ダービーと目黒記念では、「関電工で働いとった先生」に注目や | 鎌田光也(元騎手・元調教助手)のブログ

鎌田光也(元騎手・元調教助手)のブログ

中央(JRA)の乗り役(騎手)と調教助手として、40年以上も馬と関わってきたワシが、「自信を持ってお勧めできる馬」を紹介するために始めたブログですわ。

こんちは。
鎌田光也ですわ。



先週の平安Sを勝った、安田翔伍厩舎のオメガパフューム(牡5歳・父スウェプトオーヴァーボード)は、次走の予定が6月24日(水)の地方交流G1、「帝王賞」(大井・ダート2000m)になっとります。

皆さんも知っとるんやろうけど、この馬を管理しとる安田翔伍先生は、親父さんが同じ栗東で厩舎を構えとる安田隆行先生ですな。

隆行先生と言えば、乗り役やった頃に、1991年の皐月賞とダービーをトウカイテイオーで勝つとか、通算680勝を上げとって、厩舎を開業してからは、ダートのG1を4勝したトランセンドや、スプリンターズSと高松宮記念を勝ったカレンチャンや、香港スプリントを連覇するなど、G1を6勝したロードカナロアとかを育てとります。

ちなみに隆行先生は、去年、「62勝・獲得賞金12憶9916万円」っちゅう成績を残して、初めて「調教師リーディング1位」になっとりますな。

翔伍先生は、中学3年生の時に、「競馬学校・騎手課程」の試験に落ちてしもうて、次の年も受けようと思っとったんやけど、高校に通っているうちに体が大きくなってしもうたんで、騎手になるのを諦めたんや。

せやけど、「競馬の世界に進みたい」と考えとった先生は、高校を中退して、「ノースヒルズマネジメント」(今のノースヒルズ)で働いてから、半年くらいアイルランドに留学しとって、帰国した後は、3年ほど「ノーザンファーム空港」で働いて、それから、2002年に競馬学校の厩務員課程に入っとります。

2003年に競馬学校を出た後、翔伍先生は、その年の1月から親父さんの厩舎で厩務員をやって、2月からは調教助手をやって、カレンチャンやロードカナロアとかを担当するなど、2016年、調教師の試験に受かるまでの14年間、ずっと親父さんの厩舎で経験を積んどったんや。

そんで、「社台ファーム」で技術調教師として経験を積んでから、一昨年の3月に自分の厩舎を開業した翔伍先生は、年末までに、オメガパフュームを使ったシリウスSで初めて重賞を勝つなど、JRAで「9勝・獲得賞金2億4480万円」っちゅう成績を残しとったし、去年は、ワンダーリーデルを使った武蔵野Sを勝つなど、「23勝・獲得賞金3億5386万円」と、順調に数字を伸ばしとるんですわ。

しかも、オメガパフュームを使った一昨年の東京大賞典で初めてのG1勝ちを飾っとるし、この馬で去年の帝王賞と東京大賞典も勝っとるんやから、親父さんの厩舎で走る馬を担当しとった経験を活かせとるんでしょうな。

それに、今年も勢いが続いとって、先週までに「1億8688万円」の賞金を稼いどって、去年の同じ時期(5月4週目まで)の「1億0019万円」を大きく上回っとるんですわ。

もちろん、翔伍先生は、「この勢いでもっと稼ぎたい」と考えとる筈やから、1着賞金が6000万円の「帝王賞」に向けて、オメガパフュームをどう仕上げてくるんか、目が離せませんな。

そうそう、もう何度も書いとるんやけど、多くの方によう知って欲しいんで、今日も改めて、ワシの今までのことを書いておきますわ。

今、このブログを読んどる方の中に、「知っとる」っちゅう方がおったら嬉しいんやけど、ワシは中央(JRA)で、1972年から1986年まで乗り役(騎手)をやっとりました。

