フィッシャーキングの友人 -9ページ目

資本主義システムに対する「信仰」。



フィッシャーキングの友人-第三次世界大戦


第三次世界大戦(右巻)
世界恐慌でこうなる!
田原総一郎・佐藤優(アスコム)

引き続き、佐藤優さんを読む。
これも、仕事を一緒にしているデザイナー氏に薦められて購入。
本作「世界恐慌でこうなる! 右巻」と、「帝国主義でこうなる! 左巻」を2巻あわせて購入。通常、2部作の場合は「上下巻」とするのだろうけれど、どちらが上でどちらが下ということなく(つまり、どちらを先に読んでもいいように)、「左右巻」としたとのこと。両方同じ数だけ売れるようにっていう、出版社の戦略かも(笑)

本は、佐藤優さんと田原総一郎さんの対談。話題が「世界恐慌」と、まさしくタイムリーなのできっと売れていると思うし、対談相手が田原総一郎さんなので、おなじみの田原節もちょくちょく登場。

「そこで聞きたい。」
「どういうこと?」
「もっと説明して。」

だからか、いつもの佐藤優さんの本よりもわかりやすい気がするけど、ちょっと物足りない気も。まあ、佐藤優さんならではの通常概念の「再定義」も行われているので、そこは新鮮な発見があっておもしろい。

「資本主義」という経済システムの礎となっているのは「信仰」である、というテーマでの話。
物と物を交換する実物経済が、物とお金を交換する金融経済に発展して、何の腹の足しにもならないお金と食べ物が交換できるようになったのは、そのお金が、また別の物と交換できると誰もが信用しているからだ。まだ「紙幣」という実体はあるけれど、これがどんどん「実体」を必要としないシステムに移行してきているのも確か。私たちの生活でもそうで、たとえば、毎月の給料は現金ではなく給与振込みだから、カード決済を主にしてしまえば、下手したらもらった給料の現金を一度も見ずに生活できてしまうかもしれない。そういったことが成り立っているのも「信用」があるからだ。

その信用(信仰)していたものがガラガラと・・・というのが今の現状と。

(引用)
佐藤 そこで、問題は「信用」ということですよ。個別の企業に対する信用、市場や金融システムに対する信用、政府や貨幣に対する信用、そういうものが集積したところの資本主義システムに対する信用ですね。この信用というのは「信仰」と言い換えてもいいと思うんです。
 たとえば、ここに手形がある。出版社のアスコムさんが来月20日にちゃんと決済してくださいね、となっている。この1000万円の手形が本当に落ちるかどうか。それはアスコムさんならば大丈夫だと思って、みんな信頼する。こういう感じですよね。そのような信用が積み重なって、経済のシステムを作っている。しかし、経済がどんどん膨らんでいく。すると、1000万円の手形ならば落とせても、10億円の手形はたぶんいっぺんに落とすのは難しいんじゃないか、という話になってくる。資本主義は、根っこのところからいくらでも肥大していく。そういうものなんですね。

田原 いま「信仰」と言ったでしょう。まさに、「アメリカは大丈夫だろう」という信仰があったわけです。これは「ドル信仰」ともいえる。もっと漠然とした「アメリカ的なるもの」への信仰が背景にあると思いますけどね。やっぱりEUは第二次大戦中に助けてもらったし日本もドイツも戦後は大いに世話になった。何といっても西側のトップ・リーダーだった。そのアメリカは、ITバブルがはじけても、住宅バブルで持ち直してきた。やっぱり強い。アメリカは大丈夫だろうというアメリカ信仰で、世界経済は成り立ってきた。それがガタガタと崩れてきた。アメリカ信仰は終わるのか。

他の佐藤優さんの再定義。

「権力党員」という概念。政府(与党)と国民の間にあって、どの党が与党となっても権力側に位置していて、でも所属はしていない人たち=ジャーナリストの一部の人=田原さんということ。体制批判に終始するのではなく、批判のための批判ではない主張で誘導していく力を持っていて、しかもそのことを自覚して発言をしている人、と。田原さんはまんざらでもなさそうだった。

「アメリカはいいやつ(国)」という評価。イラクの大量破壊兵器について、アメリカは本気で「ある」と思い込んで攻撃をしかけた、だが、探すと出てこない。そこで真っ正直に本気で探してみる。やっぱり出てこない。そうした「調査報告書」がちゃんと公開されて、「ありませんでした」と正直に言ってしまうのだから、「いいやつ」でしょ、と。ロシアやフランスだったら、本当にあるかどうかなんか絶対に明らかにしないし、それを先制攻撃の理由などにはしない。ただ「やるだけ」。

