
- 前ページ
- 次ページ

紫陽花

もう紫陽花の季節なんですね。
この前ボランティアで草刈りに行ったら、500円玉より大きいカタツムリが何匹かいました。
雨の日だったんで、ヌルヌル動いてました。
なーんか、紫陽花と言えばカタツムリのイメージがあります。
さて、今週の記事についてです。
主題は『洞察力を働かせるなら「成功する」』でした。
まあ、この組織の言う「成功」は、黙って組織の奴隷になることだったりするので、そんな「洞察力」いらないっ!って感じです。
では早速突っ込んでいきます。
2節。
組織の言う「洞察力」を発揮した結果がこれですよ。
すぐに怒らないや、穏やかな気持ちはまあいいですが、基本『「黙って」いるべき時を見極めて,「言葉を慎む」』ことが求められてます。
いやいやいや、声を上げなきゃいけない時もあるでしょ。
先週あたりにアップした記事で書きましたが、JWの中には、仲間に借金を踏み倒されたり、仲間の会社で働いているのに給料未払いだったりしてる人がいます。
それなのに、JWが求めるのは正されることではなく、被害者が『「黙って」いるべき時を見極めて,「言葉を慎む」』ことなんですよ。ことなかれ主義ここに極まれりって感じです。
だいたい、組織が「言葉を慎む」ようなこと全くないじゃないですか。あれこれ規則を作って押し付け、あまつさえ夫婦の寝室にまで口出ししてる。
それなのに信者には「黙って」いろってんですから、完全におかしいですよ。
次。7節。
これ、どの口が言うかって感じです。
統治帯なんて、ついこの前、信者にモーセの律法を押し付けて「自己血の輸血も禁止!」って言ってたのを撤廃したばかりですよね。
JWの伝統という「表面的なことだけで物事を判断し」て、「何でも分かっている」とばかりにその命にかかわる規則を信者に押し付けてたんですよ。全く「ほかの人から教えてもらわなければいけないと考える」ことはなかったってことです。
つまり、統治帯は洞察力がない。
で、同じ7節から。
上のことを考慮すると、ここでいわれていることこそが「洞察力」のある行動になります。
統治帯が聖書から「自己血の輸血も禁止!」とアドバイスしてくれた時には、「自分には当てはまらない」と考えるのが正しかったわけです。
自称「責任を委ねられた兄弟」である統治帯からの指示に、「納得できないと感じ」るのが正しかったんです。
いやー。
上に立つ人が洞察力がないと、ついて行く人にはより一層洞察力が求められますね。
次。挿絵から。

これ、左はニネベに行ったヨナで、右はハッテン場に行ったJWらしいです。
すっごく疑問なんですが。
ヨナは神に遣わされて、ニネベに行き、神から告げるように言われた音信をふれ告げました。その結果ニネベの人々は救われました。
この挿絵のJWは、誰にも遣わされてないのに、どんな用事が有って一人でハッテン場に向かってるんですかね?
用もないのに、そんなところにわざわざ行くなんて、よっぽど洞察力が無い人なのでしょう。
最後。17節。
神様は洞察力を与えてくれるのかもしれませんが、神様の代理を自称してる統治帯は洞察力がありません。
しかもかなりマズいレベルで。
統治帯を抜きにして、神様を見る必要がありますね。
今週は以上です。
賛美の歌について記事を書きたいなぁと思っています。
何の花だか分かりますか?

紫って珍しいでしょ?
