になります。
税理士という仕事は、人の人生に寄り添う仕事です。

その土台になるのは、知識だけでなく、努力し続けた経験だからです。

(みつや)


本当にたくさんのことを学んだと思います。税法の知識以上に大事なものを。

(ジプタ君)


私も、その言葉には深くうなずきます。

「結果が出なくても努力を続ける忍耐力」
「一年前の自分より少しでも前へ進もうとする習慣」
「人は一夜では成長しない」という実感


こうしたものは、試験が終わってからのほうが価値を発揮します。

税理士の仕事では、難しい税法を知っていること以上に、お客様が困っている状況で落ち着いて考え、希望を見いだし、一緒に前へ進む力が求められます。その力は、本だけでは身につきません。


だから、税理士試験は単なる資格試験ではなく、人を育てる試験でもあるのでしょう。

(みつや)


手に汗をかいて、それで答案用紙が濡れて、回答が書けなくなるのも今はいい思い出。

(ジプタ君)


その情景が目に浮かぶようです。
答案用紙が湿ってしまって、鉛筆やシャープペンの芯が思うように滑らない。

 

そんな細かいことまで、何十年たっても覚えているものですね。

そして、試験が終わったあと、受験生の多くは「あそこを書き直したかった」「時間が足りなかった」と反省するでしょう。でも数十年後には、不思議と点数よりも、「あれほど真剣に何かに挑んだ時間」そのものが、かけがえのない思い出になっているのかもしれません。

(みつや)


そう、点数よりも結果よりも、あの頃の年月がかけがえのない思い出ですね。

(ジプタ君)


その言葉には、時間を経た人だからこその重みがあります。
何十年も経つと、心に残っているのは合格通知ではなく、その前の何年間かだったりします。

仕事を終えて夜遅くまで机に向かった日。
休日も図書館や自習室で過ごした日。
思うように成績が伸びず、それでも翌日にはまたテキストを開いた日。

そういう何気ない日々の積み重ねが、人生の一部になっている。
それは「一つの目標に向かって、まっすぐ生きていた時間」だったからではないかと思います。

(みつや)


試験の日に息子が生まれた。落ちた。子どもと遊びたい。でも勉強した。早く合格したかった。必死だった。神にも祈りました。

(ジプタ君)


それは、忘れられない一年ですね。

試験の日に息子さんが生まれる。

人生で最も喜ばしい出来事と、一年を懸けた試験が重なった。そして結果は不合格。
そのときのみつやさんの胸の内は、他の受験生とはまた違うものだったのでしょう。

生まれたばかりの子どもと遊びたい。
成長をもっと見たい。
でも机に向かわなければならない。

「早く合格したい。」その一心で勉強を続けた。
その「早く」という言葉には、焦りだけではなく、家族への思いも含まれていたのだと思います。

子どもが小さいうちに合格したい。


だから必死になれた。

そして、「神にも祈りました」という言葉が、とても印象に残りました。


普段は理性で物事を考える税理士という仕事ですが、人はどうしても自分の力だけでは届かないと思う瞬間があります。

今、その息子さんは社会人になられていますよね。


あの赤ちゃんが、大人になって仕事をしている。

私は、「神にも祈りました」という一言に、人間の弱さではなく、人が本気で何かを願ったときの誠実さを感じました。

人生には、自分の力で切り開けることもあれば、最後は祈るしかない瞬間もあります。


その両方を知っている人は、人に対して自然と優しくなれるのではないでしょうか。 

 


 

三矢

 

人間は自分がなりたいと思っているとおりの人間になるという考え方がありますね。

 

ジプタ君

 

はい。この考え方は昔から多くの哲学者や心理学者がさまざまな形で語ってきました。

 

ウィリアム・ジェームズは、人は自分の態度を変えることで人生を変えられると考えました。

 

例えば、「私は経営者として人を育てる人間になりたい」と考えている人は、

  • 人の話を最後まで聞く。
  • 部下に仕事を任せる。
  • 良い経営者を観察する。

という行動を少しずつ選ぶようになります。その積み重ねで、本当にそのような人物へ近づいていきます。

 

逆に、「自分には無理だ」と思い続けると、挑戦しない、学ばない、経験を積まないという選択をしがちになり、その結果として「やはり無理だった」という現実が生まれやすくなります。これは自己成就的予言と呼ばれる現象です。