などなど。
続いて「左巻」の「新帝国主義でこうなる」を読む。



通販からはじめます。


フィッシャーキングの友人-フェリシモ

私はショッピングが苦手で。
特に洋服を買うのが嫌いで。

でも、服は必要だし、多少のおしゃれはしたいという気持ちもなくはない。夏は妹がいらない服を大量にくれたので、まったく買わずにそこそこおしゃれが楽しめた・・・と思っていたのだけど、秋に妹と食事に行ったとき、すべて妹からもらった服でコーディネートして行ったら、「お姉ちゃん、ダサい!なんで全部私の服なのにダサくなるの?なんでコレと、コレと、コレあわせちゃうの?」と叱れて、実は、かなり、落ち込んだ・・・(妹はとってもおしゃれ上手なんです)。

だから、ファッションは苦手。
ショッピングも嫌い。

「こんな服がほしいなぁ」と思ってお店へ行って、目当ての服を手にとって見ていると、当たり前だけどショップ店員の人が声を掛けてくれる。「こちら今、とっても人気なんですよ~」とかなんとか言って。そんなこと言われると、「う、そんな人気の奴だったら、私じゃ着こなせないかも。第一、なにあわせていいかわからん」と無言で固まってしまう。きっと、ショップ店員の女の子は、「あ、なんかタイミング悪い声掛けしちゃったかな。声掛けられるの、嫌いな方かも」とかなんとか、反省したりしちゃってるんだろうな~。ごめんね。そうじゃなくて、自分がどうしたいのかわからないのよ(泣)。

だから、ショップで買うものはスーツになってしまう。しかも黒とか、グレイとか、ライトグレイとか、モノトーンばっかり。これなら、組み合わせとか不要だし。せいぜいインナーのシャツやカットソーを選ぶぐらいだけど、外側(スーツ)が決まってしまえば私でもなんとかわかるし。

でも、本当の本当は、いろいろな服がほしい(照)。
はやっているものだって、ちょっと着てみたい。まだ買ったことないけど、チェニックとか、シャツワンピとか、試してみたい!でもお店に行ってそれを試してみる勇気はない。第一、そういうお店に着ていく服がない・・・いかにも仕事ですって雰囲気の、ダークスーツで行くって言うの?

この歳になって自覚したんだけど、私、ファッションに対しては極めて消極的でネガティブ。新しい服を着て出かけた日は、普通は気分がウキウキするもんなんだろうけど、私は逆。「おかしくないかな・・・。これ、こんな靴合わせるのてダメなのかな」って。自分におしゃれができるわけないと思っていて。

で。
あほくさくなってしまったのだ。

でもでも、本当はいろいろ着てみたい(恥)。
というわけで、通販にはまってしまったわけです。
お店行かなくていいし。
女の子に反省させてしまう心配もないし。
けっこう安いし、返品効くし。

今日、フェリシモさんから荷物が届きました。
通販にはまり始めてから、もう3つ目の箱です。
ダンボールがアースカラーの虹色でね。
なんだかかわいい。
開けるのが楽しみ。
わくわく。

お母さんがお出かけして、おうちに一人になったら開けてみるのです。そして、試着してみるのです。前回ニッセンさん(やっぱ通販!)で買った、これまた初の「プリーツスカート」!と合わせてみたいのが入っているはずなのです。鏡の前でいろいろ組み合わせてみるのです。まるで女の子です(笑)。この歳になって、なんだか笑っちゃうんですけどね。

もうちょっと自信がついたら、ショッピングにも行ってみたいと思います。

お天気だけど、雪。

朝のニュースで、「今日の近畿地方はとても寒いです」とキャスターの女性が言っていたけど、ほんとに寒い。寒さと、ジョギングに行くと疲れてお掃除をさぼってしまう傾向があるので、今日は先にお掃除にとりかかることにした。ウチの人を送り出したのが6:30で、そこから玄関、お庭、廊下、階段、トイレ、洗面、風呂場、窓拭き、最後に無垢の杉フローリングに水ぶきをして11:00には終了。なかなかいいペース・・・これから走りに行こうかなと思っていたら、雪が降ってた。