なんていう品種かっていうと…
知らないんですよー(笑)。
これ、隣の人の畑なんでね。
うちのジャガイモは男爵なんで普通に白でした。
さて今週の記事についてです。
主題は「大切なことに集中しましょう」。
読まなくても、ろくでもない内容なのが分かります。
いや、「大切なことに集中」するのは良いことですよ。
ただ、この組織はエホバの威を借りて、自分たちにとって都合の良いことを「大切なこと」として、強制的に信者にやらせようとするので、害にしかなりません。
じゃ、突っ込んでいきます。
まず2節。
これね。
問答無用で「一番大切」なのは「クリスチャンの活動」と決めつけています。
そんなのは個人個人で決めるべきことです。
またここでは、「クリスチャンの活動」を運転に、それ以外を「かかってきた電話」に例えています。もし「クリスチャンの活動」が運転だったとしても、食事もしますし、休憩や睡眠も必要です。
同様に、「クリスチャンの活動」と並行して様々なことをやれますし、そもそも何の目的で運転しているかが重要だったりします。
他のものを十把一絡げにして「注意をそらすもの」とするのは暴力的な理論です。
次。4節。ここが酷い。全文引用します。
「家族や自分のためにしないといけないこと」のせいで「クリスチャンの活動に集中できなくなります」とか書いてやがります。
家族の必要に時間や気力を使うのは当たり前のことです。聖書にはっきり「家族に必要なものを備えないのは、信仰がないことより悪い」ということが書かれてたはずです。(テモテⅠ5:8)
こんなことを書いてるから、家事おろそかにして開拓して鼻高々な主婦とか、家族そっちのけにして牧羊で悦に入る長老とかが出てくるんじゃないですかね?
次。8節。イエスがなぜエホバが望んでいることに集中できたかについて。
これ。
よく見てください。
無理矢理3つに分けてますが、1つ目に3つ目の内容は含まれてます。
そして2つ目も、「奉仕に打ち込んでいたから集中できた」のか、「集中していたから奉仕に打ち込んでいた」のか、原因と結果が判別しにくい内容です。
この後、ここを元に適用を3つ挙げてますが、こじつけでしかないです。
私が思うに、イエスが集中できた理由は、もちろん「エホバと同じ考え方をしていた」ってことなんですけど、緊急感を抱いていたからなんじゃないかなぁと。
だってたった3年半で、神公認の宗教を、制度疲労起こしたユダヤ教から、キリスト教に書き換えなきゃいけないんですよ。
しかも、期限が来たら死ぬ。マジで死ぬ。延長とか無し。
そりゃ緊急感もストレスも半端ないわなぁ。
翻って今。
イエスと同じような責任を負ってる人は誰もいない。そもそも求められてない。
で、終わりがいつかは、全く分からない。
明日の可能性もあるのかもしれないけど、100年後の可能性も、1000年後、10000年後の可能性もある。
1914年に異邦人の時が終わったとかいう説が、エルサレムの滅びの年代から否定されたからには、「終わりが近い」と判断できる材料なんか一つもない。
そもそもイエスが「時期を知らない」って言ったのに、変な計算して「終わりが近い!」とか判断できるとか考えるのが図々しい。
というわけで、今緊急感を必死で持つ理由がないのよ。
ましてや、ものすごい使命のあったイエスと同じように打ち込む理由もないし、求められてもいないのよ。
というわけで、ここから先の、イエスに倣ってクリスチャンの活動に集中するって内容は、全く意味なしです。
11節には
とか書いてありましたが、エホバはそんなこと願ってないよ。
最後。18節。珍しく納得できるところ。
これはまあ正しいと思います。
今日はアマゾンプライムビデオで、アニメ「ひゃくえむ」を観ちゃいました。
まあ、今日は家族と観たからまあ良しとしても。
マンガとかゲームとかは、本当にやめた方が良いんだけどねぇ。
せめて減らさないとねぇ。
今週は以上です。
ヤマブキ

さて。
JWって矛盾したことを平気で言いますよね。
JWは正直さで知られてるって言っておいて、JWに不正直な人がいると、不完全だからしょうがないと開き直る。
大部分が正直だけど不正直な人もいる、ってそれは世の人と全く変わりませんから!
さて、これ何の写真か分かりますか?
普通分かんないですよねー?

