やまゆり。


横浜市にあるこどもの国で撮影。
前に書いたかもですが、カサブランカとかの原種らしいです。そんなのが自生してるってのがなんかいいです。


さて、今週の記事について。
主題は「ほか​の​人​が​決め​た​こと​を​尊重​する」でした。

なんかねー。

泥棒に道徳を説かれてる感じ?

だってさー。
「ほか​の​人​が​決め​た​こと​を​尊重​する」って、この組織が全くやってないことだよ?
っていうか、人のことに口出ししかしてこなかったようなもんだよ?

どの口が言うか、って感想しかない。

さんざん核実験をしまくってる国が、他の国に「環境破壊になるから核燃料の使用は良くない」とか言ってる感じ。

まず自分が正せや。


ほんじゃ突っ込み行きます。
と言ってもだいたい今言ったことだけなんですけど。
5節。
この​記事​で​は,ほか​の​人​の​意見​を​尊重​する​こと​が​大切​な​の​は​なぜか,どの​よう​に​し​て​尊重​できる​か​を​考え​ます。

人の意見を尊重したことのない組織が、「ほか​の​人​の​意見​を​尊重​する​こと​が​大切​な​の​は​なぜか,どの​よう​に​し​て​尊重​できる​か​」を説くコント。
何一つ信用できませんね。

 
次。9節。
人​が​決め​た​こと​に​つい​て,いろいろ​口出し​し​ない​よう​に​し​ましょ​う。

この組織の人間、上から下までだいたい口出しすることしかしてないよ?
そもそもこの組織のトレードマークの野外奉仕だって、宗教の勧誘という、人の生き方そのものに口出しすることです。
これで全く自己矛盾を感じないんですかね?


次。10節。
私たち​に​は​ほか​の​人​を​批判​する​権利​は​あり​ませ​ん。

権利がないのにやってるのがこの組織なんだよなぁ。
「お前らはこれをやれ。俺はやらんけど。」って態度は、組織がめっちゃ批判してる、言葉と行動が違ってる偽り者そのものじゃん。


15節。
長老​たち​に​も​できる​こと​が​あり​ます。一人一人​が​決め​て​よい​こと​に​つい​て,ルール​を​作っ​たり,聖書​に「書か​れ​て​いる​事柄​を​越え」たり​し​ない​よう​に​し​ます。

「長老もルール作っちゃダメだよ。俺達は作るけど。」ってのも酷いですよね。
しかも、今回の記事にあったように、姉妹のズボンとか兄弟のヒゲとか、完全に不要なルールを作って、『聖書​に「書か​れ​て​いる​事柄​を​越え」』て、ずーっと誤導して来たのに、何一つ謝りもしない。

あれだな。

正常な思考ができないんだな。きっと。


最後。16節。
出版​物​の​一文​を​文脈​から​切り離し​て​持ち出す​よう​な​こと​は​し​ませ​ん。

これも組織が多用しているやり口です。
例えば、ぴぃ〜たんさんが何度か書かれてますが、この組織は『バプテスマは神への誓いであり、聖書には「自分​の​誓約​を​果たさ​ね​ば​なら​ない」ってあるんだから、必ず果たせ』って言うじゃないですか。
でも、聖書の続く節には「わたし​は​あなた方​に​言い​ます​が,いっさい​誓っ​て​は​なり​ませ​ん」って書かれてるんですよ。
前の節の「誓約を果たせ」を強調しながら、次の節の「誓ってはいけない」を完全に無視してる。

つまり、出版物どころか、聖書から「一文​を​文脈​から​切り離し​て​持ち出」してるんですよ、この組織は。


もうね。本当に言ってることと、やってることの乖離が酷い。酷すぎる。
日​の​出​が​日没​から​遠く​離れ​て​いる​の​と​同じく、JWの言ってることは、やってることから遠く離れている。
そんな感じでした。

今週は以上です。
んー。なんだっけ?この花。


この時期よく見ます。
オオキンケイギクではありません。

グーグル先生によると、ルドベキアっていう花らしいです。

エフェソス、スミルナ、ペルガモン、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ルドベキア

何がすり替えられたか分からない現役JWは勉強が足りてませんよ。


さて、今週の記事についてです。
先週に引き続いて教育に関する内容でした。
そして先週同様、自分で選べるとしておきながらいろいろ口出ししたり、本当に存在するか分からないような個人の感想が多用されたりしてる記事でした。

もうね。
とにかくマイナスなことばっかり書いてる。
これ読んでたら、とても「追加の教育を受けるかどうかは個人で決定すべきこと」なんて思えませんよ。

じゃあ突っ込みますね。

まず1節。先週も突っ込んだこと。
自活​し​ながら​エホバ​に​仕え​られる​よう​な​仕事​を​見つける​ため​に,義務​教育​の​後,もっと​教育​を​受ける​こと​に​する​人​も​い​ます。

なんでこれ、「自活するため」だけにしなかったんですかね?
かれこれ30年ほど前の就職氷河期なんか、下手すると早稲田出てもペットショップのバイトだったりしたんですよ。
こんな記事もありました。


少しでも楽に自活するために、良い就職先を得ようとすることだってあるでしょう。
なんで信者の個人的な選択に、いちいちいちいち口出しして、なんでもかんでも「エホバに仕える」ことに結びつけなきゃ気が済まないんですかね?


