先週は関東平野部でも珍しく雪が積もりました。
子供たちは大喜びでソリ滑りしてました。
子供ってすげーよ。
ソリで滑り台も滑っちゃうからね。
すっげー速い。
途中の角度が変わるところで飛んでたよ。
ただ、雪の下でずいぶん水仙がなぎ倒されてたのは秘密だ。



サザンカだか椿だかがこんな感じでした。

さて今週の記事について。
今週は先週と同じヨブ記がテーマで、そこからアドバイスの仕方を学ぶって内容でした。
よくもまあ、全くできていないことをさもできているかのように書きますよね。

時間ないんでちゃちゃっと突っ込みますね。

4節。ヨブの友達のアドバイスについて。
もっとも​らしく​聞こえ​て​も,中身​の​ない​アドバイス​でし​た。

いつものものみの塔のアドバイスと同じですね。
目糞鼻糞です。


次。7節。
イスラエル​人​は​誰か​に​アドバイス​し​よう​と​思う​とき,ヨブ​の​3​人​の​友人​を​反面​教師​に​でき​た​はず​です。アドバイス​する​とき​に​どんな​こと​を​言う​べき​で​は​ない​か,どんな​こと​を​する​べき​で​は​ない​か​が​学べ​た​から​です。

JWは全然学んでませんよね。むしろJWの長老たちが反面教師になってたりしますから。


次、8節。
私たち​も​アドバイス​する​とき,相手​に「エホバ​は​厳しい」と​か「エホバ​は​愛し​て​くれ​て​い​ない」など​と​思わ​せ​たく​は​あり​ませ​ん。

これJWが一番やってることですよね。
つい最近も書きましたが、赤ちゃんのことを「神の敵」と言ったり、「全力を尽くすなら」みたいな条件を付けたりして、神の愛を遠くとおーーーくに追いやってる。
たぶんJWの人の方が、普通の人より「エホバは厳しい」って感じてると思いますよ。


最後。16節。
誰か​に​アドバイス​する​とき​に​は,ヨブ​記​から​学ん​だ​こと​を​思い出し​て​みる​の​は​どう​でしょ​う​か。

そもそもこれがおかしいんですよね。

求められてもいないのに、「誰かにアドバイスするとき」とか考えてる時点で僭越極まってます。

まさに老害っすね。


長老がアドバイスするのは大切、みたいに書かれてましたが、JWの長老なんて20代だったりしますよ。

♪ハァ学もねえ 経験ねえ 聖書の知識もあまりねえ

みたいな長老がアドバイス()。


何のコントですかね?


おまけ。
なんかエリフの話し方が模範っぽく扱われてましたが、そうでもなくね?ってこと。
10節。
腹立ち​紛れ​に​ヨブ​を​非難​し​たり​は​し​ませ​ん​でし​た。

とか書いてあるけど、エリフ結構ブチ切れてませんか?

33:5では「もし​あなた​に​できる​なら,わたし​に​返答​を​する​よう​に。」とか挑発してますし。

33:33でなんか「沈黙​せよ。そうすれば,わたし​は​あなた​に​知恵​を​教える​で​あろ​う」だよ?
めっちゃ偉そう!

というわけで、別に模範的でもなんでもなく、JW的に言えば、不完全な人間の不完全なアドバイスってとこじゃないですかね。

今週は以上です。
あれ?まだこの花載せてませんでしたっけ?


ツワブキ。
撮影は11月下旬だったかなぁ。
この前スーパーでふきのとうやタラの芽を売ってるのを見ましたよ。冬を越えたんですね。
まあ、売ってるふきのとうの蕗はツワブキじゃないよねぇ。

さて今週の記事についてです。
ヨブ!
ぶっちゃけ、ヨブ記はあんまり好きじゃありません。これ言っちゃうと、聖書そのものを批判することになるからあんまり言いたくないんですけどね。

突っ込みどころは、大きく分けて2つです。
ひとつは、この記事の言う「神が苦しみを許しておられる理由」に納得がいかない。
もうひとつは、苦しみに耐えたヨブに対するエホバの対応が気に入らない。
です。

じゃあ、その辺突っ込みますね。
まず8節で「確か​に,神​が​つらい​こと​が​起きる​の​を​止め​ない​理由​を​知っ​て​いる​の​は​あり​がたい​こと​です。」とか、御大層に書かれてるんですが、いまいち「神​が​つらい​こと​が​起きる​の​を​止め​ない​理由​」ってのが分かりにくい。
で、ちょっと遡って探したら、5節の質問が「エホバ​は​どうして​ヨブ​が​苦しむ​まま​に​し​まし​た​か。」だった。
で、答えを探すとこんな感じ。
サタン​は​ヨブ​に​つい​て​ある​主張​を​し​まし​た。ヨブ​は​苦しい​目​に​遭え​ば​エホバ​に​仕える​の​を​やめる​と​いう​の​です。エホバ​は​ヨブ​を​とても​愛し​て​い​まし​た​が,サタン​に​その​主張​が​正しい​か​どう​か​を​証明​さ​せる​こと​に​し​まし​た。

つまり。
現在生じている苦しみは、サタンが「コイツは自分が苦しくなったら、神に仕えるのをやめるぜ?」って言うんで、エホバは「よーし。じゃあやってみろよ」って毎度毎度徴発に乗ってるから起きてるってことになります。

エホバもいちいち徴発に乗ってんじゃねーよ、って思いません?

そもそもさあ。
ヨブの信仰を覆せなかった時点で、サタンが間違ってるって証明されてんでしょ?
その後イエスも地に来て、限界まで試されて、それでも忠誠を保ったから、サタンが間違ってるって証明されてんでしょ?
もう証明いらないじゃん!

覚悟のススメでも、『「カラスは黒い」という命題を くつがえすには何千何億の中に たった一羽白い翼のものが いればよい!』って言ってるでしょ。
「人間は苦しくなったら神を捨てる」という命題は、ヨブが屈しなかった時点でくつがえってんですよ。

大切な独り子を捧げる体験なんかも、アブラハムがイサクを捧げようとした時点で、もう他の人はやる必要がなくなったんです。

おんなじように、サタンがその後なにを徴発してきても、「お前、ヨブひとりに神を捨てさせられなかったくせになに粋がってんだプゲラ」って言っときゃいいじゃないですか。

それを3500年も経ってんのに、まだサタンに付き合って、苦しみを許してる。
なんで?
なんですでに証明されたことを再確認するのに、何億人もが苦しむのを許してんの?