販促用の機械なんですよ。
地面に光で歓迎の文字を映し出して、お店に向かって動かしていくというものです。
今だったら小型のプロジェクタみたいなので映像を投写すると思うんですが、これは古くて、たぶん投写した映像を鏡で動かしていたのだと思います。
で、これと同じ物を使ってた自営業の兄弟がいたんですよ。
30年くらい前ですかね。もっと前かも。
当時はそれなりに費用がかかる機械だったんじゃないですかね?知らんけど。
たぶん、仕事がそれなりに成功してたのだと思います。
で、仕事で金銭的に余裕が多少あったので、周りのJWの困っている人に頼られ、貸してあげることがあったようです。
ただねぇ。
返してもらえない、とこぼしてました。
そうこうしているうちに、自分の方も余裕がそれほどあるわけではなくなってしまいました。
まあ、それでも困っている人から、貸してもらえないかという打診はあるわけで。
「じゃあ、今貸している人がいるから、その人が返してくれたら貸せるよ」と言っておき、貸している相手に「他に困っている人がいるんだけど返してもらえないか」とあたったそうです。
結果
何人に貸してたのかは知りませんが、全然返してもらえなかったそうです。
結局、JWってそんなもんです。
おっと、こんな記事書いてないで、週末の「も」を読まなくては。
サツキ?ツツジ?

なんかねー。
サツキって名前なのに、4月の半ばには咲いてて、末にはもうほとんどしぼんでるんですよ。
もうウヅキって名前にしなよって感じです。
やっぱり年々気温が上がってきてるんですかね?
さて、今週の記事についてです。
主題は『「教える技術」を磨く』でした。
このタイトルだけならそれほどでもないんですが、記事全体から「教えてやる!」っていう傲りが溢れてていやーな記事でした。
んじゃ、突っ込んでいきます。
まず1節の出だしから。
これ適用おかしくね?
教えるってったって、行動で教えるとか、生き方で教えるとかいろいろあるでしょ。
山も海も神を賛美してるってんだから、言葉でどうこうってんじゃなくってもいいんでしょ?
なーんでえらっっっそーに大上段から「教えてやる!」ってなってんのよ。
JWなりたての信者が、この聖句を根拠に「弟子にしてやる!」って言ってきたらどう感じるんだよ。「いや、結構です。」ってなるだろ?みーんなそう感じるよ。JWが教えようと息巻いてる相手も。
こういうふうに、一見聖書の言葉そのものに見えて、実はかなり歪めて教えてるのがJWの特徴だよね。
2節には
ってあるんですけど、ホント偉そう。
謙遜さどこいった。
で、この3つがまたひどい。
1個目。
相手を心から思いやってたら、「教えてやる!」って態度にはならないんですよ。もうスタートから間違ってる。
特にこの副見出しは突っ込みどころ満載でしたね。
3節。
今のJWですね。
イエスだったらきっと、JWが必要としていることが分かっているので、心に響く教え方をしてくださるでしょう。
統治帯なんかと違って。
4節。
えっらそうに、かつ、さも思いやっているかのように書いてますが、地球上の99.9%の人は、別にJWの言う聖書の希望なんか知らなくても、普通に生きています。そんな想像してもらわなくていいです。
むしろJWの方が病んでたりしますしね。
5節。
JWはどう見ても、パリサイ派に倣ってますよね。
一般の人を「世の人」だの「未信者」だの、見下してばかにしてますから。
そもそもこの「教えてやる!」って態度がばかにしてる証拠なんですよ。相手が優れてると思ってたら、「教えてやる」とか、思いもしませんから。
では、副見出し2つ目。
当たり前だろ。
何を教えるつもりだったんだよ。
そうじゃなくたって、JWは聖書から切り抜きながら、聖書にない独自の教えを教えてるって批判されてんのに。
12節にも
とかありましたが、むしろ聖書だけ使って教えろ。
聖書全体は神の霊感を受けたもので有益なんだろ?
