漢字だと百日紅なのに白。
フリヒラの花の中にミツバチらしき虫がいました。
そろそろ散り始めてますね。
さて今週の記事についてです。
先週の記事で、「終わりまで神について聞いたことがなくても滅ぼされないかもしれない」ということが扱われて、「あれ?じゃあ、無理して宣べ伝えなくて良くね?」となるのを防ぐために、信者を思考停止に陥らせて無理やりにでも宣べ伝えさせようという、非常にたちの悪い記事になってました。
あと、建前を根拠にいろいろ展開させてるのが目立ちました。
例えるなら、家庭内別居で長年口もきいていない夫婦に、幸せな夫婦生活を送っているという建前で「モルディブのコテージで夫婦水入らずで過ごしましょう!素晴らしい幸せな時間を楽しめます!」って言ってる感じ。
無理がありすぎるだろ。下手すりゃ逆に刃傷沙汰に発展しますよ。
それなのに、続く部分で「幸せな旅行から帰ったら、両家の親族を誘ってパーティを開きましょう!」みたいに話を展開してる。
なに?一族郎党巻き込んで抗争でも起こそうとしてんの?って感じですよ。
突っ込みどころがありすぎで、どこまでできるか分かりませんが、さっそく突っ込んでいきます。
じゃあまず、信者の思考と行動を無理やり誘導している箇所。
正直読んでて苦しくなります。
2節。
5節。
7節。
8節。
9節。
ヤバいです。マジ苦しい。
書いてて過呼吸になりそうです。(文字を小さくしました。)
しっかし酷い表現です。めっちゃめちゃいやらしい誘導です。
8,9節なんて、「宣べ伝えないならお前は人々を愛していない」ってはっきり言ってるわけですからね。
っていうか、こんなふうに脅迫して宣べ伝える業を強制しておきながら、この記事では「宣べ伝えるのは愛が動機(ハァト)」とか寝言言ってんですよ。
完全に建前と本音が乖離しています。
じゃあ次は、最初に書いたように現実離れした建前を前提としている箇所に突っ込みます。
4節。良いニュースだから告げ知らせたいと思うという建前について。
そもそも、「この上なく素晴らしいニュース」なんかじゃないんですよ。
そりゃ、「将来、死も苦しみも悪も無くなる」ってところだけを聞いたら、(現実離れしてるものの)良いニュースに感じるかもしれませんが、「そのために神が生きてる人の大部分を虐殺します。それには、まだ自分で判断できない子供も赤ちゃんも含まれます。でも神がすることだから絶対正しいんです。」っておっそろしい情報とセットなんですよ。
こんな情報を知ったところで、「嬉しいな!嬉しくってたまらないっ!みんなにも知らせなくっちゃ!」とか絶対なりませんよ!
なのになぜかこの記事の中では、オタクが自分の推しについてついつい語っちゃうのと同じ感覚、トラキチが思わず1985年から語り出しちゃうのと同じ感覚で、宣べ伝えてることになってるんですよね。
いや、ありえねーから。
次、8節。人々への愛から宣べ伝えているという建前について。
さっきも引用しましたね。でもこれも嘘です。
そもそも、そんな動機で宣べ伝えてるんだったら、上みたいな誘導で無理やり宣べ伝えさせたり、時間を報告させて、それによる立場で競争させたりする必要なんかないんです。
本当に愛だけが動機だと思うんだったら、時間報告も開拓制度も、こうやって脅して宣べ伝えさせるのも、ぜーんぶやめてみりゃいいんですよ。
もし純粋に愛だけが動機で宣べ伝えていれば、時間が減ることはないはずですから。
私の認識では、JWが宣べ伝えている主要な動機は、
・自分が滅ぼされたくない(エゼキエル3:18)
・神が命じていると教えられている
・仲間から高く評価されたい
です。
ちなみに私は、この3つ目がほとんどなかったので、補助開拓もせず、世俗の仕事に就いて、奉仕なんかほとんどしてませんでした。だから、立場がもらえませんでした。(笑)
次、2節。宣べ伝えているのは終わりが近いからという建前について。
そもそもここが間違っているんですよ。
JWは完全に計算間違いして終わりの日を予想したんですから、そもそも終わりは近くないんです。
イエスが宣べ伝えるように命じたのも、現代だけに特別に当てはまるようなことはないんです。
もし、純粋に愛の動機で宣べ伝えていたとしても、内容が嘘だったら迷惑でしかないんですよ。
「1日ごとにその日は近づいているのです。」って、明日にも終わりが来ると教えてはや100年経ってるんですからね。
もうトータルで見たら、聖書を教えた益より、嘘を教えた害の方が、はるかに大きいですね。
これだけ、本音と建前が乖離しているのに、それを完全に無視して、建前だけで話を進めてるんですから、こんな記事にはなんの価値もありませんね。
さて、あとは細かいところに突っ込みますね。
まずはいつもの超絶いやらしい言い回し。11節。
「できる限り伝道のために使うなら…エホバに捧げていることになります。」ということは、「できる限り使わないならエホバに捧げていないことになる」わけです。
ここには「示した愛を決して忘れたりされない神」ではなく「示した愛がちょっとでも足りないと、何一つ受け入れない神」が出てきてます。
言葉では愛の神と言いながら、こうやって要所要所で、厳しい神のイメージをぶち込んてくる。
これホント神に対する冒涜だと思いますよ。
次。矛盾したとこ。10節。
これなんだけどさぁ。
将来思い出してもらうんだったら、コンタクトカードからわざわざ「エホバの証人」って言葉を抜かないよね。
昔はちゃんと「エホバの証人」って書いてたのに、今はこそこそ正体を隠して、QRコード読んでやっとJWだと分かるようにしてるよね。
正体隠してたら、家の人は将来何を思い出せばいいんですかね?
ここでも本音と建前が乖離しています。
さて最後。4節。さっき省略した箇所。
ここで、非常に腹のたつことを思い出しました。
この組織では、「家族に赤ちゃんが生まれた」ことは、感激するような「良いニュース」ではなかったんです。ちょっと昔までは。
というのは、ある姉妹が妊娠したところ、同じ会衆の成員からマタイ24:19の「その日,妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります! 」を根拠に、「ご愁傷さま」って言われたんですよ。
ありえねーだろ!
私の知ってるJW糞エピソードの中でも、上位に入る糞エピソードです。
タイムマシンがあったら、今すぐその場に行って、そいつの後頭部を助走つけて殴ってやりたいぐらいです。
そんな信者を育てておいて、さらっと「良いニュースを聞いて感激したことがありますか。例えば,家族に赤ちゃんが生まれたとか」なんて書いてやがる組織も許せないっすね。
今週は以上です。