わが家族の事件簿 -5ページ目

こみあげる不安

病院が遠くなったので会社の帰りには寄る事が難しい。
父に電話で母の様子を尋ねてみた。
こちらの病院では前の病院と比べて看護師の数が少ないのか母がナースコールをしてもなかなか誰も来てくれないらしく、しかも看護師同士の不満の声が耳に入ってきたりなどでどうも居心地が悪そうだ。
初日に私がみた限りでも母のような状態の患者に対しての対応が行き届かないのではないかと不安を感じたくらいだから実際自分では動く事のできない母からすれば不安はかなりのものであろう。
本来ならリハビリ専門の病棟に行くはずだったのでそちらへ行っていればまた違ったのかも知れない。

そのストレスのせいか母はまた喘息の発作が出たらしい。
これではリハビリに取り掛かれない。しかも内科病棟にいればいる程ストレスを感じ喘息がおさまらないのではないか。
これでは悪循環を繰り返している間にろくなリハビリもできず時間だけが経過するのではないかと思う。
母は呼吸器を取り付けられていたらしく、父が食事の世話をせざるを得なかったらしい。
これではまた父は毎日朝から晩までつきっきりになるのではないのか。安心して入院させていられないのでは何のための病院なのか解らない。
母は母なりに気をつかってか、父に頼んでいくらかのお金を看護師に渡したようだ。

母が退院した後の事も考えねばならない。
公団住宅の5階建ての団地なのでエレベーターはついておらず、また家の中も狭い。
その上に三男が荷物と共に無理に同居しているから車椅子は勿論ベッドの置く場所もない。
トイレやお風呂はどうするのか。今の家のままではどうにもできないのかも知れない。
ケースワーカーは介護老人ホームへ一時的でも入れてはどうかと言ったが費用面においても問題があり、また家を引っ越さない限りは一時的ですまないだろう。しかしその費用もどうする事もできない。
これから一体どうなるのか。不安が一気に増大していった。

転院

10月18日

転院の日、たまたま休みをとっていたので行ってみようと思ったがもたもたしてしまい予定から15分程遅れて病院へ到着。
父親には病院に行く事を言ってはいなかったが朝9時に行くと言っていたので大体その時間に行けばよいと思っていたのが甘かった。
まずロビーに行ったがそこには父親はいなかった。時間的には精算待ちだと思ったのだが…。
母の病室へ向かうもそこはもぬけの殻だった。もう出て行ってしまったにしては早すぎる…。
エレベーターが4基もあるので入れ違いになったのか??
病院の前には二台ほど介護用の送迎タクシーが待機していた。そのどちらかに乗るのであればロビーを通るに違いない。
へたにウロウロするとエレベーターで入れ違いになるかも知れないのでロビーで待つ事にした。
しかしいつまでたっても通らない。おかしい。。。

そうこうしているうちに一人の男から呼び止められた。どこかで見たことのある人だと思ったらここの看護師の人だった。私服を着ていたのでわからなかったのだ。
面会時に二~三回会っただけなのに私のことを憶えていてくれたのだ。
どうやらこの人も私の母の見送りに来てくれていたらしい。
今日は休みだったのにわざわざ見送りに来てくれたのだ。なんとありがたい事なんだろう。
私と同じように待機していたみたいだ。
その人がロビーで見ておいてくれるというので私は母の病室のあったナースステーションへ向かった。
聞いてみると既に母は出て行った後であった。
下に戻りその事をその看護師に伝えると残念そうにし、私に伝言を頼んだ。

私は病院を出ると転院先の病院へ向かおうかどうしようか悩んだ。
おおよそはわかるのだが、はっきり場所がわからない。
しかしせっかく出てきたのだからこのまま帰るのも馬鹿らしい。
私はとりあえず探してみる事にした。転院先の病院はそこからバイクで20分程のところであった。
なんとかたどり着く事ができ、受付で母の居場所を尋ねる。
言われた階に到着すると面会ルームのような一角で父親の姿を見つけた。

主任看護師と入院手続きのような事をしていた。
私は母の病室へ向かう。リハビリメインでの入院なのだが、母の持病の喘息や高血圧の心配がある為とりあえず内科病棟に入っていた。
そこは8人部屋だったが、なんとなく小汚い。
やがてリハビリ医師の診察があると言うのでリハビリ室へ向かう。
そこで医師の問診があり母は自分でサインをしたのだがその字は意外に綺麗だった。

