八世本因坊伯元 幸手市 | 墓守たちが夢のあと

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伯元の実家・尾崎家の墓所(伯元の墓は左側の墓石の中)

 
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本因坊伯元の墓
 
 埼玉県幸手市は江戸時代に囲碁家元・本因坊家の八世伯元、九世察元十世烈元と三代続けて本因坊を輩出したところです。近年、幸手市で、各本因坊の墓碑が発見され、それぞれゆかりの場所に設置されましたが、その存在は永らく知られていませんでしたが、平成11年から始められた幸手市教育委員会による市内石造物調査により偶然見つかったそうです。
 八世本因坊伯元は武蔵国幸手郡天神島村の小崎家出身で天文5年(1740)15歳の時に七世本因坊秀伯の門下に入ります。翌年には秀伯が危篤となり安井家五世仙角が付添人となり八世本因坊を継承します。門人となって日が浅く、年も若い伯元が跡を継いだのはそれだけ将来を期待されての事でしょう。
 その後、先代の頃から続いていた林因長門入の名人碁所就任問題については仙角とともに反対し、若く才気溢れる伯元との争碁を嫌った門入は願いを取り下げます。
 このように、将来を期待されていた伯元ですが宝暦4年(1754)に病に倒れ、弟子で同郷の察元を跡目として僅か29歳でこの世を去ります。
 この時期は囲碁界の中心であった本因坊家で6世知伯、7世秀伯、そして8世伯元と立て続けに20代で当主が死亡したため囲碁界全体が衰退していき、「暗雲の時代」と呼ばれています。
 
 
埼玉県幸手市天神島282(「てんじん保育園」となり)  地図
撮影日:2011.10.22