わが家族の事件簿
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父の死

父の容態が急に悪くなった。


8/26

自分の力で立ち上がることができなくなった。
黄疸がでてきた。
呼吸が苦しそうになってきた。

そして、
8/27の午前1時頃、次男から電話が入った。
病院からすぐに来てほしいと連絡があったとのこと。

すぐに病院に向かった。
既に弟二人は来ていた。

「あと5分くらいで心臓がとまるらしい」

既にそこでは何も処置を行っておらず、ただ「その瞬間」が訪れるのを
待っているだけのようであった。

そして私が駆けつけてから間もなくして、医師と看護師がやってきた。
ひと通り確認作業を終えた後、父の臨終を告げた。

平成19年8月27日、午前1時38分

父は帰らぬ人となった。


あまりにも急であった。
主治医にしても予想外のことであったらしい。
28日に、介護保険の認定の為に役所の人間が来ることになっていた矢先であった。


葬儀は私が喪主をつとめた。

そのとき、父の姉にあたる人から聞いた話。

父は「子供がいてよかった」と話していたらしい。
転院等の諸手続き、見舞いや買出し等を私たちが行っている事をとてもありがたく思っていたらしい。

そして、家に帰りたいと漏らしていた。家に帰りたい、病院はもう嫌だと。
病院側の目に見えぬプレッシャーに耐えられなくなっていたのか。。。

そして容態が少し悪くなりかけた時には「家に帰りたかったが、もう帰られなくなった」というような事を言っていたらしい。自分の運命を悟っていたのか。。。


父は、病院からもう出て行かなくてはいけない、家に帰りたいが子供に迷惑をかけたくない、この葛藤の中で私たちには何も言わずただひたすら黙って耐えていたのだと思うと哀しくなった。そしてこの葛藤によるストレスと、治療はもう行われないことの絶望感から父の容態は一気に悪化したのではないか。
別の言い方をすれば、病院にも私たちにも迷惑をかけないように早目に逝ってしまったのではないか。

私は昨年母を亡くしている。
その時の経験から、父にはできる限りの事をしてやろうと思っていた。
できる限り会いに行こうと思っていた。

しかし、仕事の忙しさにかまけて休みの日にも行かなかったり、少し無理すれば会いに行けた時にでも行かなかったりした。

できる限りの事をしようと思っていたのに、実際には十分には何もできなかった。

そしてやはり後悔の念だけが残った。



もっと会いに行ってやればよかった。
あの時もっとやさしくしてやればよかった。
金の心配をしていた父にもっと安心させてやったらよかった。
そしてもっと早く家に帰らせてやればよかった。

しかしそれはもうできない事。

父よ、せめて天国で母と一緒に仲良く過ごしてください。
何の心配もいらない世界で。

さらなる転移

弟(三男)からメールがきた。

父の病院を訪れたところ、話があると主治医に呼ばれて次のようなことを告げられたとの事。

1.肝臓に癌が転移しており、もう手の施しようがない

2.肝臓が二倍くらいに腫れておりそのせいで食欲がないと思われる

3.もしも急変した場合、延命措置は行わないので了承して欲しい

4.この1~2か月が山であろう


三男に会って話を詳しく聞くことにした。
また父の見舞いもしばらく行けてないので病院で会うことにした。

5月の時点ではなかったが、今回のCTでは肝臓への転移が見つかったらしい。
つまり、抗癌剤での治療をいったんやめて、放射線治療へ切り替えている間に癌がひどくなってきたと言う事なのだ。

確かに抗癌剤の治療では父の身体の負担は大きかった。しかし効果はでていたのだ。
それが放射線治療に切り替えている間にまたひどくなっていたということだ。
つまり治療方法を変えたことは裏目に出たのだ。

なかなか抗癌剤での治療のすすまない事にイラついた主治医は放射線療法へ切り替えるという事を体のいい理由にしてとりあえず病院からいったんでも追い出したかったのだろう。
そういう態度を感じながら、拒否したとしてももう何もできないような事をいう主治医に、何もできない私たちは藁にもすがる思いで放射線療法の為に転院することに同意した。

結果放射線療法での治療は効果がなく、2ヶ月の間に癌はさらに悪化した。

放射線療法を一通り終えた父はいったん元の病院に戻ってきたものの、検査の結果で効果が認められないようならば、抗癌剤の治療は時間もかかるし、本人の負担も大きいのでもうしない、治療しない患者をおいておくことはできないと、戻ってきて一週間あまりで言われた。