8節には
でも​ヨブ​記​を​読む​と,私たち​が​つらい​思い​を​する​の​は​神​の​せい​で​は​なく,サタン​の​せい​で​ある​こと​が​分かり​ます。

とか書いてあるけど、サタンを許してるエホバにも責任があると思うんですよねぇ。

この辺を是非JWには答えて欲しいですね。


次!頑張って試練を耐えたヨブへのエホバの超塩対応について。
まず11節。
最終​的​に​エホバ​は​暴風​の​中​から​ヨブ​に​語り掛け​まし​た​が,ヨブ​が​苦しん​で​いる​理由​を​詳しく​説明​し​たり​は​し​ませ​ん​でし​た。

説明しろよ!
ヨブがどんだけ理不尽に苦しんだと思ってんだよ。
褒めろよ!ねぎらえよ!
で、理由を説明しろよ!
ヨブに「よく頑張った!」って言えよ!
サタンに返答できたことに対して感謝しろよ!

財産倍にしてもらっても、また子供ができても、それがなきゃ絶対納得できねーだろ。


で!同じ11節に
ヨブ​が​不平​不満​を​こぼし​た​こと​や​身​の​潔白​を​必死​で​主張​し​た​こと​を​非難​し​たり​も​し​ませ​ん​でし​た。

ってあるんだけど!
聖書のヨブ40:2でエホバは
「とがめだて​する​者​が​全能​者​と​争お​う​と​する​の​か。神​を​戒める​者​が​これ​に​答えよ」。

とか言ってんですよ!
非難してんじゃん!
死ななかっただけで、考え得るあらゆる苦しみを受けて、それに耐えたヨブを、逆に非難してんじゃん!!
それはなくね?
あんまりじゃね?
どんだけ器が小さいんだ。

13節でも
ヨブ​の​よう​に「言葉​が​過ぎ」て​しまう​と​し​て​も,エホバ​は​責め​たり​し​ませ​ん。

ってあるけど、めちゃめちゃ責められてるよね?!
なんか神が自分の力の偉大さを滔々と説いてるところなんか、頑固親父が子供に「そんなことを言うなら、家を出て自分で働いて稼いで生活しなさい!」って無理難題ふっかけてるシーンとあんまり変わらないように見えました。

だからヨブ記は好きじゃありませんね。
今回の記事で、ヨブ記とエホバがまた少し嫌いになりました。

今週は以上です。


梅。
やっと咲き始めました。


さて今週の記事についてです。
主題は「あなた​は​大切​な​人​です」でした。

いや、キリスト教の話としては、この主題はふさわしいと思うんですが、JWが普段言ってることとは結構乖離してるんですよねぇ。

そもそもこの組織は!
生まれたばかりの赤ちゃん捕まえて「神の小さな敵」とか言ってる、ねじくれ曲がった教理を持ってるじゃないですか!
「不完全な死すべき人間」とか言うし。

それで「あなた​は​大切​な​人​です」とか言われても、なんにも信用できませんよ。


では突っ込みです。
まあ、上に書いたことに終始するんですけどね。
まず1節。
エホバ​に​仕える​人​たち​は​みんな,エホバ​に​とっ​て​とても​大切​な​存在​です。でも​中​に​は,自分​なんか​駄目​だ​と​いう​気持ち​に​悩まさ​れ​て​いる​人​も​い​ます。過去​に​ひどい​扱い​を​受け​たり,十分​に​愛情​を​注い​で​もらえ​なかっ​たり​し​た​せい​か​も​しれ​ませ​ん。

確かに「自分​なんか​駄目​だ​と​いう​気持ち​に​悩まさ​れ​て​いる」人はいるでしょう。
でも、その理由は「過去​に​ひどい​扱い​を​受け​たり,十分​に​愛情​を​注い​で​もらえ​なかっ​たり​し​た​せい​」なんかじゃなくて、上に書いたように、所属している宗教が、「不完全な人間は死ぬべき存在」だの、赤ちゃんですら「罪を受け継いでいるから神の敵」だの教えてるからなんじゃないですかね?

そりゃ生まれたばかりの赤ちゃんが神の敵なら、垢まみれの大人の自分なんかゴミ以下に感じるわなぁ。

あと!
出だしの「エホバ​に​仕える​人​たち​は​みんな」って言葉もいらないと思うんですよ。
ローマ5:8には「わたしたち​が​まだ​罪人​で​あっ​た​間​に​キリスト​が​わたしたち​の​ため​に​死ん​で​くださっ​た​こと​に​おい​て,ご自身​の​愛​を​わたしたち​に​示し​て​おら​れる​の​です」ってあるじゃないですか。
ってことは、エホバに仕えてなくても、大切な存在なんですよ。
それを、こういう書き方するから、しかも「ベストを尽くして」とかしょっちゅう書くから、信者が「十分仕えられてない自分は愛されないんじゃ?」とか感じるんじゃないですかね?


次、4節。
イエス​は​どんな​人​に​も,思いやり​深く​敬意​の​こもっ​た​接し方​を​し​まし​た。

そうなんですよ。イエスは思いやり深かったんです。
でも、この組織は違います!
なんせ「神の小さな敵」発言ですからね。
イエスに聞かせたいですよ。
子供をイエスの元に行かせないようにした弟子たちにブチ切れたぐらいですから、レットなんか助走つけて殴られるレベルですよ、きっと。


で、さらに4節。
イエス​が,社会​で​は​目立た​なく​て​も​イエス​から​ぜひ​学び​たい​と​思う​人​たち​を​大切​に​し​た,と​いう​こと​を​考え​て​ください。

これも上と同じ。
「イエス​から​ぜひ​学び​たい​と​思う​人​たちを」なんて条件はないんですよ。
10人らい病の人が治されましたが、お礼を言いに帰って来たのは1人だけでした。でも他の人もちゃんと治されました。
なんでこうやって、神やイエスの愛を狭めよう狭めようとするんですかね?