食事の時間になるが食事を運んできてくれるだけでは母一人では何もできない。
車椅子に乗ったまま、机のうえに食事をおいて食べようとするもあまり密着できず食べにくそう。
しかもボロボロこぼすので一人では食べれそうもない。
私は仕方なく看護師を呼んだ。そうすると車椅子の上に装着する台とエプロンをつけてくれた。
しかし普段はベッドに寝ている状態なのでそれでは食事をとることができない。
その事はきちんと伝えておかないと父親が付き添いから解放されない。

食事の後母をベッドに寝かせてもらい父と喫茶室で食事をして病院を出る。
父は今日は最後まで付き添うつもりらしい。

転院前日の夜

10月17日

いよいよ明日転院だ。もうこの病院に面会に来るのもこれが最後だろう。
仕事で少し遅れて病院に着くと父親はロビーにいた。共に病室に向かう。母はナースステーションにいた。
看護師に母を病室のベッドに寝かせてもらう。
母は相変わらず握手を求めてくる。母はこれが楽しみなのだという。

そうこうしているうちに三男が現れた。たまには面会に来ているようなのだが私がここで会ったのは一ヶ月半ぶりくらいか。
しばらく話していると今度は次男が現れた。次男に会うのも久しぶりだ。
私自身も最近は会社の帰りに一日おき位に来ている位だったので父親以外に会わなかった。
転院前夜に家族5人が久しぶりに揃ったのだ。なんだか私は嬉しかった。

いつもならすぐに帰るのだが面会が終わってもしばらく残って皆で話した。
父が9月分と10月分の概算医療費を教えてもらおうとしていたらしくその結果が来た。
会わせて約70万。8月と合わせると120万円強か。
役所に委任払いをしてもらっているので実際の支払額は月あたり6万円弱ですむだろう。
それでも9月10月分をまとめて払うとなると年金生活者の父親にとってはかなりの額になる。とりあえず15日に年金が入っているはずなので一旦は支払いはできるだろうが…。
次男と話し合っていくらかずつ負担しなければならないだろう。

別れを惜しむ母

10月14日

面会に行くと父がロビーにいた。どうやら18日に転院が決まったようだ。
共に上にあがると丁度母がナースステーションから出てきたところだった。母は担当の看護師との別れを惜しんでいた。
その日の看護師は母の担当であり、また母に一番よくしてくれた人だった。
母の我が侭に随分振り回されたに違いないが、それでも他の看護師と違って嫌な顔もしないでよく尽くしてくれた。

三人でベンチの所で話す。母は早くここから出たがっていた。家に早く帰りたがっていた。しかしこの看護師との別れは寂しいようだった。次に行くリハビリ専門病院への不安も勿論あったろう。
母はもう一度ナースステーションに行くと言った。例の看護師さんや婦長さんと話したかったようだ。

再度メンチの所に戻ったところで今度は執刀医の医師が通りがかった。この医師も優しく励ましてくれた。手術後の説明の時には何故か冷たい印象を持ったが何故か今日は優しかった。何か今日は心の中に温かいものを感じる日だ。

既に母が入院してから49日間。長いようで短かった。
しかし本当に大変なのはこれからなのだ。母にとっても。父や私達にとっても…。

母の涙

10月12日

面会に行くと今日は父親がいなかった。母はナースステーションで食事を終えた後らしく、車椅子に乗って出てきた。
看護師に「せっかくだからもうちょっと車椅子に乗っていましょう」と言われたので私が看護師と交代で車椅子を押す。
聞いてみると今日は父親は早々と帰ったらしい。次の病院の手続きに行っているのだろうか。
ベンチに腰掛け、その前に車椅子を止めて話す。

顔のむくみはマシになっていたが、手のむくみは相変わらずだった。私は母の手を取り軽く手の甲をマッサージした。
強く触ると痛いらしい。普段なら父親がやっているのだが今日は私しかいない。また父親は最近、私が面会に行くと帰るきっかけが欲しかったのか父親は私に帰ろうと言い出すので面会に行っても10分か15分で帰る事が続いていたが今日はそれもないのでゆったりと母と話す。父親に対しては我侭放題だが今日の母は大人しい。

