わが家族の事件簿 -2ページ目

父の入院

それは母の葬儀も終わり、ようやく落ち着いてきたかと思った矢先の出来事だった。

次男から電話があった。

父の足が異様にむくんできているというのだ。
それは数日をかけ、どんどんひどくなってきているらしかった。
さらに父は腰の痛みをうったえるようになった。

何度か病院には行ったらしいのだが、検査は一週間も先なのだ。
父が痛みをうったえていっても大した治療も検査もなかなかしてくれない。

そんな悠長な事で大丈夫なのか?

すぐにでも救急ででも病院に行って調べてもらうべきではないのか?

とりあえず私は実家へ行きその様子を見に行った。

象のように浮腫んだ足。
そして同じ姿勢をとれないでしんどそうな父。

早急に病院で検査すべきだと私は言った。
2月1日のことである。

さようなら

母は痛いのをとても嫌がっていた。脳内出血の時の入院中も検査を嫌い早く退院したがっていた。
昔から血圧が異常に高かったのに検査をされるのが嫌で病院に行こうとしなかった。

母は家にお金がない事で費用がかかるのをとても心配していた。
だから早く退院しなければならないと言っていた。

もしもお金があれば、もしも母が臆病でなかったら、こんな事にはならなかったのかも知れない…・。

緊急手術の翌日は何事もなく過ぎてほっとしていた。しかしそれは翌日の早朝に起こった。


6月23日、早朝6時15分、突然携帯の着信音が鳴り響いた。



慌てて飛び起きてとったが切れてしまった。履歴をみると実家からであった。
かけなおすと何やら後ろでバタバタしている音が聞こえる。病院から電話があったからすぐに来て欲しいとの事であった。
急いで着替えて飛び出す。何が起こったのだ…・・。

病院に到着したのは午前7時少し前であった。ICUに入ると母のベッドの周りにはカーテンがかけられていた。
中をのぞくとそこにはもう父も弟達も来ていた。

本来なら感染防止のためにエプロンやマスク、手袋をしなければならない。しかし弟らはすぐに近くに来るように言った。

医師の姿はそこにはなく、心拍数の波形をみるとそれは時折波打つくらいで、殆ど直線を描いていた。

そう、もう処置できることはなかったのだ。母の心臓は止まりかけていた。
完全に止まるその時をただ待つだけの状態であった。
それでも何度も声をかけ、手を握るたびにまたしばらく動き出す。

どうか戻ってきてくれ、私たちはそう願った。願い続けた。
約30分そのような状態が続いたが、やがてしばらく波形を描かなくなった。その時を待っていたかのように、医師と看護師が入ってきた。

「死亡確認をさせていただいてよろしいでしょうか」

事務的に告げるその言葉に私たちは黙ってうなずくことしかできなかった。



平成18年6月23日 午前7時24分



母は天国へと旅立った。

緊急手術

6月21日

会社の帰りに病院に行った。
今日は4人揃っての面会。
人工呼吸器をずっと加えてた母の上唇や舌は壊死して真っ黒になっていた。
すい臓・腎臓・肺・心臓どれもこれと言った回復はみられていない。
客観的にみて母はもう無理やり生かされているようにしか見えなかった。

もし、回復したとしてもこの唇や舌はどうなるのだろう。目も長時間開いたままだった事があったのでもしかしたら見えなくなっているかも知れない。
心停止のダメージで身体がどこも動かない、話せないかも知れない。
そんな状態で生きていても母は苦痛なのではないだろうか。
そんな風にしか思えないような状態であった。

面会を終えていつものように病院外の喫煙所で父や弟らと話してから帰宅した。
帰宅して夕食をとった直後、私の携帯に着信が・・・・。

それは主治医からのものであった。
午後の8時過ぎのことである。主治医の話の内容はこうであった。

腸の一部に穴があいているようで、そこから汚物が漏れており、このままでは危険なので手術がしたい。母の身体の状態からすれば手術に耐えられない可能性が高いため、すぐに来てほしいとの事。また父はまだ帰宅していないらしく連絡がとれないので連絡をとってほしいと言われた。
私は次男の携帯に連絡をし、すぐに病院に向かった。

