小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



奥村武厩舎のライジングリーズン(牝3歳・父ブラックタイド)が、次走に予定している来週のラジオNIKKEI賞に向けて、21日(水)に、一週前追い切りをやっていましたね。

南ウッドに入れられて、5Fが68秒6、終いの1Fが12秒4という時計を馬なりで出していました。

時計は平凡なものでしたが、力強い脚捌きで走れていましたから、最終追い切りの一本で、力を出せるデキに仕上がりそうです。

ラジオNIKKEI賞では、白百合Sを勝ったサトノクロニクルや、早苗賞を勝ったセダブリランテスといった男馬が相手になりますけど、フェアリーSでアエロリット(後のNHKマイルC勝ち馬)に勝っているライジングリーズンの能力は、ここでもヒケは取らないと私は思っています。

ちなみに、この馬を管理している奥村武先生は、東京都の板橋区出身で、周りに競馬関係者はいなかったそうですが、13歳の時、オグリキャップとホーリックスが叩き合った1989年のジャパンCを見て、競馬に興味を持ったそうですね。

次の年のダービー(勝ち馬はアイネスフウジン)は、お母さんと一緒に見ていたそうで、その時、心の底から競馬が好きになって、中学2年生の頃には、騎手を目指していたそうですが、身長が伸びてしまったため、騎手になることを諦めたそうです。

その後は、1999年に芝浦工業大学の工学部金属工学科を卒業してから、「やっぱり馬に関わりたい」と考えて、育成牧場の「ディアレストクラブ」で働いていましたね。

そして、2001年の10月に競馬学校の厩務員課程に入って、次の年の4月に高橋義博厩舎の厩務員になって、2003年の2月からは、国枝栄厩舎の調教助手になりました。

奥村先生が国枝厩舎にいた時には、2010年の牝馬三冠など、GIを5つも勝ったアパパネを担当していて、先生自身、「その時の経験は自分にとって大きな財産になっている」と言っていましたし、国枝先生の教えはとても勉強になったのでしょう。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、戸田博文厩舎がパラダイスSに使うグランシルクについて、私の頼もしい仲間の一人で、美浦の調教師だった山田要一さんから届いた報告を紹介しておきますね。

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東京競馬場がある、府中市出身の戸田君は、お父さんの仕事の関係で、確か中学生の頃に美浦に引っ越して来ていて、江戸崎西高校に進んでから馬術部に入ると、3年生の時に滋賀国体で優勝して、茨城県から表彰されていますね。

専修大学に進んでからも、馬術部に入って、4年生の時には、「関東学生馬術協会」の幹事長をやっていて、「全日本学生馬術大会」の団体優勝に貢献していました。

大学を卒業してからの戸田君は、1991年に、京成杯など重賞を3勝したヒシスピード、ラジオたんぱ賞を勝ったホクセーミドリなどを育て上げた、高木嘉夫さんの厩舎の厩務員になって、その年の11月からは、新潟大賞典など重賞を3勝したハシノケンシロウや、フラワーCを勝ったフラッシュシャワーなどを育て上げた、八木沢勝美さんの厩舎で調教助手として経験を積んでいましたね。

そして、1995年からは、私と同い年の大久保洋吉君の厩舎で、1997年のオークスや、1998年と次の年のエリザベス女王杯を連覇するなど、GIを5つも勝ったメジロドーベルや、1999年の産経大阪杯など、重賞を3つ勝ったサイレントハンターや、1999年の中山グランドジャンプを勝ったメジロファラオなどに関わっていました。

その後、2000年の2月に調教師の試験に受かった戸田君は、次の年の6月に自分の厩舎を開業していて、今までに、キストゥヘヴンを使った2006年の桜花賞と、フェノーメノを使った2013年と2014年の天皇賞・春という、GIの3勝を含めて、重賞を16勝もしているのですから、大したものです。

また、2012年には、フェノーメノを使った青葉賞とセントライト記念など、全部で25勝を上げて、「6億4097万円」という、開業してから一番の賞金を稼ぐことができましたから、きっと戸田君はこの結果を喜んだのでしょうね。