「見飽きたわ」って言われるまでは載せ続けるつもりやけど、これは、ワシが障害の重賞(1979年の阪神障害S・春)を勝った時の写真やな。



そんでワシは、1986年に乗り役を辞めてから、調教助手として、

松田博資厩舎
田島良保厩舎
新川恵厩舎
浜田多実雄厩舎

で働いとって、2013年の6月に調教助手を辞めたんや。

なんで辞めたか言うたら、「馬券を買いたい」と思うようになったからなんですわ。

正確に言うたら、「馬券で食っていける自信」を持てるようになったんや。

そんでもって、自信だけやなくて、ちょこちょこ結果も出とるんやから、乗り役やった頃の経験と、調教助手やった頃の経験は、意味があったちゅうことやな。

で、ここからは、手短に「今週のお勧め」を紹介しとくで。

今回、ワシがお勧めするんは、美浦の堀宣行(のりゆき)厩舎が登録しとる、ダービーのサリオスと、目黒記念のヒシゲッコウや。

この2頭について、ワシがお世話になっとる「元調教師のNさん」から届いた報告を紹介しときます。

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千葉県市川市出身の堀宣行君は、日本大学の商学部に通っている時に、実家から近かった中山競馬場で、誘導馬の世話をするアルバイトをしていたんですよ。

大学を出た後は、電気設備工事などをやっている「関電工」(東証1部)で、経理関係の仕事をしていたんですが、1991年に、「関電工」を辞めて競馬学校の厩務員課程に入ったように、中山競馬場でアルバイトをしていた頃から、「馬に関わる仕事をしたい」という気持ちがあったのでしょう。

競馬学校を出てからの堀君は、諏訪富三厩舎で厩務員をやって、二ノ宮敬宇(よしたか)厩舎で調教助手をやって、2003年に自分の厩舎を開業しました。

初めの年は、「6勝・獲得賞金1億2370万円」という成績でしたけど、次の年に、「16勝・獲得賞金2億2801万円」と大きく数字を伸ばすと、2005年からは、毎年欠かさず20勝以上していますし、ビーナスラインを使った2006年の函館スプリントSで初めての重賞勝ちを飾った堀君は、キンシャサノキセキを使った2010年の高松宮記念で初めてのGI勝ちを飾っていて、その後も、ドゥラメンテを使った2015年のダービーと皐月賞を勝つなど、今までに、「JRAの重賞を55勝」という実績を残しています。

それに、海外でも、モーリスやネオリアリズムなどでG1を6勝もしているのですから、本当に大したものです。

2015年は、ドゥラメンテやモーリスなどが活躍しましたから、JRAで「重賞8勝を含む54勝・獲得賞金15億2485万円」という成績を残して、初めて「調教師リーディング1位」になっていました。

それに、去年までの4年間も、

2016年→44勝・獲得賞金13億0934万円(リーディング5位)
2017年→48勝・獲得賞金11億3661万円(同4位)
2018年→49勝・獲得賞金7億4753万円(同5位)
2019年→54勝・獲得賞金9億7056万円(同2位)

と、賞金こそ2015年を上回れていませんが、かなりいい成績を残していますね。

ただ、今年に入ってから先週までは「21勝・獲得賞金5億3368万円」という成績で、24勝を上げてリーディング1位の矢作芳人厩舎に3勝の差を付けられていますし、賞金も、「7億1123万円」を稼いで1位の矢作芳人厩舎に「1億7755万円」の差を付けられていますから、今の彼は、「早く上との差を詰めたい」と考えているのでしょう。

こういった中、今週は、1着賞金が2億円のダービーにサリオス、5700万円の目黒記念にヒシゲッコウを登録していますので、「どちらも勝負懸かり」と考えるべきでしょうし、実際に彼がどう仕上げてくるのか、最後まで目が離せませんね。

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堀宣行厩舎が登録しとる、ダービーのサリオスと、目黒記念のヒシゲッコウについて、「元調教師のNさん」から届いた報告は以上ですわ。

そんで、ワシは今、「パーフェクトホースマンズ」の一員として活動しとって、ここのホームページや、ブログなどでは、エエ情報をぎょうさん公開しとるんや。

せやから、このブログを読んどる皆さんには、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんや、元JRA厩務員の小西聖一(こにしせいいち)さんのブログも、絶対に読んだ方がエエとお勧めしとくで。

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ほなまた。