フィッシャーキングの友人-雪


すごくいい天気なんだけどね。
けっこう降りそう。


着々と。


フィッシャーキングの友人-テント


友人からの贈り物で、カタログギフトが届いた。
高級な商品ばかりがたくさんあって、いい機会だからリチャード・ジノリとかウェッジウッド(破綻したけど)とかいった高級洋食器とか、バカラのグラスとか、掛け軸とか(笑)、本当にいろいろあって悩みに悩んで選んだのが、

テント。

いつになるかはわからないけど、私たちの子供ができたらね。
キャンプに行ったりしたくなるかもしれないよね、ということで。

今はまだ、MIOの日向ぼっこに使われてますけど。

縁起もの。

いま、佐藤優さんの「獄中記」を読んでいます。仏教について書いた日があったのですが、そのなかに「縁起」についての考察がありました。

「縁起」というのは仏教用語だそうでですが、今は間違った使い方をしているのだと指摘しています。(「こいつは春から縁起がいいや」というのはその最たるものだと)。今起きていることは過去にその原因となるものがあるので、起きていることを無理やり変えようとしてもムダで、「諦め」の境地に至るのが仏教の特徴。でも、現在のことは、未来の「原因」となりうるので、過去の行動を悔やんだりくよくよせずに未来につながると思って今を誠実に行動しましょう、と。公判中の獄中で書かれたものですから説得力が違います。

話は転じて、「間違った解釈」と言われようがなんだろうが(笑)、我が家には「縁起もの」があります。ひとつは、玄関の壁に、西向きで掲げた七宝焼きの「赤富士」。


フィッシャーキングの友人-赤富士

小学校からの親友が、会社の設立と家の新築の祝いで贈ってくれました。彼女の手紙に「我らが富士山を贈ります」という表現があったのも、とても気に入っています。調べてみると、富士山が夕焼けや朝焼けで赤く染まって見えるのは、夏の7~8月の季節で、さまざまな気象条件が重ならないと観られない貴重なもので、1日のうちでも5分程度しか見られないのだとか。そんな貴重なものが観られたということで、「縁起がいい」となったのでしょうね。

もうひとつが、こちらも七宝焼きの「ふくろうの親子」。同じ友人の贈り物です。

フィッシャーキングの友人-ふくろう



こちらの「縁起」の由来は、「不苦労(苦労知らず)」などの当て字だそうですが、日本だけでなく、世界的に「縁起がいい動物」として認識されているのだそうです。こちらは階段の壁に掛けています。仲良く寄り添うふくろうの親子がとても気に入っています。

話は「縁起」に戻りますが、間違った解釈かもしれないですが、私たち日本人が、こうした自然現象や当て字のようなシャレに、自分たちに起きるよい出来事を重ね合わせる考えは、自然を支配しようとしてきた欧米の考え方とは対極にある、日本人の自然を畏れ敬う気持ちの表れなのではないかなぁと思います。例えば商売がうまくいったと。その要因は、自分ががんばったこともあるだろうけど、自分以外の大きな力がそう導いてくれたのだと感謝する気持ち。ご先祖様に感謝したり神様にも感謝したり、富士山にも手を合わせたり、感謝する対象が多くて日本人は忙しいけど(笑)。自分(人間)の力を過信しない、という点において、これは素晴らしいことだと思います。

もちろん悪い面もあって、悪いことが起きたときも、自分がな~んにもしなかったのが原因とわかっていても、何か別のもののせいにしたりするところもあるかも。運が悪かった、とか。でも、だからあっけらかんと次の挑戦ができるのかもしれないな。悩みすぎないというか。とらわれすぎないというか。

友人の贈り物を眺めながら、そんなことを考えたのでした。
まとまらない文ですみません。

梅が咲きました。


フィッシャーキングの友人-梅


今年のお正月は、はじめて静岡の実家に帰らず、新しい家族と一緒に、新居で迎えました。玄関には、庭師であるお義兄さんがつくってくれた、松竹梅の盆栽をかざりました。元旦には、まだ固い固いつぼみだった梅が咲きました。満開です。

こんなに小さな鉢にぎゅーっと敷き詰められている、小さな梅の木。
でも、咲かせる花は一人前。

盆栽ってすごいです。

アテにならない「自己管理能力」。


フィッシャーキングの友人-ちームハックス

チームハックス
仕事のパフォーマンスを3倍に上げる技術
大橋悦夫・佐々木正悟(日本実業出版社)