病院に着くと既に父と弟らが担当医の説明を聞いている最中であった。
私もその中に加わる。

母の身体の状態からは長時間の手術は危険が伴うため、とりあえず穴をふさぎ、人工肛門取り付けるという方法をとるということであった。


手術が終わったのは夜中の2時半頃になっていた。
十分長時間ではないか・・・。しかし母は耐えた。
母への面会が許される。

そして再び主治医の説明が始まった。
母のお腹の中の状態は思ったよりも相当ひどい状態であったらしく、すい臓のあたりはもう他の臓器と区別できない塊となっており、腸に関しては十二指腸から小腸、S字結腸の大部分が壊死しており、すべてを取り除かねばならなかった。
とりあえず大腸の部分と、胃の下の部分はそれぞれホチキスのようなもので止めて、液等が漏れ出さないようにしてあり、母の回復を待って人工肛門を取り付ける等の手術を再び行うということであった。
だがしかし、手術の最後のほうでは母の心臓の動きが低下し強心剤の投与でなんとかもったものの、非常に危険な状態であるとの事であった。

既に前回の心停止より、強力な強心剤と、それよりも弱めの強心剤を使い分けて心臓の動きを維持している状態であるため、もし今度心停止をする事があれば、もう打つ強心剤はないとの事であった。
病院には家族が待機する場所がないので、とりあえず自宅待機をするように言われた。

私は実家に泊まることにし、眠れない夜をすごした。

心停止

6月14日

それからの母は肝臓がやられたらしく黄疸が出て黄色くなったその皮膚は人間のものとは思えない色になりました。

また、手術翌日までは母には意識がありましたが、呼吸困難を起こしたために人工呼吸器を口から入れられており、本人の苦痛をやわらげるために薬で寝かされた状態となり、それ以降今まで母の意識はありません。

面会にいくたびに説明してくれる医師は母の状態が日に日に悪化している事を告げました。



そんなある日、

仕事中であった私の携帯に見慣れぬ電話番号からの着信があったのは午後12時少し前のことでした。

通常見慣れない番号からの着信は無視をするのですが、その時みた電話番号は、なにやら近くの電話番号で、もしやと思った電話は案の定母の入院先の病院から
のものでした。緊急連絡先として実家と私の携帯を病院に告げていました。

電話の主の年配の女性の声は何か能天気に感じられ、何やら事務手続きの用件かと思ったのもつかの間、その女性は担当医とかわりますと言って一旦保留音となりました。

担当医の話を聞き、私は自分が狼狽するのがわかりました。
突然母の心臓が停止したこと、心臓マッサージなどで4分程で心臓が動き出したこと、しかし原因の検査をしていたところ再度心臓が停止し、現在も蘇生中であるが、もう既にかなりの時間がたっていること、間に合わないかも知れないがすぐに病院にくるようにとのことでした。

私はすぐに実家と次男の携帯に電話を入れ事情を説明すると会社を抜け一目散にバイクで病院へ向かいました。



間に合わないかもしれない


・・・この言葉が私の中で何度も駆け巡りました。狼狽しつつ、焦る自分を抑えながら自分が事故にあわないようになんとか慎重に運転を続けました。


私がICUに入ったとき、カーテンのかけられた母のベッドの周りに大勢の人がせわしなく動き回っているのがわかりました。
まさに心臓マッサージの最中でした。どうやら間に合ったようでした。
しかし、そんなことで安堵する余裕は私には当然ありません。


担当医がやってきて電話での説明とほぼ同じ内容の話を繰り返しました。
その時私は既にまともに話を聞ける心境ではありませんでした。
テレビでみる救命ドラマでは心臓マッサージをある一定時間繰り返しても蘇生しない場合はそこで治療を断念するというシーンを何度か観ていたので、その事を思い出した私は、いつあきらめられてしまうのかという恐怖感でいっぱいになっていました。
その時点でもう私の涙は止まりませんでした。


