今日の『産経新聞』に吉崎達彦さんが、アベノミクスとレーガノミクスの比較を書かれています。
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 金融緩和の提唱は「アベノミクス」と呼ばれ始めている。折もよく、選挙の少し前くらいから為替レートが円安に向かい始めた。円高が進む局面においては、政府による「口先介入」もさほど効力を発揮しない。ところがトレンドに沿った要人発言はよく効く。結果として、アベノミクスが円安と株高を同時にもたらすような形になった。選挙が自民党の大勝利に終わり、日経平均が1万円台を回復するに至っては文句のつけようもない。アベノミクスは幸先のよいスタートを切ったのである。

 ここで思い出されるのは、1980年代のレーガノミクスの前例だ。レーガン氏が最初に「減税と歳出削減、規制緩和、強いドル政策」を唱えたとき、それを「ブードゥー経済学」と揶揄(やゆ)する声があった。命名者は、大統領予備選挙のライバルであったジョージ・ブッシュ氏(父)である。ところがブッシュ氏は後に、レーガン氏の副大統領となり、みずからの批判を封印するようになる。

 レーガン氏自身は、自らの信念に沿って「小さな政府」の理想を掲げたに過ぎない。ところがその周囲には多くの経済学者が集まり、やがては巨大な社会実験となり、ついにはアメリカ経済を大きく変える経済思想となった。のみならず、後にはソ連を倒して冷戦を終わらせる契機ともなったのである。
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今日は、政治家と偏差値について書いて見たいと思います。

レーガンの経済政策を「ブードゥー」と批判した当時のブッシュ副大統領は、エール大学を卒業していますが、レーガン大統領はそのような立派な大学を卒業していません。

キッシンジャーも『外交』という本の中で、レーガン大統領のことを「学問的背景が最も浅い」と書いていますが、次のように書いて注意を喚起しています。

「レーガンと話す時、君達は時に、なぜ彼が知事どころか大統領になってしまったのだろうかと不思議に思うに違いない。しかし、あなたがた歴史家が説明しなければならないのは、どうしてそのように知的でない人物がカリフォルニアを8年治め、ワシントンをこれまで7年近く収めることができたかということである。」

私がなぜこのようなことを書いたかといえば、安部首相の出身大学をバカにするような文章を読んだからです。

キッシンジャー風にいえば、問題はそこではなく、なぜそのような出身大学にもかかわらず2回も総理大臣ができるようになった理由を私は知りたいのです。
ゴードン・チャンがブログに興味深いことを書いています。

安部総理は、「自由」や「民主主義」などを柱とする「価値観」外交を推進しています。また政権の中心でもある麻生財務相も外相時代に「自由と繁栄の弧」を唱えていました。

この2人の姿を見て、チャンはアメリカのレーガン大統領時代に似ていると書いています。

「日本のリーダー達は、レーガン大統領のように、いかに「体制」の違いが重要か分かっている。簡単にいうと、政治システムの違いが中国を信頼できないパートナーにしているのだ。東アジアの平和は、安倍晋三や麻生太郎の言うように、民主主義国家が一緒になって働くことでしか達成できない。」

ここでなぜ私がこのチャンの議論に納得したか説明してみます。

レーガン政権の前は民主党のカーター政権でしたが、彼の外交ははっきり言って素人そのものでした。

まだ冷戦が続いているのに、彼は韓国から在韓米軍を撤退させようとしました。これは周りの高官に諌められて失敗しています。日本や韓国も反対したようです。

またイランのアメリカ大使館の人質救出作戦でもヘマをします。

最後にカーター大統領は、ソビエトのアフガニスタン侵攻にショックを受ける始末でした。

日本の民主党の外交に似ていると思ったのは、私だけでしょうか。

このカーターの失態を受けて登場したのが、「グッド モーニング アメリカ」を掲げて当選したのがレーガンだったのです。

ちなみに、安部総理のスローガンは「日本を取り戻す」でした。

また経済面でも、アメリカはヴェトナム戦争以来のインフレに悩まされてきましたが、レーガンは連銀総裁にポール・ボルカーを指名して高金利政策をとらせる一方、レーガン政権は減税や軍拡の政策をとります。これが当時、レーガノミクスと呼ばれるものでした。

この政策は、財政赤字や経常収支の赤字の拡大という副作用を伴いましたが、インフレを収束させることに成功し、後のアメリカの繁栄の基礎を作ったのです。(ただレーガン政策のやり過ぎがサブ・プライムを生んだのは否定できませんが、それは後の話です。)

日本の場合はアメリカの70年代とは違いデフレで苦しんでいますが、2%のインフレになるまでの無制限の金融緩和や財政出動などからなる「アベノミクス」と呼ばれるものが用意されています。

経済政策に指導者の名前がつけられたのも、レーガン大統領以来ではないでしょうか。

私が、安倍政権とレーガン政権の比較を書いて少し気分が高揚してくるのは、レーガン政権の結果を知っているからです。

レーガンはアメリカに冷戦の勝利をもたらしたのです。

いよいよ極東の冷戦も終わりを迎えようとしています。第2次安部政権がうまくいくことを願っています。

『朝鮮日報』に「朝鮮戦争停戦60年、韓米同盟を軸に成長した韓国」というタイトルで記事が書かれています。

内容は、韓国がグローバル・パワーになったのは米国と同盟を組んだお陰で、日本が協力したことなど全く書かれていません。

重要部分を引用しておきます。

 停戦体制と共に誕生した韓米同盟は、第2次大戦後に米国が締結した「最高の同盟」と評価されている。米国のオバマ大統領は先月19日、韓国大統領選挙で当選した朴槿恵(パク・クンヘ)氏に送った祝電の中で「韓米同盟はアジア・太平洋地域の平和と安定のリンチピン(核心)の役割を果たしてきた」と述べた。

 韓米同盟は60年間にわたり、韓国が築き上げてきた経済成長と反映の基礎となった。韓国は、第2次大戦後に独立した新生国家の中で、産業化と民主化の両方に成功した国に挙げられる。韓米同盟により、北朝鮮の挑発に対する安全弁を確保できなかったとしたら、こうした「韓国の成功神話」も不可能だったと評されている。今や韓国は、グローバルパワーにまでのし上がっている。
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以前に『中央日報』に韓国系アメリカ人で、ブッシュ(息子)大統領時代に国家安全保障会議のアジア部長をしていたヴィクター・チャという人は次のように書いています。

まず、1960年代の韓国の目覚しい経済成長は、日本支援がなかったとすれば不可能だったというのが歴史的な事実だ。50年代の米国の援助専門家は、韓国は戦争で苦痛を受けた農業国にしか成長しないと予想した。こういう予想は韓国の鉄鋼・化学産業ブームを計算に入れなかったために完全に外れた。もちろん日本の資金・技術・素材支援は慈善レベルで提供されていたのではなく、冷戦時代の米国の圧力によって行われたものだ。しかしその結果は誰も予測できなかった目覚ましい発展につながり、さらには日本を超える分野も出てきた。サムスン電子の営業利益はライバル企業の日本の3大電子企業を合わせたものよりも多い。これは非常な努力の結果だが、日本の初期支援がなかったとすれば、決して成し遂げられなかったはずだ。
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果たして、日本がアメリカの「圧力」で韓国に援助したのかは疑問が残るところですが、チャの主張することの方がはるかに事実に即していると思われます。

とうとう韓国は、日本が援助したことも忘却してしまったようです。どこまで日本を「侮辱」すれば気がすむのでしょうか。