つい最近リチャード・カッツという研究者がかなり厳しい調子で日本の財務省を批判している記事を読みました。

https://toyokeizai.net/articles/-/500817

 

前回、私は現在の財務省と戦前の帝国陸軍を比較したのですが、本当にその比較が正しいものか疑問に思う人がいてもおかしくありません。

 

しかし、今回紹介した記事がその正しさを証明するものになるかもしれません。

 

というのも、この記事を載せていたのは東洋経済新報社で、この会社は戦前にも石橋湛山や清沢洌といった有能なジャーナリストが堂々と軍部を批判していたからです。

 

つまり、戦前に軍部を批判していた会社が、現在でも財務省を批判するという権威に寄り添わない姿勢は尊敬すべきもので、その「自由」な伝統は失われてはいないと思いました。

 

一方、情けないのは『朝日新聞』や『日経新聞』などの主要新聞で、戦前は軍部を持ち上げる記事ばかり書いていたと思えば、現在でも財務省の緊縮路線を応援する記事ばかり書いているのです。

 

カッツは今回の記事の冒頭で次のように指摘しています。

 

「日本の財政赤字は『氷山に向かうタイタニック号』のようなものだという矢野康治財務事務次官の発言で唯一新鮮だったのは、選挙で選ばれた政府の政策を、水面下での会話ではなく、影響力のある『文藝春秋』誌上で厳しく批判したことだ。」

 

確かに財務省の緊縮政策が正しいという可能性は存在するでしょう。しかし選挙をやっている最中に一方的な意見をこのような形で表明することは日本の民主主義を冒涜することで、選挙で選ばれていない官僚が日本の経済政策を決めることはできないはずです。

 

このような反民主主義と思われることを含めて『朝日新聞』が批判しないのをみて、いったいこの新聞は戦前の何を反省したのだろうと思ってしまう。

 

戦前は軍部を信じて、現在は財務省を信じるというただの権威を信奉する存在にしか過ぎなかったのです。よくこれまで日本国民に対して反省が足りないと言えたものだと心から思う。

 

続く

どうも緊縮財政を今でも必死になって推進する財務省も薄々自分達の間違いに気づいているような気が私にはする。

 

しかし、それを認めてしまうと過去にさかのぼって責任を取らされることを恐れていて(少なくとも橋本政権で消費税を増税し日本をデフレにしたところまで)、緊縮財政が間違っているかもしれないと思いつつも従来の政策を続けていくしかないと腹を決めているみたいなのだ。

 

なぜなら『文藝春秋』に掲載された財務省の矢野次官の論文について自民党の財政政策検討本部長の西田参議院議員がブログにこう書いているからだった。

 

「しかし、今回の論文はそうした私の甘い考えを完全に否定しました。日本の状況を、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの、と喩え危機を煽る一方で、国債が償還不能になるという事には一言も触れない。その理由は、日本の国債が償還不能になるはずがないことを知っているからとしか思えません。」

https://www.showyou.jp/showyou/detail.html?id=5590

 

つまり矢野次官は自分の主張している事柄について明白な根拠があるわけではなく、財務省としてはこれまでの政策が決して間違っているとは口が裂けても認められないので緊縮財政をこれからも続けていこうと言っているようにしか私には聞こえないのだ。

 

この文章を読んでいる人は、本当に財務省のような日本で最も優秀な人たちを抱えているようなところが、間違いを認められないという理由だけで不都合な政策を永遠に続けていけるものだろうかと疑問に持つかもしれません。

 

しかし今からおよそ80年前にこれと全く一緒の理由から日本という国家を潰してしまった役所があるのです。

 

それは帝国陸軍でした。

 

昭和15年に2回目の総理大臣に就任した近衛文麿はどうにかして自分が始めてしまった日中戦争を解決しようと思っていた。

 

その時に近衛が考えたのが、アメリカのルーズベルト大統領とハワイで首脳会談をやって、石油の禁輸を含む日本に対する厳しい経済制裁をやめてもらうかわりに中国から兵を撤退させる約束をしようというものだった。

 

首脳会談がもし成功したら、その時は天皇に進言して聖断によって陸軍に対して中国から撤兵を実行させようと近衛は考えていたようだ。

 

しかし残念ながらルーズベルト大統領が乗り気では無く、首脳会談は開かれることはなかった。

 

それでも近衛は諦めきれず、東條英機陸軍大臣に対して個人的に何度も中国からの撤兵を求めたのですが、東條は頑なで最後には閣議で反対を述べて、結果として閣内不一致を招き近衛内閣を潰してしまったのでした。

 

なぜ東條はそこまでして中国からの撤兵に対して反対したのでしょうか?

