わが家族の事件簿 -4ページ目

ようやく…

10月27日

少し会社を出るのが遅くなったが翌日が休みなので来られないから面会に向かう。
病院に着きバイクを停めて歩き出すと傍らに立っている男がいた。
暗くてわからなかったのだが、よくみると次男であった。次男も丁度来たところらしい。

一緒に病室へ向かう。
母は顔にハンドタオルを被せて寝ていた。縁起の悪い・・・
どうやら室内の電灯の灯りがまぶしいらしいのだ。
どちらかといえば陰気に感じるくらい薄ぐらいと思うのだが…。

次男と並んでベッドの脇に腰掛けた。次男は今まで見た事もないような優しさを発揮している。なんだかんだと母に話し掛け、励ましている。
今日は他の患者の面会者も来ていたせいか、いつもと雰囲気が違っていた。
看護師の動きもよさそうにみえる。(いつもは疲れ果てて嫌々やってるように思えた。単に人が違うだけなんだが…)

母は相変わらずしんどいしんどいと言っている。どれだけ動かせるのか、手足を動かそうとしてみさせる。全く動かないと思っていたのだが、肩の関節と太腿のつけねの関節は若干であるが動く。少しは希望が持てるのか?

母によると、どうやら次の日にリハビリ病棟へ移れるらしい。よかった…。
これでリハビリに専念できるようになる。全てがよい方向へ向かう事を期待して私と次男は家路に着いた。

32条

心療内科を受診するようになってから数年間ずっと妻は精神保健福祉法の32条制度を受けている。そのおかげで通院費の負担は5%ですんできた。特にここ数年経済的に苦しいわが家においてはとてもありがたい制度であった。

しかし厚生労働省が障害者自立支援法というものを成立させようとしている。
この法案が通ってしまえば妻を始め多くの精神病患者がこの制度の対象からはずれてしまう可能性があるのだ。

少なくとも5%の負担は10%に引き上げられるらしい。
所得制限が設けられたり「重度かつ継続的な患者」のみが公費負担の対象となり、それ以外は全て切り捨てられる模様。重度かつ継続的な患者かどうかの判断は病名で判断されるらしいが、それは「統合失調症・狭義の躁うつ病・難治性てんかん」にあたる者をさすという。鬱病はここに含まれないらしい。対象からはずれてしまえば一気に今までの6倍もの負担になるのだ。

私の妻は鬱病である。もし、この法案のおかげで医療費の自己負担が増えたならどうなるか。収入は年々低下する上に支出が増え、さらに親兄弟の問題での負担を強いられる現在わずかな支出の増加も厳しいものになる。

某与党が圧倒的多数の議席数を確保してしまった以上、法案の可決は必至だろう。
改革の名のもとに本当に正さなければならない所をおざなりにしているにも関わらず弱者に対する配慮がろくにされないまま事が力ずくで押しすすめられていくのはどうか。

繰り返す悪化と回復

妻は相談機関の人にすすめられて、同じような精神病患者の人と電話だけで話し相手になる関係だったのだがその人に久しぶりに電話をしたらその人は大量に薬を飲んで自殺してしまっていた。その人は以前から生きている事が苦痛で早く楽になりたいと言っていたらしい。妻はその事に大変なショックを受けると共に、母親の自殺未遂と知り合いの自殺で自らも死という逃げ道を考えるようになってしまったのだ。

悪化と回復、それを繰り返す度に妻の薬の量は増え、またきつくなっていく。
薬を飲みすぎたり、飲まないと眠れなくなったり。薬物への依存が進んでいった。
しかし次女が段々大きくなるにつれて妻のストレスも減っていったのか徐々に軽くはなっていった。私も少しではあるが家事の分担をうけもったり、次女の保育園の送り迎えを代わりにやったりするようになっていたのも一因だと思う。

いつしか妻は薬を飲まなくても平気なほど回復した。次女が生まれてから4年が過ぎていた。妻は薬を時々調子の悪い時だけ飲むようにしていたようだった。
しかし本来は医者がやめていいというまでは自己判断で薬をやめてはいけないのだ。

そんなある日、私は三男のトラブルに巻き込まれる。この事が妻を再び地獄へとつき落とす事になるのだ。

兄弟がひさしぶりに揃う

10月25日

前日に面会に行くつもりだったのだが会社を出るのが遅れたことに加え三男から電話がかかってきてそれが一時間近く続いたせいでその日はあきらめた。今日は早目に会社を出て面会に行こうと思う。

