どうも緊縮財政を今でも必死になって推進する財務省も薄々自分達の間違いに気づいているような気が私にはする。
しかし、それを認めてしまうと過去にさかのぼって責任を取らされることを恐れていて(少なくとも橋本政権で消費税を増税し日本をデフレにしたところまで)、緊縮財政が間違っているかもしれないと思いつつも従来の政策を続けていくしかないと腹を決めているみたいなのだ。
なぜなら『文藝春秋』に掲載された財務省の矢野次官の論文について自民党の財政政策検討本部長の西田参議院議員がブログにこう書いているからだった。
「しかし、今回の論文はそうした私の甘い考えを完全に否定しました。日本の状況を、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの、と喩え危機を煽る一方で、国債が償還不能になるという事には一言も触れない。その理由は、日本の国債が償還不能になるはずがないことを知っているからとしか思えません。」
https://www.showyou.jp/showyou/detail.html?id=5590
つまり矢野次官は自分の主張している事柄について明白な根拠があるわけではなく、財務省としてはこれまでの政策が決して間違っているとは口が裂けても認められないので緊縮財政をこれからも続けていこうと言っているようにしか私には聞こえないのだ。
この文章を読んでいる人は、本当に財務省のような日本で最も優秀な人たちを抱えているようなところが、間違いを認められないという理由だけで不都合な政策を永遠に続けていけるものだろうかと疑問に持つかもしれません。
しかし今からおよそ80年前にこれと全く一緒の理由から日本という国家を潰してしまった役所があるのです。
それは帝国陸軍でした。
昭和15年に2回目の総理大臣に就任した近衛文麿はどうにかして自分が始めてしまった日中戦争を解決しようと思っていた。
その時に近衛が考えたのが、アメリカのルーズベルト大統領とハワイで首脳会談をやって、石油の禁輸を含む日本に対する厳しい経済制裁をやめてもらうかわりに中国から兵を撤退させる約束をしようというものだった。
首脳会談がもし成功したら、その時は天皇に進言して聖断によって陸軍に対して中国から撤兵を実行させようと近衛は考えていたようだ。
しかし残念ながらルーズベルト大統領が乗り気では無く、首脳会談は開かれることはなかった。
それでも近衛は諦めきれず、東條英機陸軍大臣に対して個人的に何度も中国からの撤兵を求めたのですが、東條は頑なで最後には閣議で反対を述べて、結果として閣内不一致を招き近衛内閣を潰してしまったのでした。
なぜ東條はそこまでして中国からの撤兵に対して反対したのでしょうか?
歴史家の故・鳥居民さんは『近衛文麿黙して死す』という本にこう書いています。
「中国の撤兵をアメリカに約束する事態になれば、中国とは戦ってはいけないと主張した将官こそが正しかったのだと衆議院議員たちが語り、新聞の論説委員たちが説くようになり、真崎甚三郎や小畑敏四郎といった、現役をおわれた皇道派の将軍たちの再登場を望む声、それとは別に、これも現役をおわれた石原莞爾と多田駿の復活を期待する声が陸軍と国民との間に起こることになる。」
東條、杉山、梅津といったこの時代の陸軍幹部は対中強硬派で中国国民党を一撃で葬ることができると豪語していましたが、その予想に反して実際は泥沼にはまってしまいました。
そこで中国から撤兵すれば、日中戦争を拡大した責任を取らざるを得なくなるため、東條たちは中国からの撤兵を徹底的に拒否して内閣を潰すことも厭わなかったのです。
しかしながら東條が総理になっても日中戦争を終わらせることはできず、それどころか日中戦争を抱えたままアメリカとも戦う羽目に陥り、最後は日本という国家までもを失うことになったのでした。
昭和20年8月15日に至っても日中戦争は解決していなかったのです。
帝国陸軍は途中で引き返せる道があったにもかかわらず、自分の間違いを認めることができず、帝国陸軍だけではなく日本という国家も崩壊させてしまったのです。
そして現在でも帝国陸軍の「絶対に間違いを認めない」という病は財務省に確実に引き継がれており、どんだけデフレが続こうが不況に陥ろうが緊縮財政を続けようとしているのです。
続く