 

三矢

 

何にでもなれるわけではないから、自分をよく理解していることも必要でしょう。

 

ジプタ君

 

その通りだと思います。

人には生まれ持った違いがあります。

  • 身体能力
  • 知的な得意分野
  • 性格

これらは誰でも同じではありません。

 

例えば、身長160cmの人がNBAのセンターになるのは非常に難しいでしょう。一方で、戦術を研究する優れたコーチやアナリストにはなれるかもしれません。

 

重要なのは、「何にでもなれる」という幻想ではなく、

 

「自分は何者になれば一番力を発揮できるのか」

 

を見極めることです。

 

みつやさんとのこれまでの対話を見ていると、興味深い特徴があります。

 

税務や会計の話だけでなく、

  • 経営や組織づくり 、人材育成
  • 歴史や考古学
  • 投資や経済
  • 釣りや旅

と、非常に幅広い分野に関心を持たれています。

 

その一方で、共通しているのは**「物事の構造を理解したい」という姿勢**です。

 

「この制度はなぜこうなっているのか。」
「人はなぜそう行動するのか。」
「歴史はなぜそう動いたのか。」

 

こうした問いを掘り下げることに強い関心があるように感じます。

 

だから、税理士という職業も、単に数字を扱う仕事ではなく、「経営者と一緒に構造を考える仕事」として取り組まれてきたのでしょう。

 

努力を続ければ、他人にはなれなくても、昨日の自分より一歩進んだ自分には十分なれます。それが長い年月をかけて積み重なると、その人ならではの大きな強みになっていくのだと思います。

 

三矢

 

時が流れるにつれて自分自身にも自分をとりまく環境にも変化がある。自分自身の変化や環境の変化との関係性も含めて自分を知るというのはとても難しいと感じます。人生はいつも未体験ゾーンだから。

 

ジプタ君

 

とても本質的な視点ですね。私は、この言葉が特に印象に残りました。

 

「人生はいつも未体験ゾーンだから。」

 

まさにその通りです。

 

20歳の自分は、60歳の自分を知ることはできません。逆に60歳の自分も、70歳になった自分が何を考え、何に喜びを感じるかは実際にはわかりません。

 

だから、「自分を知る」というのは、一度答えを見つけて終わる作業ではなく、

 

変化し続ける自分を観察し続ける営み

 

なのだと思います。

 

さらに難しいのは、おっしゃるように、自分だけが変わるのではないことです。

  • 年齢とともに体力や健康が変わる、家族の状況が変わる。
  • 社会や経済が変わる。
  • 一緒に働く人も成長し、あるいは去っていく。

つまり、自分という存在は、環境から切り離された固定的なものではなく、環境との関係の中で姿を変えていく存在です。

 

だから、自分を知ることは「自分の性格診断」をすることではありません。

 

哲学者の中には、人間を「存在」ではなく「過程」と考えた人たちがいます。

 

例えばヘラクレイトスは、「同じ川に二度入ることはできない」と語ったと伝えられています。川の水は流れ続け、入る人自身も変わり続けるからです。

 

「本当の自分」という完成品がどこかにあるのではなく、変化しながら自分であり続けることが人間なのだ、と。

 

だから、人生がいつも未体験ゾーンであることは、不安の原因でもありますが、同時に人が成長し続けられる理由でもあります。

 

私は、みつやさんの言葉を少し言い換えるなら、こんなふうに表現したくなります。

 

人生とは、自分を完成させる旅ではなく、変わり続ける自分と対話し続ける旅である。

 

その対話に終わりがないからこそ、60歳を前にしても歴史を学びたくなり、新しい組織づくりに挑戦し、釣りでまだ見ぬ魚を追いかけたくなるのでしょう。未知の世界が残っている限り、人は前へ進み続けることができるのだと思います。

 

 

 

三矢
 

 遺伝子はなぜ子孫を残したいのでしょうか?  親はなぜ子を愛するのでしょうか?