他のものに頼るな。3つ目の副見出し。
これも当たり前だろ。別に全権委任されてるイエスでも良いけど。
それにこんなこと言いながら、教えてるのは統治帯の見解だからね。
本当に「エホバが目立つように」してるなら、統治帯の見解が変わった時に、いきなり信者全員が右向け右で意見変えたりしませんから。
なんだよ自己血解禁って。
これで「新しい光」とかってありがたがってる奴等は全員、全くエホバなんか見ずに、統治帯だけ見てるって証拠じゃん。
最後。13節。
は?
今、誰もエホバを見てないって言ったばっかりだよ?
「教える時に目指すのは,聞いている人たちが統治帯をよく知り,統治帯への盲信を育てていくことです。」の間違いですね。
こんな連中が、『「教える技術」を磨く』とか、全く意味が分かりません。
今週は以上です。
ノジシャって言う花らしいです。

でも撮影が半月以上前だからもうないかなぁ。
さて、今週の記事についてです。
またバプテスマだって。懲りないね。
今回は、バプテスマの後にぶつかる問題に備えるって記事でした。
ちなみに問題は3つ挙げられてました。
んじゃ。突っ込んでいきます。
最初の問題は「仲間に傷つけられる時」。
そもそも、真の愛の組織とか名乗っておいて、いきなり「仲間に傷つけられる」って恐ろしいことですよね。
で、どうこの問題に備えられるかなんですけど、これがひどい。4節。
つまり泣き寝入りしろってことです。
何が「気持ちよく許す」だよ。
全能の神ですら、悔い改めた人を赦すってのに、ただの人間がなんで悔い改めもしない奴を「気持ちよく許す」必要があるってんだよ。
だいたい、傷つけた人と傷つけられた人と、悪いのは傷つけた人に決まってるのに、なんでそっちは何のペナルティも無しで、傷つけられた人ばっかり泣き寝入りさせられるの?
なんでこの組織は、加害者の肩ばっかり持つの?
だからこの組織は自浄作用が働かないんたよ。
で、真面目な成員ばっかり割を食って!我慢させられて病むことになるんだよ。
神に選ばれた組織を自称するなら、せめてできる範囲だけでも公正がなされるようにしろ。
で、追い打ちに6節。
これがそうでもないんだなあ。
特に長老とかの、JW内で力を持ってる人からの攻撃は悪質さが半端ないです。
長老は、会衆内で絶対的な力を持ってます。
この組織自身が、「力は腐敗する。絶対的な力は絶対的に腐敗する」みたいな言葉を引用してましたが、この組織内でもそれが当てはまります。
組織外であれば、最悪でも仕事変えたり引っ越したりすれば逃げられたりしますが、この組織は情報を転居先に送ってまで徹底した攻撃を仕掛けます。
もちろん家族とすら連絡を取らせません。
世の中の人より、よっぽど悪質です。
次の問題は「捨てたものに未練を感じる時」でした。
まあ、解決策としては、よくある「得られた物に目を向けろ」ってことでした。
でもこれが空手形なんですよねぇ。10節。
そこは「愛にあふれる創造者であるエホバとの友情」とかじゃねーのか?
「高い地位にいる」人との友情って、そんなに価値があるか?
高い地位にいる人との友情に価値が無いなら、神との友情も「高い地位にいる」ことには、別に価値がないだろ?
次の得ているもの。
これ、さっき傷付けてくるって言ってた奴だろ。
いらねーよ。そんなに価値ねーだろ。
で、最後の得ているもの。
あ、これ死ぬまで未来のままで、最後まで手に入らないやつだ。
と、結局何にも得られてない。
そりゃ捨てたものに未練感じるのが正常だわなぁ。
11節にも
とか書かれてますが、結局これも手に入らないですからね。
宝くじの外れ券でも、持ち主が当たっていると信じてる間は価値がある、って理論なら分からなくもないですけど、「真の希望」からは遠く離れてますね。
最後の問題は「ほかの人がエホバから離れた時」でした。
で、12節。
清々しいまでの自画自賛っぷりですね。
JWは一見オアシスに見えたかもしれませんが、水面の1cm下は腐ったヘドロが積もってます。
汚れっぷりは世の中と同等かそれ以上かもしれません。
しかも、一旦間違えて入ると、底なし沼のようにひきずり込まれます。
危険この上ない。
最後。15節。
だからあ!