看護士の一人に導かれカーテンの中に入れられました。
一人の医師が母の胸を激しく押していました。その時、

「チャージおわりました」

と女の看護師の声が聞こえました。
まさにテレビで観ていたシーンそのものでした。私の狼狽はさらにひどくなり、もう、意識を失いそうなくらい不安な状態でした。

それを見かねたのか、先ほどの看護師がカーテンの外にでるように私をうながしました。カーテンの外で私は丸椅子に座りながら祈りました。
神も仏も信じない私が、この時は必死に祈りました。


どうかあきらめられる前に戻ってください


その祈りが通じたのかどうかはわかりません。が、しかし母は34分の心停止の状態から再び心臓が動き出したのです。
私は神に感謝しました。

担当医がやってきて、心停止の前に不整脈を起こしていたらしいので、原因を調べて治療しなければ再び心停止を起こすかもしれない。心筋梗塞の疑いがあるので、検査の結果次第ではその治療を行いたいと言った。そして治療の際に血管が裂ける等の危険もあることを告げました。
私は同意するしかなかった。このまま放っておいても危ないのには変わりがない。

ようやく落ち着いたころに三男と父親が現れた。私が電話をしてから1時間程経過していた。どうも家に金がなく、家中の小銭を寄せ集めて電車で来たらしい・・・・・・・

そうこうしているうちに次男、私の妻と娘たち、親戚のおばが現れ、検査と処置の結果を待ちました。
たこつぼ心筋症というものだったらしく、心臓のポンプの効率の落ちる病気でした。
また、心臓の弁のひとつの働きが悪く、そのせいで逆流をおこし、肺に水が溜まりやすくなっている事もわかりました。
まだまだ危険な状態ではあるので、自宅で待機しておいてくださいと医師は結びました。


どうか母を助けてください。そう私は祈らざるをえませんでした。

たすけてください

おひさしぶりです。

あれ以来私自身に仕事で問題が起こったりして心の余裕がなくなってしまい、母の見舞いからも遠ざかったりでブログをかけないでいました。

これまでの経緯を簡単に書きます。

結局母は4月の半ば過ぎに退院しました。せまい家に無理やりベッドを入れ、団地の階段の昇り降りはレンタルの機械に補助の人がついておこなうことになりました。
(介護施設でのリハビリに通うため)

母は障害者の1級と認定されました。

弟(三男)がまた暴れているようでなんと退院した母にまで暴言を吐いたり父へも暴力を振るっているようでした。私がとめにいったりすることもありました。

私は弟が消えてなくなってしまえばいいと思いました。
もっと言えば私を煩わせるすべての人間がいなくなればよいと思いました。
それくらい私の心には余裕がなくなっていたのです。

それが悪かったのかもしれません・・・


ようやく退院してこれからだと思っていたのもつかの間、母が腹痛を訴え嘔吐を繰り返しました。往診にきている医者が病院での検査をすすめた為、救急車で病院に向かったところ母の病気はただならぬものだったのです。


重症性急性膵炎という病気でした。

医者からは覚悟をしてくれといわれました。5月31日のことです。
私は母が緊急処置をしてもらっている救急病院へ駆けつけました。
そこで父や弟達と処置が終わるのを朝まで待ちました。

とりあえず処置が終わってほっとしたのもつかの間、医師の説明を聞く限りはとても安心できる症状ではありませんでした。

それから今日で12日になります。症状はよくなるどころか徐々に悪くなっています。
小便がでなくて水がたまり水ぶくれのようになって肺にまで水がたまってきて、ついに
は血液透析を行うことになりました。

感染症や肺炎をおこしたりする可能性があり何度も医師から覚悟をしておくように言
われました。



どうか母を助けてください。


私の娘たちに会いたがっていたのに、、、、会わせてやれないままなんて・・・
しかも母が倒れる前の休日に、妻が娘たちを連れて母に会いに行こうと言っていたのに私が面倒だったので行かなかったのです。
それがとても悔まれてなりません。あの時行っていれば娘たちに会わせてやれたのに。。。

