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カナダでは、約1か月の間、語学スクールに通い、ホームステイ。

 

 

ホストファミリーは、サンタさんのように大らかでやさしいお父さんと、慈悲深いお母さんに恵まれました。

 

 

お母さんは右半身が不随の、身体障がい者でしたが、日常生活も家事も、ちゃんとこなしていました。

 

 

言葉は少ないけど、すべてを見通すまなざしで、わたしのことを受け入れて見てくれていました。

 

 

すでに老夫婦でしたが、休日は、わたしをあちこちに連れていってくれたし、わたしの友達も誘って楽しませてくれました。

 

ヘリに乗ったり

愛犬(川で棒を取っているところ)とキャンプしたり

 

思えば、実の両親は旅行に連れて行ってくれても、わたしの行きたいところを聞いてくれたことは、一度もなかった。

 

 

休日に、何がしたいか?と聞かれることもなかった。

当然、友達を一緒に連れて遊ぶこともなかったんです。

 

 

自分を実の娘以上に扱ってもらい、認めてもらい、意見も聞いてくれる、尊重しあえる関係があるんだ、と知りました。

 

やや太く見えるのは、私の着付けが下手なせい(笑)

 

 

毎日エアメールで、その日あったことを報告するようにと言われていたので、わたしは到着した日から日本の家に手紙を書きました。

 

 

ですが、到着したのは1週間以上経過してからだそう。

日本とカナダはそのくらい当時、日数が必要だったんですね。

 

 

ある日、カナダのお父さんが「日本の家に電話をしてみたら?」と言ってくれたので、コレクトコールしてみました。

 

 

すると、両親は烈火のごとく怒り狂っていました。

一通も手紙が届いていない、というのです。

 

 

わたしは書いたし、届くのに日数がかかるのだと説明しても、ダメ。(手紙はその後、毎日届いたんですけどね)

 

 

ぼろくそに怒られるわたしの様子を見て、カナダの両親は、あとでそっとハグしてくれました。

 

 

わたしがどういう会話をしていたのか、日本語だったから分からなかったはずですが、決して楽しい親子の会話でないことを察したんでしょうね。

 

 

カナダで過ごす、なんでもない日常は、穏やかで、幸せに満ちていて、あったかかった。

 

 

日本の家には、自分の部屋はあっても、居場所がなくて、居心地の悪い、いたたまれない気持ちしかありませんでした。

 

 

18歳の夏、わたしは初めて、安心して家でくつろげる感覚を味わうことができたんです。

 

帰国の日

 

つづく