次。ちょっと飛びますが15節。
あなた​の​こと​を​大切​な​人​と​思っ​て​い​ます。あなた​が​正しい​こと​を​愛し,エホバ​に​誠実​に​仕え​て​いる​から​です。

これもです。
「あなた​が​正しい​こと​を​愛し,エホバ​に​誠実​に​仕え​て​いる​から​です。」なんて条件要ります?
神は世を深く愛した、という小福音書とも呼ばれるらしいヨハネ3:16の「世」は、「正しい​こと​を​愛し,エホバ​に​誠実​に​仕え​て​いる」人だけですか?
違うでしょ?
なんで、神に「大切な人」と思ってもらえる条件をカルト宗教ごときが勝手に決めるのか不思議でなりませんね。


あ、カルトだからか。


次、戻って14節。
世​の​中​の​人​が​自分​を​どう​見​て​いる​か​で​は​なく,エホバ​が​自分​を​どう​見​て​いる​か​を​大切​に​し​ましょ​う。

「エホバ​が​自分​を​どう​見​て​いる​か」って考えた時に、赤ちゃんすら「小さな敵」って見てるって言われたら、もう立ち直れないよね。
まだ、「世​の​中​の​人​が​自分​を​どう​見​て​いる​か」の方がマシなんじゃないの?世の中の人はそうそう、赤ちゃんを見て「コイツは小さいけど敵!」とか思ってないでしょうから。


ってことで、結論としては、「あなた​は​大切​な​人​です」なんて大層な主題でしたが、何のことはない、JWが今回の主題に反した歪んだ見方を植え付けてるから、信者が「自分​なんか​駄目​だ​と​いう​気持ち​に​悩まされ」るってことですね。


最後。今までの流れと関係ないけど気になった所。
長老​たち​の​温かい​サポート​も​あり,エリアナ​姉妹​は​エホバ​から​愛さ​れ​て​いる​こと​が​分かる​よう​に​なっ​て​き​まし​た。今​で​は​開拓​奉仕​や​ベテル​の​リモート​・​ボランティア​の​奉仕​を​楽しん​で​い​ます。

これさあ!
前半と後半、全く関係ないよね!
いや、長老の努力で神の愛を実感できるようになったのであれば、それはそれで良いことです。
でも!
それと「開拓奉仕」だの「ベテルのリモート・ボランティア」だの全く関係ないよね!!

長年勉強していたこともあり、エリアナ​姉妹​は​宅建の資格を取得でき​まし​た。今では時々駅前の二郎でラーメンを楽しんでいます。
って言われたら「はあ?」ってなりますよね。
でも、それと同じくらい関係ないことを、さも関係あるように書いてると思いました。

今週は以上です。
水仙


この時期は毎年撮影してますね。
この花を見ると、三浦の城ヶ島に行きたくなります。

さて今週の記事について。
加齢に介護と来て、今週は「イエス​は​思いやり​深い​大​祭司」と、全くつながってない記事でした。

意外なことに前半は悪くありませんでした。
1節の
エホバ​は​イエス​が​人間​と​し​て​生きる​こと​に​は​大きな​意味​が​ある​と​思っ​て​い​まし​た。イエス​は​その​経験​を​通し​て,人​の​気持ち​が​よく​分かる​思いやり​深い​大​祭司​に​なる​こと​が​できる​から​です。

これも、なんか上から目線な感じはしますが、聖書の通りですし。
9節の
イエス​は​同情​心​に​あふれ​て​い​て,いつも​私たち​の​こと​を​深く​思いやっ​て​くれ​ます。
病気​や​障害​を​抱え​て​いる​人​や,大きな​過ち​を​犯し​た​人​を​避ける​よう​な​こと​は​絶対​に​し​ませ​ん​でし​た。むしろ​優しく​愛​の​こもっ​た​接し方​を​し,自分​は​大切​に​され​て​いる​と​感じ​られる​よう​に​し​まし​た。イエス​は​私たち​の​こと​も​同じ​よう​に​思いやっ​て​くれ​ます。

なんかは、沢山の人がイエスのことを好きになっている理由の本質だと思いました。



問題は適用なんですよねぇ。
じゃあその辺に突っ込みますね。
10節。その思いやり深いイエスにどう倣えるかってことなんですけど。
私たち​も​イエス​の​愛​や​思いやり​に​倣い​たい​と​思っ​て​い​ます。目​や​耳​が​不​自由​な​人​を​癒やし​て​あげる​こと​は​でき​ませ​ん​が,エホバ​に​つい​て​教え,信仰​を​強め​られる​よう​に​助ける​こと​は​でき​ます。

唐突に「目や​耳​が​不​自由​な​人​」に言及してるのもよく分かりませんが、思いやり深いイエスに倣って示す思いやりが、よりによって「エホバ​に​つい​て​教え,信仰​を​強め​られる​よう​に​助ける」こと。

その前に、もっと違う思いやりの示し方があるんじゃないの?

いや、イエスはいいんですよ。そもそもそのために地上に来たんですから。
それに、心からの思いやりを示した上で、神について伝えてるわけですから。

それをそのまま現代に適用して、「思いやりを示す」→「エホバについて伝えること!」って直結させるのはおかしいと思います。


同じことですが11節。
エホバ​の​証人​は,いろんな​背景​の​人​が​エホバ​と​親しく​なれる​よう​に​ベスト​を​尽くし​て​い​ます。

そんな偏ったことじゃなくて、もっと簡単なこと、実際的なこと、相手が必要としていることで、思いやりを示せないんですかねぇ。

だいたい「ベストを尽くしています」とか、堂々とぬかしてやがりますが、終わりの時期についても、細々とした規則についても、さんざんエホバの名のもとに誤導してますからね。

よくもまあずうずうしく、胸を張れますね。

というか、終わりの時期を間違い、様々な解釈を間違いと繰り返してますから、もはやこの翻訳活動ぐらいしか、他の宗教と差別化して誇れる部分がないんでしょうね。


だからそれに固執して、ここぞとばかりに「自分たちが正しい」とアピっているのでしょう。
やだやだ。


次、13節。
イエス​は​いつも​あなた​の​こと​を​見​て​い​て,どんな​大変​な​経験​を​し​て​いる​か,その​せい​で​どんな​気持ち​に​なっ​て​いる​か​を​全部​分かっ​て​くれ​ます。ただ​見​て​いる​だけ​で​は​なく,思いやり​深く​助け​の​手​を​差し伸べ​て​くれ​ます。あなた​が​弱っ​て​いる​時,聖​なる​力​を​与え​て​強く​し​て​くれ​ます。また,「人々​と​いう​贈り物」つまり​長老​たち​と​仲間​を​通し​て,あなた​を​励まし,支え,元気づけ​て​くれ​ます。

これもさあ。
前半はいいんだよ、前半は!
イエスが全部分かってくれてる。
聖霊で助けてくれる。
心強いじゃないですか。

問題は後半。

聖霊は助けになるかもしれませんが、「長老たち」って役に立ってない人のが多いからね。
もちろん中には謙遜な長老もいますがまれです。
むしろ、害にしかなってない長老も山程います。

そんなのをイエスが用いてるとか、イエスに対する冒涜ですよ!
イエスが「傷つい​た​アシ​を​折ら​ず」なのに、長老のなかには、「棍棒を振り回してアシを折り、あまつさえ踏みつける」みたいな連中がいますからね。
思い上がりも甚だしいです。


最後。15節。
優しい​大​祭司​イエス​は,生き方​を​改め​た​人​が​会衆​に​戻っ​て​くる​の​を​見​て,どれ​ほど​うれしく​思っ​て​いる​こと​でしょ​う。

これもさっきと似てて、イエスの見方とこの組織の見方が全然違うってことです。
イエスは会衆に戻ってくる人を見てうれしく思ってくださいます。
まさに、放蕩息子が帰ってくるのをみた父親が、迎えに走り出てくるような気持ちなのでしょう。

でも!

