梅!
青い空に映えてます。
やっと満開、かな?
さて今週の記事について。
なんか馬ーーーーーっ鹿みたいな記事でした。
四つの点からエホバが謙虚だって言ってるんですけど、謙虚としてる根拠もおかしいし、その証拠とされてる聖句も納得いかないし。しかもJWは全然それに倣えてない。
これを馬鹿と言わずなんと言えばいい?
あと、昔は謙遜って言ってた気がするんですが、今は謙虚にしたんてすかね。
じゃあその辺を突っ込んでいきますね。
まず1節。出だしの一文。
世の中で権力を持っている人たちは,たいていは謙虚ではありません。
いきなりものすごい自己紹介です。
JWの権力を持っている人たちは、まず謙虚ではありません。
会衆の長老ぐらいなら、まだ稀に謙遜な人もいたりしますが、巡回監督とか謙虚のけの字も無かったりします。
それどころか、何の権力もないはずの巡回監督の妻までが、僭越ここに極まれりというレベルで、人にずけずけと助言してきたりします。
そんな奴ばかりなのに、何を他人事のように「世の中で権力を持っている人たちは」とか言ってんでしょうか。
次、3節。放蕩息子の例えから、神が弱い人の祈りも聞いてくださるという流れで。
エホバはそういう苦しい思いをしている人を心からかわいそうに思い,愛を伝え力づけるために,いわば「走って」いきます。
心強いですね。
放蕩息子の例えは聖書の好きなエピソードのひとつです。
ところがその続き。
では,どのように助けに駆け付けてくれるのでしょうか。長老やエホバの証人の家族,兄弟姉妹を通してです。
いらねーーーーーー!
マジいらねえ!!
さっきも書きましたが、長老ってそんなに万能に役に立たないんですよ。
成員もしかり。
もちろん本当に親切な友人は、JWであるかどうかに関わらずありがたい存在です。
でもさあ!
基本的にJWって他人を裁くじゃん!
組織の指示がどうとか、模範的かどうかとか。
ましてやこんな「放蕩息子」みたいな状態の人間には、どんな酷いこと言ってくるか分かんないよ!
下手すりゃヨブの3人の友みたいな対応してくるよ!
エホバがヨブを励ますために3人の友を遣わしてくれた、なんて言ったら神への侮辱でしょ?それと同じようなもんだよ?
4節。
冷たくてプライドが高く厳しい宗教指導者たちとは違い,エホバは謙虚で話しやすい存在です。
はい。これも自己紹介です。
JWはまさに「冷たくてプライドが高く厳しい宗教指導者たち」ですね。
教義については一歩も引かず、他人を「世の人」と見下し、お互いにも裁きあってるんですから。
エホバとは違うって認めてるのは面白いですね。
次は「エホバは柔軟で分別がある」の副見出しから。
6節と7節から、エホバが譲歩した例を引用します。
モーセはアロンに頼まれて,ミリアムを癒やしてください,とエホバにお願いします。エホバはどうしたでしょうか。自分が下した裁きは覆さない,という態度は取りませんでした。
エホバはヒゼキヤをかわいそうに思い,柔軟に考えを変え,願いを聞き入れました。
確かにここだけ引用すれば、エホバはいろいろ譲歩してくださる方に見えます。
じゃあ次は、聖書からやはり2箇所引用しますね。
申命記3:23
次いでその時,わたしはエホバの恵みを哀願してこう述べた。『主権者なる主エホバよ,あなたは,ご自分の偉大さと強いみ腕とをこの僕に示し始められました。あなたが行なわれたような事,またあなたが示されたような強大なみ業を行なうどんな神が天や地にいるでしょうか。どうかわたしに渡って行かせ,ヨルダンの向こうの良い地,この良い山地とレバノンとを見させてくださいますように』。だが,エホバはあなた方のゆえにわたしに対して依然憤怒を抱いておられ,わたし[の願い]を聴き入れてはくださらなかった。むしろエホバはわたしにこう言われた。『あなたについてはこれで十分である! この件についてこれ以上わたしに話してはならない。ピスガの頂に上り,目を西,北,南,東に上げて,自分の目で見よ。あなたはこのヨルダンを渡っては行かないからである。
とりわけ温和だと評されてるモーセにこの仕打ち。
しかもメリバの泉の件だけでこのブチ切れよう。
「この件についてこれ以上わたしに話してはならない。」とかめっちゃ怖い。
えっ?柔軟で分別がある?これでも?マジ?
