これまで書いてきたことは、アメリカの外交官ジョージ・ケナンの回顧録を読んで気づいたことです。

 

アメリカの国民の多数が外交問題に関心があれば一部の利害関係者の影響がアメリカの外交全体に影響を及ぼす心配はあまりないのかもしれません。

 

ただ現実はあまり多くの一般のアメリカ人は外国のことにそんなに関心を抱いてはいないのでしょう。だからアメリカ議会において一部の人々のロビーによってアメリカの外交が大いに歪められることがしばしば起こるようになっているのです。

 

アメリカのように民主主義が徹底されている国にとって利害関係者がロビー活動することは当たり前のことかもしれませんが、戦争に関係してくる外交問題にまでロビー活動が関わってくるととても危険なことではないかと私は考えています。

 

現在のアメリカ外交にもそのような危険性は十分に存在し、下手をすれば戦争になってしまう可能性があります。

 

次回はそのことを検討してみようと思っています。

前回に続けてもう少しチャイナ・ロビーのことを書いてみようと思います。

 

日本が太平洋戦争でアメリカに敗れたことで、チャイナ・ロビーの目標が一見したところ達成されたように思われました。

 

なぜなら彼らはケナンが回顧録で書いているように、「日本がいなくなりさえすれば、情勢の支配者として中国が座ることになり、そうすればアメリカにとっては経済的浸透や貿易の機会拡大につながるものと頑なに信じていた」からでした。

 

ところが、日本をいざ排除してみたときに東アジアに出現したのは共産化された中国だったのです。

 

チャイナ・ロビーはこのような情勢になったことについて、自分達の中国に対する見方がずいぶん甘かったのではないか、と少しぐらいは反省することがあっても良かったはずです。

 

ところが、彼らはなぜか陰謀論でそれを説明しようとします。

 

「むしろ、それは悪魔的な賢さと巧妙さを持った共産主義者がアメリカ政府内に陰険な方法で浸透したこと・・・高潔で心底から反共だった中国の国民党政権が『見捨てられ』デービスやサービスのようなソビエトの同調者の狡猾な術策によって中国が『銀の皿』に載せて共産主義者に提供されてしまったことの結果であるという。」

 

ここからアメリカでは共産主義に甘いと思われる人たち(公職についている人々から俳優などの芸能関係者に至るまで)を追放する「赤狩り」に突き進んでいくことになりました。

 

チャイナ・ロビーと戦後アメリカで起こった赤狩りはコインの表と裏の関係になります。それを示す何よりの証拠が、赤狩りを始めたマッカーシー議員は実は以前は有力なチャイナ・ロビーの一員だったのですから。

前回はアメリカの外交官であるジョージ・ケナンがユーゴスラビア大使の時にクロアチア・ロビーがいかにアメリカの外交を歪めたかを書きました。

 

今回は戦前にアメリカで発生したチャイナ・ロビーが日米関係にどのような影響を及ぼしたかを書いてみたいと思います。

 

ケナンも回顧録に戦前においてアメリカ国内でいかに親中的な雰囲気が広がっていたかを次のように書いています。

 

「アメリカの政治家たちはまたセンチメンタリストだった。貧しいが高貴で、アメリカの庇護に感謝し、アメリカの美徳を崇拝しているとみなされた中国は彼らのお気に入りであった。従って彼らアメリカの政治家たちは過去40年間にわたって、日本の大陸における足場を掘り崩すために一生懸命に努力した。」

 

英米の歴史家はこのような中国に好意を持って活動する政治家やその関係者をチャイナ・ロビーと名づけています。

 

このチャイナ・ロビーは1920年代に中国のナショナリズムを背景に中国を統一させようとした蒋介石の国民党を応援します。

 

当時国民党は不平等な条約を一方的に破棄する革命外交を日本に対しても行うようになってきました。

 

当時の日本は今よりもはるかに経済的に中国に依存しており、中国が展開する日本製品のボイコットなどを脅威に感じていました。

 

そこで日本の政治家、特に政友会系がアメリカに中国の革命外交をどうにかしてほしいと頼みに行きますが、チャイナ・ロビーの影響を受けたアメリカ側に簡単に撥ね付けられます。

 

そういう経緯を経て、とうとう中国の態度に我慢できなくなった日本の軍部が1931年に満州事変を起こしたのでした。

 

ここらへんの詳細は、ケナンが戦後に国務省で発掘したアントワープ・マクマリーというアメリカの外交官が書いたメモランダムが有名で日本でも『平和はいかに失われたか』というタイトルで出版されています。

 

このようにチャイナ・ロビーは1920年代の日中関係にかなりの影響を及ぼすのですが、私には不可解な点が一つだけあります。

 

前回ケナンがユーゴスラビアでクロアチア系アメリカ人の及ぼす影響を受けたことを書きましたが、1920年代にチャイナ・ロビーが動き出した時、中国系の移民は排斥されていておそらくはアメリカでの選挙権すらも無かったはずです。

 

なぜ移民として完全に排斥されている民族に対して多くのアメリカ人があれだけの好意を抱けたのかは私にとって謎のままです。