ただ、その後は、
2013年→獲得賞金5億3499万円(23勝)
2014年→獲得賞金4億8045万円(27勝)
2015年→獲得賞金5億5368万円(30勝)
2016年→獲得賞金5億0851万円(28勝)
と、4年続けて2012年の賞金を下回っています。

そのため今年の戸田君は、間違いなく、「何が何でも2012年の賞金を上回りたい」と考えている筈ですが、実際は、先週までで「獲得賞金2億8590万円」(11勝)と、2012年の同じ時期(6月3週目まで)の「獲得賞金3億0682万円」(13勝)を下回っていますので、今は、「賞金の高い特別レースを勝って、ペースを上げたい」と願っている筈です。

そして今週は、1着賞金が2300万円のパラダイスSにグランシルクを使いますので、私は、間違いなく「勝負懸かり」と見ていましたし、21日(水)に南ウッドでやった最終追い切りは、5Fが66秒2、終い12秒7という時計を馬なりで出していました。

脚捌きはとてもスムーズでしたし、追い切った後の息の入りも良かったですから、戸田君がキッチリと仕上げてきたのでしょう。

グランシルクは、去年の奥多摩Sを勝ってから、なかなか勝ち切れないレースが続いていますけど、力があるのは確かですし、ここを勝つチャンスは十分にあると私は思いますね。

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グランシルクについて、元JRA調教師の山田要一さんから届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

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では、また次回。

小西聖一でした。






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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



美浦の高橋裕先生は、節目の400勝まで「あと1つ」に迫っていますね。

高橋先生は、1977年に八木沢勝美さんの厩舎の調教助手になりました。

八木沢さんと言えば、乗り役だった時に、クリノハナで1952年の皐月賞やダービーを勝って、ヤマイチで1954年の桜花賞とオークスを勝って、オンワードゼアで1958年の有馬記念を勝って、ホマレボシで1961年の安田記念を勝つなど、重賞を20回も勝っていましたね。

八木沢さんの厩舎一筋で、14年間、腕を磨いていた高橋先生は、1991年の2月に調教師の試験に受かって、その年の暮れに自分の厩舎を開業していました。

開業が12月ということもあって、その年は1勝しか上げられませんでしたが、次の年は6勝、3年目だった1993年には13勝まで数字を伸ばしていましたし、この年は、マイネルリマークを使った共同通信杯4歳S(現在の共同通信杯)で、初めての重賞勝ちを飾っていましたね。

それからも、着実に勝ち鞍を積み重ねていて、「開業10年目」という節目の年だった2000年には、ルネッサンスを使ったラジオたんぱ賞(現在のラジオNIKKEI賞)を勝つなど、今までに、重賞を6勝しています。

そして、今年の高橋先生は、「8勝・獲得賞金1億3235万円」という成績を残していますけど、先週は函館でタカミツサクラとディアバビアナの2頭を使いましたが、どちらも2着で、もう少しのところで節目の400勝を達成できませんでしたから、今週こそ達成したいという思いは強い筈です。

そして今日と明日、高橋先生は、

□24日(土)
東京7R・3歳上500万下→ルア
函館11R・大沼S→ディアドムス

□25日(日)
東京1R・3歳未勝利→ウインドゥカーレ
東京2R・3歳未勝利→デストロイ
東京4R・3歳未勝利→ペイシャオーシャン
東京8R・3歳上500万下→マイネルラプティス

と、全部で6頭を使いますから、きっと、先生はどの馬も、「早く節目を達成したい」という思いを込めて仕上げている筈ですよ。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、小島太厩舎が夏至Sに使うメガオパールカフェについて、よく私に美味しい情報を教えてくれる、「馬主のNさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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西川光一オーナーの本業は、「JR有楽町駅」(東京都千代田区)のすぐそばにある商業施設、「有楽町イトシア」の中に本社を構え、コインパーキング・「タイムズ24」の運営などを手掛けている、「パーク24株式会社」の代表取締役社長です。