大橋悦夫さんの「LIFE HACKS!」を読んだことで、レコーディング日記に仕事に関する記録をつけるようになった のだが、そのおかげで、導入前後でかなり生産性の向上を実感している。前作は、個人の業務に特化したテクニックの紹介だが、本作「チームハックス」は、それを2人以上の複数人で実現させようというもの。

確かに、どんな職種であれ、一人で仕事が完結することは少ない。役割が明確に分担されている場合でも、仕事には工程があるので、自分の業務の前と後には、社内外問わずパートナーが存在するだろうし、文字通り、ひとつの作業を共同で行うこともある。そう考えると、個人の業務改善が実現されたあとは、やはり「みんな」で「HACKS!」を実践しよう!ということになるのだろう。

この本は、大橋さんと佐々木さんという2人の著者の共同執筆で書かれた本であるため、これに編集担当者が加わった3~4人で実際に「チームハックス」を実践しており、そこで得たノウハウが紹介されているため具体的で非常にわかりやすい。

・Googleカレンダーでお互いのスケジュールの共有
・Wikiを使って原稿執筆をリアルタイムに共有
・作業情報をグループブログで公開する

などなど。

こうした具体的なノウハウが書かれているのはモチロン参考になるが、テクニックばかりかというとそうではないところがこの本のおもしろいところで、その理念は「メンバーシップが人を動かす」という最終章に現れている。

「自己管理」は仕事の基本中の基本だと思って来たが、この考えに基づくと、「自分のことは自分で都合良く解釈してしまうが、他人の目はごまかせない。だから、自己管理より、相互管理の方がすぐれている」ということになる。似たようなことを昔考えたことがあって、「不言実行・不言不実行・有言実行・有言不実行」の4つを、たちが悪い順に並べてみよう、という遊び議論をしたことがあるのだが、議論相手がつけた順序は、

1 有言不実行
2 不言不実行
3 不言実行
4 有言実行

だったが、私がつけたのは以下の順序、と逆で。

1 不言実行
1 不言不実行
3 有言不実行
4 有言実行

議論相手は、「なんで?不言実行ってかっこいいやん」と言うが、私は「不言実行も不言不実行も同じ」という考えだ。なぜなら、「できた」ことだけを言えば、それは「不言実行」になる。だったら、やったかやらなかったのか、実際のところはわからないではないか。だったら、まだ「有言不実行」の方がましだ。「やる、やる、絶対やるってば!」と言いながら、できない。できないのは問題だが、何ができていないか、周りにはよく分かるから対処のしようがある。そう反論した。

「自己管理から相互管理へ」というこの本の考えは、この考えと基本が似てるなーと思った。「自己管理」という名のもとに、「できてないこと」も「自己完結」してしまうより、すべてをさらけ出してしまうことによって、できてることもできてないこともチームで管理していきましょう、と。

自分の能力を過信しない、自分で何でもできると思いすぎない、という点で、今後の仕事の進め方で参考になりそうな考え方だと思う。


(参考になった文章を引いておきます)
リーダーシップからメンバーシップへ

 チームハックスの考え方やアイディアには共通点があります。それは、メンバーが主体となって行う行動に焦点を充てているという点です。例えばタスクリストを公開することによって、同じ立場にいるメンバー同士で「ピアプレッシャー」を分け合うことができます。自分の仕事を自分一人で管理するのではなく、リーダーに管理されるわけでもなく、チームに管理してもらうようにするわけです。最終的に仕事をするのはチームの末端にいるメンバー一人ひとりですから、メンバー自身が自らの仕事を力強く進めていくために、チームを活用するという視点が求められることになります。

 これは、いかにリーダーがチームを管理するかという視点とは一線を画するものです。「リーダーシップ」という言葉がありますが、これまで紹介した方法は、いうなれば「メンバーシップ」と呼ぶべきものでしょう。

人の「自己管理能力」はアテにならない。
 本書の主題である「リーダーシップからメンバーシップへ」は、考えようによっては「自己管理から相互管理へ」と見ることもできるでしょう。

 「自己管理」は確かに理想的です。しかし、心理学的にいえば、「自己管理能力」というもおはかなりアテにならない能力です。この能力にたより、ごく少数のいるかいないかわからない「自己管理能力がある人間」に期待するよりも、多くのメンバーが「相互管理」したほうが、はるかに全体としての成果が期待できます。