で、その効果をみるためのCTでさらに肝臓への転移が見つかったのだ。

もうこの主治医は途中からやる気がなかったのではないか。
そして自分の判断ミスを棚上げして、追い出すことばかり言っている。

父はそのせいか戻ってきてから急に元気がなくなった。弱ってきた。

私たちには家に帰りたくないようなことを言っているが、実の姉には、病院はもういたくないと漏らしていたらしい。

家に帰るということが、私たち兄弟に迷惑をかけると思って私たちには帰りたいとは言わないのではないか。

父の本音はよくわからない事が多い。誰に言ってることが本音なのかわからない。

しかし、主治医の態度から思うに、そのような空気を感じ取った父は病院にいる事が既に苦痛なのかもしれない。それがストレスとなり、父をさらに弱らせているのかも知れない。

しかし家に帰ると言っても家の中には猫がおり、それだけでも環境が悪そうだ。
食事もろくにとれなくなっているのにどのようにして栄養を与えればよいのか。
腎臓に直接さされたチューブは大丈夫なのか。
風呂はどうするのか。
日中、家が無人になる時間が多い
介護保険の認定を早急に受ける手続きはしているものの、家での療養は難しい。

どこか別の施設に入ると言っても順番待ちが多かったり、費用が高いとどうにもならない。

国の決めた事かも知れないが、このような弱いところに負担になっているのが現実なのだ。

何のための病院なのか。
何のための福祉なのか。

私たちの苛立ちはおさまらない。

転院・転院そして・・・

入院から4ヶ月あまりが過ぎた頃、主治医から話があった。

抗癌剤での治療は、本人の体力的な問題や、抗癌剤の投与の結果、抵抗力の数値が
元に戻るまでに時間がかかり過ぎる事等から、放射線療法に切り替えてはどうかという
事であった。
放射線治療の設備はこの病院にはないので、別の病院を紹介するのですぐにでもレン
トゲン写真等を持っていって向こうの病院の医師と話をしてくれとのこと。

つまり、いったんこの病院から出ていけという事なのだろう。

この医者はもう治療する気があまりないようなので無理に居座っても仕方がないだろう。
紹介された医師がどういう考えをするかはわからないが、何もしないよりは別の可能性にかけてみるしかない。

そしてその病院で2ヶ月あまりの放射線治療が始まった。


結果。。。

放射線療法はあまり効果がなかった。むしろ抗癌剤での治療の方が効果が出ていた。
こちらの病院に移ってきた時には癌は小さくなっていたらしい。
しかし抗癌剤の効果はなく、癌は悪化した。

そうしてまたもとの病院に戻ることになった。


この後はどうするのか・・・?


私たちはそこでまた抗癌剤の治療を再開するものだと思っていた。

しかし、元の病院に戻ってから一週間程で主治医の話があった。

放射線療法での効果を見る為にCTを撮る。
結果、効果がでてない、悪化しているようであれば、再度抗癌剤での治療を行うとしても本人の体力的なものを考えると時間もかかる事からそれはもう行わない。
治療をしないとなれば病院としてはもう置いておくことはできない。早ければ二週間くらいで出てもらうことになるから、家に帰るか、それは無理ならば別のケアのできる施設に移るかを家族とケアマネージャーとで相談してほしいと。
もう別の病院を紹介することもできないと。

早速追い出しですか。
戻ってきて一週間しかたってないのに、もう見捨てるのですか。
世の中の医療の常識はこんなものなのですか。
抗癌剤は確かに本人の負担になるかも知れない。しかし、効果は確実にあったのだ。
完治しないのであれば治療はしないのか。
そんなことはないでしょう?完治しない病気でも症状を抑えながらだましだましでも生きていっている人はいるではないか。
家にこのまま帰れるわけがないじゃないか。
父は病巣の悪化で既に尿管からの尿の排泄はできず、腎臓に直接チューブを入れているのだ。
さらに点滴を毎日打っているのだ。
食欲がなくて、殆どモノが食べられないから、病院で出る栄養の高い飲料で栄養をとっているのだ。
少しの距離なら歩くこともできる。
しかし、今の状況で家に帰って大丈夫なのか???

他の施設といわれてもお金のかかる所は無理なのだ。
一体どうしろというのだ?
非情過ぎないか?

それよりも今の状態で見捨てるというのはどういう事なのだ?

ふざけるなよ、T!!!