1971年、東京都品川区の西五反田に於いて、「株式会社ニシカワ商会」として創業された同社は、その後、
1985年→駐車場の保守・運営管理部門を「パーク24株式会社」として設立
1991年→時間貸駐車場・「タイムズ」の1号物件・「タイムズ上野」をオープン
1997年→日本証券業協会に株式店頭登録を果たす
2000年→東証一部に上場を果たす
2006年→韓国に合弁会社の「GSPark24Co., Ltd.」を設立、台湾に「台北支店」を開設
2009年→株式会社マツダレンタカーの株式を取得
2015年→関連会社として「タイムズイノベーションキャピタル株式会社」を設立
2016年→オーストラリアとシンガポールとマレーシアに関連会社を設立
2017年→オセアニア・アジアを中心に駐車場事業を展開するSecureParking社の株式を取得
といった形で事業を拡大しており、現在は、関連会社を含めた連結の従業員数が3000名を超えるほどに成長しております。

また、同社にとって「業務の柱」である「駐車場の運営台数」と「連結売上高」は、
2013年10月期→43万1039台・売上高1554億2800万円
2014年10月期→47万0675台・売上高1670億2200万円
2015年10月期→49万9473台・売上高1796億6800万円
2016年10月期→53万1135台・売上高1943億9800万円
と、どちらも右肩上がりとなっており、尚かつ、2019年には、同社の創業地である西五反田に、本社ビルが完成することとなっておりますので、「パーク24株式会社」の代表取締役社長を務めている西川オーナーのことは、非常に多くの方が、「優秀な経営者」と認めているのでしょう。

そして、西川光一オーナーのお父様は、「パーク24」の先代社長であり、JRAの馬主としては、2000年のNHKマイルCなどを勝ったイーグルカフェや、2001年の菊花賞と有馬記念などを勝ったマンハッタンカフェでお馴染みだった西川清氏(故人)です。

お父様に続いて、西川オーナーがJRAで馬を走らせ始めたのは、確か2003年からで、それから現在までに60頭以上を所有しており、その内、過去の代表的な存在と言えば、2004年の地方交流G1・ジャパンダートダービーを制したカフェオリンポスや、CBC賞などを制したプレシャスカフェや、2010年のラジオNIKKEI賞などを制したアロマカフェが挙げられるでしょう。

その後の西川オーナーは、
2012年→「3勝・獲得賞金7924万円」
2013年→「5勝・獲得賞金1億0735万円」
2014年→「5勝・獲得賞金1億4072万円」
と、順調に獲得賞金を伸ばしており、一昨年は、カフェブリリアントで阪神牝馬Sを制するなど、「3勝・獲得賞金1億5417万円」という、前年を上回る成績を残しておりました。

しかし昨年は、「3勝・獲得賞金7627万円」という結果に終わっており、一昨年の数字を大きく下回っておりましたので、今年の西川オーナーは、「必ず巻き返したい」と考えている筈ですが、実際は、先週までに「1勝・獲得賞金3742万円」という成績ですから、現在は危機感を強く抱いている筈です。

そして今日は、1着賞金1820万円(馬主の取り分は8割の1456万円)の夏至Sにメガオパールカフェを出走させますので、私が西川オーナーであれば、この馬を預けている小島太先生に対して、渾身の勝負仕上げを指示するでしょう。

また、元調教師の方から届いている最終追い切りについての報告が、

「21日(水)、坂路で強めに追われて、4Fが53秒0、終いの1Fが12秒8という時計を出していました。動きがとてもキビキビしたものでしたし、追い切られた後も、どっしりと落ち着いていましたので、小島君の狙い通りに仕上がっている筈です」

という内容でしたから、好レースが期待できると私は考えております。

また、このレースには、オーナーのお母様であるため、「完全に財布が同じ」と言える西川恭子オーナーが、カフェリュウジンを出走させますので、こちらも全く同じ理由で「勝負懸かり」と見るべきでしょう。

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メガオパールカフェについて、「馬主のNさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

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では、また次回。

小西聖一でした。








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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