JWは!

全く違います!!!

各会衆によって違いますが、下手すっと会衆の誰にも口も聞いてもらえない、ハブりんちょされた状態で1年も集会に休まず出席しないと、復帰が認められなかったりします。(今はもう少し緩和されてるかもしれません。知らんけど)

言わば、帰ってこようとしている放蕩息子を妨害して、マンガに出てくる悪役のように「本気で帰りたいと思ってたら、このぐらいやるよなあ?」と無理難題ふっかけてるようなもんです。

どこがイエスに倣ってるのよ?

イエスに倣いましょうって記事書くんなら、まず組織がイエスの態度に見習え。
そう言いたいです。

今週は以上です。
サザンカ



椿にも見えますが、下に花びらが散らばってたのでたぶんサザンカ。
しかしグーグル先生は優秀ですね。レンズったらちゃんと山茶花って出ました。どこで見分けてるんですかね?

さて今週の記事についてです。
先週は加齢についてですが今週は介護についてでした。
なんか重ーい記事が続きますね。

介護に携わっている人は本当に大変だと思います。なんか記事ではもっともらしくいろいろ提案されてましたが、外野があれこれ言っていい問題ではないように感じます。

まず6節を引用しますね。介護がどれだけ大変かが、経験から書かれていました。
一息​つく​間​も​ない​と​感じ​て​いる​人​も​い​ます。イネス​姉妹​が​そう​です。こう​言っ​て​い​ます。「十分​な​睡眠​が​取れ​ませ​ん。夜​は​2​時間​ごと​に​起き​て,母​の​世話​を​し​ない​と​いけ​ない​と​いう​こと​も​しょっちゅう​です。私たち​夫婦​は​何​年​も,まとまっ​た​休み​を​取れ​て​い​ませ​ん」。

これですよ。
これを見ちゃうと、組織の提案がどれも上っ面で、軽薄な物に思えちゃいます。
いや、栄養とか睡眠、運動も大切なのは正しいでしょう。
でも上の引用に書かれてる状態の人にそんなこと言えますか?
言ったとして、それで何か解決しますか?

じゃあ、記事内のトンチンカンな提案に突っ込んでいきます。
出てくる提案を、上の経験の人の立場に立って、もう何年もまともな休みが取れていない、毎日2時間ごとに起きて親の世話をしていると思って、受け入れられるかどうか考えてみてください。

4節。
心​に​喜び​が​あっ​て​明るい​気持ち​で​いれ​ば,介護​を​続け​やすく​なり​ます。そういう​喜び​が​ある​人​は,どんな​状況​で​も​幸せ​で​いら​れ​ます。

「どんな​状況​で​も​幸せ​で​いら​れ​ます」だってさ。
これ馬鹿にしてるよね?!
休めてない。寝れてない。
そんな状況なのに、「幸せでいられます」だって。
「じゃあお前がやってみろよ。」って言いたくなりますよね、おそらく。

なんか、正論かもしれませんが、とんでもなく無責任な提案に感じました。


次。11節。
「より​重要​な​こと」を​する​ため​に​は,ほか​の​こと​を​後回し​に​し​なけれ​ば​いけ​ませ​ん。より​重要​な​こと​の​1​つ​は,エホバ​と​の​絆​を​強める​こと​です。

いいの?外野がこんなこと言って。
これ、母親の介護を後回しにして、エホバとの絆を強めろって言ってるんだよ。
たった2時間、目を離すこともできないのに、それを後回しにしろとかよく言えるよね!


次。15節。
介護​は​永遠​に​続く​わけ​で​は​あり​ませ​ん。その​こと​を​忘れ​ない​よう​に​し​ましょ​う。

あのさあ?
介護してる人は今日の睡眠時間を必要としてるんですよ。その人に「あと何年かしたら開放されますよ」って言って何の役に立つっていうんですか?
永遠に続かないことなんて誰だって知ってますよ!

だいたいさあ?
この組織は「終わりがすぐそこだから、介護が必要になる時なんか来ない」ってことをずーーーーーーーっと言い続けてたんですよ?
会衆にもよるでしょうが、「将来介護が必要になったら」なんて仮定を話したら、「信仰かない!」ってどやされるような組織なんですよ、JWは!

なにを今更、超上から目線で「介護​は​永遠​に​続く​わけ​で​は​あり​ませ​ん。その​こと​を​忘れ​ない​よう​に​し​ましょ​う。」とか言ってんですかね?
その前に間違ってたことを認めて謝れ。


最後、17節。
介護​を​受け​て​いる​人​が​家​から​出​られ​ない​場合,その​人​の​家​に​行っ​て,集会​を​一緒​に​オンライン​で​視聴​でき​ます。そうすれば,介護​し​て​いる​人​が​集会​に​じかに​出席​でき​ます。

トンチンカン過ぎません?
介護している人を手伝ってあげるのは良いことだと思いますよ。もちろん「可能なら」って前提がつきますけど。
でもよりによってその手伝いが、「集会​を​一緒​に​オンライン​で​視聴​」とか馬鹿なの?
挙句、その目的も「そうすれば,介護​し​て​いる​人​が​集会​に​じかに​出席​でき​ます。」だって。

寝かせてやれよ!
休めないし寝れないんだよ、介護してる人は。


結局、ほとんどの提案が役に立たない、苦しんでる人を余計に苦しめるような、価値のない記事でした。

今週は以上です。
遅くなってすみませんでした。
ロウバイ


また宝登山行きたいなぁ。

では、今週の記事について。
主題は「明るい​気持ち​で​年​を​重ねる​に​は」でした。

「年を重ねる」!

