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多感な17歳の夏だった…


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(写真はお借りしました)


南沙織が『ふたりの愛を確かめたくって』と歌い、
桜田淳子は『裸の胸にイニシャル落書きしてよ』と歌った17歳の夏…


我々はまったく女っ気がないまま、函館からおよそ90キロ離れた熊石町(現 八雲町熊石)にキャンプに出かけました。

高校2年の夏休みでした。
あの中学を丸焼けにした容疑者たちと一部で疑われた私たちクラスメイトでしたが、
その中でY男子高校に行った奴らがこの熊石キャンプを計画しました。

おなじみのタカノ君と、浜チン、アツシ、タコ、そして同じ中学ながらクラスは別だったツルサワ。

そして違う高校に通っていた私に誘いが来たのです。

ツルサワを除く奴らとは、中学卒業後も親しく付き合っており、夏場には海水浴と称した密漁にいそしみ、毎回ウニの食べ過ぎで下痢をして帰るという日々を送っておりました。

なんと彼らは熊石まで自転車で行くというのです。

彼らは全員が、スポーツタイプに特化した自転車を持っておりました。
それこそ(さすがに函館市内では密漁はできなかったので)、10キロ以上離れた上磯町(現 北斗市)の海には当たり前に自転車に乗って往復していました。

元々仲のいい奴らではありましたが、
彼らの思惑は、私が原付バイクに乗っていた事も要因でした。
つまりは荷物係。
ものすごく細いタイヤでドロップハンドルの自転車ではそうそう荷物を運ぶことはできません。

テントだって二張り必要です。
(これは市内のテント屋さんからレンタルしました)

2泊の予定なので、途中で買い付けるにしろ食料品もそれなりの量になります。
50ccのスポーツタイプのバイクにどれほどの物が搭載できるかは知れていますが、
少なくとも自転車よりは機動力があります。

夏らしい好天に恵まれた早朝、タカノ君宅に集合した私たちは、一路熊石を目指しました。
体力有り余っていたのでしょうね。
荷物を満載した法定速度30キロの原付バイクと遜色ないスピードで銀輪部隊は進みます。

江差町に抜ける中山峠の下りでは、彼らの方が速いくらいでした。

多分あちこち休憩したはずですが、早くも昼過ぎには日本海に面した熊石の海岸線に到達しました。

熊石町には、管理の行き届いた町営のキャンプ場もありましたが、
普段密漁を目的としている我々ですから、あえてキャンプ場は避けて、指定海水浴場でもない海岸に基地を設けることにしました。

素朴な木彫りの仏像で有名な、円空聖人が滞在した洞窟というところの前の海でした。

国道から2メートルほど段差がありました。国道沿いに自転車とバイクを停め、
土手を下りたところにテントを張り始めます

その間、私は買い出し。
通り過ぎてきた集落に精肉店があったので、ジンギスカン用の羊肉やタレを買いました。
今でこそ生ラムなどが主流ですが、もちろん当時は円形に形成されて冷凍されたマトンしかありません。
ジンギスカン鍋なんていう、観光客向けの物さえ使う気はありませんでしたから、やはり近くの金物屋でトタンの波板を適当な大きさに切ってもらいました。
これを海水で洗って焼肉の鍋として使うのです。

キャンプ地に戻ると、後は海の独占です。
そもそも海水浴場ではない(というより本来なら遊泳禁止区域だったのでしょう)
砂浜と磯が適当な比率で混じった海岸は、泳ぐによし潜るによしでウニやアワビの取り放題。

ただし、テントから海までは焼けた砂が続き、足の裏に火傷を負いそうでした。
『なんでもっと海に近いところにテントを張らなかったんだ〜!』と互いに罵りあいました。
しかし、100キロ近くを自転車で走破した後に延々と海で泳ぐ奴ら!
男ばかりの高校で2年間揉まれた奴らの体力は底がありません。