今日は、土田稔先生の62回目の誕生日ですね。

土田先生は、1978年に大久保洋吉厩舎の調教助手になっていました。

そして、多くの馬の調教に乗って、腕を磨いていましたね。

ちなみに、皆さんもご存知の通り、大久保洋吉厩舎と言えば、1997年のオークスを勝ったメジロドーベルや、2002年の高松宮記念を勝ったショウナンカンプなど、お馴染みの馬を管理していました。

土田先生は、1992年に調教師の試験に受かって、次の年に自分の厩舎を開業しています。

それからは、タイキシャーロックを使った1998年のエルムSや、タイキバカラを使った2004年のクリスタルCや、タイキレーザーを使った2008年の東京オータムジャンプと、今までに、重賞を3勝していますね。

そして明日と明後日、土田先生は、東京と函館で

□24日(土)

東京1R・2歳未勝利→トーセンリゲル
東京3R・3歳未勝利→ハートブレイク
函館9R・3歳上500万下→ハイランドピーク

□25日(日)

東京5R・2歳新馬→ビレッジキング
東京10R・清里特別→マイネルディアベル
函館10R・奥尻特別→フィールドシャルム

の6頭を使いますので、きっと先生は、「勝って自分の誕生日を祝いたい」という思いで、どの馬もキッチリ仕上げている筈です。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、堀宣行厩舎が宝塚記念に使うサトノクラウンについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のMさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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千葉県市川市出身の堀君は、日本大学の商学部に通っている時に、実家から近かった中山競馬場で、誘導馬の世話をするアルバイトをしていたそうです。

そして大学を出た後は、電気設備工事や情報通信工事などをやっている「関電工」で、経理関係の仕事をしていたそうですが、1991年に、「関電工」を辞めて競馬学校の厩務員課程に入っていますので、中山競馬場でアルバイトをしていた頃から、「いつか、馬と関わる仕事をしたい」と考えていたのでしょう。

競馬学校を出てからの堀君は、諏訪富三厩舎で厩務員になって、二ノ宮敬宇厩舎で調教助手として経験を積んで、自分の厩舎を開業したのは2003年ですから、今年で15年目ですね。

初めの年こそ、「6勝・獲得賞金1億2369万円」という数字でしたが、次の年には、「16勝・獲得賞金2億2801万円」と、数字を一気に伸ばして、その後は、ずっと20勝以上を続けていますし、ビーナスラインを使った2006年の函館スプリントSで初めての重賞勝ちを、キンシャサノキセキを使った2010年の高松宮記念で初めてのGI勝ちを飾っていて、先週までに、JRAだけで重賞を49回も勝っています。

それに最近の堀厩舎は、管理馬をどんどん海外に遠征させていて、今までに、
リアルインパクト→2015年のジョージライダーS(オーストラリアのG1)
モーリス→2015年の香港マイルと去年のチャンピオンズマイル(香港のGI)と香港カップ
サトノクラウン→去年の香港ヴァーズ
ネオリアリズム→今年のクイーンエリザベス2世カップ(香港のGI)
と、海外のG1を6つも勝っていますので、彼のことを「日本を代表する調教師の一人」と言っても大げさではないでしょう。

一昨年は、ドゥラメンテを使った皐月賞とダービー、モーリスを使った安田記念とマイルCSなど、JRAで、「重賞8勝を含む54勝・獲得賞金15億2485万円」という成績を残して、初めて「調教師リーディング1位」になっていました。

そして去年の堀君は、JRAで、モーリスを使った天皇賞・秋など、「重賞7勝を含む44勝・獲得賞金13億0934万円」という成績を残していましたね。

これが他の厩舎でしたら、「かなりいい数字」と言えるのでしょうが、一昨年と比べると、勝ち星が「10」、賞金が「2億1551万円」も少なくて、リーディングが5位、獲得賞金が3位でしたから、堀君は満足していない筈で、「今年は必ず巻き返したい」と考えているのでしょう。