あんまり直視したくない内容ですね。

いや、さすがにアラフィフともなると、年齢を感じざるを得なくなりますんでね。

身体が硬くなるとか、老眼とかね。
記事には白髪について出てましたが、白髪なんかあんまり気にならないです。若白髪の人もいますし。
問題は耳に毛が生えてくるとかね。(イヤー)
眉毛の端に、なんか長い毛があるとかね。
50肩は幸いまだ未体験ですけど、ゴキブリに肩を外されたりね。

子供の学校で転んでズボン破いた次の週に、通勤中に転んでワイシャツ破いた時は、加齢による衰えを実感せざるを得ませんでしたね。すげーよ、尻もちで尻に青痣できたからね。



それにしてもおかしいですよね。

この組織の話では、私が大学なんか行く年齢になる前に終わりが来ているはずだったんですからね。

今やアラフィフですよアラフィフ。

まさか子供が大学行くことになるとは。

間違えた責任をどう取るつもりなんですかね?

まあ、責任なんか取るつもりが毛頭無いことは分かってますけど。

今週の記事への突っ込みも結局それがほとんどです。
こんなにこの体制が続くはずじゃあなかったんですよ!

ほんじゃ突っ込みますね。
7節。
もしか​する​と,自分​の​生き​て​いる​うち​に​終わり​は​来​ない​か​も​しれ​ない​と​思っ​て​悲しく​なる​か​も​しれ​ませ​ん。

これは完全に組織が原因です。

自信満々に「現存する万民は決して死することなし!」とか言い切って、めっちゃ期待させといて、終わりが来なかったら完全にスルー。
あの時の成員で生きてる人がもうほとんどいないというコント。

なーにが「悲しく​なる​か​も​しれ​ませ​ん」だよ。
悲しみをもたらしてるのは、間違った期待をさせたお前らだよ!

そして同じ7節の続く部分。
そんな​時,思い出し​たい​こと​が​あり​ます。エホバ​も​今​の​悪い​世界​を​終わらせる​時​を​辛抱強く​待っ​て​いる​と​いう​こと​です。

あのさあ。
エホバにとっては千年が1日なんでしょ?
大して待ってないって。

それに対して組織の口車に乗せられた人が気の毒ですよ。

エホバがほんの1時間辛抱してる間に、人生半分終わっちゃうからね。
そんなのを同じものとして比較してんじゃねーよ。
さらに言うと、エホバが待てば待つほど、救われるとされているはずのJWの対人口比率がどんどん下がるという事実。

つまりは滅ぼされる人の割合がぐんぐん増えてる。


なんで組織は間違いを認めないんでしょうねぇ。


次。10節。
ベテル​で​高齢​者​の​介護​を​し​て​いる​リア​姉妹​は​こう​言い​ます。

もうこんな時代なんですね。
まさかベテルが、JWに人生費やしたために生き場をなくした人の、特養施設になるとは。
印刷でも翻訳でもエホバのために働くぜ!と意気揚々とやって来たベテラーの仕事がまさかの介護。

やりきれないっすね。w

16節も同じ点。高齢の人をどうサポートできるかって箇所。
病院​に​一緒​に​行っ​て​あげる。

普通なら子供とかが一緒に行けるのに、組織の口車に乗って子供もなく奉仕に打ち込んじゃったり、組織に言われるまま組織を離れた子供と疎遠になっちゃったりしたせいで、もう組織内の若者に頼るしかない。
その若者()も超少子高齢化で50代だったりする。

やりきれないっすね。www


次。13節。高齢者が明るい気持ちでいられるためにできること。
今​の​状況​は​一時​的​だ​と​自分​に​言い聞かせる。聖書​に​よる​と,年​を​取る​こと​も​病気​に​なる​こと​も​やがて​なくなり​ます。

だから、これがそもそもの元凶なんだって!

「終わりがすぐそこ!」とか言われなかったら、普通の生活を計画しながら、無理せず神への奉仕を行えて、普通に年を重ねられてたのに、変な煽り方したから、大勢の信者が行き詰まっちゃった。


それなのにまだ、「決して手に入ることのない希望」をちらつかせるとかとんでもなく悪質ですよ。



最後。2節。
エホバ​の​目​に​映っ​て​いる​の​は,兄弟​姉妹​の​白髪​で​は​なく​美しい​内面​です。長年​忍耐​し,ひたむき​に​エホバ​を​愛し​て​エホバ​に​仕え​て​き​た​姿​です。

言うほど美しい内面の成員ばかりじゃないですね。
誠実な成員もいるにはいますが、9節の「周り​の​人​に​助け​て​もらえ​ば,その​人​たち​は​与える​喜び​を​味わえ​ます」みたいな言葉を盾に、人から助けてもらうことしか考えてないザ・老害みたいなのも多くいますね。

老害化する前に終わりが来ていれば良かったんですけどね()。

今週は以上です。

前にも書きましたが、年度末まで結構忙しいのでどこまでアップできるか分かりませんが、よろしくお願いします。
メリークリスマス。

過ぎちゃったけど。


で、菊。

菊も種類が多すぎて、全く分かりません。
ググると「ポンポングリーンマム」って出てきますが、そもそも「マム」が菊らしいので、やっぱり私の中では「菊」ですね。
なんか、菊は日本の国花らしいですね。全然知りませんでした。

さて、今週の記事について。

といっても年末で時間がないのでざっくり突っ込んで終わりにします。

初っ端。1節。
いつも​同じ​よう​な​祈り​を​し​て​いる,と​思う​こと​が​あり​ます​か。自分​の​祈り​は​表面​的​で​型​に​はまっ​て​いる​と​感じ​ます​か。誰​も​が​そう​思っ​た​こと​が​ある​はず​です。

これさあ、組織の誘導でそうなってるんじゃない?
集会行くと、イエスの祈りの模範を丁寧に丁寧に、ていねーいになぞった祈りを全文詠唱で必ずやるじゃん?
交わりの時もそうでしょ?あんまり覚えてないけど。

毎日毎日毎食毎食の祈りごとにそんなことやってるから、「いつも​同じ​よう​な​祈り​」になるんじゃないの?
そりゃ何度も全文詠唱で祈ってりゃ、決まったパターンを作って、オプションでその状況に合わせたのを足すだけの祈りになるって。
で、「表面​的​で​型​に​はまっ​て​いる」祈りが完成するんでしょう、きっと。
そりゃ組織がそう指導してりゃ「誰​も​が​そう​思っ​た​こと​が​ある​はず​です」ってなるわなぁ。

祈りなんて、もっとずっと自由に祈っていいんじゃないの?
で、自由に祈るから、何かあった時に自分の心をさらけ出せるんじゃないかなぁと。
そんなふうに思いました。

もちろん全文詠唱も悪くないんですけど、毎回毎回そうじゃなくてもいいんじゃないでしょうかね?
なんなら集会の祈りも、イエスの祈りの内容をいくつか、その時その時の気分で入れるだけでもいいんじゃないでしょうかね?