西日が正面から照らす日本海を前に、石を集めてカマドを作り、ジンギスカンの支度をしている間に、再び私はバイクの人となり、飲み物を買いに走りました。
コーラ、ジュース、一応瓶ビール。

トタンの上に油を引いて焼くジンギスカンの美味なこと。
多分その時が初めての瓶ビールをまわし飲みする高揚感(けどふた口目からはみんなコーラに切り替えました。お子ちゃま揃い)

星が瞬くようになり、波のざわめきと焚き火の爆ぜる音が聞こえるようになると、
これはお決まりの恋バナといいたいところですが、
男子校の野郎どもと、進学校でヒィヒィいっていた私ではステキな恋の物語なぞあるはずもなく、

やがて誰かが、あっちに白い服を着た女が見えたぞ!なんていう他愛ない話から怪談大会になり、
そうなったら、のちに稀代のストーリーテラーとなる片鱗を備えた私の独壇場で、
笑ったり、ビビったり、また笑ったりしながら少年たちの夜は更けていきました。


北海道は夏といえども夜は冷えます。
じゃあ寝ればよさそうなものですが、興奮している悪ガキどもは、そんな気配もありません。
「みんつち、ひとっ走り缶コーヒーかなんか買って来てよ。焚火の周りに埋めておいたらホットになるだろう」
「え〜もう10時過ぎだぜ、店なんかやってるかよ」
もちろんコンビニなんてない時代です。

それでもやはり高揚していた私はバイクを駆って、夜道を走りました。
肉を買った集落ではなく、熊石の町を目指したのです。
やがて、真っ暗な道の左側にぽつんと一軒の商店を発見しました。
田舎町によくある食料品から雑貨までなんでも売っているお店のようです。
外の板壁にアース渦巻きやオロナミンCのホーロー看板が貼ってある店といえば想像がつくでしょうか?

ところが灯りがついていません。
田舎のこと、まして夜の10時過ぎですからとっくに閉店しているのでしょう。
しかし、私がバイクを停める気になったのは、正面のガラス戸が大きく開いたままになっていたからです。

恐るおそる近づいてみると、確かに戸が全開で商品が一面に並べられているのが見えます。
ところが「ごめんください」「すいませーん」と何度も声をかけても物音ひとつ返ってこないのです。

これは怖くなるでしょう?
もしや奥で店の人が死に絶えているんじゃないかなんて不粋な想像も駆け巡ります。
なんたってさっきまで怪談大会だったのですから。

踵を返しで逃げ去りましたね。
距離にしたら2キロほどではなかったかと思いますが、
道の前方は、自身のバイクのヘッドライトの明かりだけ。
バックミラーに映るのは漆黒の闇。
田舎とはいえ、当時函館は人口30万人を超える街でしたから、一切の街灯もない真っ暗闇の道を走った経験なんてありません。

あれ?
けど、缶コーヒーは買って帰った覚えがあります。
焚火で温めたUCCがことの外美味かった記憶も。
どこで買ったんだろう?

などというドタバタを繰り広げつつも、その体験談を大げさに脚色して語り、また誰かが白い服の女を見たといったりして、キャーキャーワーワー初日の夜は過ぎて行きました。
テントの中で一晩中騒ぎたかったけど、さすがに体力を使い果たした連中は、乾電池が切れた玩具のロボットのように、あっという間に眠りについてしまいました。


さて再びの晴天で迎えた翌日は、近くの夏休み中の小さな小学校の校庭で勝手に水道を借りて水浴びしたり、
グランドで遊んだり、また海に潜ったり、青春の夏を満喫しました。


ところが、未だ人生経験の浅い私たちは、退き際というのを知らなかったのですね。
好事魔多しという言葉さえ。

2泊目の夜。
私たちは17年間味わったことのなかった恐怖に震えて一夜を明かすことになろうとは、その時の誰にも想像することもあたわなかったのです。


(続く)