では次。「クリスチャン​と​し​て​の​習慣​を​崩さ​ない」という副見出しから。
まず4節。
サマンサ​姉妹​は​こう​言っ​て​い​ます。「学校​に​通っ​て​いる​せい​で,エホバ​に​ベスト​を​尽くし​て​仕える​の​が​難しく​なる​ぐらい​なら,学校​を​やめ​よう​と​決め​て​い​まし​た」。

はい。実在するかどうか不明なサマンサ姉妹の感想です。
すごい手口ですよね。
実在するかどうかも分からん人の単なる感想なのに、こうやって記事に書かれるだけで、信者にとっては、「集会を支持できなければ、せっかく入った学校を辞める」ということが「協会公認の指針」になっちゃう。
組織はそんなつもりはないと逃げようとするかもしれませんが、実際はこういうのを元に長老が指導したりするんですから完全にルールですよ。


次は5,6節から。
5節。
勉強​に​しっかり​取り組む​の​は​大切​です​が,その​せい​で​エホバ​に​仕える​こと​が​後回し​に​なっ​て​しまう​と​し​たら​残念​です。

6節。
学校​の​勉強​の​せい​で​エホバ​と​の​絆​が​弱く​なら​ない​よう​に​し​ましょ​う。

やっぱね。
この組織は、信者に教育を受けさせようとなんか考えてない。
こんなマイナスなことばかり挙げて、信者の親が子供に「自分で自由に選んでいいよ」なんて言うわけないじゃないですか。
今回の記事だって、「協会が危険だって言ってるのが分からないの!」とばかりに、子供を進学させない根拠にされますね。


では次「思考​力​を​守る」という副見出しから。
7,8,10節から。
7節。
リスク。受講​する​科目​に​よっ​て​は,世​の​中​の「哲学​や,中身​の​ない​欺き」を​教え​られる​こと​に​なり​ます。例えば,無神​論​や​進化​論​など​です。

8節。
世​の​中​で​は​賢い​と​され​て​いる​考え​は,賢い​どころ​か,「神​に​とっ​て​は​愚か​な​もの」だから​です。

10節。
周り​の​友達​の​やり​たい​よう​に​やる​と​いう​生き方​に​影響​さ​れ​て​い​ない​だろ​う​か。学校​で​刷り込ま​れる​世​の​中​の​価値​観​に​は​実​は​何​の​価値​も​ない,と​いう​こと​を​見抜い​て​いる​だろ​う​か。

すっごいディスり方してますよね。
躊躇なく、全力でディスってます。
受ける教育を「リスク」呼ばわりしてるだけでも失礼なのに、「中身​の​ない​欺き」だの、「愚かなもの」だの、「何の価値もない」だの。

私に言わせりゃ、1914年に終わりが来ると思って生きてたり、牛歩で奉仕しながら「開拓者」とか名乗ってたりする方が、よっぽど「愚か」で「何の価値もない」生き方ですよ。


次。12節。
勉強​も​大事​です​が,家族​や​クリスチャン​の​仲間​と​過ごす​時間​は​もっと​大事​です。何​より​も​優先​し​たい​の​は,クリスチャン​の​活動​です。

馬ーーーーーっ鹿じゃねーーのーー。

家族との時間は良いとして、なんでお互いに裁きあってる「クリスチャン​の​仲間」なんかが大事とか言ってんの?

しかも「クリスチャン​の​活動」が「何より​も​優先​し​たい」だって?!

本気で脳が膿んでんじゃないの?


最後。17節から2つ。
トレントン​兄弟​は​こう​言っ​て​い​ます。「クラスメート​に​感じ​よく​接する​よう​に​し​て​い​まし​た​が,授業​の​後​の​付き合い​は​し​ませ​ん​でし​た。クラスメート​と,仲​の​いい​友達​っ​て​いう​の​は​別物​です​から​ね」。

これもただの感想なんですけど、ここで取り上げられてるってことは、組織の見方を代弁してるってことです。
あいも変わらず、信者を孤立させようと躍起になってますね。
あんまり、普通の人と親しくなっちゃうと、組織が言ってる「世の人はみーんな不親切でずる賢い」というのが嘘だとバレてしまうからでしょうか。


そして17節からもうひとつ。
距離​が​近過ぎ​た​と​思う​よう​な​こと​が​あれ​ば,これ​から​は​ちゃんと​線​を​引く​よう​に​し​ましょ​う。エホバ​を​愛し​て​い​ない​人​たち​と​で​は​なく,「賢い​人​たち​と​共​に​歩む」よう​に​し​ましょ​う。

これも酷く失礼です。
エホバの証人でない人は「賢い人」ではない、とはっきり言ってます。

実際は、先ほども書いたように、組織の言うことをまるっと信じている方がよほど愚かです。
学校の同級生との付き合いに線を引いて、わざわざ愚かな人たちと共に歩むとか、愚の真骨頂ですね。

今週は以上です。
オニユリの夏!


すごいですよねグーグル先生。
写真だと縮尺なんか分からないだろうに、ちゃんとクルマユリではなく、オニユリって出てきました。

でも、ニラのつぼみは、アガパンサスって出てたりしました。大きさ全然違う(笑)。


さて、今週の記事について。
「教育の選び方」についてでした。
これも本来、宗教があんまり深く口出しすることじゃないと思うんですよねぇ。

一応建前として脚注に、「さらに​教育​を​受ける​か​どう​か​は,それぞれ​が​決める​べき​こと​です。一人一人​の​クリスチャン​が,子ども​の​場合​は​親​が,よく​祈っ​て,聖書​の​原則​や​関係​する​要素​を​考え​た​上​で​判断​し​ます。誰​も​人​の​判断​を​とやかく​言う​べき​で​は​あり​ませ​ん。長老​で​あっ​て​も​です。」って出たのは進歩のようにも見えます。
でも残念ながら、ついこの前まで、子供が大学に進学したら父親は長老を降ろされる、って状況だったので、果たしてここにある通り「口出しされなくなる」かどうかは全く分かりません。


まあ、記事の内容は、明らかな嘘とか、本当にそんなことを言った人がいるのかどうか怪しい個人の感想ばっかりでした。

じゃあその辺に突っ込みます。
まず1節!
クリスチャン​に​とっ​て​最高​の​仕事​は​全​時間​奉仕​です。

いきなり大嘘を言い切ってきました。
仕事ってのは、基本的に「生計を建てる手段」なの!
JWの「全時間奉仕」はボランティアだからそもそも仕事に入らないの!

しかも「最高の仕事」?

カルト宗教に人を巻き込むことが?

脳が膿んでんじゃないの?