延命措置はしません

5/31

弟からメールが届いた。

父が急な発熱で苦しそうだと。
熱は39度を超えているらしい。

私は仕事のため病院に行くことはできなかった。

どうやら身体のどこかで炎症を起こしているらしい。
ついこの間まで元気だったのに、本当に突然のことであった。

そして6/2。
また弟からメールが入る。私は仕事でどうしても抜けられなかったが、担当医から話があると
いうことで呼び出しを受けているらしい。

その話の内容は

1.現在の病状について
2.今後、急変する可能性がある
3.病院としては心肺停止などの状況に陥った時に延命措置は行わないが、それでも構わないか
  家族で話し合って欲しい

との事であった。

数日前まで元気に歩いたり話したりしている患者に対してこの段階で延命措置はしないが構わない
かと聞かれるというのはどういう事なのか。

そんな事を言われて納得する事なんてありえるのか?

確かに、意識もなく、戻ることも期待できない状況で、ただ機械に生かされているような状態が長く
続いていたとしたなら、もしもの時には延命措置はしないが、それでも構わないかと聞かれたなら
それはその時である程度のあきらめと、本人が苦しいのではないか等と考えれば、ひょっとしたら
構わないと答えることもあるのかもしれない。

しかし父の場合はとてもそんな答えを出せる段階ではないのだ。

救急患者として搬送されたなら、病院は手を尽くさなければならないが、癌患者が命を落としかけた
時には何もしないというのが病院の考えらしい。

それは一般的な事なのだろうか。

どうしてもこれには納得ができかねる。

今日6/3も仕事であったが、なんとか早く会社を出て病院に駆けつけた。
父は他の患者と話をしていた。
多少しんどそうではあったがベッドに座り会話もしているのだ。
こんな父に対して、延命措置をしない事を承諾できるわけがない。

入院してから3ヶ月・半年くらいになると追い出されるような状態になる事や、延命措置に対する病院
の考え方ははなはだ疑問が残る。

父の話では、転院の話についても転院ができなければ退院しろみたいな事を言われたようだった。
なんというひどい話だ。

点滴を続けなければ今の状態の父ではすぐに腎不全を起こしかねないというのに。


なんのために病院は存在しているのか。





6ヶ月ルール

抗癌剤の投与は4クール行われる予定であった。
しかし、副作用である免疫状態の悪化の回復が遅く、そのためになかなか進まず
結局2クール終わるのに3ヶ月を要した。
また、腎臓と膀胱との間に入れているチューブがつまったり、腎不全状態を繰り返
している事も治療が遅れている原因であった。
本人の食欲も低下し、殆ど食事を取れないことで栄養状態の悪化もあった。

抗癌剤の効果については、若干ガンが小さくなっているらしく多少なりとも効果が出
ているとの事なのだが、ここに来て医者から呼び出しがあった。
(5/28)

抗癌剤をこの先続けるにしても時間がかかり過ぎること
先にすすむにつれ、さらに回復が遅くなること
膀胱内に転移が認められ、その為に膀胱から腎臓への穴を塞ぎかけていること
その為にいつ腎不全を起こすかわからず、点滴などがとれないこと

医者はそれに対してひとつの提案をしてきた。
副作用の少ない放射線治療に切り替えてはどうかと。

ただし、父の入院している病院にはその設備がないので、別の病院に紹介状のような
ものを書くので、検査結果と共に持っていってそこで医者の判断を仰いで欲しいと。

父も薄々転院させられるのではないかと思っていたらしいが、やっぱりそうきたか。


母のときもそうであったが、入院が半年くらいになると、何だかんだ理由をつけられて
転院しなければならなくなる。

これには一体どういう事情があるのだろうか。

すすめられた病院は、今の病院よりも不便なところにある。
父は本音では転院はしたくないようであった。

へたに環境が変わることでストレスや不安で免疫力が悪化するのではないか。


私たちの不安が現実となるに、そう時間を要さなかった。


告知

2/23

朝になって三男から電話が入った。

主治医が今後の治療方法について話をしたいので家族の者を集めて欲しいというとであった。
その話が終わってから焼香に参るつもりであったのだが、私たちが主治医に呼ばれたことを知った父の三姉から電話が入り、今回は焼香を見送るようにとのことであった。

しかし、主治医は家族を呼んで欲しいと父に言ったのであって、私たちに直接連絡してきたわけではない。
父は病室のまわりの人間がガン治療を受けているのを知っていたから、自らの事についても薄々感づいていたに違いないけれども、だからと言って何故私たちに直接連絡せずに父を経由させたのか。
それはただ配慮に欠けているのか?それとも病気が楽観的な内容だったのか?