母は私に「〇〇(次男)と二人でお金たくさん出してくれたらしいな」と言った。確かに次男と二人でお金を出そうという話にはなっているのだが
現実的にはまだお金を出していない。これは母があまりにもお金の心配をするので、父親が安心させようして私と次男がお金を出してくれたと母に嘘を言ったからなのだ。
「お金ないのにすまないね」と言いながら母の顔がくしゃくしゃになった。泣いているのだ。
私は母に「よくなって欲しいから出すんだ。だから辛いかも知れないけどリハビリをがんばって欲しい」と言った。
母は黙ってうなづいた。

車椅子を止めたままだと何故か脚が痛くなるらしいので私は車椅子を押してその辺りを何度もまわった。
そのうち母がトイレに行きたいと言い出すまで等も何度もまわり続けた。

むくんでいる母

10月6日

特に変化は見られなかった。20分ほどで帰る。


10月10日

雨や休みの為に久々の面会。
丁度父親が母の車椅子を押してエレベーター前のベンチの所へ来る途中だった。
久しぶりに見た母の顔は何かむくんでいるようだ。動かない手も指先から甲のあたりまでパンパンになっている。
父親に尋ねると特に今日だけの事でもないらしいが、私は今までこんな状態は見たことがない。
車椅子で座っている事が疲れるようで母はすぐに病室に戻りたがる。
看護師に聞いた話では車椅子の背もたれも低くしてあり、これが背中などの筋肉の訓練になるらしいから疲れるのも当然だ。
それでも少しでも長く車椅子に座っていさせようとした。

最近父親は体力的にも疲れが出ているようで以前のように長時間は付き添っていないようだ。
母は夜中に何度もナースコールで看護師を呼び出しては家に電話をかけて呼び出すように頼んだらしい。困ったものだ。
ようやく次の病院へ移る段取りになってきたようでレントゲン写真や紹介状など必要なものを病院から用意されたらしい。身内の者が次の病院へ行って面接をしてから病院側が受け入れるかどうか決める事になっているのだ。
受け入れられてもらえなければ、受け入れてくれる病院が見つかるまでそれを繰り返す事になる。
今の病院は転院先の紹介と書類を揃えてくれはするが、それ以上の事はやってはくれない。
転院に使う車も自分らで手配しなければならないらしい。普通はこんなものなのだろうか?

私は日曜日の朝に掃除をしている時にギックリ腰になってしまい、腰にサポーターを巻いていた。
病室に戻った母は私の腰をさすってやると言った。さすってやらなきゃいけないのはこっちの方なのに・・・。
今の病院ではリハビリはやってくれても時間も限られている。早く専門病院にうつって母がやる気を出してくれればよいのだが。
三男は相変わらず家にこもって面会に来ない。よくない事にならなければいいのだが。。。。

ある事情~第十ニ章

国選の弁護士の話では執行猶予になる可能性も高いが、恐らく両親との同居が条件になるだろうという事だった。父親はその時に自らの債務整理を行なっている途中であった。

私達にはその間にしなければならない事があった。早急に三男の家を引き払ってしまわねばならない。家賃がどんどん貯まるからだ。両親の実家も片付けなくてはならない。狭くてこのままでは4人住む事ができない。

しかし金をかけるわけにはいかず、リサイクルショップに引き取れる物は引き取ってもらい、シルバー人材派遣にごみ出しの手伝いを頼み自分達で整理できるものは整理し、三男の荷物も一部はレンタカーを借りて両親の実家へと運んだ。
三男の逮捕から一ヶ月少々で家を引き払う。
この住宅は数年後に建て替えが決まっているので原状回復費がいらなかったのがせめてもの救いだった。後は三男の裁判がどういう結果になるかだけであった。

結果は執行猶予三年。両親との同居が条件となった。逮捕から二ヶ月半程で三男は帰ってきた。
それからわずか二ヵ月後、私達はさらなる困難に襲われる事となる。

母が脳内出血で倒れたのだ。。。

ある事情~第十一章

それからはしばらく平穏な日々が流れたが、三男の様子がおかしいと母から電話があった。行ってみると三男は実家におり、目を閉じて横になりながらなにやらブツブツ言っている。自分で救急車を呼んだり、わけのわからない行動をしているらしい。

