花の写真が切れちゃったので、古い写真から。
アベリア。

コイツは年がら年中咲いてるイメージです。
花園衝羽根空木(ハナゾノツクバネウツギ)って名前があるそうです。
なんとかウツギって覚えてました。
オオスカシバが蜜を吸いに来るんですが、小さい頃は蜂に見えて怖かった思い出があります。
あー。
今年は年末から年度末にかけてなんかやたらめったら忙しくなるみたいです。
更新が滞るかもしれませんがよろしくお願いします。
さて今週の記事についてです。
長老に頼れって内容なんですが、だったらまず「長老の質を上げろよ」と言いたい。
まあ、話しやすい親切な長老もいないわけではありませんでしたが、なんせ質が悪い(しつ、たちどちらでも可)長老の被害が大きすぎる。
人の家庭のことにずうずうしくも踏み込んできて、進路に口出ししたりして、未信者家族との亀裂を作り広げる。下手すりゃ一家離散になる。
しかも、それを真理ゆえの離婚のように美談でもあるかのように扱う。
ちげーよ。お前が人様の家庭を破壊しただけだよ。
まあ、未信者のいる家に来て酒飲んで酔っ払って「ち◯こー!」って叫んでたのも長老でしたから、長老に人格者であることを期待するのが間違ってるんですけどね。
まだ学生の娘さんもいる家なのにねぇ。
で。
今回の記事では、長老が用いられてるってことをしっつこくしっっっつこく言ってたので、「そうじゃないんじゃねーのー?」という部分に突っ込もうと思います。
まず4節。
ここでいう病気とは,エホバとの絆が弱くなっている状態のことです。文脈からそれが分かります。例えば,医師ではなく長老を呼ぶようにと勧めています。癒やされるためには罪が許される必要があるとも言っています。分かります。例えば,医師ではなく長老を呼ぶようにと勧めています。癒やされるためには罪が許される必要があるとも言っています。
これね。
勝手に「病気」を「エホバとの絆が弱くなっている状態」とか決めつけてるけど、違うように思うんですよねぇ。
ちなみに引用されている聖句は
あなた方の中に病気の人がいますか。その人は会衆の年長者たちを自分のところに呼びなさい。そして,エホバの名において油を塗ってもらい,自分のために祈ってもらいなさい。そうすれば,信仰の祈りが病んでいる人をよくし,エホバはその人を起き上がらせてくださるでしょう。また,その人が罪を犯したのであれば,それは許されるでしょう。
確かに、「医師ではなく長老を呼ぶように」とは言われてますが、それだけでは根拠にならないと思います。
例えば、悲嘆に暮れて病気になった場合は、今でも医者より牧師呼ぶような人が海外とかにはいそうです。
そもそも、まだ科学が発達してないうえに、本物の悪霊が跋扈していた1世紀、医者が役に立たない病気も多かった可能性もあります。
それに、「癒やされるためには罪が許される必要がある」とはどこにも書かれてないんですよ。
「罪を犯したのであれば,それは許される」と、あくまで「ついで」として書かれています。
この、聖書に書かれてないことをさも書かれているかのように扱うところは、この組織の大嫌いなところです。
次。6節。
会衆から除かれかねない重大な罪を犯してしまったなら,長老に話してください。そういう場合,自分一人でエホバとの絆を取り戻すことはできないからです。
はあ?
イエスの贖いが適用されるかどうか長老が決めんの?
お前何様?
ちなみにここの根拠については
エホバに許してもらうには「悔い改めたことを示す行動」を取らなければいけません。その行動の1つが長老に話すことです。
とか出てます。
ところがここで引用されている聖句は
悔い改め,かつ悔い改めにふさわしい業をして神に転ずるようにとの音信を伝えてまわりました。
だけです。
どこにも長老とか出てきてねーぞ、おい。
結局ここも、聖書に書かれてないことをさも書かれているかのように扱ってるだけなんですよね。
だいたい、普段は「いつ祈っても神は聞いてくださる」とか「祈りを聞くことは、神はイエスにも任せなかった」とか言ってるくせに、なんで罪を悔い改めた時は長老の仲介がないと神は聞かない、なんて教えてるんですかね?
酷い矛盾です。
次。9節。
気が引けるとしても長老に助けを求めてください。どうしてでしょうか。エホバがそう勧めているからです。(中略)たとえ罪を犯してしまったとしても,告白して悪い行いをやめればエホバから許してもらえます。
これもさらっと「エホバがそう勧めているからです。」とか書いてますが、根拠はありません。エホバはそんなこと勧めてません。
根拠のように挙げられている格言の聖句は
自分の違犯を覆い隠している者は成功しない。しかし,[それを]告白して捨てている者は憐れみを示される。
という内容ですから、どっこにも「長老」なんか出てきません。神に直接告白すればいいだけです。
なんでこうやって聖書に書かれてない権威を長老に付与しようとするんですかね?
そこまでして、信者を精神的に隷属させたいんですかね?
次。13節。
長老たちは「エホバの名によって油を塗って」くれます。「油」とは聖書の真理のことです。
なんで「油」が「真理」とか決めつけてんですかー?
良きサマリア人も、怪我に油塗ってましたから、油塗るのは普通の治療なんじゃないですかね?
これも聖書を勝手に偏って解釈してるとしか思えません。
次も13節。最後。
長老たちを通して,「これが道である。この道を歩みなさい」というエホバの声を聞くことができます。(イザ 30:21)
ここも、イザヤの聖句には「長老」のちの字も出てきません。
なんで勝手に、全く聖書に書かれてないのに「長老たちを通して」とか追加してんの?
聖書に全く敬意を持ってないの?
本当に意味が分かりません。
たぶん古代イスラエルでは、長老が用いられてたんでしょう。
きっと1世紀も、神から任命された長老がいたのだと思います。
でも、今も同じことが行われているという証拠は何もありません。
ましてや、人の家で酒飲んでち◯こち◯こ叫んでる奴が、神からそんなだいそれた権威を与えられているはずがありません。
「長老たちを呼んでください」なんて主題でしたが、無理に呼んでもたぶん害になりこそすれ、益は無さそうです。
今週は以上です。