前回はアメリカの外交官であるジョージ・ケナンがユーゴスラビア大使の時にクロアチア・ロビーがいかにアメリカの外交を歪めたかを書きました。

 

今回は戦前にアメリカで発生したチャイナ・ロビーが日米関係にどのような影響を及ぼしたかを書いてみたいと思います。

 

ケナンも回顧録に戦前においてアメリカ国内でいかに親中的な雰囲気が広がっていたかを次のように書いています。

 

「アメリカの政治家たちはまたセンチメンタリストだった。貧しいが高貴で、アメリカの庇護に感謝し、アメリカの美徳を崇拝しているとみなされた中国は彼らのお気に入りであった。従って彼らアメリカの政治家たちは過去40年間にわたって、日本の大陸における足場を掘り崩すために一生懸命に努力した。」

 

英米の歴史家はこのような中国に好意を持って活動する政治家やその関係者をチャイナ・ロビーと名づけています。

 

このチャイナ・ロビーは1920年代に中国のナショナリズムを背景に中国を統一させようとした蒋介石の国民党を応援します。

 

当時国民党は不平等な条約を一方的に破棄する革命外交を日本に対しても行うようになってきました。

 

当時の日本は今よりもはるかに経済的に中国に依存しており、中国が展開する日本製品のボイコットなどを脅威に感じていました。

 

そこで日本の政治家、特に政友会系がアメリカに中国の革命外交をどうにかしてほしいと頼みに行きますが、チャイナ・ロビーの影響を受けたアメリカ側に簡単に撥ね付けられます。

 

そういう経緯を経て、とうとう中国の態度に我慢できなくなった日本の軍部が1931年に満州事変を起こしたのでした。

 

ここらへんの詳細は、ケナンが戦後に国務省で発掘したアントワープ・マクマリーというアメリカの外交官が書いたメモランダムが有名で日本でも『平和はいかに失われたか』というタイトルで出版されています。

 

このようにチャイナ・ロビーは1920年代の日中関係にかなりの影響を及ぼすのですが、私には不可解な点が一つだけあります。

 

前回ケナンがユーゴスラビアでクロアチア系アメリカ人の及ぼす影響を受けたことを書きましたが、1920年代にチャイナ・ロビーが動き出した時、中国系の移民は排斥されていておそらくはアメリカでの選挙権すらも無かったはずです。

 

なぜ移民として完全に排斥されている民族に対して多くのアメリカ人があれだけの好意を抱けたのかは私にとって謎のままです。