フィッシャーキングの友人 -28ページ目
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修正液を心配する

今日は、とある企業のセミナーを見学した。

参加者は60人程度、男女比は6:4ぐらい。盛り上がり度は6点ぐらい(10点満点)。
ただしこれは、全編を平均しての点数。
前半・中頃・後半と分けると、点数はそれぞれ、2点・6点・10点(平均6点になってるよね)。

だんだんと場があったまっていった、という点では、企業側のがんばりの甲斐があったというものだろう。しかし、後半の盛り上がり、というのは実はセミナー終了後、退室時になってようやく参加者が「個人」としての意見を言い出したから、というのが実情。やっと自分の意見を言ったか、という感じで、参加者は最後まで(終わるまで)お客さんで、積極的な参加者ではなかったのかもな、という印象を持った。

どうやったら盛り上がるか、を企業側は知恵もお金も使って工夫をしているが、いちばん確実な方法は、参加者側が「盛り上がろう!」と思うことだろう。今後は、「どうやって盛り上げるか」を考えるより、「何を課せば、参加者が自ら盛り上がるか」という目線が必要かも。
せめて「参加者」になってもらわなきゃ。知恵もお金も、無尽蔵ではないわけで。

もうひとつ、気になったこと。

参加者は最後に書類を提出するのだが、1人、用意してきた書類を訂正したいが良いか、という許可を求めてきた人がいた。企業側が質問に答えている様子に聞き耳を立てていると、こんな会話が。

「・・・という理由で、この箇所を訂正したいのですが、修正ペンを使ってもいいでしょうか」
「いいですよ。」
「でも、修正ペンを使うのはマズイと聞いたのですが、訂正しないほうがいいでしょうか。それとも、訂正した方がいいでしょうか。」
「そんなことでは変わらないよ。気になるんだったら、欄外に『講師の○○さんに聞いて訂正しました』って書いといたら。」
「はい、書いていいですか。」
「冗談だよ、そんなことで評価変わらないから、訂正したかったら、したらいいんだよ。」

妙なことが気になるものである。

もちろん、そういう環境(関係性)になってしまっていること事態が、そもそも問題なわけではあるが、原因をマクロな物事(政治とか教育とか景気とか)に求めてしまうと私ごときに解決はできないので、できるだけ、できることからこういったオカシナことを改めていくことをしていきたいものだと考えている。「修正ペン使ってでも書き直したいことがあるのなら、堂々と書き直していいんだよ」と企業側に発信させるとか。「修正ペンが悪いんじゃなくて、修正ペン使いまくって汚くなって読みにくくなってるのに、平気で提出しちゃうところにひっかっかってるんだよ」と発言してもらうとか。

マニュアルじゃなくって、マニュアル作った時の「魂」の方を、めんどくさがらずに教えていくことをしなくてはいけないね。

名調子

私の住む街には、商店街がある。
魚屋、八百屋、豆腐屋、肉屋と、それぞれが専門店の昔ながらの市場のような場所だ。

前々から、「ここはいったい何処だ? いつの時代だ?」と思うことが多かったが、今日は驚いた。なんと、紙芝居をやっていたのである。商店街の真ん中あたり、特設会場のような場所にいすを並べ、「四時から始まるよ~」とおじさんが子供たちを集めている。「ささ、もちょっと奥へ詰めて」とちょっとした人だかりができている。

四時に紙芝居は始まった。
なかなかいい声。名調子だ。

子供たちもバラバラと集まってくる。大人も一緒に覗き込んでる。


うそみたい!

私の田舎の子供の頃だって、こんな光景にはお目にかかったことありませんよ。

ここはスゴイところだ!


紙芝居

フィッシャーキング


フィッシャーキング
(C)1991 TRISTAR PICTURES,INC.ALL RIGHTS RESERVED.


 このブログのタイトルに使わせてもらった、映画『フィッシャーキング』。


製作: 1991年 米
監督: テリー・ギリアム
出演: ロビン・ウィリアムズ / ジェフ・ブリッジス / アマンダ・プラマー



私にとってこの作品の記憶は、2002年の秋。梅田の小さな映画館でのことである。


ある友人と食事に行く約束をしており、たまたま目に入った、その日、その時間だけの上映スケジュールだったこの作品を、何の狙いも意味もなく、「なんなら観てからゴハン行く?」と誘って観に行った作品だった。


私はもともと、ロビン・ウィリアムスが好きで、その流れでレンタルビデオですでに観ていたのだが、観終った後、自分でも信じられないぐらい「やさしい」気持ちになれたので、いつも飲みに行くとけんか腰の議論になってしまう友人と、「今日ぐらいは穏やかに飲みたいし、この映画ならそんな気持ちになるかも」と思って誘ったのだ。


しかし驚いたことに隣で観ていた友人は、鑑賞後、もし私なら恥ずかしくなってしまうぐらいに泣いていた。男の人なのにそんなに嗚咽?というぐらいに泣いていて、なぜに?という言葉を遠慮するぐらいだった。



しかしもくろみどおり、そのあとの食事は、確かに穏やかなものになった。

さらに、彼がなぜそこまで泣いてしまったのか、そんな話を聞いていたら、私も同じような状態になってしまった。


以来、大好きな作品で、何度も何度も繰り返し観ている。


ここがすき、あのセリフがいい、あそこのシーンはたまらない、と上げていけばキリがないほど好きなので、ここでは書かないが、「友」がいい温度で描かれているのが、好きな最大の理由だ。私は決して友人の多い方ではないが、ひとりひとりを、この作品にあるような気持ちで「友」と呼びたい、と思っている。大切なものだから、何よりも、何があろうと大切にしたい、実現できようとできまいと、そう思ってことに向き合いたい。


そんな気持ちを象徴するものが、私にとって『フィッシャーキング』。

だから、ブログタイトルに、拝借。


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