で次、8節。「どんな​こと​を​話す​か​考える。」という見出しの節から。
イエス​が​教え​た​祈り​に​沿っ​て,エホバ​の​お名前​と​王国,エホバ​の​望ん​で​いる​こと​に​つい​て​どんな​こと​を​祈れる​か​を​考え​て​み​ましょ​う。

うん。
反対はしないけど、これにとらわれ過ぎてる気がするんですよねぇ。
せっかく「どんな​こと​を​話す​か​考える。」っていうなら、どうせなら同じ節の前半にある
今​どんな​こと​が​特に​気掛かり​だろ​う​か。許さ​ない​と​いけ​ない​人​が​誰か​いる​だろ​う​か。
みたいなことだけ考えて祈ればいいんじゃないですかね?


次、9節。経験から。
夫​が​末期​の​脳​腫瘍​だ​と​知っ​た​時,祈る​の​が​難しく​なり​まし​た。こう​言っ​て​い​ます。「とても​ショック​で,何​と​祈っ​たら​いい​か​分かり​ませ​ん​でし​た」。姉妹​は​どう​し​た​でしょ​う​か。「祈る​前​に​時間​を​取っ​て​頭​の​中​を​整理​する​よう​に​し​まし​た。そう​し​た​の​で,自分​の​こと​や​夫​の​病気​の​こと​ばかり​祈ら​ず​に​済み​まし​た。冷静​に​なっ​て​穏やか​な​気持ち​で​祈れる​よう​に​なり​まし​た」。

これは納得できない。
末期の脳腫瘍だよ?
取り乱して当たり前でしょう。
「何​と​祈っ​たら​いい​か​分かり​ませ​ん」ってなるのが正常だと思いますよ。
それを「祈る​前​に​時間​を​取っ​て​頭​の​中​を​整理​する​よう​に」したから「自分​の​こと​や​夫​の​病気​の​こと​ばかり​祈ら​ず​に​済み​まし​た」だってさ。

こんなことする必要あるか?

自分が苦しいときくらい、自分や家族のことだけ祈っても神は喜ばれるんじゃないですかね。
最近「お父さんエホバ」って表現がよく出てきますが、「お父さん」なら、子供が苦しいことを訴えて来ている時に、「ちゃんと王国の到来と、罪の許しについても祈りなさい」とか言わねーだろ絶対。


じゃあ次。祈りの効用について続けて3カ所から。
13節。
どんな​悩み​が​あっ​て,どんな​気持ち​に​なっ​て​いる​か​を​全部​エホバ​に​伝え​られ​ます。その​よう​に​し​て「重荷​を​エホバ​に​委ね」る​なら,きっと​心​が​軽く​なる​でしょ​う。
14節。
たとえ​問題​が​続い​て​いる​と​し​て​も,エホバ​が​これ​まで​どんな​ふう​に​支え​て​くれ​た​か​を​考える​と,前向き​な​気持ち​で​頑張っ​て​いけ​ます。
16節。
私たち​も​祈っ​て​気持ち​を​全て​エホバ​に​伝える​なら,考え​が​整理​さ​れ,バランス​を​取り戻し,頑張り​続ける​力​が​湧い​て​き​ます。

この部分なんですけど、なんかどれも「気の持ちよう」って言われたらそれまでですよね。
「心が​軽く​なる」とか「前向き​な​気持ち」とか「力​が​湧い​て​き​ます」とか。
いや、心の安定も必要ですけど、もう少しこう、実際的な益も期待したいと思いました。
まあ、問題を神に委ねて安心できるというのは、キリスト教的には正しいことなのかもしれませんけど。


次。見解が変わったように感じた18節。
気持ち​を​うまく​言葉​に​でき​ない​時,エホバ​は​聖書​に​記録​さ​れ​て​いる​祈り​を​私たち​の​祈り​と​見​て,その​祈り​に​応え​て​くれ​ます。

そんな適用でしたっけ?!
「うまく​言葉​に​でき​ない​時」でも、神は言葉にできない心の叫びを聞いて助けてくださる、って意味だと思ってました。
いつから「聖書​に​記録​さ​れ​て​いる​祈り」に限定されちゃったの?
そもそも、なんで全然関係ない聖書筆者の祈りなんかを、勝手に俺様ちゃんの祈りの代弁扱いにしてんの?
ぜってーおかしいだろ。意味分かんね。

今回の記事で一番納得できない箇所でした。


最後。脚注から。
会衆​を​代表​し​て​祈る​時​は​短め​に​祈っ​た​方​が​よい​でしょ​う。

これ全っ然守られてないよね!
大会の最後の祈りとパリサイ人の房べりは、長ければ長いほど模範的、みたいにめっちゃ長かったよね!
私なんか、長すぎて歌のあとなのに寝かけてたよ!

もっと徹底して、祈りを短くしてもらいたかったですね。ぜひ45秒過ぎたらベル鳴らすとかしてください。

今週は以上です。
なんかざっくりのつもりが、いつも通り長くなっちゃいました。

それでは皆さん良いお年を。
コスモース。



先週のエンジェルトランペットと同じ日に撮影。
もう3週間ぐらい経っちゃいましたが、結構寒くなるまで咲いてるんですね。

では今週の記事について。
内容は「喜び」とか「幸福」についてですから、まあ「幸せになるために何ができるか」ってことですよね。
本当なら、興味深い記事になりそうなんですが、やはりダメでした。

どこがダメかというと、まず根拠もなく一般の人を偏見で見ているところ。
そして、ちゃんと「幸せになるために何ができるか」の答えを出していないところ。

ほんじゃあその辺に突っ込みますね。

まず1節から。
今​は「終わり​の​時代」な​の​で,誰​も​が「困難」に​ぶつかっ​たり,気持ち​が​落ち込ん​だり​する​こと​が​あり​ます。

これ。
勝手に「終わり​の​時代」のせいにしてますけど、逆に今までに『誰​も​が「困難」に​ぶつかっ​たり,気持ち​が​落ち込ん​だり』しない時代があったとでもいうんでしょうか。
たぶんソロモンの治世中でも、誰もが「困難」に​ぶつかっ​たり,気持ち​が​落ち込ん​だりしてたと思いますよ。


次、9節。
今​の​世​の​中​に​は,自分​の​願い​が​全て​かなわ​ない​と​幸せ​に​は​なれ​ない,と​いう​考え​が​広まっ​て​い​ます。

根拠なーし!
広まってるってどの程度ですかね?
こうやって世の中の人達に勝手にレッテル貼って、見下すように仕向けてるんですよね。全くやり方がいやらしいです。


で、同様なのが14節。
SNS​で​は,自分​の​好き​な​こと​を​好き​な​だけ​すれ​ば​幸せ​に​なり,満足​できる,と​いう​考え方​が​広まっ​て​い​ます。