でも、今年に入ってから先週までの成績は、「22勝・獲得賞金5億0458万円」に留まっていますし、勝ち星と賞金の両方で1位の池江泰寿厩舎に、勝ち星では「12」の差を、賞金では「5億0120万円」の差を付けられています。

そんな中、今週は、1着賞金が1億5000万円の宝塚記念にサトノクラウンを使いますから、私が彼でしたら、「ここを勝って池江厩舎との差を詰めたい」と考えてメイチに仕上げますね。

そこで、堀君が実際にどう仕上げてくるのかを確認しようと思って、一昨日、最終追い切りの様子をじっくりと確認してみたところ、

南ウッドに入れられて、5ハロンが69秒9、終いの1Fが12秒9という時計を馬なりで出していましたね。

15日(木)の一週前追い切りでは、南ウッドで一杯に追われて、5Fが68秒5、終いの1Fを12秒4という時計を出して、しっかり負荷を掛けられていたので、一昨日は軽めの調整でしたが、とても力強い動きを見せていましたから、力を出し切れる状態に仕上がっている筈です。

というものでしたから、状態の良さを考えたら、馬券に絡んでくる可能性があると私は見ています。

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サトノクラウンについて、「元調教師のMさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

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では、また次回。

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全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



菊川正達厩舎のタイムトリップ(牡3歳・父ロードアルティマ)は、次走に決まっている来週のCBC賞に向けて、昨日、最終追い切りをやっていましたね。

南ウッドで一杯に追われて、5Fが64秒5、終いの1Fが12秒8という時計を出してしました。

シンボリジュネス(3歳未勝利)と併せる形で、ゴーサインが出ると、最後は1秒も突き放していましたね。

6着だった前走のNHKマイルCの時より、馬体が引き締まりましたし、気配も良く見えましたから、ここまで菊川先生の狙い通りに来ているのでしょう。

タイムトリップは、ここ2戦は1600mを使われていますけど、2歳の時にオープンのカンナSを勝つなど、1200mは、今まで「4戦2勝、2着1回、3着1回」と全て馬券に絡んでいますし、体付きや走り方などから、私はこの距離の方が一番合っていると思いますね。

ですから、CBC賞に向けて、菊川先生がこの馬をどう仕上げてくるのか、キッチリ確認したいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、角居勝彦厩舎が宝塚記念に使うシャケトラについて、よく私に美味しい情報を教えてくれる、「馬主のMさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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金子真人オーナーが、横浜市の都筑区に本社を構えている東証1部上場企業、「株式会社図研」の代表取締役社長を務めているのは、皆様もよくご存知のことでしょう。

同社は、1976年に金子オーナーが横浜市磯子区で設立した「株式会社図形処理研究所」が起源で、1985年に現在の社名となり、その後も着実に業績を伸ばし続け、1990年、現在の本社ビルと中央研究所ビルを完成させ、1994年には東証1部への上場を果たし、現在では、「プリント基板」と呼ばれる配線設計の支援システムに於いて、世界トップクラスのシェアを誇っており、世界各国で5000社ほどの企業に製品を提供しております。

そして現在の同社は、資本金が101億1706万円、従業員数が450名近くとなっており、グループ企業は、国内に「図研エルミック株式会社」、「株式会社ジィーサス」、「図研ネットウエイブ株式会社」、「株式会社図研プリサイト」、「株式会社ダイバーシンク」などがあり、海外にも、「ZUKEN EAO(欧米に8か所)」、「ZUKEN KOREA Inc.」、「ZUKEN SINGAPORE Pte.Ltd.」、「ZUKEN TAIWAN Inc.」、「図研上海技術開発有限公司」など、合計で20社以上を有しており、連結子会社を含めた従業員数は約1200名となっております。

同社が現在も成長し続けているのは、業績を見れば一目瞭然で、「2017年3月期」の数字は、
売上高:221億1990万円
経常利益:15億7100万円
となっておりますので、一代で「株式会社図研」を大きく成長させた金子オーナーのことは、誰もが「経営者の鑑」と認めているのでしょう。