病院には意外に早く着いた。相変わらず病室は静まり返っていて陰気なムードである。この病室の患者は皆かなりの高齢のようで一点をじっと見つめているだけの人やずっと無言等まるで廃人のようだ。しかも既に寝ているような人も多い。母も目を閉じて寝ているようであった。

寝ているのを起こすのも気が引けたが、少し身体を揺り動かしてみる。母は夢をみていたようで私が身体を揺さぶったのか身体が痙攣したのかはっきりわかっていないようだった。最近母は家に帰っている夢を毎日のようにみるらしい。
喘息の発作はでていないようだが聞いてみるとリハビリも相変わらずできていないようでもどかしい。
父親は毎日来ているようだが送迎バスの都合で夕方には帰っているらしい。前日は次男が面会にきていたようだ。
母は煙草はあまり吸うなと私の健康の気遣いをする。

しばらくすると三男が現れた。あの日一緒に来た時の事を思えば連れてこなければよかったかも知れないと思っていたが今日は自らやってきたところをみると調子はいいように思える。母に接している様子も特に問題はなさそうだ。そうこうしている間に今度は次男もやってきた。私は三十分ほどで帰る予定だったので二人を残して先に帰ることにした。

もっといろと言われたが今日は給料日。私がお金を持って帰らないと家族は晩飯が食えないのだ。。。
この病院は通常面会は面会ルームでする事になっているのだが車椅子に乗せるにも看護師に頼まなければどうにもならない。
ここは看護師の数が少ないように思えるから、わずかな面会時間の為にいちいち頼むのも気を使う。静かな病室で三人もの面会は他の患者へも迷惑だろうからそれもあって早く帰る事にしたのだ。

心療内科の受診と妻の母親の自殺未遂

妻の状態が相当悪くなっていたのか、電話相談の保健所の人が妻をなんとか説得し家まで迎えにきてくれ近くの心療内科に連れて行ってくれた。
そこで初めて鬱病との診断を受けたのだが、無関心だった私はその病気に対して調べる事もなく話もろくに聞かずネットに夢中になっていたのは相変わらずだった。

それでも薬のおかげか、徐々に妻の状態も一時に比べるとよくなっていった。
そんな中で妻の母親が自殺未遂を起こしてしまう。保険会社の営業をしていた妻の母親はノルマ達成の為に無理をしていたらしくいつのまにかサラ金に借金をしており、その取り立てに追い詰められ薬を大量に飲んだのだ。その事があるまで誰も妻の母親がサラ金に多額の借金がある事を知らなかった。幸い命に別状はなく、胃洗浄でしばらく入院するだけですみ、借金についても自己破産に手続きをとることで片付ける事ができた。

しかし、その事がきっかけで妻の鬱病は悪化した。以前より遥かに重い状態となり、またそのせいで持病の喘息の発作の出る回数も増えた。
それでも私は妻の事に相変わらず無関心であった。

妻の状態と夫婦関係の悪化

私が妻に無関心になり、話も聞かず、また他にストレスのはけ口もなかった為に妻はいつしか家事をろくにしなくなった。私は当時鬱病等について何も知らなかったので、家事を怠る妻を激しく罵倒しよく喧嘩になった。
今思えば最悪な夫であった。妻は誰にも話を聞いてもらえずどんどん症状は悪化していった。

知らぬ間に妻はさまざまな「いのちの電話相談」や役所の相談機関に頻繁に電話をするようになった。私はそれに気づいていたが妻に対して何もフォローをしなかった。
よく喧嘩をした。以前の妻はこちらが暴言を吐くとそれで萎縮してしまっていたのだが、その頃の妻は異常な程噛み付いてきた。
それでさらに喧嘩は大きくなり、離婚話も何度も出るようになった。

流石に離婚は考えてなかった私は折れてネットの時間を遅らせるとか短くするとかしたのだがそれも長くは続かず同じ事の繰り返し、妻の精神状態と夫婦の関係はますます悪化した。