最初に説明を聞いて以来、主治医からは特に説明はなかった。
ガンではなかったのではないか?最初は状況だけで細胞検査をしたわけではない。
もしかしたら良性だったのかもしれない。
そのようにも考えた。

そして私たち兄弟は主治医の話を聞くべく病院に向かった。

それは最初の見解と全く変わってはいなかった。
尿に含まれる細胞にガン細胞が含まれている事もあってまず確定的であった。
そして抗ガン剤の副作用や今後の展開について説明を受け、家族としての意見を求められた。

このまま治療をせずに、家に帰って普通の生活を少しでもさせてやるのか?
本人に苦しい思いをさせても、わずかな望みに賭けるのか?
もちろん抗ガン剤の効果が保証されるものでもない。
効果があったとしても完全に消滅させることはほぼ無理とのこと。

しかし、私たちはわずかな望みであってもそれに賭けるしかなかった。
私たちの判断で何もしない選択はなかった。
ただ、この治療には本人への告知が必要らしかった。
それが気になった。本人が病気の事実を知って精神的に耐えられるのか?
そのせいで免疫力が下がってしまうのではないか?

葛藤したが、私たちは何もしないわけにはいかなかった。
後は本人が選んでもらいたかった。
父にとって私たちの選択は酷であったのかも知れない。
本当に難しい選択で、もっと慎重に決めるべきであったのかも知れない。

しかし私たちは見殺しにしたくはなかったのだ。

度重なる不幸

2/22

次男から夜に電話がかかってきた。
父は8人兄弟で上に3人姉がおり、長男の父の下に4人の兄弟がいたのだが、その中の長姉と、父の母親が立て続けに亡くなったらしい。(共に長期入院中であった)
しかし、父は入院中で弟達も不在がちだった為に訃報の連絡がとれず、私たちがその事実を知ったのは葬儀も終わった後のことであった。

どうするべきだと思うか意見を求めてきたのだ。

幼い頃から私たち兄弟は母方の親戚ばかりになついて父方の親戚を避けていた。
父方には正月にただ一日だけ嫌々行っていた。
それも小学生あたりまでで、それ以降は全くつきあいがなくなっていた。

私の母も父方とはうまくいっていなかったらしく、その為か母の葬儀にも二組しか参列してもらえなかった。

祖母だけでも線香をあげにいくべきか。

知らせてきたのは父の三姉であった。
父は三姉にはうちの三男の件や、母の件で相談をしていたらしく、多少の援助も受けていたようだ。

父と長姉との関係もわからず、どうするべきか困ったのだが、父の三姉は入院中の父を気遣って、まだ父には知らせていなかった為に父に相談するわけにもいかなかった。

でもとりあえず知らせてきたからには知らん顔をするわけにもいかない。
私は父の三姉に連絡をとり、連絡先を聞いて線香だけでもあげにいくことにした。

結局三姉は父に事実を告げたという事をその電話で知った。
父は泣いていたらしい。
父自体ももう何年、いや十数年以上も自分の母親の見舞いも、長姉の見舞いも行っていなかったのかも知れない。父は長男であるにもかかわらず、家を継ぐことを弟に押し付けて家を出てしまった経緯の為、兄弟達や自分の母親にさえも顔向けができなかったのかも知れないと思った。
そう思うと哀しくなった。

実は父の長姉(叔母)と祖母が亡くなった週、実家で飼っていた猫も一匹死んでしまった。
一週間の間に、3つの命が消えてしまったのだ。

父の状態

入院してからの父の足の浮腫みはなかなかおさまらなかった。
点滴を受けながら、尿管からどんどん尿を排出する。

私は普段は仕事が忙しくとてもではないが母の時のように頻繁に見舞いにはいけなかった。

ただ、あまりに毎日顔を出すのも、父に病気の重さを悟られるのではないかと思うと、週に二回程度行くのはちょうどよいのかも知れなかった。

私は自然に治癒できるような奇跡を信じて、身体にいいものを、なるべく不自然でないもので差し入れ続けた。

といっても、みかんと濃カテキンのお茶くらいだったのだが。

腰が痛くて眠れないという父に少しでも楽になるようにと低反発のクッションも持っていった。

なるべく会話では父を笑わせるようにした。笑うことは治癒力によいらしい。

半月くらいして、徐々に足の浮腫みがとれてきた。

その頃父は自分の病状に不安をおぼえるようになっていった。
できもののせいで腎不全になったことは医師から聴いているようであったが、そのできものの程度やそれが何かまでは聞かされてはいなかった父だったが、同室の入院患者は抗癌剤を使用している患者であることが患者と看護婦や医師との会話でわかってきたのだ。
それも一人ではなく複数であった為に、父は次第に自分の病状についても不安を持つようになっていたのだ。