なお、JRA馬主としての金子オーナーは、1999年のスプリンターズSと2001年の安田記念を制したブラックホークや、2001年のNHKマイルCとジャパンCダートを制したクロフネや、2004年のNHKマイルCとダービーを制したキングカメハメハや、2006年の牡馬三冠などGIを7勝したディープインパクトや、2008年のジャパンCダートを筆頭にGIを7勝したカネヒキリや、2010年の牝馬3冠を制したアパパネなど、多数の活躍馬を所有しており、これまでに、「GIの26勝を含めて重賞を82勝」という輝かしい成績を残しております。

一昨年の金子オーナーは、ラブリーデイで宝塚記念と天皇賞・秋などを制し、フルーキーでチャレンジCを制するなど、「60勝・獲得賞金19億8755万円」という、過去最高の成績を残しておりました。

しかし昨年は、マカヒキでダービーを制するなど、重賞を4勝したものの、「42勝・獲得賞金13億1663万円」と、前年と比べて、勝ち星が「18」、獲得賞金が「6億7092万円」も下回っており、今年に入ってから先週までも、22勝を上げているものの、獲得賞金は「5億3028万円」と、まだ昨年の4割ほどですから、現在の金子オーナーは、「必ず巻き返したい」と強く願っていることでしょう。

更に、金子オーナーは、7月11日(月)~12日(火)に行われた昨年の「セレクトセール」に於いて、計9頭を「9億0396万円」(税込)で落札しており、当然、7月10日(月)~11日(火)に行われる今年の「セレクトセール」に於いても、何頭かの落札を予定している筈ですから、現在は、「セール資金を潤沢にするため、多額の賞金を稼ぎたい」とも考えているのでしょう。

その上、デビューから「7億9819万円」の賞金を獲得していたラブリーデイは、昨年の12月に引退しておりますので、現在は、「その分を他の馬で稼ぎたい」とも考えている筈です。

そして今週は、1着賞金が1億5000万円(馬主の取り分は8割の1億2000万円)の宝塚記念にシャケトラを登録しておりますので、私が金子オーナーであれば、「ここを勝って一気に稼ぎたい」と考え、同馬を預けている角居先生に対して、迷わずメイチの勝負仕上げを指示します。

また、元調教師の方から届いている最終追い切りに関する報告が、

「昨日、栗東のCウッドで3頭併わせで、6Fが88秒0、終いの1Fが12秒3っちゅう時計を馬なりで出しとりました。先に行かせたタニノアーバンシー(古馬1000万下)を2番手で追い掛ける形で、直線は3頭の真ん中で、内のレッドウィズダム(古馬500万下)にコンマ8秒先着して、外のタニノアーバンシーとはゴールまで馬体を併せて、十分にタメを利かせてテンポよく走れていましたから、角居君がキッチリ仕上げてきたのでしょう」

という内容でしたので、好レースが期待できそうです。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

シャケトラについて、「馬主のMさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭(のりやす)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一(よういち)のブログはこちら ★

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では、また次回。

小西聖一でした。








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テーマ:
全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



星野忍厩舎のキングハート(牡4歳・父オレハマッテルゼ)は、次走の予定が、8月27日(日)のキーンランドC(札幌・芝1200m)になりましたね。

この馬は、今年に入って、初戦の石清水Sで3着、2戦目の斑鳩Sを勝ってオープンに上がると、前々走の鞍馬Sでは、直線で並び掛けてきたオーヴィレール(2着)をねじ伏せて、初めてのオープン勝ちを飾っていました。

そして、前走の函館スプリントSでは、勝ったジューヌエコールを捉えることはできませんでしたが、セイウンコウセイなどを抑えて2着に入った、力を付けていることを証明しています。

レース後に乗っていた中谷騎手は、「勝った馬とは斤量差がありましたし、今回のメンバーでいいレースができましたから、大きなところを狙えると思います」と話していましたね。