困った母と三男の精神状態

10月22日

この日は土曜日だったが私は仕事だった。
午前中に実家から着信があったのでかけてみると三男からであった。
三男は釈放後ずっと家にいるのだが近頃は精神状態がよくないようで母への面会も殆ど来ていない。
私は会社の帰りに面会に行くから気が向いたら一緒に行こうと誘った。もし行く気になったら会社が終わる時間に電話をくれと伝え電話を切る。

あまり期待はしていなかったのだが仕事が終わる時間になって着信があった。私の会社と実家との間の所で待ち合わせて私のバイクで二人乗りをし病院へ向かう。病院へ着くと母は喘息の発作が出ていた。喘息特有のヒューヒューという音が聞こえる。
しかし特に呼吸器がついてあるとか、点滴をしている風でもない。私は母に話し掛けると、母の口調は意外にしっかりしていた。
私はひと安心した。しかし三男の様子がおかしい。以前の暴れていた頃に近い表情と仕草だ。私が感じたのと同じようにこの病院への不満、母の状態への心配と病院の対応について不満と疑問を抱いているようで母との問答を見ているとそれがハッキリと解る。

「この病院じゃダメなのではないか」三男の言いたい事も解るのだが、それで興奮状態になられては困る。病院を追い出されたら行く場所をまた探さなければならないし費用もかかるのだ。それに今は一時的に内科病棟に入っているのだから看護師が少ないのも仕方がない。喘息の発作のせいでリハビリが進まないのも私自身ももどかしく思っているのだ。ただ私的にみても母が喘息の発作が出ているにも関わらず何の処置もされていないのは気になった。

改めて母に看護師を呼ぼうか?と尋ねた。しかし母は大丈夫だからとそれを止めた。母は検査等で採決されたり喘息の発作止めで点滴等を打たれて痛い思いをするのが嫌で我慢しているようにようだった。困ったものだ・・・・。我慢していてひどくなったらもっと痛い目にあう。それに早くリハビリに専念しなければならないのに我慢している場合ではないのだ。そう言って母を諭す。

三男は自分自身も喘息持ちであるが為に自分の経験上と照らし合わせ、それと合致しない事に不信感を持っているようだ。三男はかつて私の妻の喘息の発作時に直面した時にも、自分とは違う動作を妻が取ったことで私の妻が狂言で発作の振りをしたような疑いを持った事があった。そのせいで妻は鬱病を再発し現在までそれを引きずっているのだ。母が喘息の発作時に点滴を受けた話をした時にも、喘息で点滴を打つなんてあり得ないような事を言い出した。しかし私の妻がかつて発作を起こしたときに運ばれた救急病院ではいずれも点滴を打っていたので私はその話をして三男を落ち着かせる。
やはり連れてくるべきではなかったのか…。

ひとまず病院を出て三男をなだめた。この病院に決めた経緯、経済状態のこと、母が現在の病棟にいることについて等全てを話し、今の状態が我々なりのベストなのだと伝えた。金さえあれば個室に入れる事も可能だし、喘息や高血圧がなければ他の病院の選択もできたし、今もリハビリだけに専念できてるのだと。今日の一面だけを見て判断するのもよくない。この病院に入院した事を間違っていると思っているとするなら、自分ならどうしたのか?もっといい結果を出せたのか?人の行いについて文句を言うのは誰にもできる。自分では何もできないのに他人の行いに文句をつけるのはおかしいのではないかということ。直接的には批判はしなかったがそれとなく伝え、なんとか説得した。
本人も最近自分自身の精神状態がよくないのは解っているようだ。フラッシュバックというやつらしい。私は不安を抱きつつもとりあえずその場を収める事だけで疲れてしまいその日はそのまま帰ることにした。

次女の出産・育児

長女が4歳になり、一人じゃ嫌だと言ったのがきっかけで二人目を作る事にし、幸いにもすぐに妊娠した。妻に一番よくしてくれていた友達も喜んでくれていたのだが、ある事件をきっかけにして関係がぎくしゃくし出す。