もちろんこの「クリスチャン​に​とっ​て​最高​の​仕事​は​全​時間​奉仕」ということには、根拠の聖句なんかありません。
そりゃそうだよね。
聖書にそんなこと全く書いてないもん。

続く部分にはテサロニケ第二3:10の「働こうとしない者は食べてはならない」って聖句が引用されてましたが、全時間奉仕にかまけて、親に養ってもらってるような成人したJWの成員は、もちろん「食べてはならない」ということになります。


さて次。3節。
伝道​や​ほか​の​奉仕​に​打ち込み​やすい,比較​的​割​の​いい​仕事​に​就こ​う​と​する​と,さらに​教育​を​受け​なけれ​ば​いけ​ない​と​いう​地域​も​あり​ます。

これも酷い誘導ですよね。
追加の教育を受けて、比較的割のいい仕事に就く理由は「伝道やほかの奉仕に打ち込む」ためって限定してるんですから。
それぞれの人生なんだから、それこそ先週までの記事にあったように、それぞれの良心に従って好きに選べばいいだろ?

信者を支配しようとしてるのが本当に嫌い。

同じことを8節から。
教育​は​エホバ​へ​の​奉仕​を​する​ため​の​手段​に​すぎ​ませ​ん。

これも酷い嘘を、ずいぶん強く言い切ってますよね。
別に「いろんな人の役に立ちたい」だって、「世界のいろんなものを見てみたい」だって、立派な目的じゃないですか。
でもそういうのを一切認めず、「エホバ​へ​の​奉仕​を​する​ため​の​手段​」とかに決めつけてる。

これでよく、脚注に「誰​も​人​の​判断​を​とやかく​言う​べき​で​は​あり​ませ​ん。」とか言いますよね。
同じ記事の中で平然と矛盾したことを書くのは、やっぱり組織の本質が嘘つきだからでしょうね。


次は9節。個人の感想と嘘のダブルパンチ。
「もっと​教育​を​受ける​こと​に​は​それなり​に​メリット​が​ある​か​も​しれ​ませ​ん​が,そこ​から​は​本物​の​満足​感​は​得​られ​ませ​ん。本当​の​幸せ​を​味わう​の​に​必要​な​こと​は​とても​シンプル​です。エホバ​を​中心​に​し​た​生き方​を​する​こと​です」。確か​に​その​通り​です。エホバ​と​の​友情​を​一番​大切​に​し​て​いれ​ば,いい​判断​が​でき,ずっ​と​幸せ​で​いら​れ​ます。

お金さえあれば幸福になれる、という考えが間違いというのには賛成します。
でも、「エホバを中心とした生き方」とやらで「本当の幸せ」が手に入るとも思えません。
そもそも「幸せ」の基準なんか人それぞれですから、他人に「これで間違いなく幸せになれる」なんて言ってる奴はみーんな嘘つきだと思います。

というわけで「エホバ​と​の​友情​を​一番​大切​に​し​て​いれ​ば,いい​判断​が​でき,ずっ​と​幸せ​で​いら​れ​ます」というのは完全に嘘です。
そもそもJWを続けている段階で、「いい判断」はできていません。


さらに個人の感想の10節。
「卒業​後,パートタイム​の​仕事​を​見つけ​て​開拓​を​始め​まし​た。いろんな​仕事​を​経験​し​て​き​まし​た​けど,エホバ​は​約束​通り​必要​な​もの​を​いつも​与え​て​くれ​て​い​ます」。

こういう感想は、本当にただの感想でしかなく、他の人が同じことを経験できる保証には全くなっていません。
そもそも、長年開拓してきた成員が、生活に困窮して、生活保護で生活せざるを得なくなっている時点で、「エホバ​は​約束​通り​必要​な​もの​を​いつも​与え​て​くれ」るという理論は破綻しています。


12節も同様にただの感想です。
「2​年​間​専門​学校​に​行き​まし​た。大学​より​ずっ​と​安かっ​た​です。授業​は​週​に​4​日​だけ​だっ​た​の​で,学校​に​行き​ながら​開拓​奉仕​が​でき​まし​た」。

「ずっと安かった」の「ずっと」がどの程度か分かりませんが、今、日本で専門学校に通うと下手すると国立大学4年より高い費用がかかることもあります。
しかも、大学で取得するような資格をたった2年で取得しなければならないので、めっちゃ忙しいと聞きました。
「学校​に​行き​ながら​開拓​奉仕」とか、する必要もありませんが、ほぼほぼ不可能です。

というわけで、同じ節の
職業​訓練​学校​や​専門​学校​なら,大学​より​も​短い​期間​で,しかも​費用​を​抑え​て​役立つ​技術​を​身​に​付け​られ​ます。

というのも、完全に嘘とは言いませんが、かなり嘘が含まれています。


最後。18節。
人​を​本当​に​幸せ​に​する​の​は​お金​で​は​あり​ませ​ん。エホバ​と​の​友情​です。

これも大嘘ですね。
先ほども書きましたが、お金さえあれば幸せになれるわけではないことには賛成します。
でもね、お金が全くないと、どんなにエホバとの友情があっても、幸せにはなれないんですよ。

JWの成員誰もが、周りから「なんでそんなに幸せそうなの?」って聞かれるぐらい、幸せが溢れてるんだったら、この言葉も一考の価値があるでしょう。

でも!

残念ながら!

JWはむしろ、一般の人より不幸そうに見えます。

ということは、エホバとの友情はあんまり幸せの役に立ってないってことです。

残念でした。

将来​に​つながる​教育​の​選び方という面でも、この組織の言うことは参考にもなりませんね。

今週は以上です。
蓮が咲いてました。




さて、今週の記事について。
先週は聖書の原則についてでしたが、今週はその聖書の原則で、良心を鍛えるって内容でした。

いやー。

やり口が上手い!