その仲間ってのが、さっき傷付けてくるって言ってた奴だろ。
そんな奴が力になってくれるわけねーだろ。
そうじゃなくても、その絆を強めた仲間がいきなり離れることもあります。
いずれにせよ、解決策にはなってませんね。
さて、一歩引いて考えると、ここの問題はどれも主題にあるように、バプテスマを受けた後で発生する問題なんですよ。
ってことは、バプテスマ受けなければ問題は発生しない!
確かに、バプテスマ受けなければ、傷付けてくるような奴と仲間になる必要はありません。
別に何かを捨てる必要もないですし、未練があるなら戻ればいいだけです。
そして、ほかの人がエホバから離れようがどうしようが、全く気にする必要はありません。
?
ってことは、この組織のバプテスマのせいで、問題が増えてるってことですね。
真理は自由にする、と言われてるのに、なぜか自由になるどころか問題が増し加わるという現状。
矛盾ばかりですね。
今週は以上です。

まだ撮影して2週間も経ってないのに、どこで撮ったか全く覚えてません。
さて、今週の記事についてです。
またバプテスマだってさ。
同じキリスト教でも、なんかこの組織のバプテスマは異質に感じるんですよねぇ。
例えば、洗礼を必ず受けるべきものとはしてないキリスト教の団体もあるようですが、この組織は「絶対絶対必要!」って扱いです。
洗礼で救いを実感するって団体も多そうですが、この組織はせいぜい「楽園行きの切符を手にできる可能性」しかもらえません。
価値は低いのに、絶対必要とか意味わかんないっすね。
じゃあ突っ込みますかね。
まず1節の出だしから。
「晴れやかな良心でエホバに仕えられるように」なったかどうか判断するのは本人だろ?
なんで勝手に組織が、個人の感想を決めつけてんの?
そもそも、バプテスマ受けた人がみんな「晴れやかな良心でエホバに仕えられる」ってんなら、JWはなんであんなに不幸な顔した人ばっかりなんだよ。
顔見てみろよ。全然晴れやかじゃねーぞ?
さらに1節。
自信満々に言い切ってますが、これも一つの見解でしかありません。
先週も書きましたが、これは確定してるわけじゃないんですよ。
コルネリオなんか、バプテスマ受けてなくたってエホバに喜ばれてて、わざわざペテロの偏見を解いてまで遣わされてたじゃないですか。
例えば、ペテロが到着する直前に滅びが来てたとしたら、コルネリオは滅ぼされてたのかってことですよ。上の引用箇所が正しければ、コルネリオはバプテスマを受けてなかったので滅びることになります。
JW的にはそうなって欲しいのでしょうが、そんな事態を愛の神が許すんですかね?
次。2節。
これも酷い詐欺的言い回しです。
これじゃあ、割と簡単にバプテスマの資格が得られそうに見えます。
実際は違います。
「聖書の基本的な教えを理解」とは、JWの理論での聖書の解釈を、かなり深いところまでマスターすることが求められます。延々と「試験」としての討議をさせられますからね。
さらに、「エホバに喜ばれる生き方をしたいと思う」とは、自分の意見を捨てて、組織の言うことに一から十まで従うということを意味します。
そんなことを了承したつもりがなくても、バプテスマ受けた後は、「エホバに誓ったんだから責任を果たせ!」と、無理にでも従わせようとブリブリ圧力をかけてきます。
恐ろしい組織ですね。
ずーっと進んで13節。
こうやって、脅してこの組織は発展してきました。
「もう終わりが来ます!」「すぐ終わりが来ます!」「終わりの最終部分です!」と繰り返し脅して来ましたが、残念ながらJWの終わりに関する預言は全て外れ、偽預言者であることが露呈しています。
「ぎりぎりで変わればいい」という態度はもちろん神に喜ばれない態度でしょうが、神の代弁者を自称しつつ、偽の預言を繰り返す方が罪は重いと思います。
次。16節の出だし。「絶好のタイミングは今」って副見出しの直後。
どっかの予備校の講師かよ!