妻は私とつきあっている頃に喘息持ちになってしまっていた。妊娠中は薬が飲めないので、発作が出てしまうとかなりきつい状態であった。
ある朝、妻が喘息の発作が出ていた。私は会社に行ってからも妻の事が心配で家に何度か電話をかけて様子を聞こうとしたのだが電話になかなかでない。昔から心配性だった私はいてもたってもいられなくなり、妻の友達に事情を話し、確認して欲しいと頼んだ。結果、妻の状態がひどかったわけではなく、電話の呼び出し音がサイレントのまま留守電にしてしまっていただけであった。
その事で妻はその友達から「人騒がせ」と非難され、それから関係がぎくしゃくするようになったのだ。何かにつけて攻撃されるようになった。
その人は子供でできるまでに8年を費やし様々な苦労をしてきたのに、妻が簡単に二人目を妊娠した事ももしかしたら攻撃の対象とされる原因になったのかも知れない。

それ以降妻はあまり家から出なくなった。妻は私にSOSのサインを出していたのだろうが私はそれに気づく事もなく、また当時インターネットに没頭し妻の話を聞く事もしなかった上に次女が生まれてからは次女が夜泣きすると私はまた妻に八つ当たりしてしまっていた。
高齢化が進む県営住宅だったのもあり公園などで前のようにストレスを発散する仲間もあまりいなかった。
それら全てが妻をどんどん精神的に参らせてしまったのだ。

長女の出産・育児

結婚して数年間は貯金をする為、自由を味合う為、妻はパートに出てそれなりに楽しく生活をしていた。そろそろ子供が欲しいという話になり、妻は長女を妊娠・出産した。
小さな子供ができると公園デビューというものがある。公園にいる他のお母さん達の輪に入らなければいづらいのだ。

人付き合いの苦手な妻には重荷かと思われたが、幸いにも二人のお母さんと仲良くなる事ができた。二人とも妻より三歳年上で、どちらもなかなか子供ができなかったらしいが、そんな面は表には出さずいつも明るい人たちだった。
そのうちの一人は仕事を持っていたのでたまにしか遊ばなかったようだが、もう一人は専業主婦だったので毎日のように二人で過ごしていたらしい。その人は見た目も派手な上結構言いたい事をスバスバいうさっぱりした人で、妻にはとてもよくしてくれた。
そのうちその人がリーダー格となり公園のお母さん集団ができあがっていくのだがその人と一番仲が良かったおかげで妻も居心地が悪くはならずそのおかげで長女の小さい頃は大きな不安もなく子育てができていたと思う。

ただ、私が音に過敏なせいで、夜中に長女が泣いたりすると興奮して妻に八つ当たりをしていた事を除けば…。

妻について


【妻の性格】
妻は昔から両親との折り合いが悪く、また妹がいるのだが妹はどちらかと言うと気が強く妻とは正反対だった。
言いたい事を何でも言う妹。そしてぶつかり合う両親と妹、それをみてきた妻は言いたい事も言えず、ずっと我慢をして育ってきたらしい。
人付き合いも下手で限られた人間としか仲良く出来なかった。

【妻との出会い】
私は大学生の頃のバイト先で妻と知り合った。
いつしかお互いが気になる存在となりつきあう事となったのだが、同じ職場であった為にお互い見たくもない嫌な場面を見る機会も多く、嫉妬やお互いへの気遣い不足が原因でよく喧嘩をしていた。
また妻はバイト先の正社員だったのだが私と知り合った頃はまだ社会人一年生だった。二年目になり新入社員が入ってくると下の者との付き合いが苦手らしく時々愚痴を吐くようになった。

【メンヘラーの兆し】
妻は当時、何か人間関係のトラブルが原因で妻は過呼吸になり病院に運ばれ入院した事もある。
私もそうなのだが上の人間との付き合いはそんなに苦ではないのだが、下の人間との付き合いはかなり気を使ってしまう。
つきあっている間に何度か妻は家で揉めて、夜に家を出て私に会いにきた事があった。
その度に私の家やホテルに一緒に泊まる事が何度かあった。そこで私は妻を慰め安心させ落ち着かせていたものだ。
【結婚】

妻は私が大学を卒業し就職すると頻繁に一緒になりたいと言うようになった。早く家を出たがっていたのだ。
私も家族がバラバラで兄弟3人と父親はそれぞれ口を利かず、全て母親を介して必要な事は伝えていたし、食事もバラバラで他人同士で暮しているようなものだったので早く家を出たかった。
お互いが早く家を出たがっていたのもあり、就職してからわずか半年で二人は一緒になる事になった。
その後は妻も落ち着きをみせ、両親とも何とかうまくやっているように見えたのだが…。