メリークリスマス。
過ぎちゃったけど。
で、菊。
菊も種類が多すぎて、全く分かりません。
ググると「ポンポングリーンマム」って出てきますが、そもそも「マム」が菊らしいので、やっぱり私の中では「菊」ですね。
なんか、菊は日本の国花らしいですね。全然知りませんでした。
さて、今週の記事について。
といっても年末で時間がないのでざっくり突っ込んで終わりにします。
初っ端。1節。
いつも同じような祈りをしている,と思うことがありますか。自分の祈りは表面的で型にはまっていると感じますか。誰もがそう思ったことがあるはずです。
これさあ、組織の誘導でそうなってるんじゃない?
集会行くと、イエスの祈りの模範を丁寧に丁寧に、ていねーいになぞった祈りを全文詠唱で必ずやるじゃん?
交わりの時もそうでしょ?あんまり覚えてないけど。
毎日毎日毎食毎食の祈りごとにそんなことやってるから、「いつも同じような祈り」になるんじゃないの?
そりゃ何度も全文詠唱で祈ってりゃ、決まったパターンを作って、オプションでその状況に合わせたのを足すだけの祈りになるって。
で、「表面的で型にはまっている」祈りが完成するんでしょう、きっと。
そりゃ組織がそう指導してりゃ「誰もがそう思ったことがあるはずです」ってなるわなぁ。
祈りなんて、もっとずっと自由に祈っていいんじゃないの?
で、自由に祈るから、何かあった時に自分の心をさらけ出せるんじゃないかなぁと。
そんなふうに思いました。
もちろん全文詠唱も悪くないんですけど、毎回毎回そうじゃなくてもいいんじゃないでしょうかね?
なんなら集会の祈りも、イエスの祈りの内容をいくつか、その時その時の気分で入れるだけでもいいんじゃないでしょうかね?
で次、8節。「どんなことを話すか考える。」という見出しの節から。
イエスが教えた祈りに沿って,エホバのお名前と王国,エホバの望んでいることについてどんなことを祈れるかを考えてみましょう。
うん。
反対はしないけど、これにとらわれ過ぎてる気がするんですよねぇ。
せっかく「どんなことを話すか考える。」っていうなら、どうせなら同じ節の前半にある
今どんなことが特に気掛かりだろうか。許さないといけない人が誰かいるだろうか。
みたいなことだけ考えて祈ればいいんじゃないですかね?
次、9節。経験から。
夫が末期の脳腫瘍だと知った時,祈るのが難しくなりました。こう言っています。「とてもショックで,何と祈ったらいいか分かりませんでした」。姉妹はどうしたでしょうか。「祈る前に時間を取って頭の中を整理するようにしました。そうしたので,自分のことや夫の病気のことばかり祈らずに済みました。冷静になって穏やかな気持ちで祈れるようになりました」。
これは納得できない。
末期の脳腫瘍だよ?
取り乱して当たり前でしょう。
「何と祈ったらいいか分かりません」ってなるのが正常だと思いますよ。
それを「祈る前に時間を取って頭の中を整理するように」したから「自分のことや夫の病気のことばかり祈らずに済みました」だってさ。
こんなことする必要あるか?
自分が苦しいときくらい、自分や家族のことだけ祈っても神は喜ばれるんじゃないですかね。
最近「お父さんエホバ」って表現がよく出てきますが、「お父さん」なら、子供が苦しいことを訴えて来ている時に、「ちゃんと王国の到来と、罪の許しについても祈りなさい」とか言わねーだろ絶対。
じゃあ次。祈りの効用について続けて3カ所から。
13節。
どんな悩みがあって,どんな気持ちになっているかを全部エホバに伝えられます。そのようにして「重荷をエホバに委ね」るなら,きっと心が軽くなるでしょう。
14節。
たとえ問題が続いているとしても,エホバがこれまでどんなふうに支えてくれたかを考えると,前向きな気持ちで頑張っていけます。
16節。
私たちも祈って気持ちを全てエホバに伝えるなら,考えが整理され,バランスを取り戻し,頑張り続ける力が湧いてきます。
この部分なんですけど、なんかどれも「気の持ちよう」って言われたらそれまでですよね。
「心が軽くなる」とか「前向きな気持ち」とか「力が湧いてきます」とか。
いや、心の安定も必要ですけど、もう少しこう、実際的な益も期待したいと思いました。
まあ、問題を神に委ねて安心できるというのは、キリスト教的には正しいことなのかもしれませんけど。
次。見解が変わったように感じた18節。
気持ちをうまく言葉にできない時,エホバは聖書に記録されている祈りを私たちの祈りと見て,その祈りに応えてくれます。
そんな適用でしたっけ?!
「うまく言葉にできない時」でも、神は言葉にできない心の叫びを聞いて助けてくださる、って意味だと思ってました。
いつから「聖書に記録されている祈り」に限定されちゃったの?
そもそも、なんで全然関係ない聖書筆者の祈りなんかを、勝手に俺様ちゃんの祈りの代弁扱いにしてんの?
ぜってーおかしいだろ。意味分かんね。
今回の記事で一番納得できない箇所でした。
最後。脚注から。
会衆を代表して祈る時は短めに祈った方がよいでしょう。
これ全っ然守られてないよね!
大会の最後の祈りとパリサイ人の房べりは、長ければ長いほど模範的、みたいにめっちゃ長かったよね!
私なんか、長すぎて歌のあとなのに寝かけてたよ!
もっと徹底して、祈りを短くしてもらいたかったですね。ぜひ45秒過ぎたらベル鳴らすとかしてください。
今週は以上です。
なんかざっくりのつもりが、いつも通り長くなっちゃいました。
それでは皆さん良いお年を。