いつ(バプテスマ)受けるの?今でしょ!
最後に目先を変えた場所を2つ。
まず2節。
これ、一言で矛盾してますよね。
ベストを尽くすってことは、全部差し出せってことだよ?
「エホバは何億円も寄付を要求したりはされません。有り金全部で喜んでくれます。」って言ってるようなもんだよ?
こんな恐ろしいこと言われて、誰が安心できるんだよ。
最後。7節。
いねーよ!
いったい、ごく普通の人をどれだけ想像の中で見下してるんですかね?
今週は以上です。

近所の貯水池周りは、葛が黒い芽を伸ばしていて、宇宙怪獣ヴァラロンが顔を出してるみたいです。
早く!今のうちに!今のうちに刈らないと大変なことに!
さて、今週の記事について。
今週は「バプテスマについてよく理解する」でした。
もう、なんか突っ込む気力もなくなりますね。
組織自身が「よく理解」なんかできてないのに、どうして信者に理解させられると思ってるんですかね?
まあ、記事全体がダメダメですけど、そのあたりに軽く突っ込みますね。
3節
一番気に入らないのがここでした。
バプテスマが滅びを免れるために絶対必要だ、と言っているわけです。
では逆に、誰か、この組織の偉い人に、「JWとしてのバプテスマは救われるために必ず必要なんですか?例外はありませんか?」と聞いてみてください。
ちゃんとした人なら、「救われるかどうかは、イエスの判断にかかっているので、詳細を言い切ることはできない」と回答するはずです。
じゃあなんで、バプテスマが救いに必須だと平然と書くわけ?
「私たちは、神の是認を得るためにはバプテスマを受ける必要があると考えています」とかって、ちゃんと一見解であることを書けよ。
こういう矛盾を平気で垂れ流す態度がすごく嫌いです。
あと付け加えるなら、バプテスマを含むイエスへの信仰って、「永遠の命に続く道を歩き出す」って程度のやっすい価値しか無いの?
イエスに信仰を持って、それを示して、バプテスマまで受けて、「楽園行きの切符を手にできる可能性」程度しか得られないの?
なんかさー。
エホバもイエスも、めっちゃ厳しくね?
イエスの完全な人間としての命の価値ってその程度なの?
だって、アダムの子孫全員買い取れる価値があるんだよ?
なーんか納得できないんですよねぇ。
これじゃあJWは、いつまで経っても、滅ぼされるんじゃないかと、怖さでブルブル震えながら必死に信者獲得(勧誘)行脚し続けるしかないよね。
道理で幸せそうな人が少ないわけです。
次。10節
ついこの前も、JWの教えの血の使用について、大きな変更がありました。つまりJWは「神が望んでいることについてきちんと理解」できていないということです。
つまりJWのバプテスマは、「正しいバプテスマとはいえません。」
あなた自身がそう言いました。
最後。13節。
これも酷い。
イエスを敬うことと、全く関係のない「長老」に協力することを、同一のこととしています。
だって、JWははっきりと「(自分たちは)聖霊を受けてはいない」って言ってんですよ!
聖霊受けてないのに、なんでイエスが現代のJWの長老を任命してるなんて言えんの?
ずうずうしいにもほどがあるよね。
というわけで今週も全く読む価値のない記事でした。
今週は以上です。

答え
ブロッコリー(笑)
細かいのを収穫できずにいたら花盛りですよ。
まあ、畑の作業中にむしって食べたりしてますけど。
昔アメーリカで、サラダに生のブロッコリーが入ってたのを見た時は驚きましたが、道端のノビルを引っこ抜いて下の玉になった部分を軽く拭いてそのまま食べてる今は、畑のブロッコリーぐらい全く抵抗ないですね。
さて、今週の記事についてです。
主題は「エホバの証人ではない家族に温かい心で寄り添う」でした。
もうね、この主題が上から目線なのが非常に気に入らない。
家族ってそもそも「温かい心で」寄り添い合うものでしょ?