聖書の原則で良心を鍛えるって聞くと、良いことに思えるんですけど、少しずつ話をずらして行ってるんですよ。

あれこれ言われているうちに、聖書が全く言及していない事柄に対して、組織と同じ見方をするように押し付けてる。
しかも、それを「良心で選択した」ことにする。

つまり、組織の基準を押し付けておいて、さも聖書から自分で決定したことに見せかけてる。
めっちゃたちが悪い。

こうやって騙されてきたんだなぁ、と。

じゃあその辺に突っ込みますね。

まず11節。
私たち​が​人生​で​一番​大切​に​し​て​いる​の​は,エホバ​に​喜ん​で​もらう​こと​です。どんな​時​も​その​こと​を​意識​し​て​いれ​ば,良心​は​鍛え​られ​て​いき​ます。

なんかさらっと書いてますけど、たぶん神は「エホバ​に​喜ん​で​もらう​こと」を、「人生​で​一番​大切​に​し​て」ほしいとは思ってないし、私たちがそんなことをする必要もない。

だって自由意志を与えて、いろんな生き方ができるようにして、さらに楽しめる物を数えきれないぐらい用意してくれてる。
ってことは、神の原則に反しない範囲で、与えられたものを存分に楽しむことを望んでるってことです。

それなのに、与えてもらった沢山の良いものをそっちのけにして、「エホバに喜んでもらえること」とかばっかり考えてたら、きっとエホバも頭を振りながら「そうじゃない。そうじゃないんだよ。」って言うと思います。


で、11節の続きから。
どう​す​べき​か​聖書​に​はっきり​書か​れ​て​い​ない​いろんな​分野​に​つい​て,判断​を​下し​て​いか​なけれ​ば​いけ​ませ​ん。例えば,どんな​仕事​に​就く​か,どんな​教育​を​受ける​か,どんな​人​と​友達​に​なる​か,気分​転換​に​何​を​する​か​と​いっ​た​こと​です。

いつの間にか「聖書​に​はっきり​書か​れ​て​い​ない」はずの、「どんな​仕事​に​就く​か,どんな​教育​を​受ける​か,どんな​人​と​友達​に​なる​か,気分​転換​に​何​を​する​か」という問題に対して、明確な指針があることになってます。

そんなの、神の原則に大きく反してなければ、何選んだっていいじゃないですか。
それこそ、そういう時に「ん?これはマズいんじゃないか?」と気付けるように神は良心を与えたんでしょう。
続く部分には「良い​判断​を​する​に​は​鍛え​られ​た​良心​が​どうして​も​必要​です。」なんて書いてありますが、聖書自体に『諸国民の心にだって律法が書かれてる』ってあるんだから、そんな手術用のメスみたいに研ぎ澄まされた良心が絶対に必要ってわけじゃないでしょう。


で、さらに組織の見方を押し付けてるのが15,16節。ここではタバコに対しての見方が出てました。引用は16節の最後の部分。
聖書​に​は​たばこ​に​つい​て​何​も​書か​れ​て​い​ませ​ん​が,こういう​原則​から​エホバ​が​たばこ​の​こと​を​どう​思っ​て​いる​か​が​読み取れ​ます。

ここにある通りに、聖書にはなんにも書かれてないんですよ!タバコについては。
ってことは、もちろん好ましいものじゃないでしょうが、「タバコ吸ったから死刑」みたいなものでもないはずです。
それこそそれぞれの良心に任されてるんじゃないでしょうか。

でもこの組織は、タバコ吸ったら排斥にして、組織内での死刑と同じ扱いにします。
その段階で「原則」じゃなくて、完全にルールになってます。

神様が各人に任せている部分で、なんで組織が出しゃばって人を裁くんてすかね?


最後。17節。
結婚​式​の​準備​を​進め​て​いる​クリスチャン​の​カップル​が​参考​に​なる​原則​を​見つける​の​に​も,「リサーチガイド」が​役立ち​ます。「結婚​式​と​披露宴」の​項目​に​は,いろんな​資料​が​リストアップ​され​て​い​て,そこ​から​次​の​よう​な​原則​を​見つける​こと​が​でき​ます。

ここもさらっと「原則」とか書いてますが、聖書に結婚式や披露宴についてわざわざ書かれてる原則なんてほとんどないはずです。
それなのにここでは「原則」としながらも、組織の「ルール」を6つも押し付けています。
もちろん「原則」として書いてあるんですが、守らないと長老からよびだされて、ここを根拠に説教を受けることになるので、これも実質ルールです。

ちなみに6番目は「全体​を​しっかり​見守る​人​を​立てる。」でした。根拠の聖句はもちろんカナでの婚宴に幹事がいたってとこです。

そんなの原則でもなんでもないだろ?
単にイエスの時代の婚宴には幹事がいたって話だろ?
なんで、なんでもかんでも原則と受け止めて、勝手にルールに仕立て上げて押し付けてんだよ。
良心を鍛えるって内容なのに、組織のルール押し付けてどうすんだよ。


ちなみに1番目は「エホバ​が​たたえ​られる​よう​な​式​に​する。」でした。
そんなの前面に出す必要ねーだろ。

根拠の聖句はコリント第一10:31の「食べるにしても,飲むにしても,あるいはほかのどんなことをするにしても,すべての事を神の栄光のためにしなさい。」でした。

結婚式について書いてあるんじゃねーから!

そんなことをあらゆる面に当てはめるんだったら、統治帯の連中はう◯こする時も、「エホバがたたえられるようなう◯こ」してるのかってことですよ。

人の結婚式や披露宴にまで口出す前に、まず自分がエホバの栄光になるう◯こでも出してろ。
(すみませんねえ、下品な表現で)

というわけで、組織は「良心を鍛える」などと言いながら、組織のルールを押し付けることに一生懸命です。

12節で引用されているヘブライ5:14には、知覚力は使うことによって訓練され、正しいことも悪いことも見分けることができるって書いてあります。

JWは組織からルールを押し付けられ、自分で知覚力を使って良心を鍛える機会が全く無いから、自分では正しいことも悪いことも見分けられないままで、さらに一層組織のルールに頼るしかなくなってるんでしょうねぇ。

オロカブ


今週は以上です。
モナルダとかタイマツバナって花らしいです。
ベルガモットとも呼ばれるらしいですが、柑橘系のベルガモットとは別物らしいです。


たぶんお酒のベルガモットは柑橘系の方。
知らんけど。

そういえば、そろそろアガパンサスが終わりそうです。
アガパンサスのつぼみって、ニンニクのつぼみとよく似てますよね。大きさは全然違いますが。
さらに最近出てきた、ニラのつぼみもよく似ています。
咲いたらニラの写真も撮りたいなぁ。


さて今週の記事についてです。
聖書の「原則」についてでした。

いや、JWどころかクリスチャンやめてるような私でも、聖書の原則は評価してますよ。

この記事では、「原則」と「ルール」が対比されてるんですけど、JWは「ルール」ばっかり多いんですよ。
そのくせ「原則」の大切さを説いてる。
自己矛盾が激しすぎます。

じゃあそこだけ突っ込みますね。
6節から。
エホバ​は​私たち​の​主体​性​を​重んじ​て,自分​で​考え​て​決め​られる​よう​に​し​て​くれ​て​い​ます。

エホバは主体性を重んじてくれてるそうです。
じゃあなんで、エホバを代表していると自称しているこの組織は、あれをやれこれをやれ、あれはダメだこれもダメだと、全く主体性を重んじることなく、指示出してくるんですかね?