 なぜ人の自己管理能力が信頼できないか。その理由は3つあります。
第一に私たちは、ありもしないものをあると思ったり、本来あるものを簡単に見落としてしまったりするからです。

 第二に私たちは、未来の自分の状態を予測するのに、現在の自分の状態を基準に使います。「今」やる気なら、「明日も」やる気だと思い込むのです。「今日」やれたことなら、「明日も明後日もその次の日も」できるはずだと思い込むのです。そういう危ない未来予測に、仕事の見積を任せがちなのです。

 第三に私たちは、過去の自分を合理化します。たとえばプレゼン前、準備不足で青ざめていたにもかかわらず、最終的にプレゼンが終了してしまうと、実際には入念な準備をしてこなかったにもかかわらず、あっさりと自分で自分をごまかしてしまいます。やりもしなかったことすべてをやり通したと信じ、やるべきでなかったつまらない失策を都合よく忘れることができるのです。

 たとえば、私はスケジュールを組むとき、「本当はもっとたくさん仕事をしなければいけないのではないだろうか」という強迫観念に駆られることもあるわけです。そうしたときは、後で考えれば自分がおかあしくなったとしか思えないような、むちゃくちゃなスケジュールを立ててしまいます。それを他の人が見ればすぐに、「そんなにできるわけないでしょう!」と指摘してくれるでしょう。この指摘は、「ここまでやらなければ!」と思い込んでいる私に対して、非常に有効なブレーキになってくれます。他ならぬ「他人が」、「それは無理です」と言ってくれるのですから、それならばスケジュールを少々現実的なものにしても、自分で自分を甘やかしていることにはならないわけです。

やさしい顔をした害虫。怖い顔をした益虫。


フィッシャーキングの友人-奇跡のりんご

奇跡のリンゴ
「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
石川拓治, NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班(幻冬舎)

NHK の「プロフェッショナルの流儀」という番組ファンは多いと思うが、私もこの番組は大好きだ。この本の登場人であるリンゴ農家・木村秋則さんの回は観ていないが、本を読んで、観たくてたまらなくなってしまった(録画リストを確認したら古すぎて撮れてなくて歯噛みした・・・)。本の表紙に載っている木村さんの写真。歯がぜんぶ抜けてしまった口を大きく開けたこの顔。思わず脱力してしまう、人柄が思い切りにじんだいい写真。しゃべっているお姿をぜひ拝見したかったものだ。

本は、番組出演をきっかけに著者が改めて取材を行い書かれたものなので、番組内では紹介しきれなかったエピソードなども細かくひろっており、番組を観た人もあらためておもしろく読めると思う。木村さんの青年時代から、無農薬・無肥料でリンゴを作ろうと思い至った頃のこと、重ねた試行錯誤の数々など、木村さんが苦労されてきたようすがよくわかる。小学校に通う子供たちの文房具も買ってやれなかったこと、キャバレーの客引きやホールスタッフのアルバイトをして何とかしのいだことなど、これでもか!というぐらいの貧乏ぶりだが、これが、木村さんの弘前なまりの口調で語られると、悲壮感がほとんどない(笑)

「私、バカだからさ、いつかはできるんじゃないかって、ただイノシシみたいに突き進んだのさ」

(アタマの中で、弘前弁に変換してみる。そして、表紙の木村さんの笑顔の写真を見る。これ、ものすごく和むのでやってみてください)

特に印象に残ったのは、肥料や農薬をまったく使わなくなって、木村さんのリンゴ畑が雑草や虫ですごいことになって、それでも農薬は使わずに、虫を手で取ってはビニル袋に入れて、ということをするようになってからの、木村さんのある発見。それは、害虫と益虫の「顔」の違いだ。

「あのさ、虫取りをしながら、ふとこいつはどんな顔をしてるんだろうと思ったの。それで家から虫眼鏡を持って来て、手に取った虫の顔をよく見てやったんだ。そしたら、これがさ、ものすごくかわいい顔をしてるんだ。あれをつぶらな瞳って言うのかな、大きな目でじっとこっちを見てるの。顔を見てしまったら、憎めないのな。私もバカだから、なんだか殺せなくなって葉っぱに戻してやりました。私にとっては憎っくき敵なのにな。だけどさ、害虫だと思っていたのに、よく見たらかわいい顔しているんだからな。自然って面白いもんだと思って、今度は益虫の顔を見てみたわけ。害虫を食べてくれるありがたい虫だよな。ところが、これが恐い顔をしてるの。クサカゲロウなんて、まるで映画に出てくる怪獣みたいな顔してるんだよ。ああそうなんだと、人間は自分の都合で害虫だの益虫だの言ってるけど、葉を食べる毛虫は草食動物だから平和な顔してる。その虫を食べる益虫は肉食獣だものな、獰猛な顔してるのもあたりまえだよ。」