これも根拠なーし!!
どのSNSでその考え方が広まってて、どの割合の人がその考え方に染まってるのか、なーんにも情報がありません。
証拠を出せ証拠を。
統計を出せ統計を。
根拠もなく人の考え方を決めつけ、それを元に見下すのが、イエスに従う人達のすることだとはとても思えません。


では次に、ちゃんと「幸せになるために何ができるか」の答えを出していないところ。
まあ全体なんですが、特に7節。
私たち​も​エホバ​と​親しく​なる​なら​本当​の​幸せ​を​味わえ​ます。エホバ​に​つい​て​学ん​で​エホバ​と​一緒​に​時間​を​過ごせ​ば​過ごす​ほど,そして​エホバ​に​倣え​ば​倣う​ほど,幸せ​が​大きく​なっ​て​いき​ます。また,エホバ​の​望む​こと​を​行っ​て​エホバ​から​喜ば​れ​て​いる​こと​を​実感​する​と,幸せ​を​味わえ​ます。

これ。
本来なら、幸せになるために具体的に何をすればいいのかと、なぜそれで幸せになれるのかの説明がセットで扱われる必要があります。
ここでは、それをぜーーーーーんぶ放棄して、水戸黄門の印籠のように「エホバ」出して、解決したことにしてます。

極論言えば、「エホバ​に​倣え​ば​倣う​ほど,幸せ​が​大きく​なっ​て​いき​ます」っていうなら、エホバにならって邪悪な人を滅ぼしたら幸せ♥になるってことになります。


そんな権威はありませんし、絶対幸せになんかなれません。

具体的な例も大して出さずに、「エホバ​と​親しく​なる」だの、「エホバ​と​一緒​に​時間​を​過ごせ​ば​過ごす​ほど」だの、煙に巻いて誤魔化してます。
これじゃあ当てはめようがありません。
こんなんだから、JWに幸せな人がほとんどいないんですよ。


次。適用が馬鹿らしい16節。
イエス​は「受ける​より​与える​方​が​幸福​で​ある」と​教え​まし​た。長老​の​アレコス​兄弟​は​こう​言っ​て​い​ます。「ちょっと​し​た​親切​を​する​よう​に​し​て​い​ます。人​の​ため​に​何​か​を​すれ​ば​する​ほど,自分​の​こと​に​目​が​行か​なく​なっ​て,幸せ​に​なれ​ます」。

「与えること」の価値は認めます。
「ちょっと​し​た​親切」も良いでしょう。
でも、「幸せ」になる理由は、「自分​の​こと​に​目​が​行か​なく​なっ​て」ではないでしょう。
個人的には、人からの感謝や、感謝されなかったとしても「自分が誰かの役に立っている」とか「自分が愛を示している」という実感が、心の奥の自尊心を満たして、幸せになるのだと思っています。


最後。繰り返しになりますがまとめの17節。
私たち​は,お父さん​エホバ​と​親しく​なれ​ば​なる​ほど​幸せ​に​なれ​ます。

結論すらこれですよ。

「エホバ​と​親しく​」なるとはどういうことなのか、何をする必要があるのか、そしてなぜそれで幸せになるのかに、ほっとんど触れずにこんなことを書いても何の役にも立ちません。
というわけで、結局この記事も価値がありません。

今週は以上です。

エンジェルトランペット。




こんな季節に咲くんですね。
なんでも全体に毒があるらしいです。
間違えて食べると、天使のラッパが聞こえることになるからエンジェルトランペットなんですかね?


さて今週の記事についてです。

なんていうか…

うんざりする記事でした。

だってさあ!
そもそも他人のことを「正しい​態度​を​持つ​人」とか評価してる段階でかなり失礼でしょ!
「聞かない奴は正しい態度がない!」って言ってるのとおんなじだからね。

それでいて、相手を気遣っているかのような、小手先のテクニックとか、現実を誤魔化してさも魅力的であるかのように見せかけたものばかり羅列されてる。
「神権宣教学校()」では、相手のことを真剣に考えるから熱意も出るし、相手も聞く気になるってなことを教わった覚えがありますが、その辺はもうなくなっちゃったんですかね。

んじゃ、まずはその小手先のテクニックに突っ込みますね。
まず6節から。

レッスン​を​上手​に​始め​て​いる​兄弟​姉妹​に​よる​と,地域​に​よっ​て​は​聖書​レッスン​を​勧める​時,「研究」と​か「講座」と​か「教え​て​あげる」と​いう​言い方​を​し​ない​方​が​よい​よう​です。

この組織は結構言い回しにこだわりますよね。
昔は「み使い」一択で、「天使」なんて言おうもんならバビロン呼ばわりされたもんですけど、今じゃ「天使」一択で、「み使い」なんて言うのは私みたいな頭の固い懐古厨ぐらいじゃないでしょうか。
この「レッスン」もそうです。
昔は「家庭聖書研究」でしたよね。
私なんか今でも「レッスン」という呼び方に抵抗があるんですけど、その言い回しを変更して家の人への抵抗を少なくすることが目的みたいです。
そのために、過去の呼び方を全否定してますからね。
全くもってバカバカしいです。

レッスンゴレライ。
(古っ!)


さて次。
誤魔化して魅力的であるかのように見せかけてる箇所。8節。集会についての説明から。
議論​を​戦わせる​こと​も​あり​ませ​ん。

これは実際その通りなんだけどさあ。
むしろ信者それぞれに、個人の見方はあるんだし、聖書なんて解釈が分からないことだらけなんだから、議論をするぐらいが健全なんじゃないの?
上意下達ばかりで、組織の意見を確認するだけの作業のどこが研究なのよ?
自分の意見なんか言おうもんなら、下手すりゃ第二会場に呼び出されて助言受けるんですよ?
で、従わなければ追い出されるんですよ?
そりゃ議論なんかできませんよ。


次。同様に誤魔化して組織を美化してる箇所。9節。
子供​向け​の​特別​な​クラス​が​ある​わけ​で​は​なく,親子​で​一緒​に​座っ​て​学べ​ます。

「親子​で​一緒​に​座っ​て​学」ぶって、子供にとっては苦痛でしかないんですよ。
意味の分からない話を、何時間もじっと座って聞かされるんですよ?
しかも足をぶらぶらしたりすると、トイレに連れてかれてガスホースで生尻を血がにじむまでひっぱたかれる。
最近久しぶりに「たもさん」の「カルト宗教信じてました」を読んだんですけどマジヤバかったですよね。
こんなの子供向けのクラスがある方が絶対いいって!