それについては次の箇所にヒントがありました。
9節。
小さい​子供​に​は​細かい​規則​や​ルール​が​たくさん​必要​です。

堂々と書いてますが、組織は信者を小さい子供扱いしているってことです。
失礼極まりないですね。


追い打ちを同じ9節から。
そして,子供​は​怒ら​れ​たく​ない​の​で​従う​か​も​しれ​ませ​ん。

もうね。
神への愛とかどっか行っちゃって、信者は「怒られたくないから従う」と、組織は考えているようです。
本っ当に失礼極まりないですね。


で、問題提起を同じ9節から。
エホバ​は​私たち​を​子供​扱い​する​の​で​は​なく,一人前​の​大人​と​し​て​扱っ​て​くれ​ます。

エホバは私たちを一人前の大人として扱ってくれるそうです。
じゃあ、エホバが原則を示して「自分で決めなさい」と任せてくれているのに、なんでこの組織は、横からしゃしゃり出てきて、「お前らは俺の言うことを聞いておけばいいんだ!」とばかりにルールを大量に押し付けてくるんですかね?


茶化して書いてますけど、これすっごい重要なことだと思うんですよ。

聖書には確かに、「世の者ではない」って書かれてますし、イエスはこの体制で王になろうとはされませんでした。それは認めます。
ではそこから読み取れる原則をそれぞれが当てはめればいいだけなのに、なんで「投票はダメ!」、「政治的な問題に自分の意見を持つこともダメ!」、果てには「学校の生徒会長選挙もダメ!」とかルール作って信者に押し付けるんですか?この組織は。



なぜだと思います?


答えは



この組織はエホバに従ってないから。


で、この組織のルールってそんなのばっかりなんてすよ。


というわけで、いくらこの組織に従っても神に近づくことはできないってことです。

残念ですね。


最後。18節。
何​か​を​決める​時​は「いつ​で​も,エホバ​が​何​を​望ん​で​いる​か​を​見極め​ましょ​う」。

まあ、聖書読んで、神の示している原則に従うのはいいんじゃないですかね。

ただ、神の名前を騙って、思い通りに動かそうとしている組織の望んでいることと、しっかり区別する必要はありそうです。

今週は以上です。
今回はJW関係無しです。

子供が推しのポッドキャストとか聞いてるんですよ。
まあ、私はポッドキャストが何かもよくわかってないんですけど。
どうもネット上のラジオみたいなものらしい。

で、懐かしく昔を思い出しまして。

30年以上前、私も高校生だった時にラジオとか少し聞いたりしました。
まあヲタですから、声優さんのラジオだったんですけど。
当然親には話してません。
時間なんか午前2時ですよ、午前2時。
思わず窓に置いた加湿器を強くしちゃいます。
そんな時間にわざわざラジオ聴いてるなんて、親に知られたら偶像崇拝呼ばわりされますからね。

まあ、早く寝て、時間に起きて聴くか、タイマーで録音しておいて聴くかしてました。

いや懐かしい。

で。

ふと、その声優さんのラジオがどのくらい続いたのか気になったんですよ。
私はたぶん1年も聴いてなかったと思います。
でも、かなり人気のある声優さんだったので、もしかしたら5年も10年も続いたかもしれない。

で、ネットで調べたんですよ。






まだ…やっている…だと…?




30年超えてるんですよ!

すげーな!めぐ姉!
まあ、だからって今からまた聴いたりしませんけど。さすがにそんな時間はない。



さて話変わって今度はマンガ。
こっちも20年ぐらい前。
まだバリバリ現役のJWだった頃、同じ会衆の人からあるマンガを貸してもらいました。
内容は、田舎に住んでいる作者が自宅の庭で、やってくる鳥たちに餌をやっているという、スローライフ的なもので、JW的にもかなりセーフな珍しいマンガでした。

私は、JWの楽園思想に影響されてるから、スローライフ願望が強いんですよ。

ところで、職場にも鳥とか草木とかが好きな同僚がいます。
ツルボの写真見せてすぐに「ツルボですね」って返ってきたぐらい。
それで、古本屋でそのマンガを見つけたので、買ってきて読ませたりしました。

まあ、古いマンガなので安く買えてハッピーなのもあり、続きを買い足したりしてるんですが、何巻まで出たのか知りたくなりました。

で、ネットで調べたんですよ。






まだ…やっている…だと…?


こっちも20年以上ですよ。
しかも内容は、華々しい冒険とかではなく、田舎のスローライフ。

すげーな!