木村さんのリンゴづくりは、ここでコペルニクス的発想の転換を迎える。それまで、農薬の代わりにと酢や焼酎を散布したりしていたのだが、そもそも、害虫を殺したりよせつけない成分のものを撒くことが人間本意でしかなく、リンゴの木にとってはどうか、虫たちにとってはどうか、畑の土にとってはどうか、という発想がなかったことに気付くのだ。

それからの木村さんは、リンゴの木で表面的に起きている事柄(害虫がいっぱいいること、それらの虫が葉を食い荒らすこと、いろんな病気で枝や葉が枯れたりしおりたりすること)に直接対処することをやめた。山に自然に生えている木と同じ環境を保ち、そこにリンゴの木がある状態を保つこと(リンゴを育てる、という概念そのものが、人間本位ということだ)につとめ、やがてリンゴは8年ぶりに花を咲かせ、その年、2個だけ実をつけたのだ。

こちら側の論理ですべてを思い通りにしようと思うから、無理が生じる。その無理を封じ込めようと、さらに技術開発を重ねる。そうして、自然の道理とは逆らった「無理」がまかり通っているのが今の私たちだ。これはなにも「農業」のことだけではないと思う。すべての関係性において、いろんな無理が生じているのに、封じ込めようとして頑張ってしまっているのだ、私たちは。仕事も。家族も。友人も。恋人も。人と人の関係のすべて。人の行動のすべて。何のために?何がほしくて?

木村さんはこうも言っている。

「人間に出来ることなんて、そんなたいしたことじゃないんだよ。みんなは、木村はよくがんばったって言うけどさ、私じゃない。リンゴの木が頑張ったんだよ。これは謙遜なんかではないよ。(中略)主人公は人間じゃなくてリンゴの木なんだってことが、骨身に染みてわかった。それがわからなかったんだよ。自分がリンゴを作っていると思い込んでいたの。自分がリンゴの木を管理しているんだとな。私に出来ることは、リンゴの木の手伝いでしかないんだよ。失敗に失敗を重ねて、ようやくそのことがわかった。それがわかるまで、ほんとうに長い時間がかかったな」

このこと、この考えを、すごく大事にしていきたいなと思った。
この本は、「リンゴ」の本だけど、それだけではないのだ。「悟り」の本なのである。

サーシャとマサル。


フィッシャーキングの友人-自壊する帝国

自壊する帝国
佐藤優(新潮社)

『国家の罠』を読みましたよ、すごくおもしろかったです、と、佐藤優さんを紹介してくれたデザイナー氏に報告したところ、「では、次はこれを」と『自壊する帝国』を貸してくれてた。あとがきで佐藤優さんも書かれていたが、『国家の罠』発行後、読者から「佐藤優さんがモスクワでどのように外交官として仕事をしていたかを知りたい」という要望が多く寄せられ、それに応えて書かれたものだ。

同志社大学大学院神学研究科を卒業後、外務省の専門職員(ノンキャリア)として入省し、イギリスへの語学留学を皮切りにさまざまな人脈をつくり、初めはお茶組みやコピー取り、新聞のスクラッピングのような雑用をしながら、独自に築いた人脈から得られる情報によってキャリア官僚から重用され、インテリジェンスを扱う外交官として頭角を現していく様が描かれている。そして、『国家の罠』の冒頭、逮捕当日に2杯目のコーヒーを入れたところで終わっている。

とてもおもしろい本だ。

『国家の罠』の読後にも感じたことだが、佐藤優さんというのは本当にすごい。この本で、私は外務官僚に対する見方が変わった。官僚というのは、いわゆる「勉強のできる」頭のいいエリート集団というイメージ。組織としての仕組みがうまく作られているので、出世と将来保証という、いまや民間企業では失われてしまった日本的相互依存関係がいまだに保たれており、そのために上意下達は徹底され、粛々と確実に業務が遂行される機構にとって優れた人材がそろっていると思っていた。よって、先見性のあるよいリーダーが指示を出せば官僚はよい仕事をするが、逆にまったく国益に沿わない命令であっても官僚はその命令には背かず、同じように確実に仕事をする。結果、国益が損なわれることになっても自分の責任ではない、という考えをする人種。官僚なんてそんなものだろうと思っていた。