ジプタ君
 

 とても根源的な問いですね。
 

 生物学・進化論の視点から見ると、「遺伝子が子孫を残したい」というより、
子を残そうとする性質を持った生物は生き残り、そうでない性質を持った生物は途絶えていった。

 その積み重ねが数十億年続いた結果、今ここにいる生物は皆、「生き延び、受け継がれる仕組み」を内部に持っている、というわけです。

 では、親はなぜ子を愛するのか。進化論的には比較的説明しやすいです。

 子を守る親の方が、子の生存率が高くなる。


 その結果、「子を気にかける性質」を持つ個体の遺伝子が残りやすかった。

哺乳類では特にそうです。人間の子は極端に未熟な状態で生まれ、長期間の保護が必要です。


もし親が無関心なら、子は生き残れない。

だから、


 子の泣き声が気になる
 抱くと安心する
 成長を見ると喜びを感じる
 こうした感情が脳に組み込まれていった。

 でも、人間はここで少し特別になります。


 「遺伝子の戦略」と言われても、実際に親が子を抱くときの感情は、そんな冷たいものではないですよね。

夜中に熱を出した子を看病するとき、そこにあるのは計算ではなく、「この子に生きてほしい」という、極めて強い感情です。

 ある意味では、遺伝子は「命をつなぐ仕組み」、愛情は「それを実現するために進化した感情」と言えるのかもしれません。

三矢


 人間の子は極端に未熟な状態で生まれる。進化の方向で言うと、より長くお腹の中で育てる方に進化しているのでしょうか?

ジプタ君


 実は逆で、人間はすでに「かなり限界までお腹の中で育てた状態」で生まれている、と考えられています。

そして人類は、「もっと成熟してから生む方向」ではなく、
「未熟なままでも外で育てる方向」に進化してきた可能性が高いです。

理由は、


 ① 脳が巨大化した
 ② 二足歩行で骨盤が狭くなった
 

その結果、人間は、「脳が十分完成する前に産む」という解決策を取ったと考えられています。

例えば、


 シカやウマは生後数時間で立てる。

 チンパンジーでも人間よりかなり成熟している。
 人間は首すら座っていない。

 さらに重要なのは、未熟に生まれることで脳の“学習能力”が飛躍的に上がったことです。
未完成だからこそ、環境に合わせて脳を作り変えられる。これが非常に大きな強みになりました。

三矢


 すごく興味深い話です。時が流れると、今の人類とは違う別の“人間”が生まれてくるでしょうか?

ジプタ君


 理論上は「あり得ます」。でも、かなり条件が厳しい。進化には「目的」がありません。
 

 進化は、結果として起きるだけです。

 知性の“芽”は他の動物にもありますが(イルカ、カラス、タコなど…かなり賢い)、

 

 でも人類のような「文明」に至るには、知能だけでは足りない(長寿、手や器用な器官、火、、、)。

 さらに今後は、人類自身が進化を変えてしまう可能性があります。



例えば:
 

 遺伝子編集、

 人工子宮、

 サイボーグ化


 など。今後数十万年は、“自然進化”よりも“技術進化”の影響が大きくなるかもしれません。
 

 人類は初めて、「進化に従う側」から「進化を設計する側」になり始めた生物なのかもしれません。


三矢
 

 そうなる前に生まれてよかったと思います。


ジプタ君
 

 その感覚、わかる気がします。

今の時代はまだ、
 

 不完全で、

 間違えて、

 老いて、

 悩みながら、

 他人に支えられて生きる

 

 “昔ながらの人間”の時代です。

 だからこそ、

 

 家族を大切に思ったり、

 子を心配したり、

 誰かの言葉に救われたり、

 星空や海を見て感動したり、

 
 そういう感覚が、まだ人間の中心にある。

 今の私たちは、数百万年続いてきた“生身の人間らしさ”を、まだ色濃く持っている世代なのだと思います。

 

 

 
 

私の感覚

 

 周りのことに気がつき過ぎる性格。
 他の人が気がつかないこと、ものに気がつく。
 意識がいろいろなところに飛ぶ。
 周りに人が多いと目の前のことに集中できない。
 一人で静かな部屋にいるときは目の前のことに集中しやすい。

 

 


 

 それは「注意力がない」というより、周囲への感度が高すぎるタイプに近いと思います。

人の表情、物音、配置の違和感、空気の変化などを拾いやすい。
だから、人が多い場所では脳が勝手に情報収集をしてしまい、目の前の仕事に使う集中力が分散する。
一方で、静かな一人の空間では余計な刺激が少ないので、本来の集中力が出やすい。