キングハートを管理している星野厩舎は、ネコパンチを使った2012年の日経賞から、重賞勝ちが5年以上もご無沙汰なので、先生をはじめ厩舎のみんなは、「今度こそキングハートで重賞を勝ちたい」と思っている筈ですよ。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、宝塚記念に登録している池江泰寿厩舎のミッキークイーンと、音無秀孝厩舎のミッキーロケットについて、よく私に美味しい情報を教えてくれる「馬主のOさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

宝塚記念にミッキークイーンとミッキーロケットを登録している野田みづきオーナーは、テレビCMなどで有名な財務会計ソフト・「勘定奉行」などを販売している、「株式会社オービック」の代表取締役会長・野田順弘(まさひろ)氏の奥様であり、自身も同社の取締役相談役を務めております。

1968年、大阪市西区に於いて、野田夫妻が会計機販売会社として設立した同社は、1971年に「東京支店(現東京本社)を、1973年に「名古屋支店」を、1976年に「福岡支店」を開設するなど、着実に事業拠点を増やし、現在では、東京本社(中央区京橋)と大阪本社(大阪市中央区)の他に、5ヶ所の支店と3ヶ所の営業所を有し、更に4社のグループ企業を有しております。

そして、2000年に東証1部に上場を果たした同社は、最近では、主力商品の総合業務ソフトウェア「OBIC7シリーズ」の販売や、「システムの運用支援サービス」が好調なことなどにより、
「2013年3月期」→売上高503億5100万円・経常利益214億7200万円
「2014年3月期」→売上高550億4000万円・経常利益248億8700万円
「2015年3月期」→売上高563億4400万円・経常利益277億2600万円
「2016年3月期」→売上高587億3800万円・経常利益295億2100万円
という過去4年の数字から分かる通り、「順調そのもの」と言える状況です。

更に、今年の4月25日(月)に発表された「2017年3月期」の数字も、
「売上高614億5300万円(前年比4・6%増)・経常利益322億4600万円(前年比9・2%増)」
という素晴らしいものでしたから、二人三脚で同社を東証1部上場企業へと成長させた経営手腕は、誰もが認めるところでしょう。

また、野田夫妻は、二人ともJRAの馬主資格を有しており、みづきオーナーは、確か2002年から馬を走らせ始め、現在までに80頭以上を所有しており、その中の代表的な存在としては、2014年のNHKマイルC、昨年のマイルCSなど、重賞を6勝したミッキーアイルや、一昨年のオークスと秋華賞など、重賞を3勝しているミッキークイーンが挙げられます。

そして、みづきオーナーは、一昨年までの3年間、
2013年→「13勝・獲得賞金1億8425万円」
2014年→「16勝・獲得賞金4億8245万円」
2015年→「17勝・獲得賞金5億3339万円」
という形で順調に数字を伸ばしていた上、昨年は、「18勝・獲得賞金6億2010万円」という過去最高の成績を残しました。
しかし、私は、みづきオーナーが、この結果に満足せず、今後も貪欲に勝利を追求してくると私は見ております。

何故なら、みづきオーナーは、毎年欠かさず「セレクトセール」で良血馬を何頭も落札しており、昨年の7月11日(月)~12日(火)に行われた同セールに於いても、計9頭を総額5億2056万円(金額は全て税込)で落札しておりますが、それから先週までの獲得賞金は4億9256万円で、この内、「馬主の取り分は8割の3億9405万円」ですから、セールに投じた資金の回収を、まだ終えられておりませんので。

また、至って当然のことながら、みづきオーナーは、7月10日(月)~11日(火)に行われる今年の「セレクトセール」にも参加する可能性が高く、現在は、「昨年のセールに投じた資金の回収を早急に終えて、今年のセールに臨みたい」と考えている筈です。

そのような中、今週は、1着賞金1億5000万円(馬主の取り分は8割の1億2000万円)の宝塚記念にミッキークイーンとミッキーロケットを登録していますので、私がみづきオーナーの立場でしたら、「ここで確実に稼いでおきたい」と考えて、前者を管理している池江先生と、後者を管理している音無先生にメイチの勝負仕上げを指示するでしょう。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

ミッキークイーンとミッキーロケットについて、「馬主のOさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

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では、また次回。

小西聖一でした。
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