どうか母を助けてください。

どうか娘たちに会わせてください。

このままでは一生悔みきれない・・・・。

人にやさしく

12月1日

人は自分に余裕があれば他人にもやさしくできる。しかし、そうでない時はどうなのだろう。
どんな時でも人にやさしくできる人がいれば私はすごいと思う。私にはそれができないから。

常に精神的にはあまり余裕がないのだが、最近は時間的にも余裕がなく会社から帰ってから寝るまでにやらなければならない事がいっぱいあってやりたい事がなかなかできない。
どれもこれも大した事ではないのだが毎日の日課をこなしているとそれだけで時間がなくなってしまい、やりたい事がどんどん溜まってくる。
母の面会にも3日ほど行っていないので、そろそろ顔を出さなければならないと思い精神的にも時間的にも余裕のない状態で行ったのだが、やはりやめとけばよかった。

そういう時の母の愚痴なのか本気なのかわからないような台詞を聞くとイライラしてきて、ついついきつく返してしまう。
心に余裕がないから、やさしく聞いてやる事も諭してやる事もできない。これではこの病院の一部の看護師と変わらないではないか。。。。
それでも20分ほどそこにとどまってはいたが、ただいてるだけ、という感じで私のイライラしているのが母にも伝わっていたのに違いない。

私が帰ろうとすると「そんなに慌てて帰らなくても」と言った母の台詞にもイラついてしまい、「こっちは忙しくいんだ」と言ってしまった。
母を喜ばせるつもりが、逆に悲しませる事になった。最低だ。こんな事なら行かない方がよかった。私はどんな状態でも人にやさしくできる人ではないのだから。

どうしようもない母

11月26日

今日は仕事だった。しかし午前中に父から電話があった。

「2~3万、年金が入ったら返すから貸してくれ」

給料が入った翌日にかけてくるとは・・・。年金が入るのは12月の半ばだ。返ってくるとは言ってもそれまでの間、そんな先まで貸したままというのは実はそんなに楽ではない。毎月の収入よりもし支出の方が多くてボーナスで赤字の穴埋めをしていたのだが、それも今は不可能になってきていた。この間の妻の20万円の借金の処理もあって、当座の預金はあまり残ってなく毎月の収入の中から何とか削っていかないと月々の支払もできなくなるかも知れない。そんな中で貸したままというのはやはり辛い。ずっと渡すつもりでいた壱万円の件もあったが、母の病院代を負担するつもりで持っていたお金の中から出せるのは、やはり二万までが限界であろう。

病院に着くと母はトイレ中で、父が一人でベッドの前に座っていた。
父は私を病室から連れ出すと困ったような顔で話した。母がまた看護師に金を渡そうとしているらしい。夜中にベッドの柵を落として大騒ぎになった日、何度もナースコールで呼び出したりして迷惑をかけた人に金を渡して詫びたかったらしい。なんで謝るのに金を出さなきゃいけないのだ。言葉だけで十分ではないか。

母は昔から金で何でも解決しようとしてきた。昔はそこそこお金があったからそれができたかも知れないが、今はそんな状態ではないのだ。その影響で甘やかされた三男も同じような人間になってしまった。自分の力量以上のお金を欲し、それで何とかしようとする考え方。自分で都合のつかないお金を親に要求し、それが満たされないと暴れる。その上でうまくいかなかったことを、全て金を渡さなかった親のせいにする。母もお金がないと言っても聞かず、父にあたっている。まるで三男と変わりない。

恐らく母も親から甘やかされて育ったのであろう。祖母にあたる人が私が小さい頃は遊びにいくたびにお金をくれた。もちろん私だけではなく次男や三男にも渡していただろう。お金を渡す事でしか感謝や喜びを伝えられなかったのだろうか?祖母が亡くなるまでそれは続いていた。昔は私でさえ、お金が必要になったら祖母の家を訪れるような事もあった。そうやって育ってきた者が全て金銭感覚がおかしくなって三男のような性格になるわけではないだろうが、やはり身の程を超えたお金を手にすると人間ろくな事にならないのは事実なのだろう。