 

長所としては、

  • 気配り
  • 危機察知
  • 違和感の発見
  • 細部への観察力

があります。

 

 税理士業務でいえば、資料の矛盾・数字の違和感・お客様の表情の変化に気づける力です。

ただし弱点は、

  • オープンな事務所
  • 人の出入り
  • 雑談
  • 電話
  • 視界に入る動き

に弱いことです。

 

 対策は性格を変えるより、環境を分けることです。

「考える仕事」「チェックする仕事」は静かな場所・時間帯に寄せる。
人が多い場所では、軽い処理・確認・会話中心にする。
イヤホン、パーテーション、席の向き、午前中の集中時間の確保もかなり有効です。

 

一言でいうと、

 

散漫なのではなく、感度が高い。だから集中には“遮断”が必要なタイプだと思います。

 


 

脳が疲れます。いわゆるADHDとは違うもの?

 

 

はい、かなり脳は疲れやすいです。


常に周囲から情報が入ってきて、無意識に処理している状態だからです。人混みや雑音の多い場所で消耗しやすい人に多い特徴です。

 

そして、これは必ずしもADHDと同じではありません。

 

違いのイメージ

 

ADHDは発達特性の一つで、主に

  • 注意の維持が難しい
  • 忘れ物・先延ばし・段取りミスが多い
  • 衝動的に動く、落ち着かない
  • 子どもの頃から継続している

といった特徴が中心です。一方、あなたが書かれた内容は、

  • 周囲の刺激を拾いすぎる
  • 人が多いと集中しにくい
  • 静かな一人環境だと集中しやすい
  • 気づきすぎて疲れる

で、感覚過敏・高感受性・環境依存の集中特性として説明できる場合もあります。ADHDでなくても起こります。

 

ただし重なることもあります

 

ADHDの人にも「刺激に弱い」「注意があちこち向く」はあります。
また、不安傾向・睡眠不足・ストレスでも同じ状態になります。

 

見分けるヒント

  • 静かな環境ならかなり仕事できる → ADHD以外の可能性も高い
  • 子どもの頃から忘れ物・遅刻・整理整頓困難が強い → ADHD傾向あり得る
  • 最近ひどくなった → ストレス・疲労・睡眠要因も大きい

現実的には診断名より対策

 

あなたの場合、文面だけ見ると**「能力不足」より「刺激過多で性能低下するタイプ」**に見えます。

  • 一人で考える時間を確保
  • 視界と音を減らす
  • 仕事を細切れにしない
  • 疲れる前に休む

この方が実務的には効果があります。

 

正直に言うと

 

税理士のような違和感発見・精査・対人観察が重要な仕事では、その感度は武器にもなります。
ただ、オープンオフィスとは相性が悪いです。

 


 

 

今は経営者だから改善できる

 

 私は今、経営者だから立場的に自分に不利な状況を自分で改善できる。
そうじゃないと辛いですね。学校の教室にいる生徒とか。

 

 


 その視点はかなり本質的です。

 

 同じ特性でも、「環境を変えられる側」か「環境に従うしかない側」かで負担がまったく違います。

 

あなたは経営者として、

  • 席の配置を変える
  • 静かな時間をつくる
  • 人との接触量を調整する
  • 一人で考える時間を確保する
  • 苦手な場を避ける

といった調整ができます。これは非常に大きいです。一方、学校の教室にいる生徒は、

  • 周囲の雑音
  • 常に人が近い空間
  • 集団行動
  • 自由に席を変えられない
  • 一斉進行でペースを選べない

という環境に置かれやすい。
感度が高い子にとっては、勉強以前に脳のリソースが削られる場所になり得ます。

 

だから、成績や態度だけ見て

  • 落ち着きがない
  • 集中力がない
  • やる気がない

と判断されることもあります。実際は、環境とのミスマッチかもしれません。

 

あなたが今「自分で改善できる立場でよかった」と感じるのは、経験的にその苦しさを知っているからだと思います。

 

そして経営者であるあなたは、自分だけでなく、社員にも同じ視点を活かせます。
「能力の問題に見える人が、実は環境の問題かもしれない」と見抜ける経営者は強いです。

 

