三日おくれの便りをのせて~
とは、都はるみさん「アンコ椿は恋の花」の唄いだしですが、当記事には特段関係なく、単に投稿が三日遅れただけという浅はかなものからなのです。
猿、じゃなかった。
去る11月6日に多摩美大の芸術祭に足を運びました。
母と弟との3人で行ったのです。
実は、弟の娘つまりは姪が今年入学したので、そんな縁なのです。
学園祭、文化祭の類はもう数十年も無縁でしたが、なかなか良いものですね。
どんな時代でも若者の発散する力のような雰囲気は感じるものです。
母も絵を描くことが趣味で、毎年作品を展覧会に出品し入賞したりもしているのですが、ここのところ認知の関係や環境のことなどで筆が進んでいませんでした。家族としても心配していましたが、この芸術祭に足を運んだことで少しは刺激があったようです。
美大生にも話しかけてコミュニケーションを取っていました。
JR横浜線橋本駅を降り立つとそこから神奈中バスで数分揺られると多摩美大につきます。
橋本駅がリニアモーターカーの駅になるなんて、高校生だった時の小生には到底考えられませんでした。あんなローカルな田舎駅だったわけですから、当時は津久井に住む同級生宅に遊びに行くときや、中学生の時にボーイスカウトのキャンプにいくのに利用してましたね。まだ、チョコレート色の旧型国電や山手線や京浜東北線で余った電車が青と黄緑のバラバラ混色編成が単線運用で走っていました。夏は冷房車が先頭車だけになり、冬には増えましたっけ。そういえばそのちょっと後で近くの橋本高校の教諭だった俵万智さんがサラダ記念日でブレークしましたっけ。と鉄道だけに脱線してしまいました。
話を戻して、校門を入ると真っ先に向かったのは、「学食」です。
まだ混んでいないうちに食べてしまおうという算段です。案の定、食べ終わるころには数十人の長い列ができており早飯にして正解でした。あとは心置きなく学生の作品を見て回れるというものです。

姪は日本画科の1年生です。まずはそこを皮切りに見ていきましょう。
ただ、作品の中にはSNSやQRコードを用いて拡散を欲しているようなものがある半面、SNSには出してほしくないというものまでありましたので、ここではちょっと気になったもの数点を除いて掲示はしないでおきます。姪のものも今回はやめておきます。
この作品、キャンバスからはみだしています。芸術は爆発だと云ったあの方の作品とは作風が違いますが、力強いものがあります。

これを見て小生は敬愛する芸術家の赤瀬川原平氏がかつて参加してあまりにも応募者の表現が過激すぎるので中止になった読売アンデパンダン展を思い出してしまったのです。といってもその開催時期には小生は生まれてもいないので、のちに赤瀬川氏の著書による知識なのですけれども。
それはさておき、次は銅板の折り紙です。その工程の説明書でもあり、そのものが工芸作品でもあります。

縄文時代の火焔土器のごとき作品です。
古代の住宅を模したような描写が面白く感じました。
カッパドキアやジブリ作品にも通じるものがありますね。

誰かが住んでいそうです。

展示に至らなかった猫作品。楽屋裏なんて見ちゃいけなかったかな。ごめんね。

これから芸術になろうとしといるであろうその過程のFRP物体群。
さてさてどんなものに変貌するのだろう。

様々な形容詞を芸術的に具現化するとこうなる?

ただの学生のロッカーです。
ハマラジのステッカーが貼ってあります。
剥がそうとして剥がし切らない。未練があるのかイワレがあるのか。
その葛藤をも感じる異様な雰囲気を感じてしまうのです。
それとも、それを表現した作品なのかもしれぬと・・・

形容詞を芸術的に具現化するとこうなる?
今時ハマラジを知っている人はどれだけいるのだろうか?
FM横浜にとっては黒歴史にしか過ぎないものなのかもしれないのに。
それは1993年、FM横浜が親しみを持ってもらおうとして名付けた愛称だったのだが、一般的にちょっと上品なイメージのある横浜にはダサくて恥ずかしいネーミングとして全く受け入れてもらえなかったのである。
そして、1995年にこの愛称の使用をやめるに至ったのである。
そんな四半世紀も昔のステッカーが貼ってあるのである。もはや学生たちが生まれる前の生き証人のごとき事態なのである。
こちらは、「路上の水道」である。
一見何の変哲もないのであるが、そうでもない。
いつも誰もが興味など示さないであろう代物。

水受けの部分はタライ状のものではなく、塩ビの水道管を輪切りにしたもの。
その下がコンクリのままなのか浸透桝のようになっているのか、小宇宙が広がっているのか、ワープのターミナルかもしれないすべてが謎である。
実は箱庭のオブジェだったのか、それとも盆栽があったのか見当もつかぬものである。
上の蛇口からそのまま水を垂らせば栽培できるシステムか?
否そんなことはない蛇口がそっぽを向いている。下に植物があったとしても水やりは拒否したいようである。
芸術作品ではないだろうが芸術を感じてしまうのです。
こちらは、「ヤマボウシ」です。立派に育ちました。
と言いたげなネームプレートなのであるが、既に伐採され切り株だけが残っているようである。

過去の栄光にすがる何かにも見えなくもないがそうでもなかろう。
亡き主を偲んでいつまでも掲示し続ける姿に忠犬ハチ公のような郷愁を感じてしまうのです。
芸術の学び舎では何でもかんでも芸術に結び付けてしまおうとする魔物がいるのかもしれない。
山の彩りがそんな気にさせるのか。

芸術祭の小冊子は何かを語る。