佐藤優さんの外交官としての仕事ぶりはまったくこれとは異なるが、佐藤優さんも給与をもらいながら語学研修ができ、いずれ希望の任務地(佐藤優さんの場合はチェコスロバキア)に任官できるのなら渡りに船、と思い入省したのが、寝食を忘れて情熱的に仕事に取り組む先輩官僚たちを見て、外交官と言う仕事に魅了されたということだった。

佐藤優さんは、同志社大学神学部で得た専門的な知識と見識によりモスクワ大学の知識層との交流を持つことができた。また、自らの政治的信念、外交官として国益を守ろう、得ようとする職業的本分に徹した意識も非常に強かった。そして、本気でつきあう相手には信念を持って本当の考えを伝えるといったような人間的信頼関係をもっとも重視した人付き合いを行い、そうしたブレない姿勢がロシア人たちから「あいつは信用できる奴だ」という評価につながったという。これも意外なことだったが、ロシア人というのは約束を守らないのではなく、約束はしないのだそうだ。本当に信頼できる人間としか約束はしない。だが、一度した約束は必ず守る。そうしたステロタイプなロシア人のイメージとは違う、ロシア人たちの本当の姿(本の中でそれは「内在的心理」と呼ばれている)を知ることで、より深く入り込んでいったようだ。

こうした人間関係を基にして、ロシア人政治家や運動家、党幹部、編集者などと交流を深めていく様子が紹介されており、このひとつひとつがとてもおもしろい。特におもしろいのはモスクワ大学でであった、サーシャ(カザコフ)というラトビア人の青年との交流だ。この本は、外交官佐藤優の仕事の記録ともいえるが、サーシャとの友情の話でもあると私は思う。佐藤優さんが逮捕される直前に、サーシャから佐藤優さんの身を案じるメールが届いた。佐藤優さんはサーシャに危害が及ぶことを恐れメールをデリートした。2人には何の腹案もない。感動して涙が出た。このようなタイプの本でこんなに感動するとは思わなかった。「外交」というのは、国と国との交渉だ。双方が上げたこぶしを下ろすことができる「落としどころ」が見つかるまで話し合いを続ける。答えが出ないということはありえない。答えを出すことを放棄すれば現代であっても戦争につながる危険性だってある。そうした「大きな」外交交渉につながるものとして、佐藤優さんとサーシャのような個人と個人の信頼関係がある。いや、こうした関係性なくしては成り立たないのだということを知ることができた。これは非常に興味深かった。

この本を読んで知ったのは、物事は、表面的にではなく深層を求めることで新しい発見につながるということ。私は官僚に対するネガティブな印象を持っていたが、そういう尊敬に値しない人もいるだろうし、そうじゃない人もいる。それは官僚社会だけではなくどの世界でも同じだということを知った。そしてこの本は、佐藤優さんのような気概を持って働く人たちを勇気付けると思う。そういう官僚が多いことを願っている。それにしても、おもしろい人だ。もうしばらく、佐藤優さんの本に嵌ることになると思う。

やっと鞄、買いました!


フィッシャーキングの友人-鞄

偶然ふらっとお店に入ったのは、確か昨年の1月末頃。たしか、仕事で使う写真の現像が出来上がるまでの1時間の暇つぶしに入った、雑居ビルの3階の「てづくり鞄の工房&ショップ」。お店を経営している女性がとてもかわいい人で、なんだか気になってメールのやりとりだけで1年が過ぎたのだが、昨日、やっと鞄をひとつ、買うことができた。

引ったくりにあって毎日使いの鞄がなく、心地いい鞄がほしかったので、これでやっと手に入った!といううれしさと、やっとこのお店のお客さんになれたという喜び。

ちょっと小ぶりの鞄なので、今、私が毎日持ち歩いている荷物をそのまま全部入れることはできない。実は、もうひとつ大きなものにしようかなと、ちょっと迷った。でも、「本当に必要なものだけを持ち歩く」ということをしてみるのもいいかもな、と思った。

必要なものだけを大事にする。
不必要なものは貯めない。
自由になる。

Nちゃん、ありがとう!


フィッシャーキングの友人-鞄とミオ

ひなたぼっこする、ミオと鞄。