そういえば何年か前に近所の教会のクリスマスイベントに行ったことがありますが、そこは子供のための部屋が有って、その部屋では子供が自由に過ごせてました。(今年もクリスマスイベントへのお誘いをいただきましたが、もう行かないかな)

逆にJWなんか、第二会場でも子供が声をあげようもんなら、話が終わったばかりの巡回監督がやって来て「うるさい!」とか言ってくるからね。
小さな子供がうるさいのは当たり前だろ、馬鹿かてめーは。


次。同じく9節。
高級​な​服​を​着​て​くる​必要​は​ない,と​いう​こと​も​伝え​て​あげ​られ​ます。神​に​とっ​て​大事​な​の​は​外見​より​も​心​の​中​だ​から​です。

これも完全に建前ですよね。
実際には、タイトパンツはだめとか、演題上がるなら背広必須とか、スカートはスリット不可とか、座った時に膝が見えたら丈が短いとか、外見にめちゃめちゃこだわってます。
ある兄弟なんか髪の毛伸ばしてたら「ふさわしくない」とか言われたんで、思い切って高校球児みたいな髪型にしたら今度は「短過ぎる」って助言受けてましたからね。
とうしろっていうんだ。


さて最後。まとめ。3節。
伝道​で​興味​を​持っ​て​話​を​聞い​て​くれる​人​に​会っ​たら,その​人​が​永遠​の​命​に​つながる​道​を​歩き​始め​られる​よう,すぐ​に​助け​ましょ​う。

ここからして建前なんですよね。
「永遠​の​命​に​つながる​道」なんてものは集団妄想でしかなく、その約束は空手形で、決して支払われることはありません。
それでいて、時間も金銭も体力も持っていかれます。
2節でも「できる​だけ​早く​キリスト​の​弟子​に​なれる​よう​に​助け​たい​と​思う​はず​です。」なんてありましたが、実際は「キリスト​の​弟子​」ではなく、組織が成長するための養分にしてるだけです。

人を救うつもりで、一緒に穴に落ち込む巻き添えを増やしているわけです。

考えてみりゃとんでもないことですね。

一人でも多くの人が気付いて脱出してほしいですね。

今週は以上です。

撮ったどー。



皇帝ダリア。

寒くなってきた季節の癒しですね。

紅葉も綺麗ないい季節です。(ちょっと寒いけど)



さて、今週の記事についてです。

主題は「人​を​心​から​敬う​に​は」でした。


いや、人を敬うのは良いことですから、全く反対しませんよ。

まあ、この組織の敬意なんてのは実際は絵に描いた餅で、全く実践できてないのは嘆かわしいところですが。

そもそも、組織外の人のことを「未信者」って言うだけでも失礼なのに、「(サタンの)世の人」とか言って完全に見下してますからね。

他の宗教の人に至っては「大いなるバビロン」呼ばわりしてる。

これで、敬意を示せったって無理に決まってますよ。


良かったと感じたのは4節の

大事​な​の​は,心​から​の​尊敬​の​気持ち​で​相手​を​大切​に​する​こと​です。


ここだけでしたね。


そもそも。

この記事全体で、根本が間違ってると思うんですよ。

8節から。なぜ家族を敬うべきかについて。

家族​と​いう​制度​を​作っ​た​の​は​エホバ​です。それ​で​家族​の​一人一人​を​敬う​なら,エホバ​を​敬っ​て​いる​こと​に​なり​ます。


この「エホバを敬っていることになるから、家族に敬意を払う」ってのがおかしい。

これじゃあ、エホバに喜ばれるために、仕方なく敬意を払うってことになるじゃないですか。

これじゃあ4節にあった「心​から​の​尊敬​の​気持ち」なんて出てきっこないですよ。



で。

ここでは「家族に」敬意を示すことについてでしたが、この後「クリスチャン仲間に」と「証人ではない人に」って続くんですけど、ぜーんぶ根拠が上のとおんなじなんですよ。


12節。仲間に対して。

仲間​を「自分​の​方​から​進ん​で」敬い​たい​と​思い​ます。そう​すれ​ば​エホバ​を​敬っ​て​いる​こと​に​なり​ます。


16節。信者でない人に対して。

エホバ​は​私たち​が​何​を​言う​か,どんな​言い方​を​する​か​に​注目​し​て​い​ます。その​こと​を​考える​と,エホバ​の​証人​で​は​ない​人​に​も​深い​敬意​を​払い​たい​と​思う​の​で​は​ない​でしょ​う​か。


「心からの尊敬の気持ち」って、そうやって「神に言われたからやる!」みたいな、思考停止状態から出てくるものじゃないと思うんですよねぇ。


じゃあどうやって、心からの敬意を示すようにできるかってことなんですけど、これは結構難しい。

この数日考えたぐらいじゃいまいち結論は出ませんが、私なら「神が敬意を示すように命じた理由をじっくり考える」ことが必要なのかなぁと思いました。

敬意を示すことが、自分と相手の益になることが腑に落ちれば、相手の良いところを見られるようになるし、自然と敬意も示せるようになるんじゃないかなぁと。


まあ、この方法だと、相手がろくでもない奴の場合は敬意を示せないということが発生しますが、それはそれで良いのではないかとも思います。


10節の経験で

姉妹​は​病気​に​なっ​た​父親​を​よく​世話​し​まし​た​が,父親​は​姉妹​に​つらく​当たり​まし​た。


なんてのがありました。

詳しい状況は分からないんでなんとも言えませんが、世話させといて感謝しないような奴に、「心からの尊敬の気持ち」なんか持てないのが正常なんじゃないですかね?



最後。7節。

家族​に​失礼​な​態度​を​取っ​て,家庭​を​居​心地​の​いい​場所​に​する​どころ​か,息​が​詰まる​よう​な​場所​に​し​て​しまう​人​も​い​ます。


これなんですが、JWだと「(未信者の)家族​に​失礼​な​態度​を​取っ​て,家庭​を​居​心地​の​いい​場所​に​する​どころ​か,息​が​詰まる​よう​な​場所​に​し​て​しまう​人」ってのが大勢いますよね。

こんな記事で、敬意を示せなんて言ってますが、結局普段の信者でない人を見下す態度が、家族への敬意を示せなくしてるんだと思います。


本当に絵に描いた餅だと思いました。


今週は以上です。