そんな矢先だった。
父親から突然電話が入った。三男が警察に逮捕されたらしい。覚せい剤の所持だった。三男の様子のおかしいのはこのせいだったのか。
これでもう生活保護も受けられなくなる。家賃を払う事もできなくなるのだ。私はまた目の前が真っ暗になった。

三男は留置所から拘置所へ送られることになった。面会に行った両親によると三男は私選の弁護士をつけて欲しい、保釈金を積んで欲しいと言っているようだった。
あわせて二百万円はかかるであろうそのお金を用意できるはずがないではないか。
父は既に三男の件で方々に借金を抱えていた。これ以上誰が貸してくれるのだ。
また、保釈金を積んだとしても三男がさらに罪を重ねたり、逃亡等しようものならその保釈金は没収されてしまうのだ。

覚せい剤の中毒なら出てこないで中にいた方が薬も抜けるだろう。その方が本人の為でもあるのだ。何度か三男は拘置所から手紙を書いて嘆願してきたがそれを受ける事はできなかった。
どこまで迷惑をかければ気がすむのだ。。。

ある事情~第十章

それからしばらくして、ようやく三男は債務整理を行なう気になったらしく法律扶助協会へ私と父と三男の三人で出向く事となった。
何枚かの書類を書き、担当官と面接となった。結果は折り返し連絡するとの事。
数日が過ぎ、父から電話があり、どうやら申請は通ったようだ。弁護士を紹介されたらしい。

紹介された弁護士の事務所に三名で行く。
そこでまた書類の作成をいくつか言われ、これからがんばりましょうと言われた。
家賃については自己破産をすると家を追い出される事になるので債務目録からは外すように弁護士に言われた。家賃滞納分の約60万円は父が、父の姉から借金をして返済する事となった。

それに対して私と父で返済をしていく事になった。次男はこの返済について援助する事を拒否したからだ。さて債務整理の方は私は仕事を何度もこれで抜けるわけはいかないので後は父に任せる事にした。

順調に事は運んだようで数ヵ月後に三男の自己破産と債務免除が決定した。私がこの件に関わってから1年間が過ぎていた。なお、法律扶助協会への返済は毎月5千円と決定した。これで三男の一番大きなプレッシャーとなる物は取り除かれた。
これで徐々に立ち直ってくれればいいのだが……

ある事情~第九章

三男の自動車がなくなったおかげで実家に押しかけられる事もなくなった。
定期的に現金収入がある事で少しは三男も落ち着いてきているように見えた。あとは債務整理だ。父親は自転車に乗って三十分以上もかけ、三男の家に通っては様子を見に行っていた。

両親の今の家は公団の団地で部屋数も少なく大人四人が住むには狭すぎるのだ。
もちろん、暴れる三男が一緒に暮らすというのは無理があったのも事実である。
落ち着きは見せてきたように見えた三男であるが、むしろ弱ってきている感じがした。
あんな目にあわされても母は三男の事を心配した。これが親心というものなのだろうか。徐々に平穏な日々が近づいているかと思えた。

三男が生活保護を受け始めてから数ヶ月たったある日父親から電話があった。なんと生活保護を受け始めてから一度も家賃を払っていないらしい。
なんとか処理しなければ保護は打ち切りになると。供給公社もわかっていながら何故ここまで放置して今頃になって役所に言ったのか。最初から伝えてくれていればこんなに困る事はなかったのに。

三男は保護費の受け取り金額は既に家賃を差引かれた後だと思い込んでいたらしいが、それについて私に迷惑がかかる事をわかっていながら何一つ詫びの言葉もなかった。この件に関わってから三男はよく私に迷惑をかけたくないと言っていたが、実際迷惑をかける事態になったにもかかわらず詫びの一つもないとはどういうことか。やはり口先だけの男なのだろう。

とりあえず父が役所にかけあい、これからは毎月家賃の振り込み書を提出してから保護費を受取る事にしてもらう事で生活保護の再申請をした。60万円以上の債務がさらに出来た。これについては近いうちにケリをつけなければならない。しかし、三男が債務整理したとしてもこの債務は保証人である私がかぶる事になる。私は胃に穴があくようであった。