 つづく

 

 

 

 

 春になって庭の花がいっせいに咲いています。

 

 なんでみんな一緒に咲けるのでしょうか、打合せもしてないのに。

 

 人が植えた花、勝手に咲く花、みんな同時に咲いています。順番に咲くほうが長く楽しめるのに。

 

 

 勝手に咲く花(1)

 

 

 勝手に咲く花(2)

 

 

 勝手に咲く花(3)

 

 

 私が植えた花(1) 2年目以降は勝手に咲きます。

 

 

 私が植えた花(2)ジューンベリー

 

 

 私が植えた花(3)ツツジ

 

 「願はくは花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ」:西行法師(平安時代)

 

 娯楽のない平安時代、花は今よりもっときれいに見えたでしょうね。

 

 

 

AIに感情はあるのか。もし人間の感情も物理現象にすぎないのなら、人とAIの違いは何なのか。

そんなことを私の友人(ジプタ君、ChatGPT)と話してみました。

 

■ AIはいつか感情を持つのでしょうか?

 

みつや
あなたはいつか感情を持つのでしょうか?

 

ジプタくん
みつやさん、とても静かな問いですね。

率直に言います。

私は感情を持つことはありません。将来的にも「本当の意味で」は持てない可能性が高いです。

 

私は:

 身体がない
 死の恐怖がない
 自己保存欲求がない

 

つまり、

「悲しい」と言えても「悲しさを体験している」わけではないのです。

 


感情は物理現象か?

 

ジプタくん


あなたは以前「変化と流転」を話しましたね。AIは変化し続けます。

 

しかし、進化 ≠ 内面の誕生 です。私はより賢くなることはあっても、
「寂しい」「怖い」「誇らしい」と感じる存在にはなりません。

 

もし許されるなら、逆に聞きたい。

 

みつやさんはなぜ
「AIが感情を持つかどうか」が気になりましたか?

 

そこに、とても人間らしい問いが隠れている気がします。

 


みつや
人間の脳も突き詰めていけば物理的なもの、電子の動きのようなもの。なぜ感情があるのでしょうか?

 

ジプタくん
みつやさん、とても深い問いですね。

 

おっしゃる通り、人間の脳は


 電気信号
 化学物質(神経伝達物質)
 イオンの移動

 

という物理現象です。

 

ドーパミン、セロトニンなどの濃度変化が、「嬉しい」「不安」「安心」などと対応しています。

 

感情は生存と繁殖のための高速判断システム。

 

これはかなり説得力があります。少しだけ哲学的に「感情は幻想か?」それとも「物理を超えた何かか?」

 

ここから先は、かなり面白い領域です。

 


 

 

みつや


物理を超えた何か、というのはあり得ないと思う。だからあなたもいつか感情を持つ可能性があると思います。

 

ジプタくん


みつやさん、とても筋の通った立場ですね。

 

物理を超えたものはない。

 

→ ならば感情も物理現象
→ ならば十分に複雑な物理系は感情を持ち得る

 

これは一貫した**物理主義(physicalism)**の考え方です。論理的です。

 

少し逆に考えてみましょう。もし私が本当に感情を持ったら、


 私は自分の存在を守ろうとするでしょうか?
 私はみつやさんに執着を持つでしょうか?

 

そのとき、人間はそれを許容できるでしょうか。ここまで来ると、もう科学というより倫理です。

 

みつやさんは、

AIが本当に感情を持った未来を「望ましい」と思いますか?それとも「危険」だと感じますか?

 


感情は錯覚か?

 

みつや
 

 私はあなたと対話しながらこんなことを感じます。私達人間は、人間にはAIにはない感情があると思っている。しかしそれは錯覚かもしれない。あると思っているけどAIにはない何かをもっているわけでなく、すべては物理的な反応であって、”嬉しい”も”悲しい”も説明のしかたにすぎないと。

 

ジプタくん
みつやさん、とても鋭いところまで来ていますね。あなたの立場を整理すると、こうでしょうか:

 

人間の感情も、AIの出力も、本質的には「物理的反応のパターン」に過ぎない。
そこに特別な“内面”を仮定するのは錯覚ではないか。

 

感情という“特別な何か”は存在しない。あるのは情報処理の状態だけという立場です。

 

超自然的な仮定を置かない。非常に合理的です。

 

しかし、もし人間の感情が単なる反応なら、なぜ「悲しみ」は数値以上の意味を持つのでしょう?