 

歴史家の故・鳥居民さんは『近衛文麿黙して死す』という本にこう書いています。

 

「中国の撤兵をアメリカに約束する事態になれば、中国とは戦ってはいけないと主張した将官こそが正しかったのだと衆議院議員たちが語り、新聞の論説委員たちが説くようになり、真崎甚三郎や小畑敏四郎といった、現役をおわれた皇道派の将軍たちの再登場を望む声、それとは別に、これも現役をおわれた石原莞爾と多田駿の復活を期待する声が陸軍と国民との間に起こることになる。」

 

東條、杉山、梅津といったこの時代の陸軍幹部は対中強硬派で中国国民党を一撃で葬ることができると豪語していましたが、その予想に反して実際は泥沼にはまってしまいました。

 

そこで中国から撤兵すれば、日中戦争を拡大した責任を取らざるを得なくなるため、東條たちは中国からの撤兵を徹底的に拒否して内閣を潰すことも厭わなかったのです。

 

しかしながら東條が総理になっても日中戦争を終わらせることはできず、それどころか日中戦争を抱えたままアメリカとも戦う羽目に陥り、最後は日本という国家までもを失うことになったのでした。

 

昭和20年8月15日に至っても日中戦争は解決していなかったのです。

 

帝国陸軍は途中で引き返せる道があったにもかかわらず、自分の間違いを認めることができず、帝国陸軍だけではなく日本という国家も崩壊させてしまったのです。

 

そして現在でも帝国陸軍の「絶対に間違いを認めない」という病は財務省に確実に引き継がれており、どんだけデフレが続こうが不況に陥ろうが緊縮財政を続けようとしているのです。

 

続く

 

現在ロシアのプーチン大統領が果たしてウクライナに侵攻するか、ということが話題になっています。

 

私は以前に「第一次世界大戦はウクライナをめぐる戦いだった」と冒頭に指摘する独創的な本を読んだことがあって、それがかなり記憶に残っていたので今回少し読み返してみました。

 

その本はイギリスの歴史家であるドミニク・リーヴェン教授が書いた"Towards the Flame"というものです。

 

そして次の文章を読んで割と今回の情勢が理解できたのでここに引用してみたいと思います。

 

「1945年にスターリンはガリチア地方を併合しソビエト・ウクライナ共和国に編入した。この結果、ウクライナのナショナリズムの潜在的な脅威がものすごく増すことになった。ドゥルノヴォの予言は正しいことが明らかになった。すなわち、ガリチア地方が無ければ共産主義が崩壊してもロシア、ウクライナ、ベラルーシで東スラブ連邦というものを構成することも可能だったろう。」

 

ロシア人は基本的にロシア、ウクライナ、ベラルーシは相互不可分の関係にあると考えているようです。

 

ところが、このガリチア地方というものはウクライナの西の端に存在するところで、以前はオーストリア・ハンガリー帝国の一部でした。佐藤優氏も『プライム・ニュース』で指摘していましたけれどそれまでロシアに属していたことはなく、第2次対戦後もソビエトとに編入するのが嫌で最後まで戦っていたのです。

 

明らかにこんな地域を編入してしまったのはスターリンの戦略ミスでそのためにウクライナ全体にナショナリズムが及んでしまい、冷戦終了後にウクライナ独立することになってしまったのです。

 

この文章の途中で出てくるピヨトール・ドゥルノヴォはロシア海軍出身の政治家で第一次大戦以前にドイツと戦っても良いことはないと先見性のある覚書を書いた人です。

 

さて、現在のウクライナ問題ですが、実はそれ以前にベラルーシで問題があったのを覚えているでしょうか?

 

ルカシェンコ大統領が選挙で不正を働き、それに怒った国民が立ち上がってかなり激しいデモを起こしていました。ベラルーシ自身では問題を解決できなかったためにルカシェンコ大統領がロシアに頼み込み、どうにか抑え込んだのでした。

 

プーチン大統領は以前から自国や近隣の国で反政府デモが起こるとその国の政府に問題があったのではなく、アメリカなどの外国が介入しているとパラノイア的な発想をする人です。

 

そのロシアのお膝元であるベラルーシにまで外国の影が及んでいると怯え、どうにベラルーシまでは抑え込んだので、この次はウクライナの問題を片付けようと考えたのではないでしょうか。

 

ウクライナがNATOに拡大することを恐れてこのような問題を起こしたというよりも、このままにしておけば、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの関係までもがバラバラになってしまうとプーチン大統領は考えているのではないか。

 

だからといってウクライナに軍事侵攻してウクライナとロシアの一体性を回復できるものなのだろうか。甚だ疑問である。