で、もう一箇所。
コリント第二12:8
これについては,それがわたしから離れるよう,わたしは三度主に懇願しましたしかし[主]は,まさにこう言われました。「わたしの過分の親切はあなたに対してすでに十分である。[わたしの]力は弱さのうちに全うされるのである」。
選びの器とまで言われたパウロが3回も懇願したそうです。
そしたら「わたしの過分の親切はあなたに対してすでに十分である。」だって。
冷たくね?
えっ?柔軟で分別がある?
どの辺に?
まあね。
別に神様批判したいわけじゃないから、ここまでにしときますけど、ここで言われてるほど譲歩してくださるわけじゃないみたいですよ。
で、9節。そんなエホバにどのように倣えるかについて。
私たちはみんな,自分とは違う意見や考えの人のことを理解しようと努めます。
そんなことしないだろ、JWは。
さっきも書きましたが、教義については一歩も引かず他人を「世の人」と見下すってのがデフォルトですよ。
JWの会衆内でも、長老が気に入らないと、注解当てなかったり、割り当て回さなかったり、最悪罪をでっちあげて排斥したりしますからね。
なんなの?これ。
嘘つき大会なの?
で、最後の副見出しが「エホバは目立たない人を大切にしている」なんですけど、これもよく分からない。
「目立たない人を大切にしている」と謙虚なの?
なんで?
逆に、目立つ人だけを大切にしたら謙虚じゃなくなるの?
そもそも、神から見たらはかりの上の薄い塵の層である人間に、目立つ人なんているの?
全然納得いかないんですがさらに追い打ち。
17節。その神にどう倣えるかなんですけど。
私たちは,相手の背景,人種,教育レベルなどに関わりなく良い知らせを伝えます。そうやってどんな人のことも大切にします。
なんで「良い知らせを伝え」たら、大切にしてることになるの?
相手に迷惑かけておいて、大切にしてるとか主張すんの、やめた方がいいんじゃない?
しかもそうするのが「謙虚」の証拠らしい。
頭、大丈夫か?
というわけで全く納得できないし理解もできない、馬ーーーーーっ鹿みたいな記事でした。
最後に、全く関係ない箇所をひとつ。
9節。
創世記 33章12-14節には,ヤコブが子供たちの限界に配慮したことが書かれています。
ここは、ヤコブがエサウに再会した時のことです。
エサウは、イサクからの祝福を横取りしたヤコブをマジで殺すほど恨んでました。
それが分かってたヤコブは、家族を2つに分けて、いきなり襲われても反対のグループは生き残れるようにしてました。
そして、エサウに山程贈り物をして、少しでも怒りを鎮めてから再会できるようにしました。
それが功を奏したのか、ヤコブとエサウは平和的に再会できました。それがこの場面です。
本気で殺されるとこだったんですよ。さっきまで死を覚悟してたんですよ。
「さあ、一緒に帰ろう」って言われて、「そーしましょ、そーしましょ」って打ち解けられるわけないじゃないですか。
そこで出てきた言葉が「いや、まだ小さい子供もいるから、申し訳ないけど先に帰っててください」だったんですよ。
私としては、(完全に主観でしかないんですけど)ヤコブは別に子供たちの限界に配慮したんじゃなくて、子供を理由にエサウと一緒に帰るのをやんわり断っただけだと思います。
今週は以上です。