母のその話を聞くと私は腹が立ってきた。そのような姿勢が現在のこの最悪な状態を導いたのだろうと思うと無性に腹が立った。その為に父は私に借金を申し込んできたのだろう。父にお金を渡した後、父は母に散髪代として三千円を渡そうとしていた。月曜日に散髪の予約をいれているらしいのだが、母に現金を渡しても盗難などが心配ではないか。月曜日に送迎バスの問題か、散髪の時間に間に合わないと払えないので今渡すような事をいうが、それもおかしい。まだ日曜日があるではないか。それとも日曜日は面会に来ないからか?父も私にそこまで話しておきながら、母がその散髪代名目のお金をどう使うか薄々わかっているのに何故今渡すのだろう。私が、母が看護師にお金を渡す事に賛成するとでも思ったのだろうか?

父は表向き、母を制しているように振舞っているが、それは私の前だけでのポーズなのだろう。今までも何度か渡しているらしいから、断りきれないのだろう。母が父に、「さっさと(金を)出せ」みたいな事を言っているのを見ていると私はさらに腹が立ってきた。普段なら帰るときに一緒に病院から出るのだが、その日父は私に先に帰らせた。私は帰り際に母に「なんでも金で解決しようとするな」と捨て台詞を残して病院を後にした。きっと私が帰った後に渡すつもりなのだろう。今の状態の母には言うべきではなかったのかも知れない。しかし根本的に染み付いているそういう部分はなおしてもらわないといけないのだ。

誕生日

11月23日

今日は母の誕生日だ。もし父がいれば父にいくらかお金を渡そうと思い病院へ向かう。病院の一階の待合席に父はいた。
前日に父が病院に行った時に母が看護師ともめていたらしい。身体の痛みを訴える母に「ずっと寝てるからだ」と看護師は言い、母は「いじめだ」「殺される」等のような事を言ったらしい。確かに母の身体の痛みはかなりのものなのだろう。しかしだからと言って寝てばかりで動かさなければ(筋力をつける等)いつまでたっても変わらないのも事実である。

看護師の言い分もわかるのだが、父に対してもその看護師は「飴と鞭だ」みたいな事を言ったらしい。母は子供っぽいとは思う。そして入院してさらに聞き分けのない子供のような部分が増大しているのもあるだろう。だからと言って小さな子供を躾るわけでもなく、ましてや不自由な身体になったショックと不安、そして入院中のストレスで精神的にも体力的にも参っているであろう母に対してもっといたわってもらえないのだろうか。父がいない時に何度も何度もナースコールをする母も困ったものなのかも知れない。だけどもう少し違う対応の仕方もあるのではないか。私はまた少し悲しくなった。父は前は無料送迎バスのある夕方には帰っていたようだが最近は毎日遅くまでいるらしい。

話している時に、次男、三男が続けて現れた。同じ家からなのに別々に来た模様。全員が揃うのはいつ以来だろう。母の誕生日だからか。父にお金を渡し損ねた私はその機会を伺っていたのだが三男がいる以上渡すわけにはいかない。三男は短期のバイトに行く事に決めたらしいが、いつまで続くことやら。

憂鬱の種


11月21日

面会に行くと母が車椅子に座っているのが見えた。誰かいるのか?ベッドの脇のカーテンの陰を覗き込むと、そこには三男がベッドに腰掛けていた。

しまった・・・・。

実は今日は、もし父がいたら壱万円だけ渡そうと思っていたのだ。どうやら父もまだ病院内にいるらしいが三男がいる前ではお金を渡す事はできない。この間の金の無心の件はどうなったのかはわからないが、父に渡すところを見られるとそのお金を巻き上げられかねない。また、病院代を負担するからと借金を断ったのだが、結局は今回負担をせずにすんだ。その事をもし三男が知っていたら改めて借金を申し込まれるのではないか。そう考えると、ほんとにしまったという感じであった。

気のせいかも知れないが三男が来ている時の母の表情は暗い気がする。母は何があっても三男の事を心配してきたから、三男を毛嫌いしてるわけではないとは思うのだが。。。車椅子に座っているからか?確かに車椅子に座っている時とベッドに寝ている時では表情が違う。車椅子に座っていると本人は結構辛いようなのでそのせいなのかも知れない。