何を「エホバの証人ではない家族」とか条件づけしてんの?って感じですよ。しかも、自分から「寄り添う」って、譲歩してやってる感満載ですよ。
で、肝心の内容も上から目線と矛盾だらけでうんざりでした。
そんじゃ、その辺に突っ込みますね。
まず3節。記事全体の内容について。
なーにが「助ける時」だよ。
むしろ助けが必要なのはカルトにハマっちゃったJWの方だよ。
口では「謙遜さが大切」とか言っときながら、この超上から目線が本当に嫌い。
6節でも、
とか出てました。
数えてませんが、たぶんこの記事だけで10回以上「助ける」って表現してますよ。ずうずうしいにもほどがあります。
あくまでも、間違ってるのが家族の側で、自分はそれを助ける側という、対等ではない図式を押し付けてくるのが腹立ちます。
8節。
これが凄い矛盾してる。
JWとしての普通は、一般の人から見たら十分 「狂信的」なんですよ。
今でこそ減りましたが、毎週毎週3回も集会行って、月に90時間も勧誘に時間を費やしてりゃ、「狂信的」以外の何物でもないんですよ。
狂信的に振る舞うことを求めておいて、しかもそれが理想の行き方だと示しておいて、「狂信的ではないことを行動で示していくことが大切」とか矛盾も良いとこです。
次。9節。
ここまでは良いです。
問題はこの続きです。
そうじゃない。
こんなの当たり前のことで、譲歩にすらなってない。
JWが勧めるべきなのは、「夫家にいる時は、集会に行かずに共に時間を過ごす」とか、「夫が旅行などを企画したなら、大会と重なっていても喜んで夫の企画を優先させる」とかなんですよ。
それで初めて、夫に思いやりを示していることになると思います。次。10節。
良識が全くない人が、「よく見てもらって良識がある人だと認めてもらう」とかどんなコントですかね?
セーラー服着たおっさんが、「私をよく見てすばらしいファッションセンスを持っていることを分かってもらいたい」って言ってたら、「No thank you」ぐらいしか返せないでしょう。
次、「結婚式や葬式に出席してもいいだろうか」って囲み記事から。
まず4つの質問が出てきました。
・出席した場合,宗教的な儀式や聖書の教えに反する慣習に加わるようにというプレッシャーに抵抗できるでしょうか。
・エホバの証人ではない親族は,あなたが聖書の教えに反する慣習に加わらないことを理解しているでしょうか。
・宗教関連の建物で行われる式に出席したら,それを知ったクリスチャンの仲間はどう感じるでしょうか。
そして結論はこうでした。
なんか、多少なりとも家族を優先させるのかと思ったら、全く違いました。
「どんな判断をするにしても」なんて書いて、各人に選択させるように見せかけていますが、とどのつまり、宗教的な儀式などが出てくる場合と、宗教関連の建物で行われる場合は、決して参加するなってことです。
そしてその両方とも無い結婚式なんてそうそうありません。
ということは、全く自由に決定できる部分なんかありません。
なーにが「結婚式や葬式に出席してもいいだろうか」だよ。
完全にダメって決めてんじゃねーか。
最後。17節。
この、「気遣いが伝わって,心を開いてくれるかもしれない」っていう、言わば歪んだ動機で、「気持ちに寄り添い,感情を共有する」ってのが間違っていると思うんですよ。
相手に心の底から敬意を払って、本当の愛の気持ちで寄り添うのと、「いつか信者として取り込めるかもしれない」なんていう下心で寄り添うのとは、たぶん相手に伝わるものも違うと思います。
それを直さなければ、結局上から目線のまま接することになり、きっと狂信的な人として避けられるままになると思います。
今週は以上です。