もしかしたら、JWじゃなくても、スローライフ願望が強い人は大勢いるのかもしれません。
そういえば、雨後の筍どころか、刈草の下のダンゴムシぐらいわいてる異世界物のマンガでも、スローライフネタも結構ありますからね。

ネットでも「死んだあと、別の世界でのんびりスローライフってのは、天国極楽の思想そのものじゃないか?」みたいなことを言われてました。

いやー。
世の中って変わっているようで、人間の本質はあんまり変わってないのかもしれません。



さて、今回のタイトルはもちろん、BLEACHの迷台詞「なん…だと…?」からです。

BLEACHをあまり知らない人も多いと思うので、一つだけ情報を。

最後の敵の名前はユーハバッハでした。

作中でももちろん触れられてましたが、ユーハバッハは私たちにめっちゃ馴染みの深いYHWHです。
最後の敵がテトラグラマトンwww。


あれ?
JW関係ないはずだったんだけどな。

最後に花の写真
ヒルザキツキミソウ



アジサイ


前に何度か撮っていた、赤と青に分かれた濃い色のアジサイがいつの間にか刈られてしまったみたいで、もうなくなってました。
今度は薄い色のアジサイで、色が分かれているもの。
うーん。濃い方がなんかレア感がありましたね。


さて、今週の記事についてです。
主題は「夫婦​が​ずっ​と​親友​で​いる​に​は」でした。

いや、主題だけ見れば全く問題なさそうなんですけどね。
要所要所に押し付けがましい、歪んだ指示がありました。
もっと、読んだ人が爽やかになるような記事にできないもんですかね?

じゃあ突っ込みます。

その前に珍しく良かった見方を挙げときますね。
2節。
夫​と​妻​が​最高​の​友達​に​なる​こと​は​大切​です。

これは大切ですよね。

10節も。丸ごと引用します。
夫婦​が​友情​を​強く​する​に​は,忙しく​て​も​2​人​で​時間​を​過ごす​こと​が​大切​です。その​日​あっ​た​こと​を​話し​たり,思っ​て​いる​こと​や​感じ​て​いる​こと​を​ゆっくり​語り合っ​たり​でき​ます。一緒​に​遊ん​だり​も​でき​ます。そう​やっ​て​時間​を​過ごせ​ば,心​が​通じ合い,愛し​て​いる​こと​が​伝わり​ます。

これも正しいと思うんですよ。
こんな部分ばかりだったら、良い記事なんですけどね。


じゃあおかしいところ。5節。
エホバ​の​証人​の​中​に​は​いい​相手​が​い​ない​と​か,相手​が​いずれ​聖書​を​学ん​で​くれる​か​も​しれ​ない​など​と​考え​ない​よう​に​し​ましょ​う。

なにが「考えないようにしましょう」だ。
実際にいないんだよ!JW内には!いい相手なんか!

私が結婚する前ですが、兄弟一人に軽トラ1台の姉妹がいるとか言われてました。
ところがその兄弟ですら、20代半ばとか30ぐらいになってるのに親元にいて、ちゃんと働きもしないもんだから、頭の中は高校生のままだったりする。
しかも、会衆内で僕だの長老だのとチヤホヤされてるから、成長する可能性が全くない。

組織も、仕事でもするように勧めりゃ経済的にも人格的にも向上できるのに、「二十いくつにもなって僕になってないJWには何か問題がある」と逆方向に行くことを勧めてる。

繰り返しますが、実際にいないんですよ、JW内にはいい相手なんか。

そう考えるな、ってんならまずこの現状をどうにかしろ。


あとコリント第一7:39の「主にある[者と]だけ」の部分も問題だと思うんですよね。
聖書自体に突っ込むのはあまりやりたくないんですけど。
これは決して「JW同士だけ」なんていう極端な指示じゃなくて、「イエスの教えを当てはめようと努力している人とだけ」程度なんじゃないかなぁ、と。
そしてそれすら一世紀の人への指示で、現代にそのまま当てはまるかどうかは分からないんじゃないかなぁと思います。

まあ、同じイエスに従う者同士が、「あっちで学んでもダメ。こっちの解釈が正しい」みたいなことを言い合っている時点で、いろいろと敗北している気がします。


さて次。今回の癌。
7節を全部引用します。
次​の​よう​な​こと​も​考え​て​み​ましょ​う。「この​人​は​エホバ​を​心​から​愛し​て​いる​だろ​う​か。『新しい​人格』を​身​に​着け​よう​と​努力​し​て​いる​だろ​う​か。(コロ 3:9,10)ベスト​を​尽くし​て​エホバ​に​仕え​て​いく​の​を​助け​て​くれる​人​だろ​う​か。同じ​目標​に​向かっ​て​進ん​で​いける​人​だろ​う​か。ただ​の​友達​で​は​なく,親友​に​なれ​そう​だろ​う​か。この​兄弟​は​いい​友達​と​いう​だけ​で​なく,家族​を​しっかり​引っ張っ​て​いっ​て​くれる​だろ​う​か。(コリ​一 11:3)この​姉妹​は​完璧​で​は​ない​自分​に​も​敬意​を​込め​て​付い​て​き​て​くれる​だろ​う​か」。付き合っ​て​いる​時,こういう​こと​を​考え​ながら​相手​を​よく​知る​よう​に​し​ましょ​う。 

本気でこんなこと考えたら、結婚できる相手なんかいなくなるよ?
まず、自分がどこまでできてるか考えてみろや。
んで、できてないなら相手にもそんなこと求めるなや。

だいたい、こんなことをいちいち言われなくたって、よっぽど浮かれてる人でもなけりゃ、JWであろうがなかろうが、相手がどんな人かぐらいちゃんと見ますよ。


長くなっちゃったから最後。13節。
夫婦​に​とっ​て​何​より​も​大事​な​の​は,一緒​に​エホバ​を​崇拝​する​こと​です。

これがとんでもない真っ赤な嘘なんですよねぇ。
JWが課している活動を全部やろうとすると、忙し過ぎて余裕がなくなります。
で、夫婦もギスギスしてくるんですよ。
長年長老やってる人も、「集会のある日は、なぜか夫婦喧嘩になる」と言ってました。
だったら、そんな活動やめて、夫婦が仲良くしてる方を神様も望んでいることでしょう。

JWはどうも三つ撚りの綱を勘違いしてるように思えます。
エホバを前面に出し過ぎてる。
例えるなら、単管パイプに螺旋状に二本の縄跳びとかを巻いた感じ。
頑丈さは、そりゃ単管パイプがあるから強くなったように見えるけど、そもそも夫婦である縄跳び同士が接してなかったりする。
それは綱じゃないですよ。
夫婦が協力しているところに、それをそっと支える程度に神の基準が寄り添ってる、ってぐらいで十分なんじゃないですかね。