ストレスや精神的な問題は免疫力を低下させるらしいので、この事は私にとっては不安な問題であった。

どうか父のガンが消えてなくなりますように。。。

父の入院2

2月2日

私が実家を訪れた翌日、父は朝から弟らに連れられて病院に行った。
結果、父はそのまま入院することとなった。
私は仕事をなんとか片付けて午後から病院へと向かった。

父があちこち検査を受けている間、私達兄弟三人は医師に呼ばれた。

父の足のむくみの原因は急性腎不全であった。
父は元々片方の腎臓は機能していなかった。残りのひとつについて今回不全を起こしたのだという。
このまま放っておいたら一週間もしないうちに命の危険があったということだ。

検査の日まで待っていたらとんでもないことになっていたのだ。

急性腎不全になった原因はなんと骨盤内にできた腫瘍のために尿管、腎臓、膀胱への管が圧迫された為だと聞かされた。
そしてその腫瘍は悪性である可能性が非常に高く、というか医師の話ぶりではほぼ間違いなく悪性であるらしかった。
そしてその腫瘍はかなり進行しているらしく、父の体力や、腫瘍の状態と位置からして手術で取り除くという事はまず不可能であるというのだ。

私はショックのあまり気分が悪くなった。それでも必死に耐えて話を聞いていたが、その間に次男が貧血を起こしてしまった。

残された手段は抗ガン剤の使用しか方法がないような話であった。抗ガン剤の使用についてどうするか家族で話あって欲しいといわれた。

しかし、とりあえずは腎不全の状態を治療する事になった。腎臓へ人工のチューブを挿入する方法を医師は説明した。しかしこの方法もうまくいくかどうかわからないとの事。さらに腫瘍が大きくなってくると、このチューブさえも圧迫しかねないとの事であった。


神よ、どうして私達にこうも不幸をもたらすのか?

私の近況

母の葬儀が終わってから一ヶ月ちょっとが過ぎた頃、私の会社は買収された。

それにより環境が大きく変わってしまった。

今までは給料は安かったし、休みも少ないと思っていたのだが仕事は比較的楽であった。

買収された後、それは一変した。

相手のやり方にあわせなければならない。
いろんなところからどんどんいろんな事を言われて仕事が追いつかない。
不慣れなやり方になれる前にどんどん変化を強いられる。

結果、残業時間は100時間を超え、休みも半分になった。
なのに給料は殆ど変わらない。

だんだん頭が回転しなくなってくる。
何かを言われるたびに後頭部に痛みをおぼえるようになる。
パニック状態に近い症状がおこる。
あまりにも余裕のない状態が何ヶ月も続いてくると、わけもわからず涙が出たり、朝が起きれなくなってくる。

仲間の何人もがついていけないと辞めていった。
部長クラスの人間もどんどん辞めていった。
過労で倒れる者もでてきた。
うつ病になって仕事にこれなくなって辞めていった者もでてきた。

新しいオーナー会社からの役員は「うちはリストラはしません」等といい格好を言っていたが、それはやらない
のではなく、やる必要がないってことなのだ。
追い込みをかけられているように毎日毎日いろんな事を要求されてこなしきれなくなって壊れていく仲間達。
リストラしなくても自然に辞めて行くのだ。そうなるように仕向けられているだけなのだ。

私自身ももうだめだと何度も思った。
肉体的よりも精神的にずたずたになった。
何のために生きているのかわからなくなった。
喜怒哀楽の感情も起こらなくなっていた。

コンプライアンスがどうたらこうたらうるさい事を言うわりには社員の労働環境に対しては違法の極みだった。
表向き年間休日が100日以上あるくせに実際は半分も休めていないらしい。

休みの日と決まった日に出勤している人は「勝手に来てるだけ」「休みの日に出掛けてるのが会社なだけ」と
いう扱いらしい。

ふざけんな!

お前らみたいな人間全然怖くない。
一番怖いのは何もかも失うものがない人間なのだ。
とことん追い詰められて、後は浮浪者への道しかないような状況に追い込まれたなら、必ず復讐してやると
私は心に誓った。
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