母は夜中に歩けるようになった夢をみて、その時なら歩けると思い込みベッドの柵を動くほうの脚で抜いて床に落下させたらしい。それで看護師がびっくりして駆けつけるような事があった。その瞬間なら歩けると思ったようだ。その瞬間を逃せば歩けない、その瞬間に歩けば歩けるようになると思い込んでいた。ちょっとまだやっぱり変だ。

病院を出て三人で煙草を吸いながら話す。三男は趣味で集めていたモデルガンやエアガン等を売りたいようだ。その話をしている時に父が余計な事を言った。

「あれは高く売れる」

昔三男の状態がおかしくなっていた時に、家に処分屋みたいなのがやってきて自分の家をむちゃくちゃにされるというような事を言っていた。父がそのような連中に家財を処分されたのだと思ったのだろう。それを聞いた三男の顔色は一瞬にして変わり緊迫した雰囲気になった。三男の家を解約する為に、家の中のものを処分していた時にリサイクル業者に何度も物を引き取ってもらっていた。
その時に来ていた男が、ガンマニアで三男のコレクションをみて父に、こういうのは高く売れる等と話していたらしい。趣味の物についてはリサイクル業者には引き取ってもらっていないのだが単に世間話のような感じで話していたのだろう。その場はなんとか話題をそらして事なきを得たがまたその事で後々揉めないとも限らない。憂鬱だ…。

父が帰った後、私は三男に今は体調がまともではないのだからいきなりフルタイムで働くとか、一気に高給な仕事をできないから、まずは月3万でも5万にでもなるような短時間の仕事からリハビリを兼ねてやっていくのがいいのではないかと言っておいた。でも、多分このアドバイスは生かされることはないのだろう。今までもずっとそうだったから。

社会福祉法人からの援助

11月18日

会社の帰りに10月分の病院代の負担分を渡すから、父が家にいるのか病院にいるのか解らないからその時間にどっちにいるかを連絡してくれと頼んでいたのに電話がかかってこない。仕事が終わってしばらく待っていたが、いっこうにかかってこないので腹立たしい気持ちを胸に病院へ向かう。

病院に着くとそこに父はいた。「電話してくれと言っただろう」その場で文句が思わず口から出た。この日の母はいつもより顔色も表情もいいようにみえた。父はちょっとまして私を病室の外に連れ出し話しはじめた。朝に社会福祉法人から電話があり、病院まで来て病院代を支払ってくれたらしい。援助してくれる上限があり、その金額まではまだ少し残っているので、次回の支払のうち一部はそれでまかなえるようだ。少しでもありがたい。だが全体の金額からすれば本当にお金のない父には全く物足りない金額であろう。もし私や次男がいなければどうなっていたのか。いや、むしろ次男が家にいなければ両親と三男だけであれば生活保護を受けれたらしいのだが。生活保護を受けていれば病院代は無料になるからもっと助かったのだろう。しかし、だから次男に家から出てくれとも言えない。三男の状態や、母が家に帰ったことを考えると男手が必要なのだから。

次男は金を払うとは言ってはいたが、やたら細かい事をいう。支払額の端数まで出さないといけないのかとかみたいな事を言う。私としては5万円後半だったら3万ずつ出せばいいと思っていたのだが次男はそういう考えではないみたいだ。確かに収入がいくらあって、それから支払をいくらして、いくら足りないからいくら出して欲しいと言うような説明がないままお金を出しにくいのではあるが、まさかそこまで細かい事を言うとは思わなかった。それも父に直接聞かずに私に聞いてくるのもなんだかなぁと思う。次男は父から三男へ多くのお金が流れているのではないかと思っている。収支の明確でない父に対してお金を負担すると、三男に間接的にお金を渡している事になる可能性があるから、それが嫌なようだ。だから父にはそういう説明を次男にはっきりしないとやりにくいぞと言っておいた。
しかし父はイマイチ納得していない顔。やはり次男も対応の難しい人間だからしょうがないのか。。