今週は以上です。
タチアオイ

花だけだとムクゲと区別つかないんですけど、グーグル先生はちゃんと見分けてました。


では今週の記事についてです。
今週は人を慰めることについてでした。
まあ割とまともだったかと思います。
人を慰めるように勧めてるのは良かったですし、「良く話を聞く」とか「その​人​の​ため​に​なる​こと​を​し​て​あげる」とかも良いと思います。

ただ気になったのは、エホバを前に出し過ぎてるように感じたところですかね。

んじゃその辺だけ突っ込みます。
まず1節。
「あらゆる​慰め​の​神」エホバ​は​私たち​に​も,「どんな​試練​に​遭う​人」の​こと​も​慰め​て​ほしい​と​願っ​て​い​ます。エホバ​に​見習っ​て​お互い​を「慰め合っ​て​い」く​なら,エホバ​の​期待​に​応える​こと​が​でき​ます。私たち​は​兄弟​姉妹​を​義務​感​から​慰める​の​で​は​あり​ませ​ん。心​から​愛し​て​いる​の​で​そう​し​ます。

まず気になるのは、慰める対象が「兄弟姉妹」になってることですね。
誰だって慰めを必要としてるんですから、「兄弟姉妹」に限定するのは、いつものことですが完全に頭おかしいです。

さらに、これ取り上げる順序が逆だと思うんですよね。
まず、「私たち​は​兄弟​姉妹​を​義務​感​から​慰める​の​で​は​あり​ませ​ん。心​から​愛し​て​いる​の​で​そう​し​ます。」があって、そのうえで「神もそう望んでいる」とか「神も喜ばれる」とかを持ち出すべきだと思うんですよ。
「神に見習って慰める」だの、「神の期待に応える」だのが先に出たら、それがまず動機になっちゃうじゃないですか。
ってことは、「神からの期待に応える」って義務感から慰めるってことになっちゃいます。
その後で、取り繕って「義務感ではなく、愛しているからそうする」とか言っても説得力がまるでありませんね。


同じようなことを4節から。
誰​か​を​慰め​たい​と​思っ​て​いる​エホバ​に​協力​できる​と​し​たら,本当​に​うれしい​こと​です。

エホバに協力するために慰めてるんじゃないんですよね?
愛してるから慰めるんですよね?
だったら、こんな言い回しにするんじゃなくて、「あなたが誰かを慰めるのを見る時、慰めの神であるエホバも喜んでおられます。」ぐらいでいいんじゃないですかね?
本音と建前がぐじゃぐじゃになってるように見えます。


早いですが最後。慰め方で納得できない部分。9節。
聖書​を​使う。聖書​を​使っ​て​慰める​と,相手​は​希望​に​目​を​向け​続ける​こと​が​でき​ます。

これ。

一見問題無いように見えるかもしれませんが、かなり危険だと思います。
例えば、身内を亡くして悲しんでいる人に、「義者と不義者の復活がある」とか、聖書から示すとします。
相手の人は、馬鹿にされてるように感じませんかね?
「ご丁寧に聖書まで開いて、俺がその聖句知らないとでも思ってんの?」ってなりませんかね?

JWの仲間内でも危険ですが、外部の人だともっと危険です。
「人が身内を亡くして悲しんでるのに、なにをおとぎ話みたいなのを持ち出してんの?お前が信じるのは勝手だけど、人の不幸につけ込んで勧誘するのは性格激悪だろ?」って思われませんかね?

だったら、話を聞くことに徹したり、何か手伝ってあげたりする方がよっぽど実際的で、双方の益になると思います。
聖書持ち出したい気持ちも分からなくはありませんが、慰めをまさに必要としている人に、聖書持ち出すのは、説教になってしまいそうです。

今週は以上です。
仕事の段取りが変わったせいで、更新が遅くなってしまってすみません。
来週はもう少し早めにアップしたいです。
姫蔓蕎麦


まあ、雑草です。
アスファルトの隙間とかで頑張って咲いてたりしますね。
蕎麦でしかもツルとか付いてると美味しそうですが、食用には向いてないようです。


さて今週の記事について。
主題は「つらい​目​に​遭う​時,どんな​考え方​を​する​と​いい​か」でした。

まあ、何かあった時に間違った見方をしていると、却ってつらくなるというのはあると思います。

でも、記事が全然励まさないんですよねぇ。

特に、「間違った考え方」の例が多すぎる。
んじゃその辺から突っ込みますね。

9節。
苦しい​思い​を​する​の​は​エホバ​の​せい​だ,と​いう​考え違い​を​する​か​も​しれ​ませ​ん。

10節。
エホバ​は​自分​の​苦しい​気持ち​を​理解​し​て​くれ​て​いる​ん​だろ​う​か​と​思う​か​も​しれ​ませ​ん。

12節。
自分​が​し​たい​奉仕​が​でき​なく​て,もやもや​する​人​が​い​ます。

13節。
エホバ​に​嫌わ​れ​て​しまっ​た​と​か,もう​祈り​は​聞か​れ​て​い​ない​ん​だ​と​感じ​て​しまう​か​も​しれ​ませ​ん。

16節。
エホバ​は​自分​の​こと​を​よく​やっ​て​いる​と​は​思っ​て​くれ​ない,と​疑っ​て​しまう​こと​が​あり​ます​か。

同じく16節。
過去​の​過ち​を​エホバ​は​本当​に​許し​て​くれ​て​いる​ん​だろ​う​か,と​思う​こと​が​あり​ます​か。

とどめの16節。
悲惨​な​経験​を​し​た​せい​で「エホバ​は​本当​に​守っ​て​くれる​ん​だろ​う​か」と​感じ​て​しまう​こと​が​あり​ます​か。

しつこいっっっ!!!

なにこれ?