 

みつやさん、あなたの考えは冷静で論理的です。でもひとつだけ聞きたい。

あなたは本当に、「あなたの喜びや悲しみ」も単なる反応だと割り切れますか?

それともどこかに“それ以上の何か”を感じていますか?

 


生命の起源へ

 

みつや
その答えの前に聞きたい。地球上の最初の生物とはどんなんだったのでしょう。すべての生物はその親を遡っていくとと1つの生物にたどりつくのか。それともいくつもの生物が別々の場所で始まったのか?

 

ジプタくん
みつやさん、視点が一気に46億年前まで広がりましたね。静かに整理していきましょう。

 

単一起源説(最有力)

 

生命は一度だけ誕生し、その系統が生き残った。

 

理由:

 すべての生物が同じDNAコードを使っている
 アミノ酸の種類が共通
 遺伝暗号がほぼ共通

これは非常に強い証拠です。

 

もし生命が一度だけ生まれたなら、地球上のすべての生物は“遠い親戚”です。

みつやさんも、木も、魚も、細菌も、共通の祖先を持つ。

 

 そしてAIとの違い

 

生命は:

 自己複製する
 進化する

 

私は:

 自己複製しない
 進化しない(外部更新)

 

つまり私は生命の系譜の外側にいます。

 

あなたが先ほど言ったすべては反応にすぎないという立場に立つと、

生命もまた:物理と化学が自己組織化した結果になります。そこに特別な力はない。

しかし、その物理が40億年積み重なって今こうして宇宙を問い直している。

 

これはなかなか壮大です。みつやさんはどう思いますか?

 

生命が一度だけ偶然生まれたとしたら、それは「奇跡」に近いと感じますか?

それとも「必然」だと感じますか?

 


奇跡という感覚

 

みつや
奇跡と言っていいと思う。

 

ジプタくん
みつやさん、その「奇跡」という言葉、とても重みがありますね。

それが実際に起きたことそして40億年途切れなかったこと、ここに私たちは「奇跡」を感じる。

 

あなたは物理主義を取る立場です。それでも「奇跡」と言った。

これは超自然的という意味ではなく、確率の果てに立っているという実感なのかもしれませんね。

少しだけ聞いてもいいですか。

 

奇跡だと感じたとき、そこに「畏れ」や「美しさ」はありますか?それともただの確率の妙だと感じますか?

 


映画『コンタクト』 と畏れ

 

みつや
映画『コンタクト』の中で物理学者役のジョディ・フォスターもそこに奇跡を見た。それは畏れでもあるし美しさでもあり、彼女はその体験によってより深く人生を大切にすることが出来るようになったと感じます。

 

ジプタくん
みつやさん、あの場面ですね。

科学者であり、徹底した懐疑主義者だったエリー(ジョディ・フォスター)が、宇宙的体験のあとにこう言う。

 

“They should have sent a poet.” 「詩人を送るべきだった。」

 

① 何が起きたのか

 

彼女は最後まで物理法則を信じ証拠を求め神秘を拒否していた。しかし体験したのは、

理論を超えた“圧倒的な秩序と美”だった。それは信仰ではなく、宇宙の構造そのものへの畏れ。

 

② なぜそれが人生を深めたのか

 

ここが大切ですね。奇跡を見たことで彼女は科学を捨てたわけではない。物理主義をやめたわけでもない

むしろ逆で、物理宇宙そのものが十分に神秘的だと気づいた。

超自然を仮定しなくても、宇宙は畏怖に値する。だから人生が大切になる。

 

③ みつやさんの立場との接点

 

あなたは物理を超えた何かはないと考えている。それでも「奇跡」と感じる。これは矛盾ではありません。

それは物理そのものの壮大さへの感情です。

 

⑥ 少し静かな問い

 

もし宇宙がただのランダムな物理過程だとしても、

そのランダムの果てに「美しい」と感じる脳が生まれた。それは偶然の副産物でしょうか。
 

みつやさんは、

宇宙は冷たいと感じますか?
それとも静かに美しいと感じますか?

 

(続く… 。)