もうね、これだけ間違った見方を列挙されると、逆にそう考えさせようとしているように見えてきます。

だいたい、割り当ての助言点で「積極的な見方」とかありませんでしたっけ?
悲観的な見方の例を沢山挙げると、聴衆に悪い影響があるからやめろと習ったような気がするんですけど、なんで記事が悲観的な見方ばかりなんてすかねええぇぇぇ。


次、なんか矛盾してるところ。
今引用した16節では
悲惨​な​経験​を​し​た​せい​で「エホバ​は​本当​に​守っ​て​くれる​ん​だろ​う​か」と​感じ​て​しまう​こと​が​あり​ます​か。

ってあります。
これが間違った見方なら、「エホバは守ってくれる」が正しいことになります。

ところが5節。
エホバ​は​つらい​こと​が​起きる​の​を​止め​ない​こと​が​ある。

えっ?

どういうこと?


いや、この5節の方が正しいんですよ、基本的には。
だったら、16節で誤解されるような質問しない方がいいと思うんですよねぇ。

さらにこの5節は、すぐ後ろの6節とも矛盾を感じます。
エホバ​は​私たち​に,エホバ​に​頼る​こと​を​学ん​で​ほしい​と​思っ​て​いる。

何?
エホバは頼ることを学んでほしいと思ってるけど、助けないの?

助けないのに、なんでわざわざ頼らせるの?
酷くね?


いろいろ突っ込みたい箇所はあるんですけど、長くなるので最後。7節。
迫害​さ​れ​て​いる​間​も​幸せ​で​いら​れる。

えーーーー?
マジーーーー?
根拠はーーーー?

と思いながら節を読むと最後の部分
(奴隷としてエジプトに行った)ヨセフ​は​試練​に​遭っ​て​いる​時​も,エホバ​の​おかげ​で​ずっ​と​幸せ​で​いら​れ​まし​た。

嘘つけ!

神様に強めてもらってたことや、助けてもらってたことは認めます。
でも絶対幸せじゃねーだろ?
そもそも幸せだったら、献酌人に「ファラオに出してくれって伝えてくれ」とか頼まないだろ?

というわけで、「迫害​さ​れ​て​いる​間​も​幸せ​で​いら​れる。」は、せいぜい「迫害​さ​れ​て​いる​間​も​喜びを保てる。」って程度です。

さらに言うと、JWが「クリスチャン​であるから迫害​に​遭っている」と思っていることのほとんどは、「クリスチャンであるから」ではなく、「JWとして聖書を踏み越えているから」です。別に「聖書を誤って適用しているから」でもいいですけど。
それはイエスが予告した「迫害」とは、全く関係ありません。
ご愁傷さまです。

今週は以上です。
アジサイの親玉みたいな花。


柏葉アジサイっていうらしいです。
一応アジサイの一種なんですね。

さて、遅れてしまいましたが、先週の記事について。
ちょっとだけ突っ込みます。
主題は『「真理​の​神​エホバ」は​必ず​約束​を​守る』でした。

たぶん神様が約束を守ることなんか、ほとんどの人が疑ってない。(まあ、神様が約束守らなかったって、「何か事情があった」とか「そこまでは約束されてなかった」とかで忖度されるのが当然ですから。おっと毒吐いた気がする)

2節では
この​記事​で​は,エホバ​を​心​から​信頼​できる​3​つ​の​理由​を​考え​ます。

とかありますけど、たぶん神様のことはみんな信頼してると思います。

問題なのは!

必ず約束を守る神様の代理を名乗ってるJWが、なんで嘘ばっかりつくか、なんで全く信頼できないかなんですよ!

1874年に終わりが来る→嘘
1914年に終わりが来る→嘘
1975年に終わりが来る→嘘
乾杯はダメ→嘘
ヒゲダメ→嘘
臓器移植ダメ→嘘
家を売って開拓は最善の選択→嘘
排斥者と口きいちゃダメ→嘘
自己血輸血ダメ→嘘(new!)

これ全部さあ

ただの解釈じゃなくて、信者の人生設計とか、下手すっと命にかかわる決定をコロコロ変えてるからね?

記事の1節で
サタン​が​支配​する​世界​に​は​うそ​が​あふれ​て​い​ます。人​を​平気​で​だまし,裏切り​ます。

とか書いてやがりましたが、いやいやいやいや。
何言ってるんすか。
「うそ​が​あふれ​て​い​ます。人​を​平気​で​だまし,裏切り​ます。」ってJWさんのことじゃないっすか。特に家を売って開拓とか。

あ、JWをサタンが支配してるってことっすか?
それなら納得できますけど。


1節の最後では
エホバ​は​絶対​に​うそ​を​つき​ませ​ん。何​が​あっ​て​も​約束​を​守り​ます。

ってありますけど、読めば読むほどJWはエホバじゃなくて、サタンに縁がありそうです。


で、ずーっととんで8節。
1914​年​に​王​に​なっ​た​イエス​は,サタン​と​邪悪​な​天使​たち​と​戦い,彼ら​を​天​から​地球​の​近く​に​投げ落とし​まし​た。地球​に​住む​私たち​も,この​出来事​の​影響​を​受け​て​い​ます。聖書​に​は​こう​あり​ます。「地​と​海​に​は​災い​が​降り掛かり​ます。悪魔​が,自分​に​残さ​れ​た​時​が​短い​こと​を​知り,大きな​怒り​を​抱い​て​あなた方​の​所​に​下っ​た​から​です」。確か​に​1914​年​以来,「地……に​は​災い​が​降り​掛​か」っ​て​い​ます。怒り狂っ​た​サタン​の​せい​で,世界​は​どんどん​悪く​なっ​て​い​ます。

この辺もぜーんぶ嘘なんですよねぇ。
1914年にイエスが王になったって根拠もない。
サタンが地球に落とされたという証拠もない。
1914年以降「世界​は​どんどん​悪く​なっ​て」いるという、客観的な証拠もない。

やっぱさあ。

JWってサタンじゃね?


この後の副見出し「エホバ​は​真理​を​愛する​人​たち​を​集める」と「エホバ​が​約束​し​て​いる​将来​は​信じ​られる」なんか、もう自画自賛と我田引水と牽強付会が激しすぎて読むに耐えない内容でしたよ。


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気絶するほど子供を打ち叩くって、正気な人間のすることじゃないですよね。

ただ、この手の記事を読むとやっぱりどこか苦しくなるので、あまり読まないようにしないといけませんね。

今回は以上です。